夜も更けて、外ではフクロウが鳴き始めている。
「おいおい、なにボーっとしてんねん。昨日の興奮がまだ治まらんのか?」
ホウキを持ちながらアメリアとの出会いのトラウマを思い出していた僕に、ボブがポンと肩を叩く。
応接室内を所狭しとゾンビたちが掃除しているので騒がしい。
「まあ、生体でアメリア様に踏まれたんやから、当然っちゃ、当然やろうな。どや? 気持ちよかったんか?」
まぶたがなく、むき出しになった目を輝かせてボブがにじり寄ってくる。
ボーっとしていたことの注意じゃなかったのかよ……。
「僕はお前らと違って変態じゃないんだ」
「いいよなー、チャーリーは。俺なんて、まだ一度も踏まれたことねーぞ」
今は夏なので使われていない、レンガで作られた暖炉の、煙突掃除をしていたゾンビが「よっこらしょ」とジジくさい掛け声をかけながら下りてくる。
「チャーリーはアメリア様のお気に入りだかならな」
「生体の方が、イジメ甲斐があるのかも。俺も今度の給料で『体』買おうかな」
頭蓋骨に三角巾を巻き、並んで窓を拭いている二人組が振り返ってケタケタ笑う。
「体は腐らないから楽だけど、飯食うのが面倒だし飯代が馬鹿にならないんだよ」
「そうそう。俺も前に『顔』買ったけど、金無くて一ヶ月飯食わなかったら腐っちまったもん」
「うわっ、もったいなっ!」
床をモップがけしていたゾンビと言うよりただの髑髏の男と、ソファーのホコリを乾拭きしているゾンビが会話に混じってくる。
「なあなあ、チャーリー。その体譲ってくれへん? お、俺、アメリア様に踏んでもらえるなら、死んでもかまへんのやけど」
「もう、死んでるだろうが」
ボブが興奮して顔を寄せてきたので、手で払いのける。
「能無し共、喋ってないでキリキリ働け!」
バンとドアが勢い良く開き、アメリアが応接室に入ってきた。
今日の格好は貴婦人が着るような白いドレスだ。肩と胸元がかなり露出している。
長い髪を折りたたむように後ろでまとめ、うなじが見えて妙に色っぽい。
ツカツカと部屋の中央を歩くアメリア。
ゾンビたちが仕事の手を止め、アメリアに向かってお辞儀をする。
その横を、胸を張りながら通り過ぎていく。
「アメリア様、こんばんわっす!」
「ああ」
「アメリア様、今日も美しいっす!」
「知ってる」
「アメリア様、踏んでください!」
「死ね」
一通りのゾンビの挨拶を受けたアメリアは僕の前で立ち止まる。
「掃除はもういい。ちょっと来い」
「……なんだよ?」
「二度言わせるな。あたしが来いと言ったら、尻尾を振りながら速やかに言うとおりにしろ」
「あのなあ。早朝に……いや、夕方にお前が部屋を掃除しろって言うから、眠い中やってるんだぞ」
「……まったく。本当に貴様は度胸だけは一人前だな」
前髪をかきあげながら、アメリアがため息をつく。
「三級が二級に逆らうなど、前代未聞だ」
「……なんだよ、その二級とか三級とかって」
「あのな、チャーリー。この世界には階級ってもんがあんねん」
ボブがこそっと耳打ちしてくる。
「俺らのような、雑用でも仕事を持ってる奴は三級で、アメリア様のような街を取り仕切る『墓地王』は二級なんや。三級は二級には逆らわない。これがこの世界での常識やで」
「なるほど。だから、お前らは傍若無人なアメリアに逆らいたくても逆らえないんだな?」
「それは違う」
「ん? 違うのか? なら、どうして従うんだ?」
「アメリア様がエロいからや!」
「聞いた僕が馬鹿だったよ」
「チャーリー・バロット。時間がない。暖炉の煙突に入ってろ」
アメリアがまったくもって、意味不明なことを言い出す。
「なんのイジメだよ? 逆らっただけで、僕は煙突に閉じ込められる……ぐおっ」
突然、アメリアが僕の顔面を鷲掴みする。
「逆だ。隠れさせてやると言っているのだ」
「隠れる?」
「さっさと……しろ!」
アメリアは僕の顔面を掴んだまま、ボールのように僕を暖炉の中へと投げた。
「ぎゃー!」
暖炉の中を転がり、灰だらけになる。
「なにしやがる!」
アメリアに抗議の声を上げたと同時に鐘のような金属音のチャイムが鳴り響く。
「ちっ! もう来たか。チャーリー・バロット。早く煙突まで登れ!」
「……わかったよ」
妙に迫力のある声を出され、しぶしぶ煙突の側面についている手すりを登る。
ガチャリと扉が開く音。
続いてゾロゾロと人が入ってくる音が聞こえてくる。
……足音からして、靴を履いてるな。ということは、割と金持ちだ。
基本、ゾンビたちは靴を履かない。
痛覚がないから、何かを踏んづけても気づかないくらいだし、あいつらの足の裏自体が外の地面より汚い。
ということで、そもそも靴を履く意味がない。
もちろん、僕は履いている。
普通に肉片が落ちてるときがあるし、あれを生足で踏んだ時の感触は軽いトラウマになる。
「アメリアはいるか」
低く渋い。記憶を探るが、聞いたことのない声だ。
「ついに目まで腐ったのか? 目の前にいるだろ」
「貴様! クラム様に対して、なんて口をきくんだ!」
「ふん。相変わらず、生意気な小娘だ。一級に、そんな口を聞くのはお前だけだ」
……あいつ。
僕にはさんざん言葉遣いに気をつけろとか言うくせに、自分は出来てねーじゃねーかよ。
っていうか、僕らに話す感じと同じ口調だ。
……いや、若干今の方が、刺がある感じか。
それにしても、今、やってきたのはどうやら一級の奴らしい。
……ん?
アメリアの上ってことは『国の王』じゃねえのか?
確か、刻印ってやつを持ってる奴だよな。
僕はこそこそ、手すりを降りていく。そして、煙突の中でアクロバットに体を反転させる。
うお、頭に血が上る。
頭がくらくらしてきた。
なんて考えている場合じゃない。
そーっと、暖炉から顔を出して応接室を見渡す。
軍服のような迷彩色の服を来たゾンビ(比較的腐っていない)に囲まれている一際デカイ男が目に入る。
あいつがクラムだな。めちゃくちゃ偉そうだ。頭に王冠かぶってるし。
クラムはなんというか……ただの化物だった。
体の面積は通常の人間の三倍くらいある。
ゴリラ……雪男……ビックフット……キングコング。その全てに当てはまる感じだ。
とにかく、それ系。
全身毛むくじゃらで、眉毛が太くて唇が厚い。筋肉の塊のような体躯。
そのくせ、着ている服は貴族のお坊ちゃんが着るような王子服だ。
もう、何もかもがビックリ。
あの体格で半ズボンに白タイツは反則だろ。
似合わないにもほどがある。
そんな化物のようなクラムの前に立ち、アメリアは腕を組んでふてぶてしく見上げている。
「それで? 天下のクラム殿がこんな寒々しいところに何しに?」
「三ヶ月前からの新規埋葬者のリストを出せ」
「なぜ?」
「……いいから見せろ」
「……」
アメリアは何も言わず、指をパチンと鳴らす。
するとゾンビの一人が懐から丸めた紙を出して、アメリアに渡す。
アメリアはその紙に目を通すことなく、そのままクラムの方へ放る。
「ちっ! 小娘が」
分厚い唇を尖らせながら、クラムは紙を広げて舐め回すように見ている。
「……これだけか?」
「ああ」
「少ないな」
「大きなお世話だ」
「トラボルタ墓地からの上納金が減ってきているぞ」
「そんなことはあたしが一番知っている」
「査定も近い。三級に落ちんように気をつけるんだな」
「何度も言わせるな。大きなお世話だ」
「ふん。まあいい。貴様がどうなろうと、知ったことじゃないからな」
クラムは眉間にしわを寄せ、もう一度紙を広げて視線を落とす。
「最近、特殊な……」
そこで言葉を切り、頭を振ったクラムは紙をアメリアに返した。
「いや、なんでもない。邪魔したな。行くぞ」
取り巻きたちに合図をして、歩き出そうとした瞬間だった。
「うぉ!」
ゴリラ……いや、クラムがよろけて床に膝をつく。
「……くぅ」
胸を抑え、息を切らせるクラムに取り巻きゾンビどもが慌てて駆け寄る。
「クラム様! 大丈夫ですかっ!」
「ええいっ! 触るな! 自分で立てるわ!」
ゾンビたちの手を払い除けて立ち上がるクラム。
目をつぶり一度大きく息を吸って吐くと、再び偉そうな表情に戻る。
「ああ。そうだ。最近、墓荒らしが出るらしいぞ」
「それは穏やかな話じゃないな」
「言っておくが、二割の墓が荒らされたら……」
「わかっている」
「なんなら、兵を貸そうか?」
「いらん」
「……ふん。それじゃな」
クラムが取り巻きたちを連れて応接室を出て行った。
……なにしに来たんだ、あいつ。
イヤミを言いに来ただけだったのか?
クラムが出て行った瞬間、ゾンビたちがギリギリと骨を鳴らしながら怒号のような声をあげる。
「くそっ! あのエロゴリラ! アメリア様の乳を舐めまわすように見よって!」
「鎖骨も見てたぞ!」
「肩もだ!」
「アメリア様のエロい体を見ていいのは俺らだけなのに……ぶべ!」
力説していたゾンビの頭が、アメリアの裏拳で吹き飛ぶ。
「うるさい」
頭を吹き飛ばされたゾンビは倒れて、体をガクガクと震わせている。
ああ……。
あれは興奮しているときの動きだ。
良かったな、夢が叶って。
「チャーリー・バロット。出てきていいぞ」
アメリアに言われ、ようやく灰が漂う暖炉から出ることができる。
「なんで僕のことを隠したんだ?」
服についた灰を払いながら問いかけると、アメリアはフンと鼻で笑う。
「あのエテ公は珍し物好きだからな。貴様のようなイレギュラーは目を付けられるに決まっている」
「なんだ、僕を取られるのが嫌だったのか。そんなに僕から離れたくないなら、素直に言えよ」
僕の言葉に大きくため息をついたアメリアは内ポケットから防腐剤を取り出して、こちらへ放った。
「ん? なんだ?」
「頭の中に入れておけ。随分と腐敗が進んでるみたいだ」
「僕の脳は腐ってねえ!」
「いいか? 貴様はあたしのコマだ。あたしはあたしの所有物に手を出されるのが、この世で一番嫌いなだけだ」
「ということは、俺たちもですね!」
「一生ついていきます!」
ゾンビたちが一斉にアメリアに飛びつこうとする。
パチンと指を鳴らしたその瞬間、いつの間にかアメリアは僕の横にいた。
まさしく瞬間移動。
いきなり目標が消えたゾンビたちはお互いを抱きしめるような形になって床に顔を打ち付ける。
――そして。
「ぶべは!」
一気にゾンビたちが爆発した。
「貴様に、一つ仕事をやってもらう」
ポンと僕の肩を叩いた後、部屋から出ていこうとして、扉の前で立ち止まる。
「ああ。部屋、掃除し直しておけよ」
振り向きもせず、そう言い残して出て行ってしまう。
――掃除する前より、ひどくなってる。
僕はゾンビたちの散らばった肉塊を見下ろしながらため息をついた。