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【ダグラス視点】世界が輝いて見える

 いつもはまっすぐ見つめてくれるロベリアの新緑の瞳が、戸惑うようにそらされた。


(しまった。踏み込み過ぎたか)


 ロベリアの力になりたくて『事情を話してほしい』と迫ったが、ことを急ぎ過ぎたようだ。まるで距離をとるかのように、ロベリアの白い手がダグラスから離れていく。


(……あ)


 その手をつかんで『もっと、ふれてください』と言いそうになった自身にダグラスは驚いた。


(な、にを……)


 慌てて『しっかりしろ!』と叱咤しロベリアを見ると、ロベリアは何か考えているようだった。

小さな声で「私が困っていること……」という呟きが聞こえたので、事情を話すかどうか悩んでいるようだ。


 話してほしいし、頼ってほしい。ダグラスが半ば祈るような気持ちでロベリアの言葉を待っていると、ロベリアは不安そうに口を開いた。


「お伝えしたところで、信じてもらえるかどうか……」

「信じます!」


 勢いに驚いたのかロベリアは、美しい瞳を瞬かせている。


「でも、ダグラス様にご迷惑が……」

「貴女を助けることが、迷惑になるわけがありません!」


 ロベリアは困ったように眉を下げた。


「……それがもし、カマル殿下の命令に背くようなことでも、ですか?」

「殿下に?」


 ダグラスがそう言ったとたんに、ロベリアは微かに微笑んだ。その微笑みには、あきらめや寂しさが含まれているように見えて、ダグラスはハッとなったが遅かった。


 ニコリと上品に微笑んだロベリアは「困らせてごめんなさい。今のは冗談です。私が困っていることは、妹のリリーがモテすぎることです。だから、ダグラス様にリリーを守るために護衛をお願いしました」と明るく教えてくれた。


(絶対に違う! 私が対応を間違ったんだ! ロベリア様の信頼を得られず、距離を置かれてしまった)


 やり直せるものならやり直したい。もう気持ちを切り替えたのかロベリアは「私のお話は終わりです」とニコニコしている。


(もし、私が先ほどの問いに『はい』と即答していたら……)


 ロベリアは真実を打ち明けてくれたかもしれないと思うと、胸がしめつけられるように痛んだ。しかし、もう一度同じ問いをされても即答はできない。


(内容による……としか、言えない……)


 学園内に設置されている時計を確認したのか、ロベリアは「もうそろそろ授業が終わりますね。今日の午後の授業が終わったら、私とリリーの護衛を始めてください。では」と言うと、もうダグラスには用事はないとばかりにこちらに背を向けた。


(あっ!)


 ダグラスは気がつけば、ロベリアの手首をつかんでいた。


「し、失礼しました!」


 慌ててロベリアの手首を離す。


(女性に許可なくふれるなんて、どうかしているぞ!?)


 戸惑うロベリアに「まだ何か?」と尋ねられてから、ダグラスは慌てて呼び止めた理由を探した。


「そ、その! 前髪! そう、私の前髪を切ってくださるのでは!?」

「あ、そうでしたね。では、理容師を呼んで……」


 ダグラスは、ロベリアの言葉を遮った。


「ロベリア様に切っていただきたいです」


「私が? でも、変になったら困るので」

「どうなっても構いません。私はロベリア様に切っていただきたいのです!」


 ダグラスは内心で『私は駄々をこねる子どもか!?』と思ったが、どうしてもロベリアを引きとめたかった。このままロベリアを行かせてはいけないと本能が訴えている。


「でも、ハサミもないですし……」

「鍛錬場にあります。こちらです」


 ロベリアの返事を聞く前にダグラスが鍛錬場へと足を向けると、ロベリアは少しためらいながらも後を付いて来てくれた。


(よし!)


 鍛錬場の横には、休憩室が設置されていて、そこには救急箱が置かれている。


(確か、あの中に包帯を切る用のハサミがあったはずだ)


 ダグラスの記憶どおり、救急箱の中にはハサミが入っていた。ロベリアは、入口で物珍しそうに休憩室を覗き込んでいる。


「私、ここには、初めて来ました」


 瞳を輝かせているロベリアに一瞬、見惚れてしまう。ダグラスがロベリアに「これで切ってください」とハサミを見せると、ロベリアは「そ、そのハサミは、切りにくそうですね」と困った顔をした。


「どうなってもかまいません」

「ダグラス様がそこまでおっしゃるのなら……分かりました。でも、失敗しても怒らないでくださいね?」

「はい、もちろんです」


 ダグラスはすぐに休憩室の外に出た。男子生徒だけで利用している休憩室は、お世辞にも綺麗とは言えないので、清らかな空気をまとうロベリアには一歩たりとも入ってほしくない。


 ダグラスは、鍛錬場のすみのベンチに座ると「ここで切ってください」とロベリアに伝えた。


「ダグラス様。ここで切ると、切った髪が地面に落ちてしまいますよ?」

「あとから私が掃除しておきます」


 小さなため息をついたロベリアが「ダグラス様って、意外と強引なんですね」と言ったので、ダグラスは反射で「すみません!?」と謝った。


『不快にさせてしまったか!?』と焦ったが、ロベリアは「でも、先に強引に護衛をお願いしたのは私なのでこれでお互い様ですね」とクスッと笑ってくれた。その可憐な笑みを見て、ダグラスの心臓が大きく跳ねた。


「ダグラス様。前髪を急に短くすると、慣れないかもしれませんから、とりあえず、長めに切っておきますね」

「はい」


 ロベリアは、ダグラスの前髪を少し指に挟むと慎重にハサミを縦に入れた。シャキと音がして、黒い髪がパラパラと地面に落ちていく。


 ダグラスがこっそりと盗み見ると、ロベリアは真剣な顔をしていた。


 その美しい瞳を見ていると、初夏の瑞々しい若葉を思い出す。金糸を集めたような長いまつ毛が、光を浴びてロベリアの白い頬に影を作っていた。


「こうかしら……?」


 薔薇の蕾のような唇から、鈴の音のような声が聞こえてくる。さらに、ロベリアが動くたびに、信じられないくらい良い香りが漂ってきた。


(どうしてこんな方が、私を気にかけてくださったんだろうか?)


 我ながら単純すぎるが、ロベリアに好意的に接してもらったから、ダグラスはロベリアのことが好きになった。


 こんなにも自分を怖がらない女性はいなかったし、この鋭い目を見て話してかけてくれる女性はロベリアだけだ。


(私のように怖がられる存在にも、いつでも笑顔を向けてくださるし、無礼な態度をとっても女神のような、お心で許してくださる。ハッ、彼女は女神か?)


 もう、そうだとしか思えない。


 そんなことを考えていると、ロベリアの白い小指がダグラスの額にふれた。そのほうが前髪を切りやすいようだ。その白い指を見ていると、ふいにロッカーに閉じ込められたときのことが脳裏に浮かんだ。


(あのときは、おそれ多くもロベリア様と密着してしまい……)


 そんな邪(よこしま)なことを思い返していたものだから、ロベリアに「ダグラス様」と声をかけられ、ダグラスはベンチから転げ落ちそうなくらい動揺してしまった。


「だ、大丈夫ですか? 驚かせてしまってすみません」


 謝るロベリアに「とんでもない!」と勢いよく首を振る。


「ダグラス様、切った髪が目に入ったら痛いので、目を閉じたほうが良いですよ」

「はい!」


 ぎゅっと目を閉じるとダグラスは『もう二度と女神を冒涜(ぼうとく)するようなことは考えません!』と心の中で懺悔(ざんげ)した。


 目を閉じると暗闇の中、シャキシャキとハサミを使う音がする。視界からの情報が無くなったせいで、ロベリアから伝わってくる微かな体温と、良い香がより一層際立つような気がした。


(ものすごく、幸せだ)


 ただ前髪を切ってもらっているだけなのに、その相手がロベリアだと思うと、幸福感に満たされていく。


(この感情が『恋』というものなのかもしれない)


 だとすれば、恋はとても素晴らしい。ただ、ダグラスは、今まで女性を好きになったことがなかったので、本当にそうなのかは分からなかった。


 ハサミで切る音が止まると、ダグラスの額にふれていたロベリアの指も離れていった。


「切り終わりましたけど、まだ目を瞑っていてくださいね。今から髪を払いますから」


 暗闇の中で、ロベリアの柔らかい指が、ダグラスの前髪を揺らし額や頬を擦っていく。


「はい、いいですよ。目を開けてください」


 ダグラスが目を開けると、ロベリアの顔があった。美しい人だと知っていたが、目にかかる前髪がなくなったせいで、よりハッキリとその美しさが分かる。ロベリアの輝きは、内面の美しさを隠し切れず表にまで現れてしまったような透き通ったものだった。


 なぜか目に映る世界が輝いているように見えた。ロベリアは、慈愛に満ちた笑みを浮かべている。


「ダグラス様。とっても素敵です」


 その神々しい微笑みを見つめながら、ダグラスは『どうしたら、女神様の信頼を得ることができるんだろうか?』と苦悩した。

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