入学式を終えて初めて自分のクラスに足を踏み入れることとなったその日は、全体的にレクリエーションというような雰囲気が強かった。
挨拶、自己紹介、これからの学校行事などの軽い説明等々。淡々とした説明が担任の相浦先生から行われると、三限で放課後を迎えることとなった。
時刻としてはまだ午前十一時半。正午すら回っていない。
「じゃあな晴翔。ちゃんと頑張って仲直りするんだぞ〜」
「ちょ、おまっ!? 早い、早いって別れるのが! 寸前までいてくれよぉ!!」
「いや〜、俺もそうしたいんだけどなぁ。なんか中月の奴から珍しく奢るから飯行こうって言われてよ。ま、そーいうわけだから!」
「ぐぬおぉ……っ!」
中月め。確かに俺と葵が二人きりで帰れるようセッティングするとは言っていたが、まさか人払いまでするとは。親友の葵のためとはいえなんという気合の入りようだ。
ともかくこれで俺は逃げることができなくなった。もしかしたら中月は俺が逃げたり誰かに頼ったりしそうなのを察して、頼るのであれば間違いなく一番最初に声をかける大和を遠ざけたのかもしれないな。
「……」
「あっ……」
前方から。ゆっくりと振り向き、こちらを見つめる視線が一つ。
不機嫌そうな。怒っているような。そんな目。それはとても幼なじみに向けるようなものではなく、もはや変態を蔑む軽蔑の目に等しい。
あんな告白をしたのだから当然か、と思いつつも。やっぱり少しショックだ。
だがめげるわけにはいかない。ここで関係が切れてしまってもいいと思えるような相手なら告白なんてしていないのだ。
もう恋人になることは無理だったとしても。せめて、幼なじみとしてこれからも隣に居続けられるように。ここは頑張りどころだろう。
「お、おす。葵……」
「なんだよド変態」
「ドっ……ん゛んっ。い、一緒に帰らない、か? 今日おばさん仕事の日だろ。たまには何か食べて帰るのもいいんじゃないかと思って……」
「ふぅん。ま、昨日の今日でそうやって私を誘えるその度胸だけは認めてやる。行くかは別だけどな」
やっぱり葵の態度は冷たい。
口調が悪いのはいつものことながら、俺の前で毎日のように見せてくれていた″笑顔″がそこには無い。
無謀、だっただろうか。中月に頼んでなんとか二人きりで誘える状況は作れたものの、結局は葵が俺の誘いに乗ってくれなければ何も意味がない。これだけ怒っている相手を飯にというのは出過ぎていたか。せめてただ一緒に帰って、その帰り道でなんとか謝る……とか。ああ、クソ。しんどいな。あのたった一回の告白のせいでここまで複雑になってしまうのか。
調子に乗っていたと言わざるを得ない。葵なら。幼なじみとしてずっと隣にいてくれたコイツなら俺のことを何でも受け止めてくれるんじゃないかと、驕っていたんだ。むしろ全てを曝け出さないと失礼なんじゃないかって。
その結果がこれだ。ギクシャクして、気まずくなって。俺が全てを曝け出したせいで嫌われた。もはやこのままではただの幼なじみに戻ることも────
「で? どこ行くんだよ」
「……え?」
「え、じゃないだろ。飯はどこにするんだって言ってんだ。もちろん晴翔の奢りなんだろ?」
「っ!! も、もちろん! 葵の好きなところに連れてくよ!!」
「そうか。じゃ、とっとと行くぞ。今日は朝ごはん食い損ねたから腹ペコペコなんだ」
あ、あれ? てっきり来てくれないと思っていたんだが。なんか上手くいった……のか?
葵は席を立つと鞄を右肩にかけ、俺を先導するように教室を出る。
まだチャンスは残っている。そう、思っていいのだろうか。
◇◆◇◆
足取りの重い帰り道を歩く。
葵は何やら既に食べたいところが決まっているらしく、俺は大人しくそれについていくことにしたのだが。
「っし。ここ入るぞ」
「……え?」
そう言って足を止めた店は、もはや日本人であれば誰もが一回は行ったことがあるであろう某ファミレス。
ハンバーグやドリア、スパゲッティ等々。数多くの品揃えがあり、それでいてとにかく安い。ドリンクバーをつけてお腹いっぱい食べたってせいぜい千円程度の出費で抑えることができる、いわば学生の味方なお店だ。
「ほ、本当にここでいいのか? てっきりその……もっと高い店に連れて行かれるかと……」
「うるせえなぁ。いいんだよ。変に高い所に行くより私はこういうところの方が落ち着くんだ。ま、アンタの財布を破壊するって意味では確かにちょっと役不足かもしれないけどな」
イタリアンや高級フレンチとはいかなくとも、焼肉やしゃぶしゃぶ、海鮮系みたいな普段なら行かない場所に連れて行かれる覚悟はしていたので財布の中には二人分で諭吉さんを待機させていたんだけども。ここなら樋口さんでも充分にお釣りが出るレベルだ。
だから俺としては正直ありがたい。奢られると聞いてやっぱり少し遠慮してくれたりしたのだろうか。
「……って、オイ。晴翔今また私のお尻見てたろ」
「へっ!? いや、違う! マジで違う!! ちょっと考え事してて……っ!!」
「とか言って、ガッツリいいポジション取ってるよな」
「っう……」
店の扉へと続く三段の階段。それを登った先で振り向いた葵はそう言うと、下で立ち止まっていた俺にジト目を向ける。
そんなこと言われたって、俺が先に入るのも変だし……。そりゃあ視界には入ってたさ。今日も今日とて丸みを帯びてスカート越しに微かな主張をする葵の美尻は。
けど、できるだけ意識しないようにしてたんだ。見ないようにしてもそんなものは無理だって分かってるから、もういっそお尻そのものの存在を気取らないようにしようって。まあ結局ずっと見続けてきたものを完全に意識の外へと追いやるなんて無理な話で、少しは見ちゃってたかもしれないけども。
駄目だ。多分もう葵のお尻を見るっていう習慣が俺の中に染み付いてる。サッカーでフォワードの人が周りからパスを貰えるポジションへと動くように、俺の身体もまた。無意識のうちに最もお尻が眺められる最適な場所へと位置取りしてしまっているのだ。もしかしたら今のも、俺にその気はなくても身体が勝手に葵のお尻を求めたことで起こった事象だというのか?
「はぁ……。ったく、本当に反省してるんだろうな。結局ここに来るまでの道のりでもずっと私の一歩後ろを歩いてたけど。やっぱりずっと見てたのか?」
「い、いや! 見てな……いっ。俺は、見てない……はずっ。少なくとも見ようとはしてないというか……見ないでおこうという努力はしたというか!!」
「なんだ? 私には罪の自白にしか聞こえなかったぞ、今の」
「……」
ぐうの音も出ないとはまさにこの事である。
幼なじみの葵に隠し事なんてできるはずもない。例えここで俺が口籠ることなくシラを切っていたとしても、簡単に見抜かれていただろう。いや、だからと言って開き直っていいわけじゃないが。
「……もっと他のところも、見てくれよ」
「? 今、何か言ったか?」
「ふんっ。なんでもねえ。いいからさっさと入るぞ!」
「お、おぅ……?」
何か、ごにょごにょと独り言を呟いていた気がしたけれど。気のせいだったのだろうか。
どこか少し焦るようにしながら急いで店の扉を開けた彼女に続いて。入店した。