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【リリー視点】

 午後の授業を受けながらリリーは物思いにふけっていた。壇上に立つ先生の姿は見えているが、その言葉は何も耳に入ってこない。


(まさか、カマルがあんな卑怯な男だったなんて……)


 カマルは、ロベリアと自分の護衛騎士をくっつけるために、わざとロベリアに好意的に接して学園内にカマルとロベリアが婚約するというウワサがたつように仕組んでいた。


(そんなことをしたら、ロベリアお姉様は、他の男性との出会いが全部つぶされちゃうじゃない! 『お姉様にはカマル殿下のような素敵な方がお似合い』とか思っていた私がバカみたいだわ)


 無理やりロベリアと護衛騎士をくっつけようとすることはもちろん許せないが、一番許せないのは、もし護衛騎士とロベリアが上手くいかなかったときのことを一切考えていないことだ。


 カマルとウワサだけが立ち、婚約に至らなかったロベリアが周囲にどういう評価を受けるのかをカマルは考えていない。


(貴族社会で、女性の結婚がどれほど大切なことなのか、あのクズ王子は分かっていないんだわ!)


 リリーは、幼い頃から冷たい名ばかりの父に『婚姻は家同士の契約だ。家に利益をもたらさない婚姻などあり得ない。そして、利益をもたらさない娘など必要ない。分かるな?』と嫌というほど聞かされてきた。


(利用価値がなくなった娘が、あの家でどういう扱いを受けるか、あのボケ王子は分かっていない! もし、それを分かってやっていたら、カマルはクズ中のクズよ! それに、あの父が、いくら殿下の護衛騎士とはいえ伯爵家の三男と、ロベリアお姉様の結婚を許すわけがないわ)


 もし、本当にロベリアが護衛騎士のことを気に入っていたとしても、二人に明るい未来なんてない。


(お姉様には、幸せになってほしいのに……)


 リリーが小さくため息をつくと、隣に座っていたレナが心配そうな表情で「リリー、大丈夫?」と聞いてくれた。


「うん、大丈夫よ。心配してくれてありがとう」


 小声で返すと、レナはニコリと微笑む。優しい友人の笑みを見て、リリーは『レナにも絶対に幸せになってほしい』と思った。


(あーあ、もういっそ結婚しなくても良い世の中になればいいのに……)


 在りもしない世界を夢見ている間に、午後の授業は終わった。授業が終われば、大好きなロベリアが迎えに来てくれる。


(お迎えは、カマルを避けてお互いに身を守るためだけど、お姉様とずっと一緒にいられるのは嬉しいわ)


 リリーが心弾ませながらロベリアを教室で待っていると、「リリー」と優しく名前を呼ばれた。


「お姉様!」


 教室の入口を振り返り、リリーは固まった。大好きな姉の後ろに、なぜか大柄な男子生徒の姿が見える。


(は? 誰、コイツ?)


 始めて見る顔でやけに目つきが鋭い。少し怖くなってロベリアの腕にしがみ付くと、ロベリアはニコリと微笑んだ。


「リリー、今日からダグラス様が私たちの護衛をしてくださることになったわ」

「ダグラス……? って、まさかコレ、あの護衛騎士!?」


 言われて見れは、真っ黒な髪やこの体格は、確かにダグラスだった。


「ま、前髪を切ったの?」

「そうなの」


 嬉しそうなロベリアに「ね? ダグラス様」と微笑みかけられて、ダグラスの頬は赤く染まる。そっとロベリアを見つめるダグラスの瞳は、とろけるように甘く熱い。


(な、なに、コイツ……私のお姉様に色目つかってんじゃないわよ!?)


 リリーが「お、お姉様、どうして?」と尋ねると、ロベリアは「リリーを守るためよ」とおかしなことを言う。


「そんなの、嫌よ!」

「リリー、ダグラス様は怖くないわよ」

「そういうんじゃなくてっ」


 ロベリアには絶対に幸せになってほしい。その男では、ロベリアが悲しむ未来しか待っていない。


(お姉様、本当にその護衛騎士のことが好きなの? 絶対に上手くいかないってどうして分からないの!? どうして、いつもそんなに、ぼんやりしていられるの!? 私がこんなにもお姉様を心配しているのに……)


 強く握りしめたリリーの両手が怒りで震える。


「お姉様なんて……もう、お姉様なんて……」


 ウソでも『嫌い』と言えれば良かったが、その言葉だけはどうしても言いたくなかった。


「お、お姉様なんて……だ、だ、大好きなんだからっ!」

「え? あっ、リリー!?」


 訳の分からない言葉を叫んでリリーはその場から走って逃げた。


 感情がぐちゃぐちゃになって、もうどうしたらいいのか分からない。庭園のすみにあるベンチに座ると涙が溢れてきた。隠されるように置かれたこのベンチには誰も人が来ないので、一人になりたいとき、リリーはいつもここに来ていた。


 これからは、ロベリアと二人で過ごす時間が増えると楽しみにしていたのは、リリーだけだったようだ。


(お姉様の、バカ)


 こぼれ落ちた涙が、地面に黒いシミを作っていく。ふと、リリーの視界が陰った。リリーが顔を上げると、太陽を背に立つムカつく顔の幼馴染がリリーを見下ろしていた。


「……アラン、私にかまわないで。あっち行ってよ」


 空気が読めないアランは、リリーの拒絶を無視して隣に座る。


「リリー、どうしたの? ロベリアとケンカでもした?」


 図星をつかれて、一瞬「うっ」となったのを目ざといアランは見逃さない。作り物臭い笑みを浮かべながら「そうだと思った」とアランは言う。


「ロベリアと何があったの?」

「アンタだけには、絶対に言わない」


 アランは「相変わらずリリーは口が悪いね」と楽しそうに笑う。


「アンタのせいでしょ? アンタが子どものころに、私とお姉様に口汚い言葉を延々と教え続けたんでしょうが!?」


 何が目的なのか未だに分からないが、アランは子どものころから会うたびに庶民が使うような汚い言葉を教えてくれた。ロベリアは「そんな言葉、つかわないほうがいいわ」と言っていたが、リリーは面白くてすっかり覚えてしまった。


(それに、こういう言葉って相手を罵るときに便利なのよね)


 おかげで、カマルにムカついたときも、思いっきり暴言を吐けてスッキリした。


 リリーの口が悪くなった原因をつくったアランは「そういえば、そうだったね」と笑っている。


「あのときは、君たちが妖精のように幻想的過ぎて、いつか僕を置いてどこかに飛んでいってしまいそうだったから、つい」

「妖精って……昔からアンタ、なんなのよ? 気持ち悪いわね」


 罵られても少しも表情を変えないアランは、相変わらず何を考えているのか分からない。


「ねぇ、リリー。もしかして、ロベリアとのケンカは、ダグラスが原因かな?」

「……どうしてそう思うの?」


 警戒しながら尋ねると、アランは「実は僕、以前からロベリアにダグラスのことを相談されていたんだ」と爆弾発言をした。


「は? ちょっと、どういうことよ!?」

「どういうことって、ロベリアはダグラスのことが好きでしょう? それで、片思いで悩んでいて恋愛相談をされたんだ。ほら、前に僕とロベリアが多目的室にいたとき、あとからリリーも来たじゃない」


 言われてみれば、アランとリリーは多目的室にいたときがあった。そのときは、なぜかその場にダグラスもいて、ダグラスと分かれたあと、リリー、ロベリア、アランの三人でピクニックをした。


「あのとき……?」

「うん。それでロベリアのことを心配していたんだけど」


 アランは、急に悲しそうに眉を下げ、灰色の瞳を細めた。


「実は、今日ロベリアから『ダグラスには、他に好きな女性がいた』って話を聞いたんだ。それで、失恋したロベリアが涙を浮かべていて……。ロベリアを悲しませるなんて、僕、許せないよ」

「は?」


 そのロベリアを悲しませたという鬼畜野郎は、今、涼しい顔をしてロベリアの護衛騎士を名乗っている。


「アラン、ウソをつかないで」


 ダグラスがロベリアを見つめる瞳は熱っぽく、ロベリアに好意があるのは丸わかりだった。


「リリーは、どうしてウソだと思うの?」

「だって、あの護衛騎士、誰が見ても明らかにお姉様を狙っているわ。まぁ、ぼんやりしているお姉様だけは、気がついていないかもしれないけど」


 アランは「ダグラスがロベリアを狙っている……?」と呟くと黙り込んでしまった。いつもはヘラヘラしているのに、その横顔はとても真剣だ。


「な、何よ?」

「ねぇ、リリー。それっておかしくない?」

「何がよ?」


「だって、ダグラスは、『他に好きな女性がいる』と言って、一度、ロベリアを振って悲しませているんだよ? そんな、手のひらを返したようにロベリアを狙うなんて……」


 アランの言葉に、リリーは胸騒ぎがした。次の言葉を早く聞きたくて、アランの唇の動きから目が離せない。


「もしかして……。ダグラスは、誰かにロベリアを落とすように命令されたんじゃ……」


 この学園内で、ダグラスに命令できる人なんて、一人しかいない。


 リリーはベンチをドンッと叩いた。


「カマルね!? カマルは、お姉様と護衛騎士をくっつけようとしていたの! だから、お姉様と自分が婚約するというウワサをわざと流して……」


 アランは優しくリリーの手を握った。


「リリー、落ち着いて。手をケガしちゃうよ」

「落ち着いてなんていられないわ!? あいつら、お姉様をなんだと思っているの!?」


 アランは悲しそうに瞳をそらした。


「ロベリアは、その、言い方が悪いけど、利用価値が高いから……」

「はぁ!?」


「ほら、ディセントラ侯爵家には嫡男がいないから、いつかはロベリアかリリーが婿養子を取るでしょう?」

「だから、伯爵家の三男ごときがお姉様を落として、ディセントラ侯爵家を乗っ取ろうっての!?」

「まぁ……そうとも考えられるね?」

「そうとしか、考えられないじゃない!?」


 もし本当にダグラスがロベリアに好意を持っていたら、ロベリアが片思いで悩むことなんてなかったはずだ。


「そんなのひどすぎるわ!? カマルは、お姉様が護衛騎士に好意を持っているって知って、ダグラスに命令してお姉様を騙しているんだ! あのクズ野郎ならそういうことを平気でするわ!」


 悔しくて涙が止まらない。アランは指で優しく涙をぬぐってくれた。


「リリー、泣かないで」

「だって……皆、ひどいわ」

「うん、そうだね。皆、ひどいね」


 いつの間にか日が暮れていた。アランの銀色の髪が、夕日に照らされ赤く染まっている。


「僕はね、ロベリアとリリーがいてくれたから、今、生きているんだ」

「わ、私もお姉様がいてくれたから、だからっ……」

「そうだね、僕たちは子どものころからずっとロベリアに救われていたよね?」


 アランの言う通りだった。愛情深いロベリアがいてくれたから、リリーもアランも今こうして笑っていられる。


「アラン、私、どうしたらいいの?」


 アランはニッコリと優しい笑みを浮かべた。


「ねぇ、リリー。今度は僕たちがロベリアを助けてあげようよ」

「私たちが?」

「そう、ロベリアにダグラスは相応しくないよ。僕、ロベリアには幸せになってほしいんだ」

「私も! 私も同じ気持ちよ! どうしたらお姉様を助けられるかしら?」


「そうだね、こんなのはどう?」


 夕日を背中から浴びるアランの顔は、陰っていて表情は読み取れない。ただ、耳触りが良い優しい声音で語りかけてくる。


「……私が、護衛騎士を落とすの?」

「そう、ロベリアを誘惑するダグラスを、君が逆に誘惑するんだ。ロベリアだって、自分の妹に鼻の下をのばすダグラスを見たら、百年の恋だって冷めるよ」

「そんなこと、できるかしら?」


 アランは、リリーの髪に優しくふれる。


「できるよ。だって、リリーはこんなにも可愛いんだもの」

「……お姉様は悲しまない?」


「そりゃ悲しむと思うけど、ダグラスに騙されていたって分かったら、きっとリリーに感謝してくれるよ」

「そっか、そうよね……。分かった、私、お姉様のために頑張るわ!」


 アランは「うん、一緒に頑張ろうね」と囁くと、そっとリリーの髪にキスをした。

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