少し歩いてリサーチしてあった眼鏡店を何軒かのぞく。
「これとかどうだ?」
「いや、全然変わってないし」
黒縁スクエアの眼鏡をかけてみせる矢崎くんに、速攻でツッコむ。
「てか、いつもそれだから、入社してからずっと同じ眼鏡なんだと思ってたよ」
「まさかそんなわけないだろ」
……ですよねー。
六年もあれば、視力だって変わるだろうし。
「何回か変えたけど、誰も気づかないんだよな」
と、彼がかけたのは、またしても似たデザインの黒縁スクエアだった。
「そりゃ気づかないよ。
予備だって言われても、あれ? 私が眼鏡を壊したのは幻? とか思ったもん」
強制的に彼の顔から眼鏡を奪い、別の眼鏡を渡す。
「だって選ぶときに自分の顔、よく見えないしさ。
無難なのになりがちなんだよな」
眼鏡をかけた姿を携帯で撮影し、自分の眼鏡をかけた彼に見せた。
メタルスクエアの眼鏡は彼を知的に見せ、はっきりいって格好いい。
「誰かと選びに行けばいいし、こうやればひとりでも確認できるでしょ」
「こんな方法があるのは知らなかったな。
……けっこういい感じ?」
同意だと、うんうんと頷く。
でも、まだかけさせてみたい眼鏡がたくさんあるので、新しい眼鏡を渡した。
「それに誰かとって、一緒に眼鏡を選ぶようなヤツなんていないし」
「え、矢崎くんってもしかして、友達いない?」
まさかの発言に驚いてしまったら、彼からじろっと睨まれた。
とはいえ、見えていないので視線が完全にズレているが。
「友達と眼鏡なんか選びに行ったりしないの」
今度も写真を撮り、携帯を彼に見せる。
シルバーのハーフリム眼鏡は一見冷たそうだが、下半分にフレームがないせいか表情を柔らかく見せていた。
これはこれでありだな。
「そうなの?」
「そうなの。
だから今日は、純華が一緒で嬉しい」
目尻を下げ、彼が笑う。
その顔に心臓がとくんと甘く鼓動した。
「……それ、反則」
「え、今の眼鏡、似合ってなかったのか?
けっこう俺は、気に入ってたんだけどな」
矢崎くんは残念そうだが、そういうわけではない。
しかし、この気持ちを正直に説明するのは私が耐えられない。
「あー、うん。
まーねー」
結局、適当に言って誤魔化した。
面白半分に文豪調丸眼鏡とか、昭和風極太黒縁眼鏡とかまでかけさせ、最終的にシルバーのスクエア眼鏡に決めた。
というか、ほとんどの眼鏡をかけこなす矢崎くんってなんなの?
イケメンも極めるとここまで来るのか。
「……眼鏡ってできるまでにけっこうかかるんだね」
店を出て駅に向かいながらため息が出る。
契約までに間に合えばと思ったが、どんなに急いでも一週間はかかるといわれた。
レンズが取り寄せとは聞いていたが、そんなにかかるとは思わない。
そのレンズも私の感覚では普通の薄型、あとはブルーライトカットがつくかどうかくらいだったが、ランクがいろいろあってくらくらしたくらいだ。
矢崎くんは一番安いのでいいよと笑っていたが、お店の人の話と矢崎くんの希望も聞いて、高ランクのものにした。
それでさらにできあがりが遅くなったが、安いレンズにしてもどのみち、間に合わなかったからいっそ、ね。
「まあ、ファストなら最短一時間もあればできるけどな。
俺は無理だけど」
矢崎くんも昔、ファストの店で眼鏡を作ったことがあるらしい。
すぐにできるのかと思ったらレンズ取り寄せ一週間と言われて、がっかりしたと笑っていた。
「まあでも、納得できるものが買えてよかったね」
「そうだな」
眼鏡は残念だが、代わりじゃないけれどネクタイ買ってあるもんね。
だったら、問題はない。
さりげなく繋がれた手が揺れる。
矢崎くんはご機嫌みたいで、私も嬉しかった。
イブキを待たせるのが申し訳なくて、夕食は食べずに帰る。
「イブキー、ただいまー」
「あん!
あん!」
リビングの明かりがつくと、ケージに前足をついて立ち上がり、イブキが盛んに尻尾を振り出した。
「はいはい、ごめんねー」
ケージを開けると同時にじゃれてくる。
その頭を満足するまで撫でてあげた。
そのあいだに矢崎くんがリビングを出ていく。
「すぐに着替えてごはんの準備、するね」
「え、いいよ。
今日は俺がやる」
着替えて戻ってきた彼は軽くイブキの頭を撫でて、キッチンに向かった。
「いいって。
矢崎くんは休日出勤して疲れてるんだしさ。
それに契約締結が終わるまでは、私が家事するんだから。
はい、イブキと一緒にステーイ、だよ?」
矢崎くんの肩を押していき、強制的にソファーに座らせる。
ついでにイブキも抱っこしてきて、その膝の上にのせた。
「イブキ。
パパが晩ごはん作らないように、見張っててね」
「あん!」
任せろとでもいうのか、ひときわ高い声でイブキが鳴く。
なんかそれがおかしくて、ふたりして笑ってしまった。
寝室で着替え、髪はラフなひとつ結びにしてしまう。
あそこまでしても、戻ったら矢崎くんはキッチンに立っていそうだ。
どうしてそこまで、私のお世話をしたがるかね。
けれど予想に反し、リビングではイブキを膝にのせたまま、矢崎くんはソファーに座っていた。
「珍しい。
私のいうことなんか聞かずに晩ごはんの準備、してるのかと思った」
「……イブキが膝から下りないから、立てない」
仏頂面で矢崎くんがイブキを見下ろす。
「あん!」
そんな彼とは反対にイブキは、ちゃんとパパを見張っていたよとでもいうように、得意げに鳴いた。
「じゃー、仕方ないねー。
イブキー、もうちょっとそうやって、パパを見張っててねー」
「あん!」
すぐにイブキが、返事をしてくれる。
本当に賢い子で、助かるな。
私が夕食の準備をしているあいだ、矢崎くんは諦めたのかイブキと遊んでいた。
ここしばらく彼から遊んでもらっていないし、イブキも嬉しそうだ。
「できたよー」
温め直した料理と、スープを食卓に並べていく。
たまにはまともな手料理を披露したいところだが、家政婦さんの作り置きを無駄にするのも惜しい。
土日の分は断るという手もあるが、今日みたいに外出したあとだと作るのも面倒臭いし、悩ましいところだ。
「わかったー」
イブキとの遊びを切り上げ、矢崎くんはキッチンで手を洗って食卓に着いた。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
家で食べるとき、彼は必ず「いただきます」
って言う。
食べ終わったら、「ごちそうさま」。
そういうところは、いいなって思う。
彼との子供ができたらそんなふうに育てたいなと思うけれど、私にはそんな未来は来ない。
「仕事、どう?」
「んー、完璧!
……って言いたいところだけど、なにがどう転ぶかわからないもんなー」
珍しく、矢崎くんは自信なさげだ。
「もう!
そういうときは嘘でも、『なにも問題ない。絶対上手くいくから吉報を待っとけ!』くらい言えばいいんだよ」
これは父からの受け売りだ。
初めての入試の朝、問題が解けなかったらどうしようと心配する私に、同じように言って父は頭をガシガシ撫でてくれた。
嘘でも自分にそう言い聞かせれば気持ちも落ち着いてミスも減り、ひいては成功に繋がる。
おかげでそのときは第一志望に受かったし、そのあともそれで全部乗り切ってきた。
このあいだのイベントのときももちろん、上司に明日はどうだと聞かれ、そう言って大見得を切った。
私にとっては今でも大事にしている、魔法の言葉だ。
「そうだな。
絶対に上手くいくから心配するな。
それで純華を家族に紹介して、結婚をオープンにするぞ!」
自信満々に彼が笑う。
うん、矢崎くんはやっぱり、こうでなきゃ。
でもこうやって、自分が彼との別れを確実にしていっているのは見ないフリをした。
食事のあと、コーヒーを淹れたカップをふたつ持って、矢崎くんがソファーにいる私の隣に座る。
どんなに忙しくてもこのコーヒータイムを彼は大事にしていたし、コーヒーを淹れるのだけは俺の仕事だと絶対に譲ってくれない。
「あの、さ」
「ん?」
コーヒーをひとくち飲んだ彼が、私を見る。
「これ、よかったら使って」
「え、なにこれ?」
私が差し出した小箱を、矢崎くんは戸惑いながら受け取った。
「純華から俺に、プレゼント?」
「そう」
「ヤバい、嬉しすぎる」
なぜか眼鏡から下を手で隠し、彼が視線を逸らす。
それで弦のかかる耳が、こちらを向く。
その耳は真っ赤になっていた。
……え。
もしかして、滅茶苦茶喜んでくれてる?
そう気づくと同時に、これが妻として彼への初めてのプレゼントなのだと思い至った。
「開けていいか?」
「えっ、あっ、……うん」
矢崎くんが照れに照れまくっているせいもあって、私までなぜか恥ずかしくなってくる。
「ネクタイ?」
「あっ、うん。
そう。
アクアマリンのタイピンにあうのがいいなって思って」
「めちゃめちゃ嬉しい」
彼の顔が近づいてきて、ちゅっと軽く唇が重なった。
「契約のとき、これ締めていくな」
「う、うん」
目尻が下がり、眼鏡の陰に笑いじわがのぞく。
私の大好きな、矢崎くんの笑顔。
それが見られて、私も嬉しかった。