コウモリが「キー」と奇声をあげ、バサバサと飛び去っていく。
空に浮かび、煌々と光り輝いていた満月は厚い雲に覆われ闇夜に溶け込むように隠れる。
中世に乱立した古城のような建物がメイン通りを塞ぐように建っていた。
建物は塀で囲まれ、入口は鉄の城門でしっかりと閉じられている。
その塀と門の間にある凹んだ部分に、身を縮こませて立つことすでに二時間。
息を殺していても、かすかに漏れる鼻息が聞こえてきそうなほどあたりは静寂に包まれている。
正直、疲れてきた。帰ろうか……などと思っていると――。
ペタリ、ペタリと足音が響く。
「ふああ、なんだここ……怖いよお」
不安そうなか細い、蚊が飛んでいるような声が届いた。
「来た。#新人__・__#だ」
通りの真ん中をおどおどしながら歩く人影が見えた。
隣にいる人間……いや、人間って言ってのかよくわからんが、とにかくボブというゾンビが凹みから顔を出して人影を確認する。
「おい、チャーリー。しくじるんやないぞ。またアメリア様にシバかれる」
「声がデケえ! 静かにしろって! 逃げられるだろ!」
「お前の方がデケえよ!」
と、突っ込んでくる。その衝撃でボブの#目玉__・__#がポロリと取れた。
石畳の路の上を跳ねて目玉が転がっていく。
それを見て新人がビクッと体を震わせた。
「え? ええっ! め、目玉!?」
「バカ、ボブ。見つかっちまったじゃねぇかよ!」
「チャーリー、お前のせいや! そんなことより、ほら、宣伝や、宣伝!」
「お、おう!」
僕はにっこりと作り笑いを浮かべて、懐から四角く白い布の中に入ったシリカゲルを新人の前に差し出す。
初対面の相手にはまずは、爽やかな笑顔。それで警戒心を解く。それがこの地獄のような三ヶ月で学んだことだ
。
「トラボルタ共同墓地をよろしくお願いしまーす」
「へ? あ、そ、その……。なんですか? これ?」
「何って、防腐剤だけど?」
新人が、ん? っと首を傾げている。
――あ、もしかして、こいつ。
「今なら、防虫剤も付けるけど……」
「何してんねん、チャーリー。早よせや」
ボブがニュっと壁際の凹みから現れた。
……あ、バカ。
「ぎゃあああああ! ゾ、ゾ、ゾンビだぁ!」
新人が#片方しかない__・__#目を見開き、驚く。
「あん? 何言ってんねん、こいつ。自分だってゾンビのくせに」
「へ? ぼ、ぼくがゾンビ?」
「あらら。やっぱりか。そこから分かってない? 君、死んだんだよ」
「な、なにを言って……」
「まあ、百聞は一見に如かず。はい。これ鏡」
こういう時のために、持ち歩いている手鏡を懐から出して、新人に向ける。
「ふあああ! ぼくの頭がかち割られてる!」
顎が外れそうなほど口を開けて……あ、外れて下顎が落ちた。
「あー、君殺されたんだ。まあ、それなら死んでるって気づかなくてもしょうがないか」
「し、死んだ……? そんな……。ぼ、ぼく、これからどうすれば……」
きた! チャンスだ! よし、落ち着けよ。焦りは禁物だ。
僕は新人のゾンビと肩を組み、耳元で囁くように『勧誘』を始める。
「大丈夫、大丈夫。そんな君に朗報だ。ここは死人に優しい死後の世界。迷える子羊を救うための世界。我がトラボルタ墓地は君を快く受け入れるよ」
「えっと……でも……」
「あー、イライラすんなぁ! さっさと決めーや!」
ボブが新人に詰め寄る。ゾンビがゾンビを脅すという光景もなかなかシュールだ。
「ひぃ!」
「うんうん。不安なのはよーくわかる。でもね、死んだ人間はみんな新しい人生をやり直すために、死者の街に住まなければならない。それが、この世界の掟、ルールってやつだ」
「ルール……」
「ケケケ! まあ、ルールを無視するって手もあるでぇ。まあ、すぐに野犬に襲われ、文字通り骨までしゃぶられることになるけどな」
「そ、それはちょっと……」
「それなら、どこかの街に住まなきゃ。どうせ住むなら、素晴らしい街がいいでしょ?」
「でも……街なんてて、どこにも」
「街に入るには特殊な<住民票>が必要なんだ。君さえ良ければ、僕が案内してあげるけど?」
「え、本当ですか?」
よし。ここまでくればもう確定だ。
僕はそう確信してポケットから紙とボールペンを出す。
「じゃあここにサインを」
「はい!」
新人が紙とペンを手に取り、名前を書こうとした瞬間――。
「止めといた方がいいですよ。特にトラボルタ墓地は……ね」
新人の肩をポンと叩いたのは小奇麗な燕尾服のような黒い服にシルクハットをかぶった、ゾンビだ。
年齢は物腰や喋り方を見て、結構上かと思ったが顔を見ると僕と同じ十七歳か、それより二、三歳上くらいの少年だった。
割と体は揃っているし、顔は綺麗……いわゆる美少年に分類されるほど整っているから、暗がりであれば#僕と同じように__・__#生きているように見えるかもしれない。
まあ、臭いけど。
「テメエ! 邪魔する気か! ああん?」
ボブが新しく現れたゾンビに食ってかかる。
「いやいや。『新人』さんには、選ぶ権利があるというものですよ。正しい情報を聞いて、それからどこに行くかを決める。そうして初めて『選ぶ』と言えるのではないですか?」
「まあ、正論だな。確かに新しい死者は、どの『墓地』に行くかを自分で決める権利がある。それがこの世界の『ルール』だ」
「お、おいおい。チャーリー。せっかくの新人を譲っちまうんか?」
「僕は、譲るとは一言も言ってないぜ」
ボブを手で制して新しく現れた、恐らく僕らと同じ『勧誘班』だろうゾンビに詰め寄る。
「選ばせるというなら、僕らの墓地――トラボルタ墓地の説明をせさせてもらってもいいってことだろう?」
「ええ。もちろんです」
畏まるように紳士的に頭を下げるシルクハットゾンビ。
「それじゃ、僕が住む墓地の説明をさせてもらうよ」
新人に向き直って、ニコリと微笑む。
大丈夫。ここは先に声を掛けた僕たちの勝ちだ。
すでに契約書にサインを書こうとしていたくらいだ。
いきなり新しく現れた方に傾くなんて、余程のことがない限り無いだろう。
「トラボルタ墓地の最大の魅力は、就職率の高さだ。いくら死んだといっても、この世界で暮らすためにはお金が必要。生活していくためには仕事は必須事項なんだよ」
新人はふんふん、と鼻息を荒くして頷いている。
よし、反応は上々。
物は言いよう。僕は何も嘘はついていない。
契約違反だと騒がれることもないはずだ。
「ふふふふ」
不意にシルクハットゾンビが肩を揺らして笑い始める。
「確かに嘘は付いていませんね。ですが、#正しい情報__・__#とは言えないんじゃないですか?」
「ぐっ!」
「トラボルタ墓地の就職率は他の墓地に比べ、群を抜いて高い。それは確かに本当のことです。……ですが」
シルクハットの下でぎらりと目が光った。口の端がグッと上げていやらしい笑みを浮かべている。
「強制的に働かせているだけですよね? 確か、『働かざる者、腐るべからず』でしたっけ、あなたの墓地のモットーは」
「……」
「いやいや、ひどいことを言うものです。ゾンビに腐るなって……。死ねって言ってるようなものですよ。まあ、死んでいるんですがね」
「は、働くことは悪いことじゃないだろ」
「ええ。そうですよ。働くことは良いことです。ですが、『税金』が高いのは良いことじゃありません」
こ、こいつ……。かなり調べてやがる! ぷ、プロだな!
「『トラボルタ墓地は就職率と税率が飛び抜けて高い』。……これが、『正しい情報』なのではないですか?』
「い、いや、それは……。あ、そ、そうだ! うちの『王』……アメリアは美人だそ! それも飛び抜けて」
「そうですね。容姿に関しても群を抜いていますね。王の中という括りだけではなく、この世界の中を見渡してもあれほどの美貌は、なかなかお目にかかれるものではありません」
「……へえ」
新人が少しだけ腐りかけた頬を赤らめる。
「ですが、性格の悪さも、この世界の中でも群を抜いているということまで伝えるべきでは?」
「……っ!」
くそっ! なにも言えねえ。
「トラボルタ墓地のゾンビは家畜のような扱いをされていると聞きましたが? 墓地に住む人間は、皆、ゾンビのように虚ろな目で仕事をしているとか……。まあ、ゾンビなんですがね」
「テ、テメエ! バラすなや!」
隣にいるボブがシルクハットの襟をつかんで叫ぶ。
「……バカ」
ボブの一言で、決着はあっけなく着いたのだった。