タキザワと少女を伴って、マチルダはゼアとベチレの町に戻ってきていた。
日はすっかり暮れ、あたりは青い闇に包まれている。通りに点在する照明灯が弱々しい光を放っていた。閑散とした町並みにひと気はすでになく、肌寒く乾燥した風だけがマチルダの長い髪をさらっていく。
まるで食い荒らされたような、凄惨な死の光景――その景色が、マチルダの脳裏に焼きついて離れない。彼女は襲ってくる寒気に腕をさする。思いだすと震えが走った。それに殺しあいを経験したのはあれが初めてだった。今まではタガで祈るだけの平穏な日々を過ごしていたのだから。消え去ったアーグの存在に苦悩しながらも、平和な世界で、ぬるま湯につかって生きていたのだ。黒鴉を追うという目的は、命の危険が伴うという事実に戦慄する。
マリカの言葉が脳裏をよぎった。
『あんたひとりじゃあ、こいつら雑魚相手にもなーんにもできないくせにね』
それでも、赤石を諦めるわけにはいかない。
強く決意を固めながら、彼女はゼアや老人、少女らとともに町の通りを歩く。昼間に訪れていた酒場の前で自然、足がとまった。
「いやあ、メテが見つかって本当によかった。助かったぞ。改めて、礼を言おうぞ」
「ほんとだね! さすがに死ぬかと思ったもん。ほんとにありがと~!」
「……なぜ、あんな場所に囚われていた?」
ゼアがぶしつけに少女メテを見やる。マチルダも改めてふたりに視線を向けた。
少女は華奢な身体にワンピースを纏った十歳くらいの女の子だ。顔を縁どる黒い髪が動きにあわせてくるくると揺れるのが愛らしい。ドングリのようにまん丸い瞳が特徴的だ。
凹凸のある親子は、ゼアのあからさまな目線にも気後れせずに言うのだった。
「探しものがあってな。それで各地を回っていたのだが、その最中にはぐれてしまったのだ。まさか、メテがあのような悪漢に捕まっていたとは」
「あの連中ほんとやばいよ。すごくキモかったし。しかもね、その頭目は人を喰ってるってんだもん。怖すぎ」
「頭目……人を、喰う……」
マチルダの脳裏にいやでも例の惨状がよみがえる。
マリカは言っていた。
『もちろん、断ってもいいのよ。ただその場合、あんたたちはここで頭目の『餌』になるわけだけど』
頭目とはあの黒鴉の男である可能性が高い。
赤石を奪い、人を喰うという行い。
いったいなぜそんなことを――
「……おそらくは、魔力を得るためだろうて」
マチルダの思索を読み取ったかのように老人が静かに囁いた。
「おそらくの話だがな。主らは魔力を知っているかな?」
「ええ……と。今はもう失われた力、ですよね。昔には大気中に存在していたものです」
かつてまだ大陸の南側に妖精がいて、魔法が存在していた時代。今から六十年も以前の話となる。妖精と人間はそれまであった不可侵条約を違え、互いの存続をかけて戦いを起こしていた。結果的に痛み分けとなり、戦いが終わったあと妖精は南の大地ごと姿を消したとされる。
その事象と時を同じくして魔力は大気中から消え去った。つまり魔法の消失である。
老人はうなずき、顎を覆うひげを撫でた。
「詳しい顛末は置いておくが、今も魔力自体は大陸から消えておらぬ。我らの体内に残っているのだよ。微量ではあるものの、な。その微量の魔力を文字どおり『喰う』ことで得ようとしているのだろうな。簡単に言うと、やつは魔力を自身の体内に蓄えんとしている。わしの憶測ではあるがな」
「どうしてそんなことを……?」
「さて。そこまではわからぬ」
すると老人と少女は不意に黙りこんでしまった。互いに目配せして唇を引き結んでいる。
マチルダのとなりでその様子を見ていたゼアが眉を寄せた。不審な目を彼らに向けている。
マチルダは慌てて首を振って小声で言った。
「そんな目で見ては失礼よ、ゼア」
ゼアはなおも苦々しい表情をしたが、それ以上の言及はしなかった。
タキザワがふたりを改まった様子で見やる。
「失礼だが、先ほどから気になっていたことがあるのだ。マチルダ殿、主はあのとき……黒鴉の男に赤石を取られたと言っていたな。差し支えなければ、その事情とやらを伺ってもよろしいかな?」
「え? あ、はい」
マチルダは戸惑いつつも今までにあったことの顛末を話した。黒鴉の男がタガを襲撃し、赤石を奪い去ったこと。赤石はかつて大切な人がくれた宝物であること。その黒鴉の男から赤石を奪取するために旅を始めたこと。
言い終える前から、老人と少女の表情がにわかに変わったのがわかった。
「なるほど、おそらく間違いあるまいな」
首をかしげるマチルダに少女が戸惑ったように眉を垂らす。
「あのね。アタシたちも一緒なの。まさか、こんな偶然があるなんて」
「偶然って……?」
「主の探す赤石が『同じ』かどうかはまだわからぬが。我らも赤石を探しているのだ。かつて我らの村から盗まれた赤石を、ずっとな」
「え、あなたがたの村から――?」
状況がよく見えない。マチルダは鋭く息をのみこんだ。
少女は「うーん」と難しい顔をした。それは老人も同じで、眉間にしわを刻むと考えるような間をあける。
夜風が一行の間を縫っていく。マチルダは胸にさがった鎖を握りしめた。かつては胸にあった赤石。その存在を確かめるように。
彼らが赤石について、なにかを知っているというのなら――
「教えてください。赤石について、どんな情報でもいいんです。なんでもいいのです。わたしは、わたしはあれを取り戻したいのです! だから……!」
「そうか、わかった」
老人が荘厳にうなずく。
「ならば話そう。我らの目的が一致している可能性もあるからな」
「ん~。でも、今日はもう遅いからさ。積もる話は明日にしよう?」
マチルダは少女になだめられ、ハッとしてうつむいた。確かにもう夜も遅い。今まで抑えてきた疲労がここにきてドッと溢れだしてくるのを感じた。
「は、はい。すみません……」
消沈するマチルダのそばで、ゼアだけが胡散臭そうに老人と少女を見ているのだった。