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第32話

「紘希。

明日だけど……」


食後のコーヒータイム、紘希に明日の確認をする。


「ごめん。

俺、朝食食べがてら会長と打ち合わせがあるんだ」


「そう……」


自分の結婚式の日だというのに、朝から打ち合わせがあるとは大変だな。

紘希は次期跡取りとして専務に就任し、今は社長の下で経験を積んでいる。


「そんな顔するな。

時間までにはちゃんと、行くからさ」


「えっ、別に淋しいとか思ってないもん!」


笑いながら彼が、ガシガシ私の頭を撫でてくる。

それに唇を尖らせてむくれたら、そこに口付けを落とされた。


「……そうやってすぐ、機嫌を取ろうとして」


「だって純華は可愛いから、すぐキスしたくなるんだけど?」


紘希は涼しい顔をしている。

それに嬉しいと思っている自分もいるので、彼には勝てない。


「そういやあれ、大丈夫なのかな」


今日、会社で発表された人事を思い出し、眉間に皺が寄る。


「え、純華、もしかしてアイツらの心配してるの?」


それを見て紘希が、意外そうに声を上げた。


「アイツらの心配は全然してない。

アイツらにこれから迷惑をかけられる人の心配をしてるの」


子会社の鏑木親子は、会社を追放された。

とうとう正俊が女性から訴えられたのと、横領が発覚したのだ。

示談という名の口止めに応じなかった女性は、賞賛に値する。

……と言いたいところだが、紘希の仕込みだと聞いたら、なんともいえない気持ちだ。

会社としては庇う気なんてさらさらないし、息子を注意するどころか被害女性を脅していた父親ごと会社を追放となった。


「大丈夫、大丈夫。

アイツら、祖父ちゃんからかなりの資産を譲ってもらった癖に、もうそのほとんどを食い潰してるしさー。

だから、横領とかやってたんだろ。

金がなきゃ誰も従わないからな」


鏑木親子は会社の追放に加え、多額の横領で訴えられている。

本当に人生のピンチ状態なのだが、本人たちが自覚しているのかは怪しい。


「そうだといいけど……」


父の事件のあと、怒りマックスの会長から仕事の厳しい海外支社へとアイツは飛ばされたらしい。

しかし反省するどころかそこでも問題を起こしまくり、あわや国際問題に発展しそうになって慌てて帰国させたそうだ。

それでせめて目の届くところに置いておいたほうがマシ、ということで子会社の社長に据えたという話みたい。

そんなわけなのでアイツの失脚は溜飲が下がる思いだが、一抹の不安がある。


「純華は優しいな」


へらっと、締まらない顔で嬉しそうに紘希が笑う。


「優しいとかじゃないよ。

アイツのせいで、あの人や父のような被害者が出てほしくないだけ」


父の部下は一生、父と私たちに後ろめたさを抱いて生きていくのだろう。

父だって犯罪者の肩書きを背負っていかなければならない。

同じような思いをする人が、これ以上増えてほしくないだけだ。


「優しいよ、純華は」


紘希はそう言うが、優しいのは紘希のほうだ。

きっと鏑木親子を突き放しながらも、紘希は彼らの被害に遭った人たちを救済していく。

今までもそうだったように。




あれから、会長にきちんと父親の話をした。


『愚息が大変なご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした!』


ソファーから下り、土下座までする会長には驚くと同時に、大変気の毒になった。

未成年ならまだしも、成人した人間のしでかしたことだ、親が責任を取る必要はない。

それにいくら事情があったとはいえやはり、刺してしまったのは悪いと思うし。


それでも、会長が謝罪してくれたおかげで、長年のわだかまりはかなり薄くなった。

鏑木社長本人は絶対に、許せないが。


紘希のお父さんの仕事が落ち着いた頃に、家族にも紹介してもらった。

紘希は〝ただの弁護士〟なんて言っていたが、お父さんはかなり優秀な弁護士で、大手の弁護士事務所を経営している。

なにが〝普通よりちょっとだけ裕福な家庭〟だよ。

完全に裕福な家庭じゃないか。


ご両親はとても優しい方で、私を気に入ってくださった。

四つ下の妹さんからはお兄ちゃんを取った女と敵認定されてしまったが、仕方ない。


両家の顔合わせの日、紘希はすでに籍は入れたとみんなに告げた。

これですべてがオープンになり、今日、私たちは結婚式を迎える。




「純華ー。

じゃあ俺は、行ってくるな」


紘希に声をかけられ、目を開ける。


「……いってらっしゃい」


まだ寝ぼけている私に、彼は口付けを落とした。


「いってきます。

純華もそろそろ起きろよ?

イブキをよろしく」


「……うん」


出ていく彼をひらひらと手を振って見送り、ドアが閉まって大きく背伸びをした。


「さーてと。

とりあえずイブキの散歩に行きますかね!」


とにかく今日は、忙しいのだ。


イブキの散歩を終わらせ、軽くシャワーを浴びる。


「作んないでいいって言ったのに」


テーブルの上には、あとは温めるだけでいいように朝食が準備してあって、笑ってしまう。

自分の分はいらないんだし、いいって言ったのにこれだ。

相変わらず紘希は、私のお世話をしたがる。


朝食のあとはコーヒーを飲んで少しまったりし、持ち物の最終チェックをした。

それが終わると、念入りにお肌の手入れをする。

せっかくの晴れ舞台だもんね、最高の自分で紘希の隣に立ちたい。


そうこうしているうちに、紘希が手配していたタクシーが迎えに来る。


「はーい!

イブキ、行くよ」


「わん!」


いいお返事をしたイブキをキャリーに入れ、今日の会場である教会へと向かった。


係の方にイブキを預け、私も準備をする。

今日はもちろん、ドレスだ。

和装も見たいという紘希のリクエストで、そちらは写真を撮った。

というか衣装の下見に行った時点で、あれもこれも着せてみたいと本当に大変だったのだ。

しかも最終的に決められないからと、五着もスタジオで写真を撮る羽目になった。


「純華、お待たせー」


「お疲れー」


私より少しだけ遅れてきた紘希も、準備を始める。


「イブキ、おとなしくしてた?」


「可愛い可愛い言われて、すっげー得意げな顔してた」


想像して笑ってしまう。

今日の式はイブキも一緒だ。


「ドレス、似合ってるな」


「ありがとう」


褒められて素直にお礼を言う。

綺麗な純華を引き立てるのはシンプルなドレスだと、選んだドレスをベースに紘希はオーダーしてくれた。

張りのある、パールのような艶のあるシルクでできた、オフショルダーのAラインドレス。

生地の美しさを生かすために、装飾はほとんどない。

代わりに、ウェストについたリボンから伸びる垂れをたっぷりと取り、綺麗なドレープを描くようにしてもらった。

トレーンも長いのでその分重いが、今日の私を美しく見せるためなんだから、それくらい我慢できる。

ちなみに紘希は、私にあわせてクラシカルな黒タキシード姿だ。


「美しすぎて、またプロポーズしたくなる」


人目があるというのに紘希は、私に口付けしてきた。


「……人が見てるところでキス禁止って、前に言わなかったっけ?」


上目でジトッと彼を軽く睨む。


「そうだっけ?」


しかし彼には効いてなくて、華麗にすっとぼけてくる。

さらに。


「純華がすぐにキスしたくなる、可愛い顔してるからいけないんだぞ」


抗議した端からまた、私にキスしてきた。


「ちょっとゲスト、迎えに行ってくるなー」


準備が終わり、ひらひらと手を振りながら紘希は控え室を出ていった。


「ゲスト……?」


会長でも迎えに行ったのかな、なんて思っていたものの。


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