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第5話

「あの、ちょっといいでしょうか?」


 マチルダが声をかけるとテーブルについていた男たちがそろって顔をあげた。ひとりはバンダナを巻いた中年の男。もうひとりは眼帯をした、いかにも人相の悪い男である。テーブルにはジョッキがいくつも空になっており、ふたりが昼から飲んだくれていたことを示している。

 彼らはマチルダを下から上まで舐めるように見たあと、その表情をゆがめて下卑た笑みを浮かべた。


「こりゃあ綺麗なお嬢ちゃんだなぁ。はは、俺たちと遊びたいってか?」


 バンダナが揶揄した様子で言う。眼帯のほうは片方の目で粘つく視線を送ってきた。


「え? あの……」


 マチルダはさっそく困惑した。彼らの目線に思わず一歩ほど後ずさる。こういうとき、どうしていいかわからなかった。タガでは幼少のころから勉学と祈りを一生懸命に取り組んできた身だ。いわゆる、処世術? というのだろうか。世渡り、というべきか。そういう対応をすることにはてんで疎い性格なのはマチルダにも自覚はあった。

 どうしようかと迷うマチルダの肩を、立ちあがったバンダナ男が抱くようにつかんできた。汗ばんだ生ぬるい手の感触に彼女は眉をひそめる。うまく言えないが、なんだかすごく不愉快な気分だ。なんとか逃げだそうと周囲に目を配る。眼帯の男も立ちあがるとマチルダの前を塞ぐように立ちはだかる。古い木床が軋む音を立てる。


「いいぜぇ。お楽しみといこうぜ。なぁ、って……」


 眼帯はそこで顔を強ばらせた。なんだぁ? とバンダナがマチルダの後ろに視線を向ける。同様にギョッと目を剥くバンダナの男に、彼女は当惑して首をかしげた。

 振り返ると、そこにはゼアが立っていた。帯剣の柄に手を当てて男たちを睨んでいる。じわじわと放たれる殺気に、周囲の客たちもなにごとかとこちらを窺っていた。

 鞘から覗いた刀身が店内の照明に反射して鋭く輝いた。


「け、男連れかよ」

「あーあ。興ざめだ。行こうぜぇ」


 ふたりの男はマチルダのそばをパッと離れ、そのまま店をでていった。マチルダの耳に酒場の喧騒が戻ってくる。どうやら慣れない状況に緊張していたらしい。深くため息をつくとゼアに向き直り、頭をさげた。


「ありがとう、ゼア。でも難しいのね、聞きこみって」


 それまでも何人かに同じく話を聞こうとしたが、誰もがあの男たちと似たような反応でろくに話ができなかったのだ。どうしたものかと顎を撫でるマチルダに、ゼアは眉を寄せてため息をついた。


「相手を選べ」

「え? ええと……?」


 どこかゼアの様子は呆れているふうにも見える。

 マチルダは首をかしげるのだった。




 ――タガから近く西にあるベチレの町。

 その中心街の酒場にふたりはいた。

 昼時ということもあって店内はささやかながらも賑わっている。あちこちに設置された丸テーブルには客がつき、食事や会話を楽しんでいた。店の隅には一見するとよからぬ風体の男たちも酒をあおっているが、それ以外は至ってどこにでもある普通の酒場だ。

 古びた木造りの店内を店員が忙しなく駆けている。酒とスパイスの香りがないまぜになった空気が鼻を掠めていく。木枠の窓からは陽光が差しこんでおり、細かなチリや埃が空中に浮いてみえた。あまり掃除は行き届いていないらしい。

 マチルダは周囲を見回す。おおかた、この場にいる人たちの大半には聞いて回ったはずだ。結果は芳しくない。黒鴉についての情報を収集しようと、手始めに酒場へ顔をだしたふたりだが聞きこみは難航している。

 まずは、敵を知ることからだとマチルダは思ったのだが……


「ゼアのほうはどう? なにか、黒鴉についてわかったかしら」

「特に。大陸紙を入手したくらいだな」


 ゼアが紙束をマチルダに差しだす。大陸紙、と呼ばれる新聞だ。彼女は大陸紙を受け取ると手近にあった丸テーブルにサッと広げてみる。

 大陸紙は週に一度、首都ティアリアスから刊行されている。紙面には黒鴉による犯罪の数々が大きく取りあげられていた。暴行、放火、殺人、誘拐……など、あらゆる犯罪が連中によって行われているようだ。その中で、目についた記事があった。

 黒鴉の『成り立ち』である。

 黒鴉とは、とある地域で暗躍していた大きな賊集団が、突如として現れた謎の男によって、さらに結束した組織といわれる。その謎の男というのが、赤石を奪ったあの男の可能性が高かった。

 男はいったい何者なのか。その目的はなんなのか。一切は謎に包まれている。

 なぜ突然、マチルダの持つ赤石を欲したのかも、だ。

 その後も酒場に来店した人たちへ聞きこみを続けた。黒鴉の名前をだすと誰もが顔をひそめて去っていくか、先ほどの男たちのように揶揄されるかで終わってしまった。

 時間だけが無為に過ぎていく。

 マチルダはカウンター席に着き、コップを手にため息をついた。コップの中で水がわずかに波紋を立てる。おぼろげに映った彼女の顔が揺れた。白い顔には疲れが浮かんでいる。例によって目の下には、薄っすらと隈ができていた。

 昼を過ぎ、店内はさらに賑わいをみせている。こうしていては埒が明かない。休憩もそこそこに聞きこみを再開しなくては。となりで終始、黙りこんでいるゼアを見たマチルダが口を開きかけたとき。


「なあ、あんた。ひょっとするとオーエン家のマチルダさまかい?」


 カウンター席の向かいで、酒場の主人が首をかしげて彼女を見ていた。

 マチルダは思わず目を瞬かせる。


「はい、そうですけれど……」

「やっぱり!」


 主人は細い目をいっぱいに開いて輝かせた。磨いていたグラスをテーブルに慌てて置き、うやうやしく腕を前にかざして一礼する。


「会えて光栄だよ。ここの寺院で何度か見かけているんだ。僕もオーエン教の敬虔な信徒だからね。集団礼拝にも、もちろん参加しているよ」

「そ、そうなんですね。ありがとうございます」

「そのマチルダさまがどうしてこんな酒場に? さっきからなにか探してるみたいだけど」

「その、わたしたち……黒鴉の者を追っているんです」

「え、黒鴉を?」


 主人は驚いた様子で目を見張るが、ほかの者たちのように煙たがる素振りはなかった。腕を組むと顎に手を当てて考えこむ。


「ああ。そういえば、昨日はタガで襲撃があったって聞いたな」

「はい。黒鴉によるものです」


 タガの町は連中によって荒らされ、死者も少なからずでた。本当は修道女として怪我をした者たちに寄り添い、町の復興を第一に思うべきなのだろう。それがウォーデルの孫娘として正しい行いなのかもしれない。

 襲撃の憂き目にあった町を放り、こうして旅にでてしまった。理解はしている。オーエン家の末裔として無責任すぎるということは。きっとタガでは今ごろ問題になっているだろうし、付き人ともども姿を消した事態に非難の声だってあがっているだろう。胸が重くなるのは事実だ。だけれど……

 マチルダは唇を噛んだ。胸もとに今まであったはずの感覚がない現実を改めて感じた。その虚無感を埋めようと胸に握った手を当てる。


「それにしてもなんだって黒鴉を追っているんだ? あんたみたいな女性、よく考えなくても危険すぎるじゃないか。護衛もひとりだけみたいだし」

「は、はい。それは承知しています。でも、どうしても取り返したい大切なものがあって」

「ふぅん。なにかは知らないけど、やめといたほうがいいんじゃないかい。どんなものも命には代えられないよ?」

「それは……」


 マチルダは口をつぐんでうつむいた。無謀なことなのはわかっている。

 それでも――

 となりから小さくすすり泣く声が聞こえたのはそのときだった。

 顔をあげて横を見ると、マチルダがつく席から少し離れたところで老人が臥せっていた。

 主人は大仰にため息をつく。


「あーあ、また始まったか。やっと静かになったと思ったのにさ」

「え? えっと……」


 マチルダは困惑して主人を見やる。

 主人は苦笑しつつ、老人へ向けて顎をしゃくった。


「そこのオッサンも探し物をしてるらしいぞ。ええと、なんだったかな」

「……娘を捜しておる」

「ああ、そうそう。そうだったな、うん。で、あんた、いつまでいるんだ?」


 すると老人はのっそりと顔をあげた。感極まっているのか、顔面を垂れ落ちた涙がたっぷりとしたひげを濡らして湿っている。


「いつまでいるんだとは、これはまた世知辛い世の中になったものぞ」


 太い眉を寄せて抗議した老人は次いでマチルダを一瞥した。マチルダは慌てて会釈するものの、老人は再び悲しげにうつむいてしまう。伏せた目に涙が滲む。

 どうやらかなり傷心しているようだ。


「あ、あの。大丈夫ですか?」

「もういい加減泣きやんだらどうだい? ほら、衛生面的によくないからちゃんと拭きなよ」

「うっ……すまぬな」


 主人が渡した布巾を受け取ると老人は勢いよく鼻をかんだ。

 思いきり顔をしかめる主人を尻目に、マチルダは尋ねてみる。


「あの、娘さんが行方知れずになってしまったのですね……お辛いでしょう。よかったら娘さんの特徴を聞いても?」

「おい、マチルダ」


 となりに座るゼアが面倒くさそうに彼女をねめつけてくる。


「あ、ごめんなさい。つい。でも、なんだかこのままにするのはちょっと……もしかしたら協力できるかもしれないし」

「お主は?」

「わたしはマチルダと申します。故あって旅をしている者です」

「……マチルダ、殿。わしはタキザワという。そうだな、娘は――」


 タキザワは嗚咽まじりに娘の特徴をあげる。

 まだ年端もいかない黒い髪の女の子らしいことはわかったが、マチルダに思い当たる人物はいなかった。

 申しわけなく頭をさげる。


「ごめんなさい、お力になれなくて」

「いや、いいのだ。そのお気持ちだけ受け取っておこう。さて、これ以上は主人にも悪い。わしはもう行くかの……」

「行くあてなんてあるのかい、あんたに。……あ、そうだ」


 主人は思いついたようにうなずいた。


「だったらさ、悪魔の館に行ってみるのはどうだい? あんまりおすすめはしないけど」

「悪魔の館、ですか?」


 主人はそそくさとグラス拭きを再開させながら続ける。


「北の森の奥深くにある館だ。最近、この町では確かに人が行方不明になってる。前に自警団を派遣したらしいが誰も帰ってこなかったそうだ。その事件を解決してほしいと、町長の依頼が町の掲示板にもでていてな。依頼を受ける者は今のところいない。噂じゃ、館に誘拐されて殺されるとか。それが、黒鴉による仕業の可能性もあるらしい」


 マチルダは目を見開く。同時にタキザワも大きく眉をつりあげていた。

 黒鴉の仕業、だと? 無意識のうちに身を乗りだしている自分がいた。ゼアと目をあわせると息をのむ。……行ってみる価値はあるだろう。やっと手がかりらしい情報をつかめたといっていい。もしかしたらあの男に接触できるかもしれない。


「……行ってみましょう」


 赤石は取り戻す。そのためにも動かねばならない。たとえ危険を冒してもこの手に、この胸の中に、アーグとの思い出を取り戻してみせるために。

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