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【ダグラス視点】

(私は今、ロベリア様に何をしようとした!?)


 逃げるように走り続けながら、ダグラスは今起こったことを必死に理解しようとした。


 ロベリアにハンカチを貰った日から意識してしまっていたが、忠誠を誓ったカマル王子がロベリアに好意を持っていると知ったとき、彼女への憧れのような淡い思いは一生、胸に秘めておこうと決めた。


 それからは、ロベリアとの個人的な接触はできるだけ避けた。


 それとは逆に、ロベリアを見かけるたびに声をかけるようになったカマルを見て、ダグラスは『己の行動は間違っていない』と確信した。だから、ダグラスが素っ気ない態度を取るたびに、ロベリアが少し悲しそうな表情になるように見えるのは、『私の都合の良い妄想だ』と邪念を振り払った。


(カマル殿下とロベリア様が婚約されれば、このうわついた気持ちにも蹴りがつく。いっそのこと、早く婚約してほしいくらいだ……)


 そんなことを考えていると、今朝、男子寮の前でロベリアにバッタリと会ってしまった。


 朝日を浴びて光輝くロベリアに一瞬見惚れてしまったが、慌てて見なかったことにする。


(私への用事ではないし、私がわざわざロベリア様に声をかける必要はない)


 次にここを通りかかった男子生徒がロベリアの用事を聞いて助けるだろう。そして、助けてもらったロベリアは、またあの愛らしい笑みでお礼を言うのだ。


 ――ありがとうございます。ダグラス様。


 お礼を言われる相手が自分ではないことに、多少胸がざわついたが、それには気がつかないふりをする。


 ロベリアを無視して通り過ぎると、予想外にロベリアはダグラスのあとをついてきた。


(なぜだ!?)


 大股で歩くダグラスに追いつけないのか、ロベリアは声をかけてこない。仕方がないのでダグラスが立ち止まると、ロベリアも立ち止まった。


「何かご用でしょうか?」


 ダグラスが振り返りもせず突き放すように問うと、ようやくロベリアが口を開いた。


「あの……以前から、ダグラス様にはご迷惑をおかけしている自覚はあります。保健室に運んでいただいたり、アランを呼んでくださったり、無理やりハンカチを押しつけたり……」


 ロベリアの悲しそうな声を聞いていると良心がジグジグと痛む。『そんなことはありませんよ』と言いたいが、それを言ってどうするのだ?と思うと何も言えなくなる。


「でも、あの……もう一度だけ、私を助けていただけないでしょうか? 今回、助けていただいたら、もう二度とダグラス様にご迷惑をおかけしません。だから、どうか……」


 そう言ったロベリアの声が微かに震えていたので、『泣いている!?』と焦ったダグラスは、つい振り返ってしまった。


 涙を浮かべるロベリアを見て『私は何をしているんだ!?』と混乱した。主であるカマルの想い人が助けを求めているなら、カマルのためにもすぐに助けるべきだったと考えを改めた。


(私はロベリア様を避けるのではなく、礼儀正しく接して、忠誠を誓うべきだった。今からでも、そうあるべきだ!)


 そう思っていたのに、ロベリアの新緑のように美しい瞳から涙が一粒こぼれると、何も考えられなくなった。その涙をぬぐってあげたいと思ったが、すぐに冷静な自分が『ロベリア様は、カマル殿下の想い人だぞ』と厳しく忠告する。


(そうだ。彼女の涙をぬぐうのは私の役目ではない)


 ダグラスは、罪悪感に苛まれながら「こういうことは最後にしてほしい」とロベリアに告げると、ロベリアは「もうお声をかけませんし、待ち伏せもしません」と約束してくれた。


 こちらの希望通りになったはずなのに、ロベリアの言葉になぜか喜べない。そうしているうちに、ロベリアはレオン=ストレイムに手紙を渡してほしいと頼んできた。


(ロベリア様の幼馴染のアラン=グラディオスや、カマル殿下ではなく、レオン?)


 納得ができず手紙の内容を確認しても良いかと尋ねると、ロベリアに断られた。レオンに何かされて困っているのかと思ったが、そうではないらしい。


 戸惑いながらもロベリアと分かれて、ダグラスは男子寮内のレオンの部屋へと向かった。ロベリアからの手紙を扉の隙間にはさんだ瞬間、ふと、『もしかして……これは、ロベリア様がレオンに宛てた恋文か?』と思ってしまった。


 居ても立ってもいられなくなり、全速力で来た道を戻ったが、そこにすでにロベリアの姿はなかった。必死に辺りを見回すと部活棟のほうに向かうロベリアの後ろ姿が見えた。


(今からレオンと待ち合わせをするのか? もしかして、レオンに告白を!?)


 追いかけてどうするんだと思いながらも、追いかけずにはいられなかった。


(私が身を引いたのは、カマル殿下のためであって、他の男に譲るためではない!)


 追いかけてきたダグラスを見て、ロベリアはひどく驚いていた。


 大きく目を見開いているロベリアに『私のことが好きなのでは、ないのですか!?』と問い詰めたかった。素敵だと言ってくれたし、微笑みかけてくれて、ハンカチまでくれた。そこまでされて『勘違いするな』というほうが無理だし、ロベリアに好意を持たれているとしか思えない言動だった。


 ただ、実際には彼女の口からはっきりと『好きだ』と言われたわけではない。さらに、目の前のロベリアは、自分がここに来たことに、とても困っている様子だった。


(全て勘違い……なのか? だとしたら、私はかなり痛い男だ)


 頭では『すぐに、ここから立ち去らなければ』と思っているのに、全身が『絶対にここから動きたくない』と拒絶する。


 ふいに、ロベリアに腕を引っ張られ、気が付けばダグラスはロッカーの中に押し込まれていた。


 グッとロベリアに身体が押し付けられたので、慌てて名を呼ぶと、「しっ! 静かに」と白く華奢な手で口を塞がれる。


 真剣にロッカーの隙間から外を見るロベリアを見て、『よく分からないが、レオンに告白するのではないようだ』と安堵した。


 気が抜けたとたんに、密着しているロベリアの身体の柔らかさを感じて、彼女から漂う甘い香りを思いっきり鼻から吸いこんでしまった。瞬時に身体が熱を持ち、魅了されてしまったかように頭がぼんやりとした。


(はっ!? ダメだ! 早くロベリア様から離れないと!)


 そう思った瞬間に、ロベリアの手がダグラスの口から離れ、ロベリアは「すみません」と謝った。


(た、助かった……)


 わずかに残った理性をかき集めて、ダグラスは「……いえ、それよりもここから早く出ましょう」と伝えたが、そう簡単にはいかなかった。


「すみません、ロッカーの扉が壊れて……開かないです」

(なっ!?)


 鍵を開けようとロベリアが動くたびに、やわらかい身体がダグラスに当たる。わずかに残った理性が解けていき、このままでは、ロベリアに何をしてしまうか分からない。


(くっ! 動かないでとお願いしたのに!)


 ロベリアが顔を上げた。そのときには、完全に理性を失っていたダグラスは、ぼんやりする頭で『これは口づけをして良いという合図だ』と思った。誘われるように、ゆっくりと顔を近づけるとロベリアは涙を浮かべて震えていた。


「嫌、ですよね。きらいな女とこんなところに閉じ込められて……本当にごめんなさい」


 冷水を浴びせられた気分だった。


(私は……)


 本当はロベリアからの好意に気が付いていたのに傷つくことを恐れて、どうしても認めることができなかった。


 カマルの想い人と分かってからは、遠ざけるためにひどい態度をとった。そして、今、何一つ自分の気持ちをロベリアに伝えていないのに、彼女にふれたいと強く願っている卑怯な自分に吐き気がした。


(私は最低だ)


 ロベリアは震えながらでも、ダグラスに嫌われていると思っていても、それでもいつも誠実な対応を取り続けてくれるのに。


 ダグラスは、今すぐ剣を振り下ろし、自分の首を切り落としたいと思った。

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