「腹、減ってないか。
なんか作るよ」
少し休憩したあと、矢崎くんが立ち上がる。
「え、私が作るよ!」
しかし私も反射的に、勢いよく立ち上がった。
「俺が。
純華のために作りたいの」
「私も、矢崎くんのために作りたいの」
レンズ越しに少しのあいだ、睨みあう。
しかしすぐに、どちらからでもなく噴き出した。
「一緒に作るか」
「そうだね」
笑いながらキッチンへ向かう私たちを、イブキが不思議そうに見ていた。
「なん作るかなー」
冷蔵庫を開けて、矢崎くんはメニューを考えている。
「てか、食材、買いに行かなくていいの?」
ここに来るのに、なにも買わないできた。
冷蔵庫の中は空では……?
「管理人に適当に買って入れといてくれって頼んだから、ほら」
場所を空けて矢崎くんが中を見せてくれる。
そこにはパンパンに食材が詰まっていた。
というか、これをふたりで食べきるのは無理じゃない?
「エビがあるから、トマトクリームパスタにするか」
決まったのか、テキパキと彼は材料を取り出した。
「じゃあ、私はなんか、サラダ作るね」
今度は私が、冷蔵庫の中をのぞく。
ベビーリーフと玉子で、ミモザサラダか温玉サラダにしようかな。
ふたりで並んで料理をする。
「なんか、新婚っぽいね」
「っぽいんじゃなくて、新婚なんだが?」
指摘され、おかしくて笑ってしまう。
なんかいつの間にか、矢崎くんとこうやって一緒に過ごすのが当たり前になっていた。
あまりに自然すぎて、もうずっとこうしている気さえする。
それくらい、彼と一緒にいるのは心地よかった。
「いただきます」
できた料理を並べ、ダイニングテーブルで向かいあって食べる。
イブキは散々嗅ぎ回って落ち着いたのか、ケージに入ってお気に入りのタオルの上で寝ていた。
「矢崎くんって料理、上手だよね」
素材がいいのもあるかもしれないが、今日のパスタももちろん、美味しい。
「やった、純華に褒められた」
上機嫌に彼がフォークを口に運ぶ。
こういう小さなことですぐ喜ぶところ、ちょっと羨ましくもある。
「純華が料理が上手な人が好きだって言ってたから、いつか披露できるように腕を磨いてたんだ」
「……は?」
フォークを口に入れかけて、止まる。
そのまま皿に戻し、まじまじと彼を見つめていた。
「言ったっけ?
そんなの」
「言った。
入社した年の、夏にやった同期親睦キャンプで」
「あー、あったねー、そんなの……」
誰が計画したのか、上司から用がない限り絶対参加だって言い渡されて、嫌々参加した、あれ。
「親睦会とかいって、実は研修でしたーって卑怯だよね」
「まあな」
矢崎くんも同意見だったらしく、苦笑いしている。
あの当時はまだ、これだからブラック企業は、などと思っていたものだ。
いや、あの親睦会という名の研修はまったくもって無駄だけれど。
「まあ、潰してやったけどな」
「……は?」
さらりと言われ、また彼の顔を見る。
「キャンプでの共同作業で、同期の繋がりを深めるってなんだよ。
溝は深まったけどな」
「は、ははは……」
苦々しく矢崎くんが吐き捨て、笑うしかできなかった。
無自覚なのかなにかと命令してくる陽キャの数人に、反感が集まったのは事実だ。
「無駄なんだよ、あんなの。
だから目安箱に投稿して、潰してやった。
といっても当事者なんて限られてるし、書いたの俺だってバレてるだろうけどな」
「……凄いね、矢崎くんは」
私は不満に思うだけで終わった。
でも、矢崎くんはどうするべきか考え、行動した。
未来の経営者だから、っていうのはあるかもしれない。
それでも、私はそんな彼を尊敬する。
「凄くないよ、当たり前だろ」
「ううん、凄いよ」
そうやって当たり前だっていえるところ、もっと。
「話逸れたけど。
私、料理ができる人が好きとか言ったっけ?」
「言った。
よくごはんを作ってくれた、お父さんみたいな人が理想なんだって。
でもそのあとで、女作って出ていくお父さんがかよっ、って総ツッコみ受けてたけど」
「は、はははは……」
とりあえず、笑って誤魔化す。
もし、結婚するとしたら、父のような人がいいと思っていたので、言ったかもな。
その点、矢崎くんは……。
「ん?」
私がうかがうように見ているのに気づいたのか、僅かに彼の首が傾く。
「……なんでもない」
熱を持つ頬で俯き、ちまちまとベビーリーフをフォークで刺す。
矢崎くんは父に負けず劣らず、素敵な人だ。
あんなことがなければ、父にも紹介できたのにな。
でも、あんなことがあったからこそ、この会社に入って矢崎くんに出会えたのだけれど。
「てかさっき、入社した年の夏にあったキャンプでって言った?」
「あー……」
なにかやましい気持ちでもあるのか、長く発したまま彼が斜め下を見る。
「……言ったな」
ははっと笑い、今度は彼が誤魔化してくる。
「それって六年も前の話だよね?」
そんなに前から私の好みの人間になるために、努力をしていた?
ということは、そんなに前から私が好きってこと?
いやいやいや、ありえない。
「……純華は覚えてないだろうけどさ」
私の目は見ずに、さっきの私みたいに矢崎くんはちまちまとフォークにベビーリーフを刺していっている。
「俺、純華に助けられたんだよね」
眼鏡の奥からちらっと、彼が私をうかがう。
「えっと……」
私に、矢崎くんを助けた記憶なんてまったくなくて、戸惑った。
「入社してちょっとしてから、純華と同じ仕事しただろ」
「あー、あったねー」
新商品の大がかりなイベントで、私と矢崎くんはともに下っ端使いっ走りをやっていた。
「あのときさ、得意先の接待に一緒に連れていかれたの、覚えてるか」
「……忘れた」
いや、正確にはあれは、消し去った記憶なのだ。
なのでこうやって、掘り起こさせないでほしい。
「若い男好きの社長に、どんどん飲まされてさ。
といっても俺は、並の飲み比べで負けないくらい強いから、面倒くせー、俺が社長になったら大口の得意先でも絶対切る!
とか思いながら笑顔貼り付けて凌いでたんだけど」
「……うん」
ばっくん、ばっくんと大きく心臓が鼓動する。
この先、なにが出てくるかわかっているだけに、今すぐ矢崎くんの口を塞ぎたい。
「突然、隣に座ってた純華が俺のグラスを奪って一気飲みして、
『いい加減になさったらいかがですか。
こういうの、アルハラっていうんですよ。
ご存じないんですか?』
って、啖呵切った」
「そ、そうだっけ……?」
ここまではまだ、かろうじて耐えられるのだ。
問題はこのあとだ。
「瑞木、格好いいって尊敬してたら、そのままバタンと倒れたけどな」
おかしそうに矢崎くんが笑う。
覚えてる、覚えてるよ!
だからこそ、取引先に対する無理強いを憎んでいたからとはいえ、自分の行動が恥ずかしい。
今ならもっとスマートに、かつ自分にダメージがないようにやれるのに。
でも、あのときの行動は後悔していないが。
「んで、カンカンの社長を無視して、介抱しないといけないのでーって、とっとととんずらした」
そこで話は終わりだと思ったのに、彼の話は続いていく。
この先は酔い潰れて、私の記憶にはない。
「近くのホテルに運び込んで水飲ませたりしてたら、自分のほうが大変な状況なのに、俺は大丈夫か聞いてくるんだ。
大丈夫だ、おかげで助かったって答えたら、よかったーってすっげー嬉しそうに笑って。
あれが、純華に惚れた瞬間だったな」
そのときを思い出しているのか、眼鏡の向こうで目を細めて矢崎くんがうっとりとした顔をする。
次の日、ホテルで目が覚めたときはパニクったものだ。
でも、ベッドは私に譲って自分は椅子で夜を明かした彼に申し訳なくなったし、同時に見直した。
「あー、うん。
そうなんだ……」
あれで惚れられたと聞いても、私としては葬り去りたい過去なだけに、複雑な心境だ。
それに翌日、上司から呼び出されてふたりともこってり絞られたし。
矢崎くんには本当に迷惑をかけた。
……いや。
今の話からするに。
「もしかして、いらぬお世話だった?」
矢崎くんなら私が変な手を出さなくても、あのままやり過ごせたのだ。
でも、私のせいで上司からは怒られ、私の介抱まで。
「いや?
純華のおかげで抜け出すきっかけができたし、それに」
伸びてきた手が、さらりと私の頬を撫でる。
「俺を庇ってくれたのが、滅茶苦茶嬉しかった。
あれでよろめいて、笑顔でトドメ刺されたな」
まるで空気に溶けるかのようにふわりと彼が笑い、頬が熱を持っていく。
「そ、そうなんだ」
「うん」
どきどきと心臓の鼓動が速い。
こんなにも前から、矢崎くんは私を想い続けていてくれたんだ。
それはとても嬉しくて、この笑顔を一生覚えていようと思った。