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第9話:時に仮想は現実をも凌駕する

 ねぇ本当になにもいない? ――と、そう尋ねた彼女はひどく怯えていた。


 いつもの明るさは皆無である。ここにいるのは恐怖によってしっかり心支配されてしまった幼子も同じだ。


 その都度大丈夫と朱音は激励する。こんなにも弱々しい姿を目にするとは思いもしなかった。


 カメラの前に立つ彼女は、とてもキラキラと輝いていた。陽気で優しい声はそれだけで多くの者を魅了し、どれだけ沈んでいた心も自然とわくわくと踊り出す。並大抵の者ではまずできない芸当だ。さすがは黎明期よりずっと活動してきただけの実力者である。


 自分がなんとかするしかない。薄暗く血生臭い長く続く廊下を歩く傍らで朱音はそう思った。



「あ、あれゴールなんじゃないですか……!?」


「……確かに。他と明らかに雰囲気が違いますね」



 目の前にそびえ立つ鳥居は、見るからにボロボロで今にも朽ち果ててしまいそうな雰囲気をひしひしとかもし出す。


 ホラーゲームの世界に非常にぴったりな造形だ。いくつも貼られたお札の劣化具合もなかなかいい味を出している。


 だが、その鳥居を抜けた先に広がる世界は少なくともここのようにおどろおどろしくはなかった。


 ごくごく普通の道がまっすぐと続いている。更に付け加えれば、遠くには眩い光が見えた。



「多分、ここがゴールなんでしょう。タマモ先輩、あとほんの少しの辛抱ですから我慢してください」


「う、うん……その、ありがとうございます」



 不意な謝礼の言葉にいつもの活気はない。



「別に、大したことはしていませんよ」


「でも、イメージダウンしちゃったんじゃないですか? アカネちゃんの頼れる先輩がこんなに情けないなんて……」


「誰にだって得手不得手はありますからね。それを弄るような輩は自分で腹斬って詫びたほうがいいです」


「な、なかなか怖いこといいますねアカネちゃん……」


「事実ですので。だから、タマモ先輩はなにも気にしないでください。タマモ先輩にはたくさん魅力的なところがあるんですから。たかがホラーゲームでビビッってるぐらいどうってことないですよ」


「アカネちゃん……うぅっ……タマモはいい後輩ももって幸せでずぅぅ」


「わかりましたからその涙と鼻水がべったりついた顔を付けるの辞めてもらっていいですか? いくら仮想空間内だといっても汚いので」


「後輩が辛辣すぎて辛い……」


「誰だってそう言いますよ……って、しまった」



 朱音はハッとした顔で立ち止まった。



「ど、どうしたんですか?」


「……タマモ先輩。ここで少し待っててもらえますか、って言ったらどうします?」


「えっ? ちょ、突然の放置プレイとかやめてくださいよ本当に!? タマモちゃん本気で泣いちゃいますよ!?」


「いや、でも……ゴール見つけたはいいですけど、鍵がないと多分ここから出られないですよ?」



 今作のクリア条件は鍵を見つけ出してゴールまで向かうというもの。


 これまでの戦闘はいわばオマケのようなものであって、真の目的ではない。


 鍵は未だ発見できておらず、かといってこのまま待っているのは時間の無駄というもの。


 動画という形で配信するならばやはりそれ相応の撮れ高がなければせっかくの価値も路傍の石に等しい。


 よって朱音は、ここでタマモを放置するという選択肢を取った。もちろん理由は撮れ高以外にもある。



「今のタマモ先輩じゃ満足に戦えないでしょう。それならここで待っててもらったほうが安全かと思いますよ」


「そ、そうかもしれませんけどぉ……だからって放っておくのはいくらなんでもひどすぎじゃないですかぁぁぁ!?」


「ぶっちゃけると足手ま――」


「は?」



 なんともドスの効いた声である。


 ひょっとするとこれまでのはすべて演技だったのではないだろうか。そんな考えがふと、朱音の脳裏によぎった。



「……あ、あそこに亡霊が」


「いやぁぁぁぁぁぁぁ!」



 演技ではなかったらしい。すっかり怯えてしまったタマモに心の中で謝罪する。


 だが、これはこれでなかなか面白い。新しい玩具を発見した幼子のような心境に、朱音はふっと口角を歪めた。



「とにかく、タマモ先輩はここで待っててください。すぐに戻りますから」


「いやぁぁぁぁお願いだから見捨てないでぇぇぇぇぇ!」


「そんな彼氏にフラれる重くて面倒臭くてメンヘラってる彼女じゃないんですから……」

「もっと他に言い方がありません!?」


「とにかく、タマモ先輩はここで大人しく待っててください! 多分その方が撮れ高も高くなると思いますので!」


「なんですか撮れ高って! お願いですから一人はいやぁぁぁぁぁ!」


「ちょ、力強いなこの狐先輩!」



 必死の形相でしがみつくタマモの握力は、朱音をもってしても簡単に振りほどけなかった。


 そればかりか素早く身体を密着させがっしりと抱擁ホールドまでしてくる始末である。


 とても柔らかかった。VR空間であるはずなのに、感度がしっかりと伝わってくる。【バーチャウォーズ】は正しく神ゲーだ。その不動たる事実を改めて朱音は実感した。


 これも、撮れ高になってくれるかもしれない。なんとかタマモを引き名はそうとする傍らで、朱音はふと思った。



「――、あ、あそこにいるのってアカねんとタマちゃんだ!」


「よかった~二人とも無事だったのねぇ」



 二人の先輩が駆け寄る姿に朱音はホッと安堵の息を吐いた。


 二人とも無傷のようだ――一点だけ先程までとの相違点を指摘すれば、揃って血まみれになっていることだが。


 頭からつま先まで、べったりと付着した血の量は凄まじく鼻腔をつんと突く鉄の香りも極めて濃厚だ。


 にも関わらず、二人とも表情一つ変えないというのだからいよいよ朱音はカエデたちの神経を本気で疑った。ひょっとするとアイドル以前になにか血生臭いことでもやっていたのだろうか、と――あまり考えたくはない。



「カエデ先輩、レイナ先輩も無事だったんですね」


「あぁぁぁぁん! 二人とも無事でよかったよぉぉぉぉぉぉぉ……!」


「おぉ……タマちゃん相変わらずの泣きっぷりだね。これはこれでそそる」


「もう、カエデちゃんそういうこと言わないの。気持ちはわかるけども」


「……とりあえずこうして全員そろってなによりです。けど、ここを出るための鍵がまだ見つけられてなくて」


「ふっふっふ~それなら大丈夫。なんてったってこのカエデがいるもんね」



 じゃじゃん、と効果音付きでカエデが取り出したそれは一枚の札だった。


 一見すると至って普通の札だが、新品同然で文字や模様はぎらぎらと赤く輝いている。


 明らかに他と異なる札に朱音も確信した。これこそがきっと、この世界から脱出するための鍵に違いない。


 横にいたタマモの顔がたちまちパッと明るくなった。ようやく恐怖から解放されるのだ、その喜びは朱音たちの誰よりも大きい。急いでゴールすることをタマモが急かした。



「は、早くここから出ましょう! いやぁ怖かったけどなかなかおもしろかったですねぇ。でもまぁちょっと物足りなかった感じもするけどそれはそれでちょうどいい塩梅かもですけど~あははははは!」


「タマモ先輩、虚勢張らなくてもいいのに……」


「まぁ、タマちゃんはこれが普通だからね。気にしなくても大丈夫だよ」


「タマモちゃんらしくていいわねぇ」


「……じゃ、タマモ先輩のメンタルが完全に崩壊する前に脱出しましょう」



 目が眩むほどの白い光を抜けて、朱音は現実世界への帰還を少しずつ実感していく。


 どうやら戻ってきたらしい。装置が顔だけを出せば、タマモが真っ先に外に出ていた。目元が赤く腫れぼったいのは、あえて尋ねる必要もあるまい。


 遅れるようにしてカエデ、レイナが外に出た。タマモほどではないがカエデの目元とわずかに赤くなっていた。


 ホラーゲームでどうしてあぁも怖がれるのだろう。それも一種の才能としか思えない。生憎自分には、そのような才能は最初から持ち合わせていない。


 結局のところ、真に恐怖なのは生きている人間だ。そしてそれは、己の祖父によって痛いほど知っている。あれを超える恐怖というものを一度見てみたいものだ。朱音は小さく自嘲気味に笑った。



「あ、アカネちゃんも出てきて……って、アカネちゃん腕!」


「腕?」



 タマモに指摘された朱音の左腕からは、赤い雫が滴り落ちていた。


 あの時斬られたものとまったく同じ傷だった。傷口を介してじんわりと伝達される熱も鈍痛も然り。


 仮想現実での事象が、現実のものとなって現れる。【バーチャウォーズ】をプレイしてはじめての経験に誰しもが唖然としていた。


 その中でただ一人、朱音だけは平然とした表情のまま傷口をジッと見やる。正確にはその顔には不敵な笑みすら浮かべていた。



「ど、どうして怪我してるの?」


「それって、さっき斬られた時とまったく同じ傷じゃ……」


「と、とにかく手当しないと……!」


「問題ありませんよ、これぐらい」


「で、でも……!」


「レイナ先輩、ありがとうございます。でも大丈夫、この程度の傷は日常茶飯事でしたから」


「え? アカネちゃん……ひょっとして虐待とかされてるの?」


「いや違いますから」



 あれは虐待などという、そんな甘いものではない。


 彼女たちは南方家を知らない。だからといってそれをほいほいと教えるほど朱音もお人好しではない。


 彼女たちのような女性には、あまりにも刺激が強すぎる。世の中には知らなくて済むことがごまんとあるのだ。


 わざわざそちら側に足を踏み入れる必要もまぁなかろう。知らぬが仏だ。それでも不安な眼差しを絶えず送るタマモたちへ、朱音は苦笑いをふっと返した。




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