「じゃ、流すぞ」
「ん」
バスの座席をうまく使い擬似的なスマホスタンドを作り上げると、サブスク契約をしているアプリを開いて。横向きに固定したスマホに表示された再生ボタンを一回。トンッ、と音を立ててタップした。
それと同時に流れ始めるのは映画を制作している会社のロゴムービー。ほんの数十秒で制作会社は俺たちだぞ、とインパクトを残す映像を挟んで見せると、するりと本編が始まっていく。
「晴翔、晴翔っ」
「なんだよ」
「音……これくらいで大丈夫そうか? 大きかったり小さかったりしたら言ってくれよ。なんなら自分で弄ってくれてもいいから」
「分かった。ありがとな」
耳に顔を近づけて小さな声で言ってくるのは映画館にいるという気分に没入しているからだろうか。いくらイヤホンで聴いているとはいえまわりからは話し声も音楽もよく響いてくるというのに。それだけ楽しみにしていたということなのか。
「晴翔……」
「次はどうした?」
「……手、繋ぎたい」
「っ!?」
スマホに映し出されている映画を見ながら観察者で話していたというのに、その一言で俺の視線はあっという間に葵のいる方向へと吸い寄せられていく。
ツンツンッ。俺の腕をつつきながら言うと、小さな左手を俺に見えるよう開いて見せる。葵なりのおねだりだ。
いやまあ別に繋ぐこと自体はいいんだけども。手を繋いで一つのイヤホンを共有しながら恋愛映画って……ただの一つでも破壊力のある行動をいくつも重ねないで欲しい。これらの魅力は足し算ではなく掛け算なのだから。
「せっかく一緒に見るんだからよ。くっつこ……?」
「くっつ……い、いいけどさ。ほどほどにな?」
「ほんとか!? へっへへ。じゃあ右手も〜らいっ、と」
ぎゅう。葵の左手と俺の右手が重なり、同時にふよふよと柔らかな感触が腕を襲う。
肩から少し身体を傾けるようにしてこちらにもたれていたのを、真っ直ぐに座り直しながらくっつくスタイルへと変えてきたのだ。
おかげで華奢な肩幅には収まりきらない巨峰が当たると、スクイーズのように形を変えて腕を包み込もうと動いてくる。
落ち着け。絶対に動揺するな。これは俺の男な部分への攻撃であるとともにお尻への愛を試す試練でもある。お尻を擦り当てられるならまだしも、この俺が胸如きで────
「なあ晴翔、もっとこっち寄ってこいよ。イヤホンのコードだってそんなに長くないんだしさ。遠慮なんていいからくっついてこいって」
「こ、これ以上はいいだろ。どんだけくっつく気だよ」
「んん? お前がくっついていいって言ったんじゃねえか。ったく、仕方ねえな────っと」
「おぅふっ!?」
もにゅんっ。
胸の加圧が強くなる。が、それ以上に。それ以下でありながらもそれ以上に。バチバチと電撃が走るほどの衝撃が太ももを襲った。
(お尻だ……あ、ああ葵のお尻が、触れてッッ!!)
まずい。まずいまずいまずいまずい。流石にそれは想定外だ。
まさかくっつきすぎたことで葵のお尻────正確には左の中臀筋と小臀筋、そして運動部時代に鍛え上げられたハムストリングスの一部。それらが学生服という布を間に介しながら攻撃してこようとは。
これはもう胸の刺激とは比べ物にならない。こんなの……こんなのっ!
「あんれぇ? 晴翔ぉ。なんか動揺してね?」
「な、ななにゃにを!? んぅなわけないだろっ!!」
「ふぅん。……じゃあ、もっとくっついても平気だよな」
「へっ……?」
もにゅんっ。ぎゅっ……ぐぐぐっ、むにゅぉんっ。
唐突に。そして激しく。葵の集中攻撃が始まった。
◇◇◇◇
(クッソ……集中できねぇ……)
物語はまだまだ序盤。主人公、ヒロイン、そして周りの登場人物達の名前や通っている高校の名前などが明らかになり、少しずつ展開が広がっていく。
しかし。この見逃すと没入感を無くしてしまう重要な部分を見るための余裕は、既に俺からは失われていた。
包み隠さず端的に言うなら────ムラムラしてる。
「へぇ〜。やっぱり可愛いなこの子。な、晴翔?」
「お、おぉ。そうだな」
(お尻……お尻! お尻? お尻!!)
恋焦がれ続けたお尻は俺の理性を焼き切り、煩悩を注入して頭の中をそれ一色に染め上げていく。
ダメだ、他のことは何も考えられねぇ。右太ももに全神経を集中させて葵のお尻を感じるのに必死で映画の内容が全く入ってこない。
やはりこのままではまずい。いや、まずいことはない……のか? いややっぱりダメだろ、これは!
なんとかして離れさせないと。普通のボディタッチですら思うところがあるというのにお尻まで押し当てられては本気で色々ともたない。あまり幼なじみの横でこんなことを考えたくはないが……″アレ”が元気になってしまいそうだ。
「な、なぁ。ちょっと暑くないか? くっつきすぎが原因かもしれないし一度離れ────」
「暑いなら上の空調そっち向けてやるよ。風、涼しいぞ」
「んぐ……」
窓側に座る葵の頭上には向きを変えることで風に当たることができる小さなエアコンのようなものがある。
それをこちらに向けられて微かに前髪が揺れ動くほどの風を感じると、暑いという言い訳は簡単に破綻してしまった。
「……なんだよ」
「い〜や? 必死で可愛いなぁ……って。まあ安心しろよ」
ニヤニヤとイタズラな笑顔を浮かべながら。葵はにぎにぎしていた俺の手を一度強く握りしめると、言う。
「絶対に離れてやんねぇから。せっかく、お前がドキドキしてくれてるんだからな……。離れてなんてやるもんかよ」
「つっう!?」
「へっ。ほら、画面見ろって。お前がそうやってドギマギしてるのを眺めてるのもいいけどよ。一緒にこの映画を見て感想を言い合いたいって気持ちもほんとなんだぞ」
コイツ、やっぱり俺のこと……そういう、ことだよな?
離れるのが嫌だと言わんばかりに強く手を握って、身体も密着させて。なんともまあ幸せそうな顔をしやがる。
「はぁ……。ならお尻を当てるのはやめてくれ。正直そっちに神経が行きすぎて一ミリも映画の内容頭に入ってきてないから」
「へ? お尻……? って、てててめぇ晴翔!? おま、そんなこと思ってやが……っつ!! 変態! ド腐れお尻狂いが!!」
「は、はぁ!? お前が押しつけたからだろ!?」
「わ、わわわわ私はそんなつもりじゃ……私はただくっつきたかっただけだっつぅの!!」
オイオイマジかよ。このお尻プレスは無意識だったのか。
でも確かに、言われてみれば身体を隣同士で密着させた時にお尻の一部が触れるのは全然あり得ること……なのか。特に葵のようなまん丸で少し大きめなお尻なら────
「……お前今、絶対失礼なこと考えてたろ。考えてたろッッ!!」
「考えてない! 俺はそんなことこれっぽっちも!!」
全く。あのレベルの破壊力を有した核爆弾を無意識に投下してきていたとは。恐ろしい奴だ……。