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第10話

 ――首都ティアリアス。

 大陸の西南に位置する大都市だ。中東の町々と違い、どの宗教にも縛られぬ自由な立ち位置はさまざまな地域の人間を呼び寄せていた。この都市では宗教などないに等しい。かつては首都にまで広まっていたオーエン教も今では下火となっている。

 妖精との戦いのあとに魔力が消え去り、修道士たちが使っていた治癒術も失われた。かわりに医術が発達し、オーエン教は急速に規模を縮小させたのだ。ティアリアスにある寺院は中央広場にひとつだけ。タガやほかの中東領地から修道士が派遣されているものの、雑多な町の人間が入り混じるこの都市はもはや宗教に関心がないといってもいい。

 中央広場の光景がマチルダの視界いっぱいに広がっていた。膨れあがるような喧騒と陽気な音楽が一気に耳へ届いてくる。広場は大勢の人々で賑わっていた。

 小さな村なら収まってしまうほどの広場は至るところに人が集まっている。音楽隊や大道芸人たちがショーを披露していた。本当にいろいろな領地から人が集まってくるらしく、マチルダは思わず目を見張った。軒を連ねる屋台も、今こそ商売時といった様子で名産品を声高に売りつけている。燻製された肉や魚の匂い、甘い果物の香りが漂ってきた。

 雲もなく澄みきった空の下、あちこちから紙吹雪が舞い、ラッパが高く鳴り響いている。

 そのただなかを歩く一行。

 広場中央にある大噴水には、たくさんの人々が集まって涼んでいた。水が飛沫をあげて陽光に輝いている。春の日差しが石畳を照りつけていた。


「まあ! なんだかすごいわね!」

「え、今日はお祭りなの? 楽しそう!」


 あたりを見回しながらマチルダとメテは舌を巻いた。

 肩に羽織った薄布を握りしめ、マチルダは前を行くゼアに続いてそろそろと歩く。気をつけていないと人とぶつかってしまうかもしれない。緊張の面持ちを浮かべる彼女とは対照的に、ゼアはぶっきらぼうに言った。


「今日は祝祭日だからな」

「へえ、こんなに賑わうのね。タガでは考えられないわ」

「タガ? ……マチルダ殿はタガの出身なのか」

「はい。普段はタガの寺院に勤めています。今はこうして旅をしていますけれど」


 タキザワの問いに答えながら、マチルダはふと表情を曇らせた。

 タガを思うと胸の奥に翳りが生まれる。今、タガはどうなっているだろう。マチルダが姿を消し、その付き人もいなくなったことで発生した混乱は落ちついているだろうか。帰るわけにはいかなかった。この数年、タガでじっとアーグの帰りを待っていた。今となっては、もっと早くタガをでて彼を捜しに行けばよかったとさえ思う。彼を真に想うのならば。その気持ちには抗えない。たとえ、修道女としての振る舞いに背いているとしても。

 修道女である以前に、人を想うひとりの人間なのだから。

 マチルダに向けてタキザワは首をひねる。


「タガとはオーエン教発祥の地ですな。まさかとは思っていたが、あなたはウォーデルさまの?」

「ウォーデルはわたしの祖父です。タキザワさんは祖父をご存じなのですね」

「そうか。ウォーデルさまの孫娘で在らせられたか」


 どこかしみじみとするタキザワの態度である。マチルダを見る鋭い瞳の奥に、どこか懐かしむような光が帯びる。彼女は首をかしげた。


「タキザワさん? どうしたのですか?」

「ああ、いやいや。気にしないでくれ。それにしても、だ。メテ! 待たんか! 勝手に動くでないぞ! はぐれてしまうだろう?」

「みんな~! これ、めっちゃ美味しそうだよ!」


 遠くの屋台にメテの姿が見えた。こちらに向かって無邪気に手を振っている。

 そういえばタガにはろくな娯楽がない。たまに旅芸人の一座がやってきたり、キャラバンによるバザーが開かれたりするくらいだ。

 手招きするメテのもとに向かう一行。鉢巻きをした男が鉄網の上でなにかを焼いている。

 あがる煙と燻製の香りに、マチルダはつい覗きこんだ。


「あら。これはなにかしら?」

「お嬢ちゃん! お目が高いねぇ! 今、ティアリアスで流行りの串焼きだよ」

「まあ、おいしそうね。ええと?」

「買おう買おう! ね、ゼア。いいよね?」


 メテにつつかれたゼアがうっとうしそうに鼻を鳴らす。


「……おい、俺は払わんぞ」

「え~ケチ! 根暗男!」


 網の上にいくつも転がっているのは、串に肉とパンを交互に挟んで刺した珍しい食べ物だった。売り子の鉢巻き男はマチルダにすかさず怒涛の売りこみを始める。肉は北のシデッサ産高級羊肉だとか、パンは焼きたての自家製だとかだ。

 その気迫に押されて、マチルダはいつの間にか串焼きを手にしているのだった。となりでしかめ面を浮かべるゼアに一本を渡す。


「はい、これ。あなたのぶんよ」

「いや、俺は別に……」

「せっかく買ったんだもの。よかったら食べてよ」


 マチルダは言ってから串焼きを口に含む。ひとくち齧ると肉汁が溢れ、顎を伝いそうになった。慌てて顔をあげるマチルダに、となりを歩くゼアは息をついていた。

 一行は串焼きを手に通りを南へと歩いていく。


「ふふ。なんだか、こうしてると昔を思いだすわ。昔、アーグと三人で食べ歩きをしたことがあったわよね。ほら、タガにやってきたキャラバンのバザーで」

「……そんなこともあったか」

「懐かしいわね。あのころに戻れたらなあ」


 マチルダは不意に口を閉ざした。これ以上は今、言うべき言葉ではないだろう。感傷に浸っている場合ではない。慌てて首を振り、残りの肉を頬張った。

 そんな中、道から少し離れた小広場に即席の舞台があった。その前には多くの観客が立っている。舞台上を動くのは役者だろう男たちだ。どうやら演劇をやっているらしい。


「不浄を振り払え! 妖精を滅ぼし、人の大地に蔓延する不浄を振り払え!」


 役者の男は偽物の剣を高々と掲げ、相対する者たちに切っ先を向けていた。彼と敵対する大勢の者がうなり声をあげて襲いかかる。


「あら? あれは戦いの劇かしら?」

「へえ、大々的だね。妖精がどうとか……見に行く?」

「おい、マチルダ」


 咎めるようなゼアの声にマチルダはハッと我に返った。

 顔がみるみるうちに熱くなる。


「ごめんなさい。わたしってば。初めてのお祭りで、ついつい」


 油を売っている場合ではないだろう。ちらりと舞台を見ると劇は佳境に入っているらしく盛りあがっていた。妖精という単語が役者からでていたが、妖精と人間の戦いの物語なのだろうか? 観客席からは高い声があがっている。


「三英雄、やっぱり素敵ね!」

「賢者デュファさまぁ!」


 三英雄。かの戦いで活躍したとされる者たちの総称だ。舞台の上で剣を手に果敢に敵へ立ち向かうのが剣士アルヴェル。魔法を操り、敵をなぎ倒す賢者デュファ。その後ろで戦士たちの傷を癒やす司祭ウォーデル。

 マチルダは首を振ると、劇から目を離してメテを見る。


「メテ、赤石の……いえ、魔封じの石の気配はどうなっているの? 強くなったりとか、弱くなったりとかはある?」

「うーん、それがねえ。もっと南のほうに気配がするかもしれない。もしかして、魔の森?」

「なんと!」


 タキザワが目を見張る。


「まさか、我らの村の近くにきておるのか?」


 魔の森。人の寄りつかぬ土地として知られているものの、タキザワとメテの住む村があるという話だったか。

 マチルダは顎に手を当てる。


「魔の森に魔封じの石がある可能性が……黒鴉の男がいる可能性があるのね」

「かもしれないね。どうするの?」

「もちろん魔の森に行くわ。たったひとつの手がかりだもの」

「決まりであるな。では、魔の森へ向かおう。森は都市を南下した先にあるゆえ」


 タキザワが先行して通りを歩いていく。それに倣うメテに続き、マチルダが歩きだそうとしたとき。


「きゃあ!」


 向かいからくる人に気づかず、マチルダは思いきり肩をぶつけてしまう。

 次いで足がもつれて体勢を崩した。よろけて倒れそうになる彼女をとっさに支えたのはゼアだった。抱き留められたマチルダはなんとか姿勢をもとに戻すと、苦し紛れに笑ってみせる。


「あ、ありがとう。だめね、こういう場所って慣れなくて」

「……気をつけろ」


 彼はすぐにそっぽを向いた。

 素っ気ない態度はマチルダの胸を妙にざわめかせた。なぜだろう。いつものことなのに。彼女は唇を噛み、先を行く彼の背を見てふと口走る。


「ごめんなさい、ゼア。やっぱりあなたは、わたしなんかに付き従う必要なんてないのよ」

「なんだと?」


 囁きは聞こえていたらしい。振り返ったゼアが眉根を寄せる。


「……戻ったっていいのよ。これ以上、あなたに迷惑をかけたくはないし」

「それは」


 ゼアはふと唇を忌々しげにゆがめた。


「それは俺を信用してないから、そんなふうに言うのか」

「……え?」

「俺はそんなに信用がないのか」

「いえ、違う。違うわ! ただ、わたしはあなたが――」

「俺はお前の付き人だ。それだけの話だ」


 ゼアは向き直り、今度こそにべもなくさっさと歩いていく。立ちどまったマチルダに先を行っていたタキザワが声をかけた。


「マチルダ殿、なにをしておる? 早くしないと日が暮れるぞ」

「は、はい」


 内心もやもやするものを抱えながら、マチルダは小走りであとを追った。

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