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第23話

少し歩いてリサーチしてあった眼鏡店を何軒かのぞく。


「これとかどうだ?」


「いや、全然変わってないし」


黒縁スクエアの眼鏡をかけてみせる矢崎くんに、速攻でツッコむ。


「てか、いつもそれだから、入社してからずっと同じ眼鏡なんだと思ってたよ」


「まさかそんなわけないだろ」


……ですよねー。

六年もあれば、視力だって変わるだろうし。


「何回か変えたけど、誰も気づかないんだよな」


と、彼がかけたのは、またしても似たデザインの黒縁スクエアだった。


「そりゃ気づかないよ。

予備だって言われても、あれ? 私が眼鏡を壊したのは幻? とか思ったもん」


強制的に彼の顔から眼鏡を奪い、別の眼鏡を渡す。


「だって選ぶときに自分の顔、よく見えないしさ。

無難なのになりがちなんだよな」


眼鏡をかけた姿を携帯で撮影し、自分の眼鏡をかけた彼に見せた。

メタルスクエアの眼鏡は彼を知的に見せ、はっきりいって格好いい。


「誰かと選びに行けばいいし、こうやればひとりでも確認できるでしょ」


「こんな方法があるのは知らなかったな。

……けっこういい感じ?」


同意だと、うんうんと頷く。

でも、まだかけさせてみたい眼鏡がたくさんあるので、新しい眼鏡を渡した。


「それに誰かとって、一緒に眼鏡を選ぶようなヤツなんていないし」


「え、矢崎くんってもしかして、友達いない?」


まさかの発言に驚いてしまったら、彼からじろっと睨まれた。

とはいえ、見えていないので視線が完全にズレているが。


「友達と眼鏡なんか選びに行ったりしないの」


今度も写真を撮り、携帯を彼に見せる。

シルバーのハーフリム眼鏡は一見冷たそうだが、下半分にフレームがないせいか表情を柔らかく見せていた。

これはこれでありだな。


「そうなの?」


「そうなの。

だから今日は、純華が一緒で嬉しい」


目尻を下げ、彼が笑う。

その顔に心臓がとくんと甘く鼓動した。


「……それ、反則」


「え、今の眼鏡、似合ってなかったのか?

けっこう俺は、気に入ってたんだけどな」


矢崎くんは残念そうだが、そういうわけではない。

しかし、この気持ちを正直に説明するのは私が耐えられない。


「あー、うん。

まーねー」


結局、適当に言って誤魔化した。


面白半分に文豪調丸眼鏡とか、昭和風極太黒縁眼鏡とかまでかけさせ、最終的にシルバーのスクエア眼鏡に決めた。

というか、ほとんどの眼鏡をかけこなす矢崎くんってなんなの?

イケメンも極めるとここまで来るのか。


「……眼鏡ってできるまでにけっこうかかるんだね」


店を出て駅に向かいながらため息が出る。

契約までに間に合えばと思ったが、どんなに急いでも一週間はかかるといわれた。

レンズが取り寄せとは聞いていたが、そんなにかかるとは思わない。


そのレンズも私の感覚では普通の薄型、あとはブルーライトカットがつくかどうかくらいだったが、ランクがいろいろあってくらくらしたくらいだ。

矢崎くんは一番安いのでいいよと笑っていたが、お店の人の話と矢崎くんの希望も聞いて、高ランクのものにした。

それでさらにできあがりが遅くなったが、安いレンズにしてもどのみち、間に合わなかったからいっそ、ね。


「まあ、ファストなら最短一時間もあればできるけどな。

俺は無理だけど」


矢崎くんも昔、ファストの店で眼鏡を作ったことがあるらしい。

すぐにできるのかと思ったらレンズ取り寄せ一週間と言われて、がっかりしたと笑っていた。


「まあでも、納得できるものが買えてよかったね」


「そうだな」


眼鏡は残念だが、代わりじゃないけれどネクタイ買ってあるもんね。

だったら、問題はない。


さりげなく繋がれた手が揺れる。

矢崎くんはご機嫌みたいで、私も嬉しかった。


イブキを待たせるのが申し訳なくて、夕食は食べずに帰る。


「イブキー、ただいまー」


「あん!

あん!」


リビングの明かりがつくと、ケージに前足をついて立ち上がり、イブキが盛んに尻尾を振り出した。


「はいはい、ごめんねー」


ケージを開けると同時にじゃれてくる。

その頭を満足するまで撫でてあげた。

そのあいだに矢崎くんがリビングを出ていく。


「すぐに着替えてごはんの準備、するね」


「え、いいよ。

今日は俺がやる」


着替えて戻ってきた彼は軽くイブキの頭を撫でて、キッチンに向かった。


「いいって。

矢崎くんは休日出勤して疲れてるんだしさ。

それに契約締結が終わるまでは、私が家事するんだから。

はい、イブキと一緒にステーイ、だよ?」


矢崎くんの肩を押していき、強制的にソファーに座らせる。

ついでにイブキも抱っこしてきて、その膝の上にのせた。


「イブキ。

パパが晩ごはん作らないように、見張っててね」


「あん!」


任せろとでもいうのか、ひときわ高い声でイブキが鳴く。

なんかそれがおかしくて、ふたりして笑ってしまった。


寝室で着替え、髪はラフなひとつ結びにしてしまう。

あそこまでしても、戻ったら矢崎くんはキッチンに立っていそうだ。

どうしてそこまで、私のお世話をしたがるかね。


けれど予想に反し、リビングではイブキを膝にのせたまま、矢崎くんはソファーに座っていた。


「珍しい。

私のいうことなんか聞かずに晩ごはんの準備、してるのかと思った」


「……イブキが膝から下りないから、立てない」


仏頂面で矢崎くんがイブキを見下ろす。


「あん!」


そんな彼とは反対にイブキは、ちゃんとパパを見張っていたよとでもいうように、得意げに鳴いた。


「じゃー、仕方ないねー。

イブキー、もうちょっとそうやって、パパを見張っててねー」


「あん!」


すぐにイブキが、返事をしてくれる。

本当に賢い子で、助かるな。


私が夕食の準備をしているあいだ、矢崎くんは諦めたのかイブキと遊んでいた。

ここしばらく彼から遊んでもらっていないし、イブキも嬉しそうだ。


「できたよー」


温め直した料理と、スープを食卓に並べていく。

たまにはまともな手料理を披露したいところだが、家政婦さんの作り置きを無駄にするのも惜しい。

土日の分は断るという手もあるが、今日みたいに外出したあとだと作るのも面倒臭いし、悩ましいところだ。


「わかったー」


イブキとの遊びを切り上げ、矢崎くんはキッチンで手を洗って食卓に着いた。


「いただきます」


「はい、どうぞ」


家で食べるとき、彼は必ず「いただきます」

って言う。

食べ終わったら、「ごちそうさま」。

そういうところは、いいなって思う。

彼との子供ができたらそんなふうに育てたいなと思うけれど、私にはそんな未来は来ない。


「仕事、どう?」


「んー、完璧!

……って言いたいところだけど、なにがどう転ぶかわからないもんなー」


珍しく、矢崎くんは自信なさげだ。


「もう!

そういうときは嘘でも、『なにも問題ない。絶対上手くいくから吉報を待っとけ!』くらい言えばいいんだよ」


これは父からの受け売りだ。

初めての入試の朝、問題が解けなかったらどうしようと心配する私に、同じように言って父は頭をガシガシ撫でてくれた。

嘘でも自分にそう言い聞かせれば気持ちも落ち着いてミスも減り、ひいては成功に繋がる。

おかげでそのときは第一志望に受かったし、そのあともそれで全部乗り切ってきた。

このあいだのイベントのときももちろん、上司に明日はどうだと聞かれ、そう言って大見得を切った。

私にとっては今でも大事にしている、魔法の言葉だ。


「そうだな。

絶対に上手くいくから心配するな。

それで純華を家族に紹介して、結婚をオープンにするぞ!」


自信満々に彼が笑う。

うん、矢崎くんはやっぱり、こうでなきゃ。

でもこうやって、自分が彼との別れを確実にしていっているのは見ないフリをした。


食事のあと、コーヒーを淹れたカップをふたつ持って、矢崎くんがソファーにいる私の隣に座る。

どんなに忙しくてもこのコーヒータイムを彼は大事にしていたし、コーヒーを淹れるのだけは俺の仕事だと絶対に譲ってくれない。


「あの、さ」


「ん?」


コーヒーをひとくち飲んだ彼が、私を見る。


「これ、よかったら使って」


「え、なにこれ?」


私が差し出した小箱を、矢崎くんは戸惑いながら受け取った。


「純華から俺に、プレゼント?」


「そう」


「ヤバい、嬉しすぎる」


なぜか眼鏡から下を手で隠し、彼が視線を逸らす。

それで弦のかかる耳が、こちらを向く。

その耳は真っ赤になっていた。


……え。

もしかして、滅茶苦茶喜んでくれてる?

そう気づくと同時に、これが妻として彼への初めてのプレゼントなのだと思い至った。


「開けていいか?」


「えっ、あっ、……うん」


矢崎くんが照れに照れまくっているせいもあって、私までなぜか恥ずかしくなってくる。


「ネクタイ?」


「あっ、うん。

そう。

アクアマリンのタイピンにあうのがいいなって思って」


「めちゃめちゃ嬉しい」


彼の顔が近づいてきて、ちゅっと軽く唇が重なった。


「契約のとき、これ締めていくな」


「う、うん」


目尻が下がり、眼鏡の陰に笑いじわがのぞく。

私の大好きな、矢崎くんの笑顔。

それが見られて、私も嬉しかった。

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