笑いを止めると同時に、ガンツの目つきが鋭くなり王の貫禄を見せつけるかのように告げる。
「さてと、じゃあ、トラボルタ墓地はいただくわよ、アメリア」
だが、アメリアは落ち着きを取り戻しているようで、不敵な笑みを浮かべながら前髪を掻き上げた。
「ふん。ベラベラとご丁寧な説明、ご苦労だったな。だが、もう少し現状を落ち着いて見たらどうなんだ? ここはトラボルタ墓地。つまり、あたしの街だ。クズしかいないが、数はいるぞ。それにあたしも力を存分に発揮できる。比べて貴様はたった一人だ。この場合、追い詰められているのどちらだと思う?」
あ、そっか。
アメリアはどうやって力を持ったままオーイットに入るかが問題って言っていた。
だけど、ガンツがトラボルタに入ってくれば……まさに今の状況ならアメリアは力を存分に発揮できる。
それに、オーイットの兵もいない。形勢は完全にこっちが有利だ。
「では、貴様の刻印をいただくとするか。ここに入ってきたということは、今、持っているんだろう?」
「あらん? もしかして、勝てると思ってるのかしら? ホント小娘の脳みそねぇ。中身スカスカだわ」
「ふん。貴様の、腐ってウジのわいている脳みそよりはマシだと思うのだがな。貴様はただ、あたしに刻印を奪われにやってきたようなものだ」
「アメリア。あなたの敗因を教えてあげるわ。それは刻印を手にしたことがないこと。刻印の効力がどういうものかわかっていないことよ」
こちらの圧倒的有利を見せているのに、ガンツは余裕の笑みを浮かべている。
さすがにアメリアも警戒心を強めるように、半歩後ろに下がった。
「刻印の力は絶対よ。つまり、この世界では権力こそが全て。それを見せてあげるわ!」
ガンツが刻印を右手に持ち、高らかに掲げる。
「この部屋にいる者は全員、ひれ伏しなさい!」
刻印が煌々と光り始める。まるで太陽が出現したかのように、強く、熱い光だった。
「ぐっ!」
「うああああ」
「な、なんだ!」
部屋に入ってきていたゾンビたちが一斉に四つん這いになり、ひれ伏し始める。
「これが刻印の力よ。階級の低いものは、上には絶対服従。例え、他の街の者でもね。わかる? 今、この街で一番偉いのは、わ、た、し。誰も、私には逆らえない」
「う……ぐぐ」
しかし、アメリアは歯を食いしばり、耐えていた。ひれ伏すことなく立っている。
「あらあら。凄いわね。へー。魔力を溜めると、そんなことまでできるの? 私の命令を魔力で押さえつけるなんて、大したものだわ。今までそうやって、他の街の王を欺いていたのね。あなたが刻印を持っていたら勝てなかったわ。……だけど」
ゆっくりとアメリアに近づくガンツ。
「動けないでしょ? 命令を拒否し続けることで精一杯みたいね」
マジマジとアメリアの顔をニヤニヤしながら見定めるように見ている。
そこで、ペッとガンツの頬に唾を吐いてみせるアメリア。
「オヤジにひれ伏す趣味はない」
「……アメリアぁ。あんたの美貌に免じて、私の側近に加えてあげようかと思ったけど、気が変わったわ」
いきなりガンツがアメリアの腹を殴る。
「ぐうっ……」
「おらぁ!」
今度は顔面を殴る。
アメリアは吹き飛び、床を舐めるように転がった。
「いいわね。いいわね。ゾクゾクするわ。これよ、これ。やっぱり、あんたをズタボロにする方が、近くに置いておくよりも、ずーーっといいわ」
倒れたアメリアに容赦なく蹴りを入れ続けるガンツ。
……あまり、調子に乗るなよ。
怒りで頭の中が真っ白になった僕が一歩前に出た瞬間――。
「ガンツ様、もう宜しいのではないでしょうか」
凛と通る声を発したのは、刻印の力によってひれ伏した状態のランシエだった。
「この街の者はアメリア・ブライトマンに対して、高い忠誠心があります。今、無闇に傷つけることは反抗心を育てることになり、ゆくゆくは反乱の恐れもでてきます」
アメリアを蹴るのを止めて振り向き、ランシエの方へ歩み寄る。
「ランシエぇー。いいわね。頭の良い子。そういうところ、私好きよ。その可愛い容姿の次にね」
「……」
唇を噛んで、耐えるように強く目をつぶるランシエ。
コンプレックスのある容姿のことを言われても、グッと耐えている。
「そんなあなたに、もう会えなくなるなんて本当に寂しいわ」
「え?」
顔を上げるランシエ。
「ど、どういうことでしょう?」
「あのね、ランシエ。いくら私の側近でも、亡命を企むなんてダメよぉ」
「……あ、あの……?」
「観光の許可を貰って、街にいられるのは七日間よ。その猶予期間はオーイットに戻ってきたときに切れたわ。だから、今日来た時に改めて許可の申請を出した。……でも、その許可の申請は私の刻印に対してって、言ったわよね? だから、ランシエ。あなたは今、許可なしでこの街に入り込んでいる状態よ」
「し、しかし、それは……」
「そう。もちろん、一時的にオーイットを出るっていう申請書を出していれば亡命にはならないわ」
「ぼ、ぼくは確かに……」
「ええ。書いてたわね。この申請書」
懐から一枚の羊皮紙を出して、ランシエに見せる。
「でもね。こういう書類って、確認の印を押さないと意味をなさないのよ」
ガンツが出した羊皮紙には、確かに印のようなものは押されていない。
「だからね、この申請書は不受理ってことよ。『勝手に街を出た』あなたが、他の街にいるって状況なの。だ、か、ら。今、あなたは亡命者ってことになるわね」
「な、なぜですか? なぜ、こんなことを……?」
「わからない? いいわ。教えてあ、げ、る!」
チョンっとランシエの鼻先をガンツが右手の人差し指で軽く叩く。
「あなたの体を貰うためよ」
「え?」
「その可愛らしい顔、体、一目見たときから思ってたのよ。欲しいってね。ほら、私の体ってちょっとゴツイじゃない? 着たい服も着れないし。でも、あなたの体を貰えば、どんな服も似合うと思うの。可愛らしい格好がね」
「……」
ランシエは混乱した顔で、ただただガンツを見ることしかできないという様子だ。
「刻印の力が凄いって言ってもね、万能じゃないの。無理矢理、転生……体を入れ替えるってことはできないのよ。そんな命令はできない決まりになっているの。体を取られた方は死ぬ……消えちゃうしね。条件としては犯罪者にのみ、有効になるのよ」
「は、犯罪者……」
「最初はね、近くに置いておけばミスして、勝手に自爆してくれるって思ったんだけど、あなた器用だし要領もいいし、頭もいいし、なかなか失敗してくれないじゃない。どうしようかって考えていたときに、今回のことを思いついたから、じゃあ、一緒にってね。一石二鳥でしょ?」
「じゃ、じゃあ……ぼくに強い体をくれるというのは……」
「嘘に決まってるじゃない! 面倒くさいのよ!」
「ぼ、ぼくは……なんのために……今まで……」
ポロポロと涙をこぼすランシエ。
「あらん。泣く顔も可愛いわ。それが、もうすぐ私のモノになるのね。ゾクゾクしちゃう」
「ごめん……。ごめんなさい。……ぼくが馬鹿だったから……。弱かったから……。心も……体も」
誰に対しての懺悔なのかはわからない。だが、ひたすら謝り、自分を罵るランシエ。
「じゃあ、先に体、貰っちゃおうかしら」
刻印をランシエに向けたガンツはニッコリと微笑んでいる。
「さよなら、ランシエ。今までよく働いてくれたわね。そこは感謝してるわ」
ブツン。
今度こそ何かが僕の中で完全に弾け切れた感じがした。
「もー限界だ。お前の気持ち悪い顔を見るのも、声を聞くのもな」
フツフツと湧き上がる怒り。内側から力が溢れてくるのがわかる。
「な、なんで、あなた、立ってられるのよ!」
目を見開き、立ち上がって後ずさるガンツ。
「下がって! ひれ伏しなさい! 近づかないで!」
刻印をブンブン振り回しながら喚いている。
「泣くのを止めろ、ランシエ。そして、顔を上げるんだ」
「……チャーリー・バロット?」
「チャーリーで良いって言ったろ。友達なんだからさ」
「で、でも、ぼくはあなたを裏切って……」
「男同士の友情は、そんなもんで消えたりしねえよ」
「……友情」
「お前さ、強い体が欲しいって言ってたけど、そんなの、そもそも必要ないんだよ」
「え?」
「友達の弱いところを補う。それも友情だ。お前が困ってるなら、助けてやる。力が及ばないっていうなら、僕が力を貸してやる。だから、ランシエ。お前はそのままでいいんだ」
「う、うう……」
ランシエの瞳からぶわっと涙が溢れ出して流れ落ちる。
「見てろ。僕があのゲス野郎をぶっ飛ばしてやる」
「うん」
コクりと頷くランシエ。そして、わずかに微笑んだ。
「ありがとう。チャーリー」
僕も頷いて見せた後、再びガンツの方へと視線を向ける。
「なんでよ! なんでなのよ! なんで刻印の力が効かないのよ!」
ヒステリックに叫ぶガンツの足元で、倒れたままクックックと肩を小さく震わせて笑うアメリア。
「そいつは生者だ。言ってしまえば、この世界の外の人間。この世界の法に縛られることはない」
「生者!? 生きたままここに来たって言うの? そんなのあるはずないわ! 信じられない!」
「ふん。貴様が信じようが信じまいが、関係ない。これは事実なんだ」
「うぬぬぬ……。残念ね、チャーリーちゃん。あなたは私のペットにしてあげようと思ったけど止めよ」
ガンツが両腕を上に掲げる。すると巨大な光の玉が発現した。
「私だって、オーイットの王よ。このくらいの魔力は持ってるわ。刻印の力が効かないっていうなら、魔力で直接消してあげる!」
「チャーリー、逃げて!」
後方でランシエが叫ぶ。僕は振り返って、グッと親指を上げる。
「大丈夫。言ったろ。見てろってさ」
「消えておしまいっ!」
ガンツが巨大な魔力の玉をこちらに目掛けて放ってきた。
「ふんっ!」
裏拳をかますようにして、迫ってくる光の玉を殴って弾け飛ばす。
「え? 嘘……」
あんぐりと口を開けて呆然とするガンツ。
「まあ、当然だろうな。いつもあたしの攻撃を受け続けた奴だぞ。……それに、まだ、墓荒らしの魔力の方が強かったくらいだ」
そう。
ガンツが放った光の玉は、墓荒らしのと比べると三分の一以下くらいの大きさだった。
だから、僕も勝算ありと確信して、格好つけたのだ。
でも、弾くタイミングがズレて、くらってたら死んでたよな。
ちょっと冷や汗が出るぜ。
「チェックメイトだ」
ガンツの前に立ち、拳を握る。
「ちょ、ちょっと待って……がはっ!」
思い切りガンツの顔をぶん殴ると、吹き飛んで壁に激突する。
カランと刻印が床に落ちた。
そのせいで効力が切れたのか、アメリアやゾンビ、ランシエが立ち上がる。
床に落ちた刻印を拾い上げたアメリアは振り返って、ゾンビたちに命令する。
「ガンツを縛り上げておけ」
この命令は刻印の力を使ったものじゃないと思う。
確か、七日間所有していないと権利は移らないって前にアメリアが言っていた気がするから。
「イエス・サー!」
「了解っす!」
「おい、ロープ持って来い、ロープ」
ゾンビたちがガンツの方へ歩き出していく。
「ちょ、ちょっと、待ちなさいよ! あなたたち、それでいいの? あの女はずっとあなたたちを騙してたのよ。刻印を持ってるフリをして、あなたたちをこき使ってのよ! 憎くないの?」
ゾンビたちの動きがピタリと止まり、全員がアメリアの方を見る。
アメリアが一瞬、少しだけ不安そうな顔をしたが、全員の意思を受け止める覚悟をした表情に変化した。
もし、ゾンビたちが不満やガンツの方へと寝返れば、あいつはきっと王の座を降りるだろうな。
そういう覚悟を感じさせる顔だった。
「俺ってさ」
ポリポリと頬を掻きながら、一体のゾンビが呟く。
「刻印の下僕じゃなくって、アメリア様の……」
うっ! ヤバイ!
その台詞、僕とカブる。
こいつらと同じ思考って、ちょっと恥ずい。
「乳の下僕だっ!」
「俺はお尻!」
「太もも!」
「うなじ!」
「あ、足の裏。……ふ、踏まれたい」
心配なかった。
大丈夫だ。
死んでも、こいつらとは分かり合えない。
「……」
アメリアは無言で右手を開いてゾンビたちの方を向けて、光の玉を放つ。
「ぎゃー!」
「頭が吹っ飛んだ!」
「誰か、俺の目玉探してくれ! って、お前、今踏んづけただろ!」
「ご、ご褒美もらっちゃった……」
阿鼻叫喚。まさしく、そこには地獄絵図が広がっていた。
「ふん。馬鹿どもが……」
そう言い捨てて部屋を出て行こうとするアメリアの耳は、真っ赤だった。