「ごめんなさーい!」
次の日の夜更け近く。
ニナはアメリアの前で土下座していた。
「ニナ・ローツ。あたしの脳みそが腐っていて、言葉を誤認しているというなら言ってくれ。あたしは、今、貴様に『また墓が荒らされた』と報告された気がするのだが……」
「ふえーん。その通りです!」
ビキッ、っと音が聞こえてきそうなほどアメリアのこめかみの血管が大きく躍動する。
それでも今回のアメリアは玉座の肘掛を握り潰すことでなんとか怒りを緩和させた。
大きく息を吸って気持ちを落ち着かせているようだ。
「で? なにがあった? 犯人は? そいつの目的はなんだったのだ?」
「そ、それが……」
「ん? どうした? 早く報告しろ。あたしは早く犯人を捕まえて八つ裂きにしたのだ」
「わからないんです」
「……わからない、だと? なぜだ? まさか、あれだけの墓を荒らされていたのに犯人の顔すら見ていないというわけではあるまいな?」
「じ、実は……その通りなんで……す」
ガクガクと震えながらニナは土下座の格好のまま顔を上げようとしない。
声はすでに半泣きだ。
「ほう……。墓守の貴様が朝から日が沈むまで墓を荒らされるだけ荒らされていた上に、犯人すら見ていないと……。貴様、一体、なにをしていた?」
「――寝てました」
ブチッ、ブシュー!
文字通り、アメリアのこめかみの血管が切れ、血が噴き出す。
ええええーーーーー!
本当にそこの血管切れる奴、初めて見たぞ!
「すいません! ごめんなさい! 申し訳ありません!」
矢継ぎ早に謝罪の言葉を並び立てるニナ。
そんなニナに対し、アメリアは立ち上がって傍まで歩き、妙に優しい声で語り掛けた。
「ニナ・ローツ。謝罪はいらん。顔を上げろ」
「え?」
ニナが顔を上げた瞬間、ガッとアメリが顔面を掴んだ。
「きゃーーーー!」
「死んで詫びろ」
ギリギリと骨が軋む音が室内に反響してこだまする。
――マズイな。
本当に殺しかねない勢いだ。
「アメリア!」
「なんだ? まさか、貴様はこの無能を許せと言うのか?」
「無能ってところには反論はねーけど……」
「ひどい……」
顔面を掴まれているニナが僕のセリフにひどく肩を落とす。
……なんだかんだ言って、まだ余裕ありそうだな。
「とにかく、ここでニナを八つ裂きにしたところで現状はなにもかわらないだろ」
「あたしの気が少しかは晴れる」
「子供か、お前は」
「黙れ」
「お前は腐っても、この街の……トラボルタ墓地の王だろ。感情を撒き散らすんじゃなく、冷静に対処するのが仕事だろ」
「ちっ!」
アメリアがパッとニナの顔面を放す。
同時に床に崩れ落ちるニナ。
「ニナ・ローツ。文字通り命拾いしたな」
「あうう……」
恐怖で顔を青白くしているニナはガクガクと体を震わせる。
「いいだろう。八つ裂きにするのは勘弁してやる。だが、墓守としての責任はとってもらうぞ」
「な、なんでしょう?」
「街から出て行け」
「えっ!」
「おい、アメリア!」
「口を出すなっ!」
アメリアの怒号が部屋内にビリビリと響き渡った。
さすがのゾンビたちもいつもより、さらに顔を青白くさせている。
ニナにいたっては俯いてスカートの裾をぎゅっと握り締めて目を瞑る。
ここまで怒りを顕にしたアメリアを見たのは初めてだった。
「こいつはあたしの街の奴を見殺しにした。本来であれば、八つ裂きにしても気がすまんところだ。それを追放で許してやるんだ。ありがたく思え」
街――墓地を追い出される。
それは、新人と同じ魂がむき出しにされた状態になるということだ。
どこの街にも所属せずにずっと『外』にいれば自我が崩壊し、いずれは野犬へと変化していく。
『勧誘班』に任命されたときに、脳が腐るほど聞かされたことだ。
新人のようにすぐに他の街に移ることができれば問題はない。
が、果たして街を追い出された者を引き取るところがあるのか――。
「……アメリア様。恐れながら……ニナが出ていけば、誰が墓守を?」
一人のゾンビが手を上げておずおずと申し出る。
「……チャーリー・バロット。貴様がやれ」
「なに?」
「で、ですが、アメリア様、そ、そのチャーリーは新人ですし……」
ゾンビが尚も食い下がった。遠まわしでもニアをかばおうとしているのがわかる。
「新人だろうと、なんだろうと、チャーリーしかおらんだろ。それとも貴様がやるか?」
「そ、そんな……無理……です」
基本ゾンビは、朝は『起きていられない』。
強制的な眠りを強いられるらしい。
だが、それは『肉体』の割合に反比例していく。
つまり、肉体の部分が多いとそれだけ朝にくる眠気に耐えられるらしい。
確かに生きている僕は夜通し起きているせいで朝には眠くなる。
だけど、多少無理をすれば徹夜……いや、徹朝できるのだ。
ニナもぱっと見、人間に見える、というよりゾンビの部分が見当たらないくらいだ。
ほとんど僕と同じように、朝は起きていられるのだろう。
墓守は主に朝、見張ることになる。まさか、夜に堂々と墓荒らしをやるやつはいないかららしい。
ざっと見渡す限り、ニナと僕を抜かせば、墓守ができそうなのはアメリアくらいだ。
ただ、王が墓守を兼任することはできないと前に聞いたことがあった。
となれば、確かに僕しかいなくなる。
――よし。
僕はたった今、不意に手に入れた強みでアメリアとの交渉を始めることにする。
「アメリア。本当にニナを追放するのか?」
「くどい」
「なら、僕も墓守はできない」
「……どういうことだ?」
「ニナを追放するというなら、当然僕も追放になるということだ」
「……話が見えん。ちゃんと説明しろ」
視線だけでゾンビを殺せそうなほどの殺気を込めた目で僕を見てくる。
気を抜けばすぐに土下座してしまいそうなほど、精神的な圧迫感があるがここは退けない。
「アメリア。お前は僕に、ニナを手伝ってやるように言ったよな?」
「え?」
ニナが顔を上げて、ポカンと口を開けて僕の方を見た。
クロムがやってきた後、アメリアが僕に一つ仕事を任せると言ったのがニナをサポートしてやることだった。
アメリアは墓荒らしが出たと聞き、ニナだけでは心配なので朝に起きていられる僕を選んだのだろう。
本来であれば、昨日……というより今日の朝はニナと一緒に見張りをしてやるべきだった。
それを怠った僕も、もちろんニナと同罪だろう。
「……なるほどな」
アメリアは僕が何を言いたいのかを瞬時に見抜いたようだった。
ふう、と一度大きくため息をついたアメリアは若干ではあるが瞳に落ち着きの色が戻っている。
――いけるか?
そう思ったのも束の間、アメリアからビリビリと心臓を射抜くような鋭い殺気が発せられ、僕に向けられた。
「……で?」
「え?」
「まさか、ただ単に自分も追放して欲しいというわけではあるまい? 交渉の席に座ってやると言っているのだ。さっさと条件を提示しろ」
「……あ、ああ。そうだな」
さすがにトラボルタ墓地の女王だ。
ハンパないプレッシャーをかけてくる。
実はノリと勢いで乗り切ろうとしか考えていなかったので、改めて条件と言われると正直言って困る。
……どうしよう?
「も、もう一度、チャンスをくれ!」
「……ほう?」
アメリアの右の眉がぴくりと上がった。殺気がやや弱まり、興味の色が濃くなる。
「今度は僕も一緒に墓守する。それでどうだ!?」
「つまらん。ダメだ」
あっさりと切り捨てられる。
「勘違いしているようだから言っておくが、あたしは別に貴様も追放しても構わんのだぞ」
――ええっ!
そうなのか!?
ヤベエ! どうしよう。
最終的なカードをあっさりと切り崩してくる。
しかも、アメリアの声や表情は焦りやムキになっているといったような感情はなく、通常の威圧的なものになっていた。
つまりは、ハッタリではない。
「で、でも……僕もいなくなったら墓守は……」
「確かに困る。が、手立てはなくもない」
「……」
完全に立場が逆になってしまっている。
すでにアメリアは僕がどうこの場を切り抜けるのを楽しんでいるようにすら見える。
……だって、ニヤッと笑ってやがるし。
こうなったら、奥の手を使うしかない。
どうせ、ここを切り抜けないことには話にならないからな。
「体を賭ける! もし、墓守に失敗したら僕の体をお前にやる!」
この世界では『生体』――つまり、生きた体はかなりの価値のあるものらしい。
僕の体はまるごと生きているってだけで、ひと財産を築けるほどの額になるはずだ。
アメリアにとっても悪くない交渉のはずだ。
「期間は?」
「へ? き、きかん? そんなのも決めないとだめなのか?」
「当然だ。取引とはそういうものだ。どういう品物がいつ届くのか知ってこそ、初めて商談になる」
「……」
くそ、意外と厄介で面倒くさいやつだ。
そりゃ、取り敢えずこの場はなんとか切り抜けて、うやむやにしようって少しは考えてたけどさ……。
「まさか、いつまでもダラダラと過ごして、もみ消す気ではないだろうな?」
「うっ、そ、それは……。じゃ、じゃあ、三日だ!」
「……三日?」
「ああ。三日で墓荒らしを捕まえて、お前の前に差し出してやる!」
「くっくっく。そうか。三日か。なるほど」
肩を小さく揺らして笑うアメリアが、再度、僕に確認をとってきた。
「本当に三日でいいんだな?」
「男に二言はない!」
ふん。大丈夫さ。
墓を荒らされないように邪魔するだけだろ?
それに、墓荒らしは重罪だ。
落とし穴でも掘って突き落として、翌夜にアメリアに突き出せばいい。
簡単だ。余裕。
「そうか。例え、三日間墓荒らしが出なくても、体を差し出すということだな」
「え?」
「当然だろう? 貴様は今、期限は三日と言ったんだからな」
「あ……やっぱり」
「男に二言はないんだったな」
「……」
しまったっ!
墓荒らしがやってこないというのは想定外だった!
が、しかし、ここはもう、どうにでもなれだ!
「わかった。三日で墓荒らしを捕まえなかったら、この体を渡してこの街から出て行ってやる」
僕の言葉を受けて、アメリアはニヤケた表情を一転させて真剣な顔になる。
「……待」
「ダメだよ、チャーリー君!」
アメリアが何か言おうとした瞬間。
横でポカンと口を開けて話を聞いていたニナが、ハッとして僕の足に捕まってきた。
立ち上がらないのは腰が抜けているせいだろう。
それでも、ニナは僕にすがりついて今のやりとりを撤回させようとする。
「これは私のミスだもん。チャーリー君は関係ないよ!」
「ニナ。さっきも言ったが、僕は手伝いをするように言われてたんだ。本当なら、最初からニナの横で土下座するべきだったんだ」
「でも……でも……」
泣きそうな顔で僕を見上げるニナ。
そんなニナの頭をそっと撫でる。
「大丈夫さ。三日で捕まえれば全ては解決だ。そうだろ、アメリア」
「……捕まえられればな」
なぜか急に不機嫌そうに顔をしかめたアメリアがぷいと横を向き、口を尖らせる。
数秒、顎に手を当てて何かを考えた様子のアメリアは、こちらに向き直ってビシッと指をさした。
「最後に一つだけ、条件をつけくわえさせてもらう」
「……なんだよ?」
「体を差し出す前に……街を出る前に、一つだけあたしの命令を聞け。どんな命令でもだ」
「……」
まったく無茶を言う奴だ。
どんな命令かを聞かないことには、こっちとしても返事のしようがない。
大体、聞ける命令かどうかも怪しいもんだし。
だが、ここで交渉しようとしたところで、問答無用で却下されるのは目に見えている。
というか、命命令を聞けっていう時点で、それがもう命令だからな。
「……わかった。なんでも聞いてやる」
「三日後が楽しみだ」
最後にアメリアはニヤリと笑みを浮かべて、部屋から出ていったのだった。