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第9話

 ――翌日。例の酒場で四人はテーブルを囲んでいた。テーブルの上にはパンやハム、野菜サラダやグラタン、シチューの皿が並んでおり、少女は目を輝かせてそれらをフォークでつついている。思いきり頬張ってはもぐもぐと大きく咀嚼していた。それをとなりで見ているのは巨躯の老人だ。向かいあって座るマチルダとゼアは、少女の食欲にただ圧倒されていた。


「メテ。食べすぎではないか?」

「だってだって、美味しいんだもん! これもあれも! ん~、たまらない!」


 グラタンを口に含みながらメテは言った。

 酒場はまだ朝とあって静かだ。客もまばらである。だからか、少女の立てる食事の音だけがいやに耳に響く。遠くのカウンター席でグラス拭きをする主人が、こちらの席を見て苦笑を浮かべていた。

 ゼアが腕を組みながら胡乱げにメテを一瞥する。


「おい。これは誰が払うんだ」

「わ、わたしがなんとかしたいけど……手持ちが」


 鞄の中の財布を見て困り顔をするマチルダ。まさかこんなに食事を頼まれるとは思っていなかった。これでは少ない旅費がなくなってしまう。


「おい、お前。訊くが、金はあるのか?」

「ないよ。盗られたもん」

「あのな……文無しが頼む量じゃないだろう。いい加減にしろ」

「だってずっと囚われてたんだよ、こっちは! お腹だって空くじゃんね」

「子どもが食べる量じゃない。わきまえろ」


 ゼアがぶっきらぼうに言うと、メテはふくれっ面を浮かべた。


「なにさ~! いいじゃんケチ! なんか君、愛想もないし、顔怖いし、モテなさそう~」

「……なんだと?」

「ま、まあまあ。落ちついて、ゼア」

「大丈夫だ。わしが払おう。少しなら持っておるからな」


 冷静に言うタキザワにメテはポコポコと叩く仕草をした。


「え~! それ先に言ってよ。無駄なケンカしちゃったじゃん!」

「それで……あの。本題に入りたいのですが」


 マチルダは改まって軽く咳払いをする。

 そう。こちらは話があるのだ。聞かなければならないことは多い。このまま大食漢の少女を見守っているわけにはいかない。

 タキザワもうなずいた。


「うむ、そうだな。なにから話そうか」

「まず赤石についてです。黒鴉の男が、あれは『鍵』と言っていました。その言葉がなにを意味するのかわたしにはわからない。でも、なんとかして取り戻したいんです」


 アーグとの唯一のつながり、その架け橋を。

 少女はシチューをすくう手をとめ、顔をあげてとなりのタキザワを見る。


「タキザワ。やっぱりマチルダさんが取り戻そうとしてる赤石と、アタシたちが探してる赤石は同じものじゃないのかな?」

「そうだな。赤石は鍵。そう『例え』てもよいのかもしれん」

「どういう……ことです?」

「大陸から魔力が消失した顛末を知っているか?」


 妖精と人間が争い、その後に妖精とともに消滅したという魔力。大陸では精霊がくだした『罰』というのが一般的な認識だ。

 タキザワは太い首を振り、眼光鋭く言い放つ。


「実際は違う。実際は、とある者たちによって封じられたのだ。赤石の中にな」

「え!? 赤石に、魔力を封じた?」

「うむ。その赤石が主の持っていたというものである可能性が否定できぬ」

「ええと……」


 にわかには信じられない。それは現在に伝わる歴史への否定である。だがタキザワが嘘を言っているようには見えない。老人はハッキリと言ったのだ。


 大陸の魔力が赤石に封じられている――?


 一見するとあの赤石は高級そうだがなんの変哲もない宝石に見えた。だが、タキザワの言うことが事実なら納得がいく。黒鴉の男が赤石を狙った理由がわかる。奴は赤石に封じられた魔力を狙ったのだと。

 疑問は残る。第一、赤石はもともとアーグが持っていて、かつてマチルダに渡したものだった。彼はいったい赤石をどこから手に入れたのか? そういえば聞いたことがなかった。

 アーグ。三年前、突然、消えた大切な人。アーグはなにか知っているのだろうか?


「赤石が――いや『魔封じの石』が敵に渡った以上、看過はできぬ。あれにはさらに厳重な封印がかけられているが、万が一封印が解かれれば……大陸中に魔力が蔓延するかもしれぬ。今の大気に慣れた人間たちにとっては魔力はきっと毒となる。それは避けねばならん」

「つまりね」


 グラタンを咀嚼しながらあっけらかんとした態度でメテが続ける。


「つまり、マチルダさんたちと同じく、アタシたちも魔封じの石を見つけたいの。そしてもとあった場所に戻したいんだ」

「もとあった場所?」

「うむ。守り人の村にな。そこは我々の住む村。かつて村に魔封じの石を安置していたのだ」

「その村は、いったい」

「……そうだな。主らには、言わねばなるまい。我らの村は魔の森にある」

「えっ? 魔の森――!?」


 思わず驚き、頓狂な声がでてマチルダはとっさに口を押さえた。

 魔の森。大陸の南端を東西に覆いつくす深き樹海のことだ。昔は森をさらに南下した先に妖精の住む土地が広がっていたという。戦いのあと、妖精は南の大地ごとその存在を消したとされる。それは周知の事実である。魔力の喪失と、時を同じくしてのことだ。

 妖精が大地ごと消えたというのはにわかには信じられない。果たして本当なのかどうかもわからない。戦い以後、魔の森に近づく人間もおらず実際は不明だという。森には今も強い魔力が残っているらしく、空気に触れただけで狂ってしまうとか。

 それよりも。


「えっと。魔の森は人が滅多に立ち入らない場所のはずですよね。そこに村があるのですか? あなたたちは、いったい」

「我らは妖精よ」


 軽い口調で言うタキザワにマチルダは思わず目を瞬かせる。


「よ、妖精……? あなたたちが?」

「うむ。そうだ。我ら妖精が人間と戦い、大地ごと異次元に消えたのはまだ記憶に新しい。あれから六十年が経つのか」


 マチルダは沈黙した。目前にいるのは屈強な体躯の、いかにも武人然とした老人である。少女のほうはともかく、なんだか想像していた妖精とは違うのだが。妖精といえば羽が生えていて、小さい女性の姿をしているものとばかり思っていた。

 それはあえて言うまい。

 妖精。会うのは初めてだが知識としては知っていることもある。人間とは比べ物にならないほどの魔力を見に宿し、魔法を扱う種族。長命であるとも言われる。

 となりのゼアが目を眇めてマチルダを見る。


「……マチルダ。あまり鵜呑みにするな」

「で、でも」

「ははは、確かに信じられまいな。しかし、我らが嘘をつく理由もない。それどころかここで妖精だと吹聴されれば、面倒なことになるだろうて」


 つまり、相手も危険を承知の上で身の上を話しているということか。

 ゼアが老人へ鋭い眼光を向ける。


「俺は詳しい話を知らん。興味もない。だが、こちらを騙すつもりなら容赦しない」

「物騒だよね~、眉間しわくちゃ兄ちゃんは」

「な……子どもだと思って調子に乗るな、斬るぞ」

「怒った怒った~! や~い!」


 わかりやすく揶揄する少女メテ。タキザワが苦笑する。


「メテは主が気に入ったようだの。まあ、よい。我らが信じられなくば、証拠を見せてもよいが?」

「いえ、いいのです。あなたたちを疑ってはいませんから。驚きはしましたけれど」

「そうか。それはよかった」


 マチルダは表情を引き締める。


「わたしたちは引き続き黒鴉の男を追おうと思います」


 といっても、これといった手がかりはない。これからどうするか……マチルダが思案していると、タキザワがとなりに座るメテを見やった。


「赤石の――魔封じの石のありかだが、メテよ。もうこの周辺には気配を感じないか?」

「うん。周辺からは気配が消えてる。もうどっか遠いところに行ったみたい」

「ええと、気配? 石の気配がわかるのですか?」


 マチルダは目を見張る。メテは曖昧にうなずいた。


「気配というか、石のまわりから漏れでる魔力の残滓を探知してるの。アタシたち、こうやって魔力を辿りながら旅をしてたんだ。といっても、残滓だからすごく微細で、範囲も広くておおざっぱで、弱い波動なんだけど……」

「それでもメテはまだわしよりは内に秘めた魔力が強くてな。魔力の感知もわしよりは鋭い。わしは……見ての通り、妖精の中でも魔力がてんで弱くてな」

「なんとなくわかるな」


 茶々を入れるゼアにメテは苦笑しつつ続ける。


「ここら辺にきたのも、魔封じの石の魔力を感じたからなんだけど……もう、消えてるっぽい」

「メテ。石が今はどこにあるのか、わかるのかしら?」

「そう、だねえ……やってみる」


 メテは意識を集中させるように目を閉じた。そのまま数分の時が流れる。

 やがて、まぶたを持ちあげた少女は顎を掻いた。


「うーん。西? 南かな? そこら辺に気配がするかも」

「西……で南というと、もしかしてティアリアスかしら?」


 ティアリアスは大陸の西南に位置する大都市だ。中東の町からは早馬でも七日はかかる距離にある。マチルダも数回ほどしか訪れたことがなかった。


「ごめんね。かなりぼやけてるけど、たぶんそこらへんだと思うな~」

「わかったわ。手がかりをありがとうございます。とりあえずティアリアスへ行ってみましょうか」

「……信じるのか?」


 ゼアが途端に渋い顔をする。


「うん。だって、ほかに手はないわ。もし可能性があるのなら、どこでも行く覚悟よ」

「……そうか」


 彼はそれ以上なにも言わずむっつりと押し黙った。その様子にマチルダは唇を噛みしめる。

 ゼアに多大な迷惑をかけているのはわかっている。付き人という立場が彼を縛っていると思うと、胸が痛んだ。だが、自分の想いには抗えない。

 メテは軽く手を叩いた。


「アタシたちも行くよ。よかったらご一緒していい?」

「それがいいな。わしは格闘術に関しては腕に覚えがある。いざというときには護衛としてメテともども守ろうぞ」


 張った胸を叩きながら意気揚々とタキザワが言うのだった。

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