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第11話

 一行は都市を南下する。賑わっていた広場から都市の大通り、やがてひと気のない南の通りへと向かっていく。

 都市を運行する乗合馬車に揺られながら数時間、辿りついたのは寂れた南通りだ。石畳の路上を荷車や馬車がのろのろと行きかい、夕日の寂寞とした光に染まっている。ここまでくると人通りはほぼなかった。魔の森に近づいているというわけか。

 時刻は宵の口を過ぎていた。紫紺の闇が周囲に漂い、空には白い月が浮かんでいた。風が鋭くマチルダの肌を切っていく。春先とはいえ、ワンピースに薄布一枚では肌寒い。

 四人はとりあえず宿をとることにした。夜に行動するのは危険だと踏んでのことだ。


「――やっと見つけたぞぉ!」


 男のだみ声が響いたのはそのときだった。次いで四人を素早く囲む無数の影が現れる。よく見なくても賊の連中だとわかった。中には悪魔の館で対峙した男たちも混じっているではないか。まさかつけられていたというのか? その数、約十。

 緊迫した空気が一気に場を満たした。


「あのときの汚名、雪いでやる!」

「さがっておれ。メテ、マチルダ殿」


 タキザワがふたりの前に立ち塞ぎ、あわせてゼアが帯剣を抜き放つ。賊の者たちが武器を手に四人へとにじり寄ってきた。タキザワとゼアのふたりとはいえ、相手の数が多い。マチルダは鋭く息をのみこみ、周囲を見回した。


「あの男の餌にしてやるからなァ……!」


 男の怨嗟の声が響いた。その声を皮切りに男たちがいっせいに肉薄する。考えている猶予はなかった。鞄から短刀を取りだしたマチルダはせめてもと手に握りしめるが、突っこんできた男がその腕を容易く払った。


「マチルダ!」


 短刀が中空を舞い、地面に甲高い音を立てて落ちる。

 ゼアがとっさに割りこんでいた。彼の剣が男を斜めに切り裂く。だが、別の男たちが怒涛のごとく後ろから飛びかかってきた。多勢に無勢だ。

 衝撃に弾かれたマチルダは顔を強ばらせる。視界の端ではタキザワが体術で応戦しているのが見え、メテが慌ててマチルダに駆け寄る。


「マチルダさん、大丈夫!?」

「メテよ、彼女を連れて逃げよ!」


 タキザワが叫び、少女はうなずいてマチルダの手を引く。マチルダとメテはその場から駆けだした。後ろを賊の男が数人ほど追いかけてくる。


「待てぇ!」


 捕まるわけにはいかなかった。どんな目に遭うかわかったものではない。だが、ふたりが逃げた先は森に続いており、鬱蒼とした樹々が視界に広がってくる。

 魔の森だ。

 道は徐々に細く消えていき、かわりに雑草が生い茂るあい路になっていく。それでも先人がつくったらしき道の痕跡はまだ残っていて、マチルダはメテに手を引かれながら駆ける。

 石や木の根に躓きつつふたりは後ろを見やる。後続に賊が迫っていた。各々が得物を振り回しながら怒号を飛ばしている。その距離は少しずつ縮まりつつある。

 このままでは追いつかれる。追いつかれてしまえば最後だ。

 マチルダは唇を噛む。

 あたりは宵闇が漂いすでに暗くなっていた。光源はない。冷たい夜の空気に濃厚な草木の匂いが鼻腔を刺してくる。まわりからはざらざらと葉擦れの音が響いていた。

 そのとき、足がもつれたマチルダはその場に倒れこんだ。メテが慌てて立ちどまる。マチルダは痛む身体を堪えて顔をあげ、少女に叫んだ。


「先に行って! ……逃げてッ!」

「で、でもっ」


 ためらうメテだが、後ろを駆けてくる賊に身体をこわばらせた。捕まるのはもう時間の問題だ。ふたりとも捕まるくらいなら少女だけでも逃がしたい。マチルダは強くうなずく。

 メテは駆けだした。その小さい背を一瞥し、マチルダはなんとか足に力をこめて立ちあがった。同時に賊の男たちが下卑た笑みを浮かべて近づいてくる。


「もう無駄だぞ。おとなしくしなぁ」


 その瞬間、みぞおちに重い衝撃が走った。呼吸がとまり、視界が暗転する。マチルダは身体から力が抜けるのを感じる。倒れこんだ彼女に男たちが唾を飛ばした。


「や、やめ……て!」

「やめるわけねえだろお! ここまでコケにされてよ! なぶり殺してやる」


 男のひとりがマチルダの肩を鷲掴みにして動きを封じようとする。

 彼女はその手に思いきり噛みついていた。


「いてぇ!」


 男が手を押さえて怯む。すると、横からマチルダの顔面に衝撃が走った。目の奥に赤く光が走る。痛みに力が抜けていき、マチルダは再びその場に倒れ伏した。


「こざかしい! 抵抗してんなよ、このアマ!」

「くッ……!」


 こんなところで終わるのか、わたしは。

 赤石を取り戻してもいないのに。アーグに会えてすらいないのに。なにも……なにも成し遂げることもできず、ここで終わるのか。

 絶望に呼吸すらできなくなった、その刹那。

 迫っていた男が勢いよく後ろへ吹き飛んだのだ。


「大丈夫か?」


 マチルダの背後から声がかかった。驚いてとっさに振り返ると、ひとり青年が立っていた。

 彼女が目を見張るのも構わず青年は前方に迫る男たちを一瞥した。わずかに肩をすくめる仕草をしたあと、青年が静かに手を振り払う。

 ゆるい風が地面をなでた、気がした。

 男たちの身体が、まるで馬車にはねられたように四方に吹き飛んでいた。


「ぐがあっ……な……」


 なにが起きているのかマチルダには理解できなかった。青年は丸腰だし、男たちに接触もしていない。それなのに不可視の衝撃は彼らを捉え、一瞬にして蹴散らした。

 地面に倒れ伏した男たちはピクリともしなくなっていた。どうやら気絶しているようだ。

 マチルダが青年を見あげると、青年はマチルダの前に屈みこんできた。身体の様子を見るなり安堵の息を吐く。


「怪我はしていないようだな。よかったよ。立てるか?」


 冷静に青年は言ってから、マチルダの手を取り、ゆっくりと立たせた。マチルダはそろそろと青年を見やる。暗がりの中でも紫がかった青の瞳の輝きだけが印象的な青年だ。歳は二十代の半ばから後半に見える。中背の均整がとれた立ち姿で、白い外套を身に纏っている。襟足までのさらりとした黒髪が夜風になびいていた。暗闇の中でも肌の白さがわかる。まるで精緻な人形のようにも思えた。


「あ、あなたは……?」

「ああ、突然ですまない。最近、森に不穏な気配が漂っていてね。こうして日ごろから巡回しているんだ。それで、つい先ほどメテと会ってな。君のことを聞いて飛んできたんだ」

「あ、そうです。メテ。メテは――」

「案ずることはないよ。彼女は大丈夫だ。村に戻れと言ってあるからね。とりあえず、少し落ちつきなさい」


 混乱していることを自覚してマチルダは気恥ずかしくなった。青年に背を向けて深呼吸をする。改めて周辺の景色が目に入ってきた。迫るような濃密な緑に妙な既視感を覚える。


 わたしは、ここにきたことがある――


「……どうした?」


 思索に沈みそうになるのを青年の声が遮る。マチルダはハッとして首を振った。


「い、いえ! なんでもありません。あの、助けていただきありがとうございました。その、連れが――仲間がいて、今も賊に襲われているかもしれなくて」

「それは大変だな。すぐに向かおう」


 マチルダは周辺を見やった。必死だったせいでどこからここまできたのかわからない。途方に暮れる彼女のそばで、青年が考えるように顎を撫でた。


「実はな、不穏な気配の出所はなんとなくだがわかっているんだ。もしかしたらそこに君の連れもいるかもしれない。行ってみよう」

「気配……ええと、あなたはいったい」


 先ほどから思っていたが不思議な雰囲気を持つ青年だ。淡々とした口調と態度はなんだか調子が狂うし、いやに冷静すぎる。

 青年はふと口もとをほころばせた。


「私はデュファという。君は……マチルダ。そうだろう?」




 マチルダは目を丸くし、思わず口をポカンとさせる。


「デュファ……? ど、どうしてわたしの名前を?」

「知っているさ。君はウォーデルの孫娘だろう。ウォーデルとはかつて友人だったからな。懐かしいよ」


 なんでもないというふうにデュファと名乗った青年が言った。マチルダは思考が追いつかない。目線をさ迷わせたあと、おそるおそる青年を見やる。


「えっと……本当に、あの賢者デュファさまですか?」

「まあ、そう呼ぶ者もいるのかな」


 彼は軽く苦笑する。その様子に嘘をついているような不自然さはない。本当にデュファなのか。あの、六十年前の戦いで活躍した、三英雄のひとりである賢者。


「こんな姿では信じられないかもしれないが」


 デュファは着ている衣服の襟をつまんでみせる。確かに、にわかには信じられない。見た目は完全に青年の風貌だし、とても六十年前に生きていた人物には見えない。それでもマチルダに疑う気持ちはわかなかった。暗がりの中で浮かびあがる、切れ長な紫紺の瞳。どこか茫洋としたその眼差しは遠い記憶を思い起こさせるようだ。どこかから懐かしい祖父の声が聞こえるような気さえした。


「……いえ、信じます」

「ああ。では、こちらだ。行こう」

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