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第4話

 片倉は町奉行所において、河川氾濫や土砂崩れなどの災害から地域の人々を守る職務についている。

 そういった業務を担当する武士は人々から「土砂留どしゃと奉行ぶぎょう」などと呼ばれ、こうして定期的に担当地域の視察に向かうのだ。


 過去に土砂流出が起きた現場や、そうなりそうな危険な箇所を見て回る。そうして問題があれば、工事の手配をするのが土砂留め奉行である片倉のお役目だ。


「……ふむ。ではこの山の間引きの件は問題なさそうか?」

「はい! この状態であれば差し支えないでしょう」


 数馬が村役人に声をかけると、愛想のよい返事がした。


 土砂留め奉行、片倉一行の担当地域の巡回は予定通りに進んでいた。

 昨日とある村に到着し、奉行である片倉は現在も村人たちの手厚い歓迎を受けている。その間に、数馬はかつて土砂崩れを起こしたという山林を見て回っていた。

 土砂留め奉行が直接村々を訪れるとはいえ、奉行本人は接待を受けることが主で、実際の現場を検分するのは補佐である数馬の役目なのだ。


「わかりました。くれぐれも許可した以上の伐採は危険ですから、きちんと取り締まってくださいね」


 数馬は村役人に念を押すように言った。

 ここの村の顔役は商売に力を入れているようで、どうにかして片倉に取り入ろうと必死な様子がうかがえる。より多くの木を伐採する許可を取りたい、その木を売って儲けたいという気持ちが透けて見えるのだ。

 だが、そんなことをしてせっかく緑が増えた山を禿山にされてはたまらない。以前の土砂崩れでは多くの者が家を失い、死者もでた。

 けして同じ過ちを繰り返してはならない。こうして村役人に睨みをきかせるのも、数馬の大切な仕事だ。


「それで豊島さま。村人たちからの嘆願書の件はいかがいたしますか?」

「……ああ、例の堤のことか」


 この村の横には大きな川が流れている。その川にある堤の大規模な補修工事をしてほしいという嘆願書が奉行所に届いていた。

 村人たちの訴えについて、今日一日かけて村周辺を見て回った数馬には十分すぎるほど理解できてしまった。しかし、そう簡単に大規模な工事はできないので、頭を抱えてしまう。


「都度対象地域の村の上役たちで相談して、破損箇所の修復をしていけばよい。今まではそうしてきたのだろう?」

「ですが、今年は破損箇所が多すぎます。藩の管轄地域でもあるのですから、どうにか奉行さまの方から藩に訴えることはできませんでしょうか?」


 これが土砂留め奉行のお役目の面倒くさいところだなと、数馬は心の中でため息をついた。


 土砂留め奉行の担当区域は、単純に藩の支配地域で別れているわけではない。なぜなら、川の流れや大きな山林は複数の藩の支配地域をまたいでいる場合が多い。支配する地域ごとに異なる土砂災害対策を行うのでは効率が悪いため、河川や山ごとに担当区域が別れているのだ。


「今年は雨量が多いからな。細かく補修していくやり方では不安を覚えるのはわかるが、大規模な堤の補修工事となると来春まで着工は難しい」

「それは承知の上なのですが。現状のまま細かい破損箇所を誤魔化しで修復していくやり方では、どうにも雨期を乗りこえるのは不安でして……」


 いくら町奉行所とはいえ、下手に藩が支配する地域の村のことに強く口出しをすれば、確実に軋轢が生まれる。もしそんなことにでもなれば、来春の着工すら怪しくなる。まずは上の者たちの間での調整を行ってからでないと、具体的な工事の内容について話を進めることはできないのだ。


 ──さすがにいまの堤の状態では二度の雨期はしのげまい。かといって不足分の工費を藩から出させるのは一苦労だぞ。


 村役人が申し訳なさそうな顔で数馬を見つめてくる。

 数馬はどうしたものかと腕を組んで考えながら、とうとう大きなため息をついた。


「……ふう、そうは言ってもな」


 通常、堤の補修工事を行う場合、補修箇所の近辺を支配している藩が工費を出す決まりになっている。

 しかし、大抵はその補修箇所の近隣の村々が直接金を負担することになるのだ。

 そのため、大規模な補修工事となると、ただでさえ人足にんそくを出す村々は金銭を捻出することが困難になる。


 ましてや、今回の堤の件では、決壊した場合に影響の受ける地域を支配する藩はひとつの藩のみではない。支配する者の違う村々が足並み揃えて工費を出すというのは簡単なことではない。


 ──そもそも町奉行所は街行政を行うことが本務だ。それがこうして他藩の支配する村々まで巡回して土木工事の指示をすることに無理があるのだ。


 数馬は心の中で毒づくが、いまはそんなことを考えていても仕方がない。

 どうにも堤の件に対して積極的にはなれないが、与えられた職務は全うするしかない。ここで数馬が下手を打てば、義父や片倉の名を汚すことになりかねないのだ。


「気持ちはわかる。だが、今しばらく耐えてくれ」

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