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第5話:うんめいの初配信!

 一週間はあっという間に過ぎ去った。


 時刻は午後七時半をすぎたばかり。後ほんの少しでいよいよ初配信が始まる。


 わずかな猶予を目前に、この日の朱音はひどく落ち着かなかった。


 男でありながらアイドル事務所に所属しただけでなく、もう配信をするのだ。


 キャリアもなければスキルも特にない。そもそもなにをすればよいかがまるでわからない。


 わからないことだらけのこの現状に落ち着けるはずもなし。


 どうすればいいのだろう。刻一刻と時を刻む時計ばかりを気にしては、朱音は深い溜息を吐いた――ちなみに、これで通算52回目である。



「大丈夫ですよアカネちゃん」



 隣でタマモがにこりと笑った。


 モーションキャプチャーをすでに装着済みであるが、彼女のかわいさは損なわれない。



「彩月先輩……」


「そこはタマモちゃん。もしくはタマモ先輩と言ってほしいですねぇ」


「いくらなんでもそれはちょっと……所属して間もないですし、それに今日初配信でそんな余裕ないですよ」


「まぁ、気持ちはわかりますけどねぇ。でもみんなからすっごく期待されてるからがんばりましょう! ね?」


「……どうしてこうなってしまったのやら小一時間問いたい」



 ドリームライブプロダクションに新人が入った。


 朱音が契約を結んだ翌日に公表されたこの情報によって、SNSはあっという間に賑わった。


 一週間で初配信という異例の速さには多くのユーザーも驚いたが、それもほんの束の間のこと。



 ▶どんな新人の子なのかめっちゃ楽しみなんだけど!

 ▶見た目的になんか侍っぽい? 女の子で剣士とか萌えますねぇ。

   ∟それな!

   ∟拙者の股下にあるソードが唸るでござる!

     ∟通報しました。



 誰も違和感を憶えない。それを嬉々として受け入れる適応能力はさすがというべきか。


 とにもかくにも、Vtuberとなるための素体も設定もすでに完成していた。


 この事実に朱音はもちろん驚愕したし、デザインが奇しくも自身の性癖に深く突き刺さるだけに素直に畏怖の念を抱いた。


 斬咲きりざきアカネ――名前まで同じという偶然は、果たして偶然か。


 ずっと山奥で剣の修行ばかりしていた女の子で、ふとしたきっかけで知ったアイドルに憧れて都会の町に降り立った――というのが一応設定である。



「アイドルには全然憧れてないけど、それ以外の設定がほぼまんまなのが恐ろしすぎるって……」


「こんな偶然あるんですねぇ」


「これ、偶然って呼べるレベルじゃないと思いますけど……」



 女剣士というだけあって、その出で立ちデザインは幕末にて最強と謳われた真撰組を彷彿とする。


 なかなかかっこいいな……。後キャラかわいすぎる。大きなモニターの中で手を振るもう一人の自分に朱音は思わず頬がにやけそうになるのを辛うじて理性で御した。



「後ちょっとで初配信、か……だめだ。自信がなさすぎる」


「大丈夫ですってば。なんていったってこのタマモ先輩がついているから、アカネちゃんは泥船に乗ったつもりでいてくださいよ!」


「……それを言うなら大船です。はぁ……腹は括ってきたつもりだったけど、やっぱりきついな」



 万を超えた待機人数がより一層プレッシャーとなってずしりと重く伸し掛かる。


 いっそのことここで思いっきり吐いてしまいたい。朱音はそんなことを思った。



「でも、一度やってさえしまえばどうってことないですよ。人間なんでも慣れですから」


「それは、そうですけど……」


「――、っていよいよ出番ですよ! ほらアカネちゃん、シャキッとして」


「あぁもう! こうなったらヤケクソだ……!」



 とうとう、恐れていた時間が訪れてしまった。



「はいは~い、みなさまどもどもこんタマ~! ドリスタ所属一期生の彩月タマモちゃんでーす!」



 ▶こんタマー!

 ▶今日はタマモちゃんが司会進行役するんだっけ。

 ▶いきなりの実質コラボに新人ちゃんついていけるのか?

 ▶これは興味深いですねぇ!



 あっという間にコメントが流れていく。


 なにが書いているのか辛うじてしか拾えない。


 これでも動体視力には自信があるほうだった。むしろこれまで経験してきた速さの中では一番遅い。


 しかしそれが文章となればいつものようにいかない。見るだけならばともかく、その中身を精査するのだ。


 これがおそろしいぐらい至難を極めた。だからこそ、それらを的確に精査して返答するタマモに朱音は唖然とした。



「今日はですねぇ……って、誰が変態狐やねん! こちとら変態ちゃうわ変態という名の淑女兼アイドルじゃい!」


「す、すごい……」



 自然と出たその言葉に嘘偽りは微塵もなかった。


 アイドルとしての歴が誰よりも長いタマモだからこそ可能とした芸当か。


 滞りなくつらつらと言葉を紡いでは場を盛り上げる彼女の技量は、月並みと理解しつつもすごいと言わざるを得ない。


 ここに至るまでに彼女はどれだけ血の滲むような努力を積み上げてきたのだろう。


 アイドルというものにまったく興味がなかった。適当に笑顔を振りまいて歌って踊りさえすればそれでいい、と心のどこかでそう軽んじていたのかもしれない。


 これが、アイドルというものなのか……!? 正直侮っていた。そんな自分が今は恥ずかしくて仕方がない。


 直接なにかしたわけでもない。けれども非を詫びねば気が済まない。進行を務めるタマモに、朱音はそっと頭を下げた。



「――、それではみなさんお待ちかね新人の子を紹介しちゃいたいと思います! どうぞー!」



 とうとう出番がやってきた。


 朱音は頬を軽く叩いた。ほのかに帯びた熱と痛みが気を引き締める。


 タマモの姿に覚悟が自然とできた、ような気がする。


 アイドルとしては未熟極まりなく、なにもかもにおいては素人であるが、せめて恥ずべきことがないよう精いっぱい務める。


 迷いない足取りで朱音はカメラの前に立った。動く姿が本当にかわいい、後でデータだけもらっておこう。



「はい、それでは自己紹介をどうぞ!」


「皆さん、はじめまして。お……某の名は斬咲アカネと申します。以後お見知りおきを」



 斬咲アカネというキャラクターは設定こそあるが、細かなものは特にない。


 どのように演じるかはすべて、その演者によって委ねられる。なりたい自分を演じる。段田……もとい、ダンダダン社長の計らいに朱音はそっと感謝した。



 ▶新人きたー!

 ▶めっちゃ声かわいい!

 ▶一人称が某……こいつは一億%そそりますな!

 ▶早速Ch登録しました!



 暖かなコメントが比較的多い。


 まずは歓迎されているようだ。そのことに朱音はホッと安堵の息をもらした。


 ここで歓迎されなかったらどうしたものかと、本気で不安を抱いていた。


 ひとまず最悪の結末だけは回避できた。朱音は何気なく手を振った。


 仮初の自分が画面内でひらひらと手を振っている。皮肉にもそれをかわいいと思ってしまった。


 俺が喜んでどうする……! 朱音は軽く自己嫌悪に陥った。



「というわけで、今日から四期生の一人目として所属する斬咲アカネちゃんです! いやぁ、まぁたかわいい後輩がきてくれましたよ本当にねぇ」


「そう言っていただけで感謝します、タマモ先輩。まだまだ若輩にして未熟な身ではありますが、少しでも先輩達に近付けるよう精進していきたいと思います。視聴者の皆様もどうか暖かく見守っていただけますと幸いです」


「アカネちゃん固い固い! いや真面目キャラっていうのもありだけど、もっとこうフレンドリーに! 後かわいく!」


「えぇ~……それ求めますか? かわいくって言われても……」



 ▶かわいさについて悩む新人www

 ▶そのままでもかわいいから大丈夫ですよー!

 ▶クール系って感じがしてこれはこれでめっちゃスコ。

 ▶とりあえず、なんかかわいい感じでよろ!



「う~ん……――えっと、皆これから応援してくれたらうれしいなぁ?」



 激しい自己嫌悪が朱音を襲った。


 やるべきではなかった。いくら女と間違われるからといっても、心はれっきとした男だ。


 嫌な汗が全身からじんわりと滲むのが嫌でも伝わってくる。


 心臓がいつになく激しく鼓動し、息も徐々に上がってきた。


 今すぐにでも配信を閉じてしまいたい。顔から火が出るくらい熱い、という表現がある。今ばかりはその意味が痛いほどよくわかってしまった。わかりたくもなかったが。



 ▶やばいめっちゃかわいかった!

 ▶くっ……ハパチャできないのが実に惜しい!

 ▶このシーン絶対切り抜かれるだろw

 ▶保存しました。



「おぉ~後輩ちゃんめっちゃかわいかった! いやぁこれは高得点ですなぁ」


「……えぇ~」



 あんなのでよかったのか? 誰にでもできそうな、ありふれた台詞のなにがこうも彼らを駆り立てる? 世の中とは本当に知らない世界がまだまだ多い。


 とりあえず自分でも媚びればそこそこ反応がもらえるらしい。いわゆるぶりっ子になるつもりはないが、企画としてはもしかすると使えるかもしれない。


 すべては莫大な借金地獄を終わらせるため、恥も外聞もこの際一切捨てる。


 朱音は決意を新たに配信に挑んだ。


 結果として言えば、特になんのトラブルもなくスムーズに終わった。


 内容は単純にこれからの活動方針や質疑応答とごくごく普通なものだったが、それでも大いに盛り上がった。


 同時接続数三万という破格の数字を叩き出したのは未だに信じられない。



「お疲れ様アカネちゃん! はじめてにしてはすっごくよかったですよ~」


「えぇ、僕もそう思いましたよ」


「あ、ダンダダン社長!」


「社長……あんなのでよかったんでしょうか」


「タマモさんが言うみたいに、問題なくスムーズな配信だったと思いますよ。これから少しずつで構いませんから、ゆっくりといっしょにがんばっていきましょう」


「あ、ありがとうございますタマモ先輩、ダンダダン社長。とりあえず、なんとかなりそう……かもです」


「アカネちゃんなら大丈夫ですよ! 今日はゆっくりと休んでくださいね」


「はい。タマモ先輩、本日は本当にありがとうございました」



 朱音は深々と頭を下げて、控え室へと戻るタマモを見送った。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 その日の夜、朱音はいつものようにネットサーフィンに入り浸った。


 唯一の違いは、いつもはふらふらと時間を潰すためだが今回は明確な目的があった。


 人生初の配信を終えた。その後でネットではどのような反応が起こっているのか。


 要するにエゴサーチである。気にする必要性はない。場合によっては最悪、自身のメンタルに悪影響を及ぼしかねない。


 けれども、やはり気になってしまうのが人というもの。


 もう一人の自分……斬咲アカネで早速検索してみた。



▶今日の初配信、めっちゃよかった! アカネちゃんかわいいしこれから期待大!

  ∟ゲーム配信とかメインでやるって言ってたから、どんなのかめっちゃ楽しみ(*^^*)

  ∟胸は小さめなのがまたポイントが高いwww


▶クール系って感じがしてめっちゃすこ! 今までにないタイプだからなんかすっごい新鮮!

  ∟ドリスタもえぇ人材拾ってきたもんやでぇ。

  ∟あの声で罵りASMRとかしてくれたら速攻買うわ。

    ∟それな!



 思いの他、視聴者からの反応は良いものばかりが多くあった。


 どうやら不快感は買わずに済んだらしい。ホッと胸を撫で降ろす。


 莫大な借金返済までまだ遥か遠い。とにもかくにも、今はなんとしてでも金がいる。そのためであればもはや手段を選んでいる猶予はこれっぽっちもない。これもすべてあの祖父の所為なのだが……余計なことを本当にしてくれたものだ。朱音はそっとパソコンを閉じると深く溜息を吐いた。



「なぁんで、ウチのじい様は刀のことになるとあぁも周りが見えなくなっちゃうのかねぇ……」


 前にも似たような被害があった。その時は事前に気付いたため事なきを得た。


 今回は、どうしようもできなかった。警察に届け出こそ出してはいるが、進展は未だなし。期待はあまりしないほうがよかろう。


 ないものを強請ってばかりいても何も変わらない。現状を打破するためには、やはり動くしかないのだから。どうして自分がこのようなことをしなければいけないのか、とは割かし思っている。



「今度からもう先生って呼ぶのやめるか。あんなのが先生とか絶対いやだわ」



 祖父のいない自室にて、朱音はそう一人決意した。


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