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第17話

担当しているイベントが近づき、忙しくなっていく。


「……はぁーっ」


家で夕食を食べながら、大きなため息が落ちた。

ちなみに今日のメニューは冷食のハンバーグと家政婦さんの作り置きお惣菜、あとは矢崎くんが作ってくれたスープだ。


「どうした、そんなに大きなため息ついて」


苦笑いで矢崎くんが聞いてくる。


「チームの子が入院しちゃってさ……」


また私の口からはぁっと憂鬱なため息が漏れた。

足を折って入院したのは仕方ない。

しかし、その理由が階段を自転車で下っていてというのが解せない。


「『なんだかイケそうな気がしたんですよねー』って、小学生男子じゃあるまいし……」


再びため息が出る。

仕事の合間を縫って見舞いに行ったら彼は笑っていたが、笑い事ではない。

誰も巻き込まず、足一本で済んでよかった。

いくら酔っていても、やっていいことと悪いことがあるのだ。

そもそも自転車でも飲酒運転は禁止されている。

それも含めてこってり絞ってやったが。


「あー……。

それはちょっと、わかる、かも」


遠い目をしたあと、矢崎くんは笑って誤魔化してきた。


「えっ、ちょ、やめてよね!」


もしかして彼も、同じように自転車で階段下りがしたいのだろうか。

そんなバカな行動はしそうに見えないのだけれど。


「いや、しない、しないよ。

でも、酔ってるときってちょっと、童心に返るっていうか。

……だから。

イケそうな気はするけど、実行するほどバカじゃないって」


私に不審の目を向けられ、慌てて矢崎くんが否定してくる。

彼でもそんなことを考えるのだとちょっと意外だった。

でも本当に、実行はしないでいただきたい。


「まあ、怪我しちゃったもんは仕方ないけどさー。

人手が足りないんだよ……」


今回、うちの課では同日にイベントをふたつ抱えていた。

なんでそうなったのかって、もうひとつのイベントにトラブルが発生して延期になり、偶然重なってしまったのだ。

当然、課内の人間はふたつに分けられるわけで、いつもよりも人数が少ない。

なのに階段自転車下りなんてバカなことをやって足を折り、一人がリタイヤしてしまったのだ。


「うー、あー」


唸るばっかりでいい考えは出てこないし、食事も当然進まない。


「大変だな」


矢崎くんは完全に他人事だが、事実そうなんだから仕方ない。


「そうなんだよ」


それでなくても、もうひとつ重大な懸念案件を抱えているのだ。

これ以上、私を悩ませないでほしかった。


「じゃ、俺が手伝ってやろうか」


「は?」


なにを言っているのかわからなくて、まじまじと矢崎くんの顔を見る。


「いつもお世話になってるしな。

うちから数人、若いのも出してやるよ」


「え、ほんとに?」


それは渡りに船だが、本当にいいんだろうか。


「でも、上司の許可とか大丈夫なの?」


いくら彼がよくても、上の許可が取れなければ無理だ。


「んー、部長は俺のいうこと、なんでも許可してくれるぞ。

だから大丈夫だ」


「……は?」


なんでもないようにさらりと彼は言っているが、それはいくらなんでも上司としてはダメなのでは?


「え、矢崎くんが跡取りだと知ってて、好き勝手やらしてくれてる……」


「とかあるわけないだろ」


言い切らないうちに被せるように彼が否定してくる。


「デスヨネー」


あまりに自分の失礼具合に恐縮してしまい、もそもそとハンバーグを口へ運んだ。

それに矢崎くんが跡取りなのは身内しか知らないと言っていたし、営業部長は会長一族の人間ではないはずだ。


「それだけ俺が頑張って、信頼を勝ち取ったの。

だから部長はなんでも許可してくれる。

わかった?」


淡々と彼は語っているが、これは絶対に怒っている。

自分の軽率な発言を深く反省した。

矢崎くんは人一倍頑張っている。

それは近くにいる、私が一番わかっているはずなのに。

なにも考えず、あんなことを言ってしまった自分が嫌になる。


「わかった。

ごめん」


「いい。

それに純華は自分が悪いと思ったらすぐに謝るから、俺は好きだよ」


私と視線をあわせ、眼鏡の下で目尻を下げて彼がにっこりと笑う。

その顔に頬が熱を持っていった。


「ありがとう。

でも、本当に酷いことを言ったと思う。

ごめん」


「だから、そんなに謝らなくていいって」


「でも……」


私だったら自分の努力を否定するようなことを言われ、絶対に傷ついていた。

矢崎くんだって傷つくはずだ。

かといって一度口から出てしまったものを、取り消しはできないが。


「んー、そこまで言うならあとで、お詫びしてもらおうかなー?」


レンズの向こうできゅるんと、なにか企んでいるように矢崎くんの瞳が光る。


「う、うん」


それを見ながら、これも軽率な行為だったんじゃないかと後悔していた。


「それで。

きっと、部長から許可出るから心配しなくていい。

俺も手伝うし、うちから若いの何人か出すよ。

雑用係くらいできるだろ」


「うん、ありがとう」


素直にお礼を言う。

人手が増えるのは大助かりだ。


「そっちの上にも俺から話を通しとくし。

だから純華はイベントのことだけ考えとけ」


「あいたっ」


身を乗り出してきた彼が、軽く私の額を弾く。

痛む額を押さえながら、プライベートだけじゃなく仕事も支えてくれるなんて、矢崎くんはスーパー旦那様だな、なんてバカなことを考えていた。

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