週末の土曜日は頑張って早く起きた。
矢崎くんを起こさないようにベッドを抜け出し、コーヒーを淹れてダイニングテーブルでパソコンを広げる。
「おはよう、もう起きてたのか」
「おはよー」
二時間ほど経った頃、矢崎くんが欠伸をしながら寝室から出てきた。
「仕事?」
「そう」
後ろからパソコンをのぞき込みながら、彼の手が肩にのる。
見上げると、唇が重なった。
「持ち帰りで?」
「あー、そろそろ残業時間ヤバくて……」
気まずさを笑って誤魔化し、それでも目を逸らす。
月末になり、これ以上の残業はレッドゾーンに入ってきた。
会社での仕事がマズいとなれば、こっそり持ち帰ってやるしかないのだ。
「そういうの、会社的にはダメなんだぞ、知ってるか?」
眼鏡の下で矢崎くんの眉間にふかーい皺が刻まれる。
「し、知ってるけど……」
視線が定まらず、あちこちへと向く。
ただの同期に責められているならまだしも、相手は次期経営者なのだ。
未来の上役に責められるのはさすがに堪える。
「で、でも、イベント来月、だし。
それが終わったら少しは落ち着くと……思う」
根拠のない言い訳でしかないので、やましさ満点でしどろもどろになってしまう。
「ふぅん」
私を見下ろす、矢崎くんの目は冷たい。
絶対、怒っている。
「まあ、会長に問題提起して、その頃までには純華の仕事が楽になるようにするけどな」
はぁっと諦めるように小さくため息をつき、彼は私の頭を軽くぽんぽんした。
もしかして、慰められている?
「朝食食べたら手伝ってやる。
んで、なに食べたい?」
にかっと笑い、矢崎くんが私の顔をのぞき込む。
「えっ、私が作るよ!」
この一週間、毎日矢崎くんが朝食を作ってくれた。
それだけじゃない、夕食もほとんど彼で、申し訳ない。
といっても、家政婦さんの作り置きと冷食ストックが主だけれど。
「俺が作ったほうが純華は仕事ができて、俺は純華とゆっくり過ごす時間がその分できるからいいの。
ほら、なに食べたい?」
「……なんでもいい」
「なんでもいいが一番困るんだけどなー。
とりあえず、顔洗ってくるわー」
髭が気になるのか、顎を触りながら彼はリビングを出ていった。
……矢崎くんには敵わないな。
私は忙しいからと、甘やかせてくれる。
それが嬉しくもあり、心苦しくもあった。
なにか、お返しできるといいんだけれど。
ちなみに彼は、寝起きでもどこに髭が生えているのかわからない。
洗顔を済ませて戻ってきた矢崎くんは、キッチンでごそごそはじめた。
そのうち、いい匂いが漂ってきだす。
「もうできるからいったん片付けろー」
「はーい」
慌ててパソコンをスリープにし、書類一式と一緒にリビングのテーブルへと移動させた。
「ほい、おまたせ」
彼がテーブルの上に並べていったのは、フレンチトースト?
生クリームとフルーツがたっぷりのせてある。
「どうしたの?」
いつも、朝食は和食なのだ。
なのに急に、こんなお洒落なのが出てきて戸惑った。
「んー、休みの日くらいいいんじゃない?
朝早くから仕事してる純華にご褒美」
「……あ、ありがとう」
眼鏡の奥で矢崎くんが器用に片目をつぶって見せ、ほのかに頬が熱くなった。
「何時からやってたんだ?」
「んー、六時から?」
時刻はそろそろ九時になろうとしている。
おかげでかなり、進んだけれど。
「そんなに早くからやらないと終わらないほど、ヤバいのか?」
ナイフとフォークを止め、心配そうに矢崎くんが私の顔をのぞき込む。
「あ、いや。
午前中で済ませられたら、午後から出かけられるかなー、って。
矢崎くん、指環見に行きたいとか、不動産屋さんに行きたいとか言ってたから……」
後半はなんか恥ずかしくて、ごにょごにょと口の中にとどまってしまう。
「可愛いなー、純華は」
ふにゃんと嬉しそうに、矢崎くんが笑う。
この顔を見るだけで私も嬉しくなっちゃうのはなんでだろう。
「不動産屋と指環は予約入れてないからダメだけどな」
「あっ、そうなんだ」
苦笑いで彼が私を見る。
せっかく早起きしたのにちょっと残念。
「でも、せっかく純華が時間作ってくれたんだし、映画でも観に行くか」
「そうだねー」
よく考えたらこれが、初めてのデートになるのかな。
そんなことを考えたら、なんか急に緊張してきた……。
片付けも矢崎くんがしてくれ、そのあいだに仕事を再開する。
「今日仕事終わらせたら、明日は完全に休みなんだよなー?」
「そーだけど」
視線を向けたら彼は、携帯片手になにやらやっていた。
「じゃあ、明日、不動産屋に予約入れられないか聞いてみて、ダメ元で指環のほうも聞いてみるよ」
「え、そんな無理しなくていいよ」
「俺が。
早くしたいの。
……あ、矢崎と申しますが担当の……」
もうすでに矢崎くんは電話をかけていて、苦笑いしてしまう。
そんなに楽しみなんだ。
だったら早めに予定、教えておけばよかったな。
「不動産屋は明日、宝飾店は今日の夕方予約取れた」
「わかった、じゃあ早く仕事、終わらせないとね」
「だな」
持ってきたパソコンを矢崎くんが向かいあって広げる。
なんか家で、こうやって一緒に仕事をしているなんて変な気分。
でも、なんかいいな。
矢崎くんのおかげもあって、思ったよりも早く仕事は片付いた。
「じゃあ、着替えて準備するねー」
「俺も着替えるなー」
服を選びながらふと思う。
……この地味服ではマズいのでは?
今まで矢崎くんと会うのは仕事の日で、休日はなかった。
しかも今日は、デートなのだ。
なのにデニムパンツとカットソーとか許されるはずがない。
しかしそれしか持ってきていないわけで。
かといって一度マンションに寄ってもらったところで、似たり寄ったりの服しかない。
「……はぁーっ」
「どうした?」
ウォークインクローゼットで暗鬱なため息をついた私に、先に服を選び終わっていた矢崎くんが心配そうに声をかけてくる。
「あ、いや」
服がないなんて言えず、慌てて笑って取り繕う。
……これは今後の課題ってことで。
あ、今日できたら、矢崎くんと一緒に選ぶとかもありかな。
彼の好みもわかるしね。
諦めていつもどおりの服にし、メイクも済ませてしまう。
髪はひっつめお団子ではなくひとつ結びにしたけれど、全体的にいつもの会社スタイルと大差ない。
「準備できたかー?」
「あー、うん」
矢崎くんは白のチノパンにボーダーのカットソー、それに紺のジャケットを羽織っていた。
シンプルだけれどスタイルがいいからそれだけで格好いい。
なんかそれが、羨ましかった。