「……美味しい」
「だろ?」
目をパチクリさせて驚くランシエを見て、ややホッとしながら僕も麺をすする。
この店特製の豚骨ラーメンだ。
あまりの美味しさに、依然、本当に豚の骨を使っているのかと問いかけてみたことがある。
だが、口笛を吹かれて視線を逸らされてからは、怖くて追求はしてない。
「そう言って貰えて光栄だねえ」
店主のゾンビがガッハッハと笑う。
店主のおっちゃんはスープに体液が垂れないように、目の部分しか空いていないマスクと全身スーツを着ている。
そのせいか、どう見ても店主と言うより不審者にしか見えない。
「これほどの美味しさなら、少しゾンビ用に加工すればもっと店も繁盛するんじゃないですか?」
「いやいや、ゾンビ用を作ると匂いがきつくなるし、俺も、もう年だからな。そんなに大人数相手に商売はできねえ」
「前に弟子をとるとか、なんとか言ってたよな? あれ、どうなったんだ?」
「俺も弟子を育てて引退しようなんて思ってたけどよぉ、アメリア嬢ちゃんに辞めるなってお願いされりゃ、頑張るしかねえだろ」
「アメリアがお願いねぇ……。命令の方がしっくりくるんだが」
「辞めるなら、殺すって言われたよ。アメリア嬢ちゃんは王になる前から食いに来てたからな。相当、このジジイが作った味を気に入ってくれたんだ。そう思うと尚更な」
「それはお願いじゃなくって、脅迫って言うんだぜ」
「アメリア嬢ちゃんと坊主、あとはニナの嬢ちゃんの三人の相手でちょうどいいってわけよ」
「……店の客が三人しかいないんですか?」
顔をわずかにしかめて、ランシエがつぶやくように言う。
まあ、まともな食事を食べる必要があるのは、この街でその三人だけだからあたり前なんだけど。
「それにしても、坊主は節操がないなぁ」
「ん? なんの話し?」
まだ慣れない箸に悪戦苦闘しながら、おっちゃんの話を促す。
隣のランシエはフォークで器用に麺を巻いてラーメンを食べている。
「この前、ニナの嬢ちゃんを連れてきたばっかりなのに、もう新しいお嬢ちゃんを連れてくるなんて」
……うわ、おっちゃん、多分そのセリフは地雷だ。
ランシエはカランとフォークを落とし、殺気に満ちた目でおっちゃんを見た。
ガタンと椅子を倒して立ち上がるランシエを静止させ、慌てておっちゃんに耳打ちする。
「こいつ、男なんだよ」
「え? あ、そ、そうなのかい。す、すまねえなぁ。ほら、綺麗な顔してるから」
……おっちゃん、フォローになってない。
というか、火に油だよ。
「男が綺麗って言われて嬉しいと思いますか?」
無表情のところがかえって怖い。
おっちゃんもゴクリと生唾を飲み込み、慌てて「あ、仕込みが残ってたんだった」と言って奥に引っ込んでいく。
「あ、いや……。ごめんな。おっちゃんに悪気はないんだよ、きっと」
「別にいいです。慣れてますから」
依然、不機嫌そうにフォークを拾って何事もなかったように食べ始める。
そして、店内に沈黙が漂う。
なんと言って場を盛り上げようか考えていると、ランシエの方からぽつりと言葉をこぼした。
「この街は……変わってますね」
「へ? そ、そうか? 普通だと思うけど」
「住民が明るいというか……生き生きしている感じがします」
「逆じゃねえか? うちって、ゾンビの割合が多いって聞いたぞ。生き生きなんてほど遠いけどなぁ」
「……そういう意味ではないんですが、もういいです」
明らかにがっかりしたような、呆れたようなため息をつかれる。
なんか、僕、こういうの多いな。アメリアにもよく、こんな態度を取られることがある。
一体、僕が何をしたというんだ……。
「なあ、刻印ってどんなのなんだ?」
別にこれといって深い意味はなく、単純な好奇心から聞いた質問だった。
リアのことを思い出したのもあって、不意に言葉にしてしまった。
案の定、一気に警戒心を強めて僕から距離を取るランシエ。
「いや、取ろうとかってわけじゃなくってさ。純粋に……その……興味があって……」
「……これです」
ため息をついたランシエは内ポケットから丸い直径五センチほどの銀色のコインを出した。
コインにはコウモリの絵と人の顔が彫られている。
「ラーメンを奢ってくれたお礼です」
「よく見えないな。ちょっと借りていいか?」
「調子に乗らないでください」
すっとポケットに戻されてしまう。
ちっ! あわよくば強奪しようかと思ったのに、さすがにガードが固いな。
とはいえ、元々興味で聞いて、見せてもらえたんだから大きな一歩だ。
「なあ、ランシエ。その刻印って、どれも同じ形なのか? 偉くなったら金色になるとかさ」
ランシエはレンゲでスープをすすりながら、フルフルと首を横に振った。
「形状は同じですよ。変わるのは大きさですね。階級が上がるにしたがって、一回り大きくなっていきます。ただ、重要なのは強制力の強さなので、そこをこだわる人はいないでしょうね」
「その強制力って、具体的にはどんな感じなんだ?」
「変わったことを聞きますね。あなたがこの街で働いているのなら、日々感じるはずですが?」
フォークでチャーシューを刺そうとしてドンドン崩れていくのを、若干悲しそうな顔で悪戦苦闘しているランシエはこちらに顔すら向けずに言う。
おっちゃんのチャーシューはトロトロだからなぁ。
箸じゃないとうまく食えないんだよ。
……じゃなくって!
「そりゃ、毎日面倒くさい命令はされるけど、ほとんど無視してるぞ。あんなのが強制ってことなのか? それならあんまりその刻印ってやつの効力ってショボイ感じがするな」
僕の言葉にピタリと手を止めて、こちらを不思議そうに見るランシエ。
「何を言っているんですか? 命令は絶対です。というより、無視なんてことができないはずです。最悪、意識とは関係なく体が動くほどですよ」
「そうなのか? そんなこと一回もなかったけどな。じゃあ、あいつ、刻印の力を使ってないってことか? 権力好きのあいつらしくないな」
「変ですね。契約しているなら、命令は強制的に執行されるはずなんですが」
「契約っていうのはなんだ?」
「街に住むときに書く、契約書です。街に住んでいるなら書いているはずですけど」
「まあ、確かに書いた記憶がある。僕は新人に、それを書かせる仕事をしてるくらいだ」
「奇妙ですが、妙に納得できます」
ランシエが再び、レンゲでスープを飲み始めた。
あ、ヤベっ!
麺が伸び始めてる。
慌てて麺をすすりながら問いかけてみる。
「どういうことだ?」
「この街の住人は強制力が働いていないように見えます。だから、明るいのかもしれません。命令されれば反発するのが普通ですから」
「強制力を働かせないことってできるのか?」
「簡単です。契約書に刻印を押さなければいいだけですから。普通はそんなことしませんけど。なんのメリットもありませんし」
「その場合、どうやって街の住人に言うことを聞かせるんだ?」
「色々、手はありますが、一番簡単なのは力ですかね。魔力が強ければそれが強制力になりますから」
その話を聞いて、僕の中でピースがはまっていく感じがした。
「……あいつ、もしかして……」
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。さ、冷めないうちに食べちゃおうぜ」
「……おかわりしてもいいんですか?」
「え?」
すでにランシエの丼の中は空になっていた。