血がべったりと付着している。これもきっと演出の一環だ。
演出とはいえど、むせ返るような濃厚なこの香りにレイナは表情一つ変えようとしない。
依然穏やかな笑みを保つ彼女に、朱音はいぶかし気な視線を送った。
「二人ともよかったわぁ。いきなり違う場所に飛ばされちゃったからびっくりしたもん」
「あ、はい……と、とにかく無事でなによりです」
「アカネちゃんもカエデちゃんも無事でよかったわぁ」
血がべったりと付着した大斧を片手に担ぐ姿が末恐ろしかった。
レイナは、鬼のようだ。立派な二本の角がよく似合う。
袖のない赤の着物をまとい、カエデほど露出度は高くないが一部がとても目立っていた。
それがどこかとは、あえて言わない。だが、とにもかくにもそれは大きかった。歩いただけで上下にぽよん、ぽよん、とはねる光景は圧巻の一言に尽きよう。
「後はタマモ先輩だけですね」
「う~ん。早く探さないとこれはやばいことになるねぇ」
「やばいこと?」
「えぇそうなの。タマモちゃん、ホラーゲームが大の苦手なのよぉ」
「え? そうなんですか?」
意外というのが本音だった。タマモは誰よりもゲームが大好きだった。
ゲームの話となれば、とてもよく喋る。知識量もすさまじい。話が一方的すぎてついていけない、などということが度々あった。
他のメンバー曰く、これはもう日常茶飯事であるらしい。それだけゲームをこよなく愛するタマモにも苦手とするジャンルがあった。それが朱音には意外だった。
「ホラーゲームとかもてっきり、難なくこなすイメージがありましたけど……」
「それは他のメンバーかな。タマちゃんほど、ホラーゲーム苦手なのもいないと思うよ」
「今回の案件、事前にお教えしますって言われてたから完全な不意打ちねぇ。タマモちゃん、今頃どこかで泣いてなかったらいいけど」
「そんなにダメなんですか? だって、こういっちゃなんですけどたかがゲームですよ?」
現実のようで、ここは現実世界ではない。
あまりにもリアルすぎるからそう錯覚してしまうのは無理もない。
だが、あくまでも視界に映るこの世界はすべて仮想世界でしかないのだ。
亡霊もすべてプログラムの塊にすぎない。であればいったい何を恐れる必要があろう。
本当に死ぬわけじゃあるまいし。ホラーゲームであぁも悲鳴を出せることが、朱音は不思議で仕方がなかった。
「とりあえず、どうします?」
「う~ん……時間は後で編集されるから問題ないとしてえぇ。やっぱりタマモちゃんのメンタルが心配ねぇ」
「だったらここからは手分けして探しましょう。俺は一人でも大丈夫ですので」
「あ、ダメよアカネちゃん」
「おいそれフラグだぞ! カエデは超天才だからわかるんだもん!」
「カエデ先輩が言うなら問題ないですね」
「おいそれどういう意味だよ!」
今は時間が少しでも惜しい。
タマモにそれだけの危機が迫っているのならば悠長にしてはいられない。
単独行動が危険なのは百も承知だ。一刻でも早くタマモを見つけこの世界から脱出する。
「しかし、このステージは無駄に広いな……学校でこんなに広い校舎なんて見たことないぞ」
広大な敷地に加え、調べる箇所がとてつもなく多い。
教室だけでも、軽く見積もっても20以上もあった。いったいこれだけの数の教室が果たして必要なのか否か。
一人で探すにはいささか骨が折れる。別の教室をそっと開けた。椅子がぐるぐると謎に浮遊している。
ここにはいないらしい。朱音はすぐその場からは離れた。
「あの先輩はどこにいったんだ……?」
亡霊にこそ度々出会うものの、タマモの姿は一向に見つからない。
もしかしてすでにゲームオーバーになってしまったのでは……? 朱音の脳裏にそんな考えが、ふとよぎった。
可能性としては、ありえなくはなかった。タマモは強い。それは先日のプレイにてすでに知っている。
だが、いつものコンディションでなければ本領発揮するのも難しかろう。
「何事もなかったらいいんだけど……というか、ここグラフィックがヤバすぎないか? なんかどんどんグロテスクな感じになってきてるんだけど?」
無機質だったはずの壁はいつしか、ぶよぶよとした肉壁に変わった。
床は赤い水によって浸水し、歩くたびに濃厚な鉄の香りを周囲にまき散らす。
視界に映る光景はまさしく、地獄絵図とそう呼ぶに相応しい。いくらなんでもこれはやりすぎだ。心身に著しい悪影響を及ぼすのは明白で、猶更タマモの安否が心配になる。
どうか無事でいてくれ……! 一縷の望みを胸に朱音は体育館へと続く扉をゆっくりと開けた。
「タマモ先輩!」
「うぇ……? ア、アカネちゃぁあぁぁぁぁぁん!」
「だ、大丈夫……そうではないですね」
「うぇぇぇぇぇぇん! 怖かったよぉぉぉぉぉぉ……!」
「と、とりあえず落ち着いてもらって……」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔はから察するに、余程怖かったのだろう。
ひとまず合流できた。朱音はホッと安堵の息をもらした。
「とりあえず、ここから出ましょうか。レイナ先輩とカエデ先輩も心配していましたから」
「う、うん……」
怯えたタマモの手を取り、その場からの離脱を図る朱音。
だがそれは、漆黒の闇より不気味に響く物音によって遮られてしまう。
なにかが、いる。朱音はジッと漆黒の闇を見据えた。
程なくして姿を静かに表したそれは、タマモの表情をたちまち恐怖で強張らせる。
鎧武者がいた。ホラーゲームの世界観に合わせてなのだろう。生気を失った顔は青白く、目は虚ろだ。
そんな虚ろな目からは、形容しがたい凄烈な憎悪を宿していた。正しく怨霊と呼ぶに相応しい敵に、朱音はサッと玉藻の前に躍り出た。
すっかり腰を抜かしてしまっているタマモはもはや戦力として当てにならない。ここは自分がどうにかするしかない。朱音は静かに腰の太刀を抜いた。
「……タマモ先輩。ここは自分がなんとかします。ですので、辛いでしょうけどなんとか自力でここから逃げてください」
「しょ、しょんなぁぁぁぁぁ! アカネちゃんはタマモちゃんを置いていくんですかぁぁぁぁぁ!?」
「誰もそんなこと言ってないですね!? タマモ先輩を守りながら戦うのはしんどいから逃げてくださいって言ってるんですよ!」
「それができたら今頃してますよぉぉぉぉぉぉ!」
ごもっともである。だっと滝のような涙を流して主張するタマモに、朱音は同情した。
鎧武者がけたたましく上げた咆哮はさながら猛獣のよう。
彼の右手にあるそれは、ひどく錆びつくばかりか刃毀れが激しい。
刀本来の斬るという性能だが、あれではもう皆無に等しいだろう。
それこそ打ち合えばあっさりと、ぽきりと折れてしまいかねない雰囲気すらある。
正面から思いっきり叩きつければ無力化できるか――そんなわけがない。朱音はそう自嘲気味にふっと笑った。
目に映るものすべてが真実と思うことなかれ。見た目で判断し軽んじた者こそ呆気なくやられる。
相手の実力は未知数だ。油断は、できない。
「さて、どうするべきかな……」
危機的状況下であるにも関わらず、朱音はその顔に不敵な笑みを浮かべた。
【バーチャウォーズ】はどうして、ここまでワクワクとさせてくれるのだろう。
闘争本能を衰えさせないばかりか、プレイするごとに牙がどんどん磨かれていく。そんな錯覚すら憶えてしまう。
命のやり取りが、楽しくて仕方がない。そう思う自分は多分、周りからすれば異端に違いない。
これも南方一族の血ゆえなのか。朱音はそんなことを、ふと思った。
鎧武者が地を蹴った。どんという力強い一歩はまるで大砲である。
凄烈な勢いで肉薄する気迫に気圧されれば、たちまち無様な死に体をここに晒すこととなろう。
並大抵の者であったならば、確かにそうだったかもしれない。鎧武者が対峙するのは、
「おっと」
冷静に迫る刃を受け流し、反撃の隙を伺う。
生半可な一撃ではこの鎧武者は倒せない。それだけならばまだしも、隙を晒して手痛い反撃を受ける危険性も十二分にある。初太刀を外しても次の二の太刀で仕留めればよい、などという容易に倒せる相手ではない。
それは最初の打ち合いにて朱音は瞬時に敵手の力量を測ったからこその判断だった。
目の前にいるのは間違いなく、強敵だ。祖父よりももしかしたら強いかもしれない。
「いいですね……楽しくなってきた」
朱音は再び不敵に笑った。
「それじゃあ少しばかり、本気を出してもいいかな」
次の瞬間、朱音の太刀が唸りをあげた。
敵の返しを瞬時に見切り、それに応じて技から技へと繋げる運剣は途切れることを知らない。
むろんこれには即応能力と動体視力がなによりも重要とされた。朱音のそれらは超人の域に達する。
一呼吸の間に敵手はその身に、十六の刀傷を負うだろう。
「――、ふぅ……なんとかなった、かな」
朱音はそっと呼気をもらした。
鎧武者の姿はもうどこにもない。すなわちそれは朱音が倒したからに他ならない。
もちろん無傷というわけにもいかなかった。斬撃の嵐の中で鎧武者は果敢にも反撃に転じようとしたのだ。
その内の一つが朱音の右腕を捉えたのである。
痛い。じんわりと帯びた熱と鈍痛に朱音はわずかに表情をしかめた。
腕からは赤い雫が滴り落ち、その感触が妙に生暖かくて気持ちが悪い。
ここまでリアルに再現する必要性はないと思うのだが……。朱音はそう思った。
「ア、アカネちゃん血が……!」
「あぁ、これぐらいどうってことはないですよ。ゲームですし、でも妙にリアルに再現されすぎてるっていうか……まぁとにかく俺なら大丈夫ですから」
不安げな顔をするタマモに、朱音はふっと微笑んだ。