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30 ソルの報告

 思う存分リリーをハグしたロベリアは、満足して女子寮の自室へ戻った。別れ際にリリーがむくれていたが、リリーは「もーう! お姉様はもうっ!」と言いながら、なんとなく嬉しそうだったので、ロベリアは気にしないことにした。


(はぁ、やっぱり自室は落ち着くわ)


 ふと勉強机を見ると、紙切れが一枚置かれていた。『まさか』と思い手に取るとソルからだった。


 ――今日の夜、お部屋にお伺いします。


「今日の夜って……今よね?」


「はい、そうです」


 突然、背後から声が聞こえたので思いっきり叫びそうになったが、ロベリアは気がつけばひどく冷たい手で口を塞がれていた。


「んー!? むー!」


 ロベリアが苦情を込めて呻くと、背後のソルは人差し指を自身の唇に当てる。


「我が太陽。叫んではいけません。夜はお静かに」


(だ、誰のせいよ!?)


 ソルを睨みつけると、ククッと低く笑いながら手を離してくれる。


「やはり、貴女の怯える瞳は最高ですね」


 どこか恍惚とするソルを見て、ロベリアはあきれた。


「……先生。これからは、心を入れ替えて、私の意思を尊重してくれるという話はどうなったんですか?」


「それですが、貴女に忠誠を誓いひざまずきたいという欲と、貴女を怯えさせて泣かせたいという欲の狭間で常に心が揺れ動き、先生も大変なのです」


 ソルは「なんとか、貴女に忠誠を誓いながら、怖がらせる方法はありませんかねぇ?」と、悩まし気にため息をついている。


「先生……。ただでさえ元暗殺者でキャラが濃いんですから、これ以上設定を詰め込もうとするのはやめてください」


 その言葉を聞いて、大げさに悲しそうな顔をしたソルは、「ロベリアさんは、出会ったころは、あんなにも先生に怯えてくれていたのに……。今では、しっかりと自分の意見を言うようになってしまって……」と、わざとらしく泣きまねをしてきた。


「だって、私に忠誠を誓っている人に、どう怯えたらいいんですか?」

「すぐに人を信じてしまうのは、ロベリアさんの美徳であり欠点ですね」

「私だって、誰でも信じるわけではありませんよ。先生だから信じただけです」


 ソルはニヤッと口端を上げると、「天然の人たらしは怖いですね。周囲の人を簡単に狂わせる」と楽しそうに言った。


「でもまぁ、私のことは信じてください。我が太陽を決して裏切ることはありません」


 ソルが、うやうやしくひざまずいた。自分より年上の男性、しかも教師にひざまずかれると、居心地が悪くて仕方ない。


(そういえば、ダグラス様も私にひざまずいていたわね。あれは本当に心臓に悪かったわ)


 男性にひざまずかれたい欲求は少しもないので、ロベリアは深く頭を下げているソルの肩を指でツンツンとつついた。


「先生、立って話してください。ものすごく居心地が悪いです」


 ソルは不機嫌そうに眉間にシワをよせると、「早く慣れてもらわないと困りますね」と文句を言いながら立ち上がった。


「先生が私のところに来たということは、また何か学園内で問題があったんですか?」


「いえいえ、レオンくんがあの後どうなったのかを、念のためご報告しようかと思っていただけです。結論から言うと、貴女の言う通り、レオンくんが媚薬売買の犯人でした。このことは公(おおやけ)になりません。なので、彼への罰も表向きはありません」


「そうなんですね……。どうして彼はこんなことを?」


 低い声で笑ったソルの瞳に狂気が浮かぶ。


「レオンくん、なかなか動機を話してくれなかったので、先生、ちょっとだけお仕置きしたんですよねぇ。ほら、悪いことをした生徒は、教育者として叱ってあげないと。そしたら、彼、泣き叫びながら、詳しく話してくれましたよ」


 ソルがレオンに何をしたのか、怖くて聞けない。むしろ、これは聞いてはいけないとロベリアは思った。


「レオンくん、医学院に進みたいのに、実家の子爵家に猛反対されていたようです。まぁ跡取りなので仕方がないと思いきや、つい最近まで子爵家は、長男のレオンくんを差し置いて、優秀なレグリオくんを跡取りにすると決めていたそうですよ。でも、レグリオくんが学園を卒業次第、国王命令で王宮勤めが決まったせいで、今までレオンくんを無視していたのに、急に跡取りになれと実家が詰め寄ってきたそうです」


「それはひどい……。でも、どうして、媚薬売買なんですか?」


 ソルの説明を聞いても、なんだかピンとこない。


「レオンくん、あれは、かなりの切れ者ですね。この学園内でのもめ事は、うやむやにされるであろうことまで想定して、卒業までに早急に資金を集めたかったようです」


「お金のために?」


「そうです、医学院の学費は恐ろしく高いですからね。反対している子爵家からの資金援助は当てにできない。だから、媚薬というエサを使って、有力者の息子たちに近づきたかったそうですよ。実家の子爵家より地位の高い生徒に取り入って医学院に行くことを支援してもらおうと考えたようです」


「そうだとしても、悪いことをしてまで?」


 ソルはできの悪い生徒を前にしたような顔をした。


「ロベリアさん。悪いことだから良いんですよ。一度足を踏み入れると自分も相手も抜け出せなくなる。お互いに一生裏切れない関係が簡単にできますからね。もし彼が、公爵家のアランくんと手を組んでいたら、いくら私でも、今回の件、手が出せなかったかもしれません」


「そうなんですね……」


 ロベリアは無事に解決できたことにホッと胸をなでおろした。すると、ソルは楽しいことを思い出したようにニヤリと笑う。


「そうそう、レオンくんの部屋の中、なかなか面白かったですよ。自作した標本やら、ホルマリン漬けが棚にズラッと並んでいましてね。人のことをとやかく言える立場ではありませんが、彼はなかなか良い趣味してますよ」


 ホルマリン漬けという単語を聞いて、ロベリアの心臓が跳ね上がった。ゲーム『悠久の檻』でアランの裏ルートに入ってしまうと、エンディングでロベリアのホルマリン漬けが出てくる。


(もしかして……あのゲームの世界は、アランとレオンが手を組んだ世界だったの?)


 そう考えて見ると、辻褄が合うことがたくさんあった。どうして、アランの裏ルートでは、ロベリアはわざわざホルマリン漬けにされたのか。そもそもアランは、どうやってロベリアの実家であるディセントラ侯爵家を乗っ取ったのか。


 他にも、ソルルートでは、どうしてリリーが媚薬を持っていたのか、など。もしかすると、アランとレオンが手を組んだことにより、ゲーム内の世界では、ソルでも止められないほどの、巨大な犯罪組織ができてしまったのかもしれない。


 ロベリアは急に怖くなった。


「先生、レオンはもう大丈夫ですか? また何か悪いことをするんじゃ……」


「可能性はないとは言い切れませんが、今回のことで彼は『法を犯すと法に守ってもらえなくなること』を思い知ったと思いますよ。私にあれだけ拷問されても、彼は誰にも助けを求められませんからね」


(ご、拷問……。さっき『ちょっとお仕置きした』って言ってたのに……)


 ソルがポロッと漏らした真実に、ロベリアは胃が痛くなった。


「あとレオンくん、なかなか面白かったので、私の弟子にならないかと誘ってみたんですよ。もちろん、医学院に行けたらそれが一番良いですが、行けなくても、薬品と人体構造の知識なら私が教えてあげられますから」


「だ、大丈夫ですか、それ……? 先生の知識って、護衛暗殺部隊の……」


 ロベリアに、ゆっくりと顔を近づけたソルは、口元だけで微笑んだ。


「そうですね。彼が稀代(きだい)の名医になるか、頭のおかしい犯罪者になるか、将来が楽しみですね」


 いつもだったら怯えるところだったが、ロベリアはすぐ近くにあるソルのおでこを指で押し返した。


「先生はとっても良い先生ですから、きっと彼は名医になりますね!」


 ソルはため息をつきながら「貴女が怯えてくれないと、つまらないです……」と苦情を言う。


「さっきも言いましたが、私に忠誠を誓っている人にどうやって怯えたらいいんですか? それとも、私が先生の『太陽』だというのはウソですか?」


 ソルは「うーん」と悩みながら眼鏡のふちを指で押し上げた。


「主(あるじ)への忠誠心を取るか、自身の快楽を取るか……これはとても難しい問題ですね。せめて私の『太陽』が、思う存分ひざまずくことを許してくれたら、私は喜んで主(あるじ)を選べるのですが……」


 ソルにチラッと視線を送られたが、ロベリアは気がつかないふりをした。


「……まぁいいでしょう。我が太陽、最後に一つご忠告を。貴女は同担歓迎(どうたんかんげい)ですが、貴女の周囲の方々は激しく同担拒否(どうたんきょひ)していますよ?」

「どう、たん?」


 それは前世で聞いたことのあるような、ないような言葉だった。ロベリアが理解していないと分かった瞬間にソルは教師の顔になる。


「先生も最近、この言葉をファンクラブ内で教えてもらったのですが、ざっくり説明すると、貴女は『大好きな人の可愛さ、素晴らしさを共有しあいたい人』ですが、貴女を取り巻く人たちは違いますよということです」


「わ、分かるような? 分からないような?」


 ソルは「そうですか、では『同担』についての論文を書いて、次にお会いしたときに貴女に提出いたしますね」と真顔で言ったので、ロベリアは「いえ、いりません」と丁重にお断りした。

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