その日の夜。ロベリアは、ベッドに横になったとたん、すぐに眠りに落ちていった。
どれくらい眠ったのだろうか。
コンコンッと部屋の扉が叩かれたような気がする。
ベッドに横たわったまま、ロベリアはうっすらと目を開いた。
室内はまだ薄暗く、時計の針は午前六時を指している。朝日も昇りきっていない時間帯に誰かが訪ねてくるとは思えない。
(今日はお休みだから、もう少し寝よっと)
ロベリアは眠気に誘われて再び目を瞑った。とたんに冷たいものが口を覆う。上げたはずの悲鳴が「うー」といううめき声にしか聞こえない。
「ロベリアさん、ノックはしましたよ」
見ると、ベッドの側にソルが立っていて、ロベリアの口を手で塞いでいた。カタカタと震えるロベリアを、銀ブチ眼鏡の奥に隠された琥珀色の瞳が無感情に見下ろしている。
「そんなに怯えないでください。貴女は私の協力者です。危害は加えません。手を放しても叫ばないと約束できるなら離しますが?」
ロベリアが頷くとソルは手で口を塞ぐのをやめた。解放されたロベリアは、ベッドから起き上がったものの、パジャマ姿なので、毛布にくるまりベッドの上に座ったままソルの方を向いた。
「せ、先生、こんな時間に、いったいどうしたんですか?」
「部屋に侵入してすみません。本当は今日、事前に『何時に部屋に行きます』と手紙か何かで連絡しようかと思ったのですが、面倒になってやめました」
(先生……その手順は、ちゃんと踏んで欲しかったです)
「今から用件だけを伝えます。今日の午前十時から午後三時まで間、アランくんが男子寮に戻らないようにしてください」
ソルの口から『アラン』という予想外の名前が出てきて驚いてしまう。
「え? アランって、アラン=グラディオスのことですか?」
もし、そのアランだとしたら、彼は18禁乙女ゲーム『悠久の檻』の攻略対象者の一人、公爵家の令息だ。
「そうです。貴女はアランくんの幼馴染なので、もちろんできますよね?」
(アランとは関わり合いたくないんだけど……。断るのも怖いわ)
ソルは、男子禁制の女子寮に誰にも気が付かれずに忍び込めてしまう。機嫌を損ねたら、何をされるか分からない。
「先生、もしかして、アランが媚薬売買の犯人……?」
冷たい人差し指が、そっとロベリアの唇にふれた。ソルは、ニッコリと口端を上げている。
「ロベリアさん。私は、今、『用件だけを伝える』と言いましたね?」
少しも笑っていない瞳が、『余計な詮索をするな』と釘を差してくる。
「ロベリアさん、できますか?」
「やってみます……いえ、やります、できます。……でも」
「でも?」
ロベリアは、震える手を握りしめた。
「先生、私にもこの学園の中で起こっていることを教えてください。先生が大変なのは分かります。でも……でも、私だって、妹の将来と私の命がかかっているんです!」
アランの名前が出た以上、知らないふりはできない。もし、媚薬売買の犯人がアランなら、リリーに媚薬を使う可能性だってあるのだから。
急にソルの顔が近づいてきた。琥珀色の瞳が、ロベリアの瞳を覗き込んでいる。恐怖心から目を逸らしてしまいたい気持ちを、ロベリアは必死にこらえた。
「ロベリアさん、知っていますか? 訓練を受けていない多くの人は嘘をつくとき、身体が緊張状態に入ります。そして、無意識のうちに、目が左右に泳いだり、瞬きの回数が多くなったり、他にも色んな変化があるんですよ。人体って面白いですよね」
ソルの顔がゆっくりと離れていく。
「嘘はついていないようですね。いいでしょう。私も貴女に聞きたいことがありますから。そうですね、アランくんを引きとめてくれたら、私の持っている情報を教えましょう。これは取引です」
ロベリアが頷くと、ソルは踵を返して背を向けた。足音一つさせずに歩き、部屋の扉に手をかけたソルは、「あ、そうそう」と言いながら、ロベリアに向かって何かを投げる。それは水色の液体が入った小瓶だった。
「先生、これは?」
「媚薬の解毒剤です。媚薬を嗅いでしまったときは、その液体を全て飲み干してください。症状が治まります。念のため持っておいてください」
(またあの媚薬を嗅いでしまうことがあるの? もしかして、私、とても危ないことに首を突っ込んでしまったんじゃ……)
ロベリアがゴクリとツバをのみ込むと、ソルがククッと低く笑った。
「ロベリアさん、そんなに怯えないでください」
ハッと我に返り、ロベリアは慌てて平気な振りをした。
(ソルに使えないやつと思われたら、何も教えてもらえないかもしれないわ)
しかし、ロベリアの予想とは違い、ソルはどこか熱っぽい声を出した。
「貴女の怯える瞳を見ていると……興奮を禁じ得ません」
「え?」
ロベリアが驚いて顔を上げたときには、もうソルの姿はどこにもなかった。