からからに渇いた喉の奥から小さく嗚咽が漏れた。熱いものがこみあげて視界がじわりと滲んでいく。頬を伝い、こぼれた涙は床に散らばった書物に音もなく落ちて、開かれた頁に染みこんでいった。
「なにがウォーデルの孫娘だよ。なにもできない弱虫のくせに」
馬鹿にしたような声が頭上から飛んでくる。流れる涙をそのままに顔をあげると、少年のひとりが嘲るように笑っていた。明確な悪意がゆがんだ唇からもわかる。少年たちは床にうずくまるマチルダを囲んで立ち、眼下に見おろしていた。
「ちょっと有名だからってさ。調子乗ってんなよ」
「あはは。ほんとそれ。あ、泣いてる泣いてる。悔しかったら抵抗してみなよ」
別の少年が床に落ちた書物やノートをズタズタと踏みにじった。開かれた頁がぐしゃりと音を立てて汚れていく。マチルダはそのさまを見ていることでしかできなかった。見開きには司祭ウォーデルの絵姿が描かれており、彼の威光を記した文章が綴られている。何度も何度も繰り返し読んだ書物。彼女にとって尊敬できる祖父、それでいて、今の彼女を苛む原因。
「あーあ、ほんとにただの弱虫じゃん。ねえ、お前になにができるの? 魔法だって使えなくなったんだ。この世界でお前にできることってある?」
言葉は大きな棘となってマチルダの胸に刺さる。反論などできるはずもなかった。だって少年の言うとおりだからだ。なにもできない。弱い。誰を導くこともできない。それはマチルダ自身が強く実感してきた事実だった。
しゃくりあげながら黙っていると、やがて興ざめしたのか、少年のひとりが舌打ちした。
「張りあいねえなあ。な、もう行こうぜ。つまんねえし、イラつくだけだし」
「そうやってずっと泣いてろよ、弱虫女」
吐き捨てるように言うと少年たちはその場を去っていく。マチルダは力なく手を伸ばし、無残にもボロボロになった書物とノートを拾い、胸に抱えこんだ。
涙で潤む視界の先に羅列する本棚。鼻腔を掠める無数の紙束の匂い。よろよろと近くにあった机につき、彼女は濡れた目をこする。
学問所に併設された図書館内は窓から差しこんだ夕日に淡く光っていた。図書館を利用していた生徒たちが、みな遠巻きにマチルダを窺っているのを彼女は察した。一部始終を見ていた生徒もいるかもしれないが、彼女に近づく者は誰もいなかった。唇を噛み、なるべく周囲を見ないように彼女はうつむいた。
「おじいさま……」
祖父ウォーデルはマチルダが一歳の時に他界している。祖父との記憶はあいまいなものだった。だが確かに覚えていることもある。
柔和で穏やかな眼差し。その優しい掠れた声を。
書物に載っている絵姿のウォーデルはまだ年若かったものの、ズタズタにされた頁の中で慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。
祖父ウォーデルはこの大陸で名の知られたオーエン教の司祭だ。オーエン教を奉じるこの町では神格化された存在といってもいい。六十年前に起きた人間と妖精の戦いでは前線で兵たちを魔法『治癒術』で癒やし続けたという。また戦いのあとも傷ついた人々に寄り添い、その精神に安らぎを与えてきたのだ。
戦いで活躍した剣士アルヴェル、賢者デュファと並んで『三英雄』と呼ばれる大陸の偉人である。
マチルダはそんな大司祭を祖父にもっていた。
だが、ウォーデルと違いマチルダにはなんの力もない。
その事実は彼女の心身に深い影を落としている。
……襲いくる疲労感に、彼女は瞳を閉じるのだった。