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第23話 携帯電話

7月1日 月曜日


 月曜日の朝は憂鬱だ。燃えるごみをごみ収集場に持って行けばご近所のご婦人方のゴシップトークを耳にしなければならない。案の定、この雨の中にも関わらず、赤や青、紺色の傘がたむろしていた。



「おはようございます」



私は緑色の害獣避けネットを退かし満杯になったごみ袋を押し込んだ。



「おはよう、萩原さん」


「おはようございます」


「萩原さんのところ、結婚何年目?」


「3年になります」



 どうやら週刊記者に捕まってしまったようだ。



「あらぁ、それは危ないわよ!」


「危ないってなにが危ないんですか?」



 赤い傘のご婦人が莉子に詰め寄った。彼女の持論では3の倍数が倦怠期で浮気や不倫不貞行為が起きやすいのだと言った。



「それそれ、萩原さん要注意よぉ」


「はい、気を付けます」



 私は玄関先で裸足の足裏を拭きながら芝生広場の蔵之介を思い出していた。


(3年目か・・・)



 吸い寄せられる様に階段を上り寝室の扉を開けた。クローゼットの中から踏み台を取り出し足を掛けて腕を伸ばす。そして指先に触れたクッキー缶を手に取りベッドに腰を下ろした。


(・・・・・)


 クッキー缶の蓋を開けると色褪せた紙飛行機が満杯に入っていた。溢れ出す蔵之介への思い。私は紙飛行機を一機取り出すと破いてしまわぬようにそっと開いた。


莉子 大好き


 もう一機。


莉子 勉強がんばれ

莉子 合格

莉子 会いたい


 頭上の瓦屋根に叩き付ける雨音が激しさを増した。


莉子 愛してる


(蔵之介)


 気が付くと正方形の青い色紙に点々と涙が落ちて滲んだ。私は慌てて涙を拭うとチェストの上で紙飛行機を折り直した。


(・・・・やだ、破れちゃった)


 何度こうして紙飛行機を開き思い出を辿ったか分からない。その折り目は白く毛羽立っていた。私は蔵之介の思いをクッキー缶に戻し蓋を閉めた。


(蔵之介)


 踏み台に乗せた足を躊躇ためらいながらゆっくりと床に下ろした。


(会いたい!)


 気が付くと私はクッキー缶の蓋を開けベッドに紙飛行機を勢いよく広げていた。


(これじゃない!これも違う!)


 積もり積もった蔵之介への思いをより分けながら英字新聞の紙飛行機を探した。慌てる指先は一機の紙飛行機をベッドの下に落としたが私はその事に気付かずリビングに駆け降りると携帯電話を握った。


(声が聞きたい)


 震える指で紙飛行機を開くと蔵之介の携帯電話番号を目で追い打ち込んだ。壁掛け時計は13:15、平日のこの時間帯に電話が繋がるとは思えなかった。


(5回、5回鳴らして出なかったら諦めよう)


 スピーカーをオンにすると寂しげなリビングに呼び出し音が響いた。1回、2回、心臓は早鐘を打った。3回、息を呑む。4回、唾を飲み込んだ。5回、蔵之介へ私の切なる願いは通じなかった。


6回


 然し乍ら自身の決め事を破った。


7回


 携帯電話を握る手が震えた。


8回


 電話番号が間違っていないか視線を落とした。


9回


 間違ってはいなかった。


10回


 縁がなかったのだと発信ボタンに指を置こうとした瞬間、私の呼吸は止まった。


「もしもし」


 未登録の携帯電話番号からの着信だからだろうか、蔵之介は怪訝そうな声で電話に出た。


(蔵之介の声だ)


 それは喧嘩した時の不機嫌な声色によく似ていた。


「もしもし?どちら様でしょうか?」


 私はその問いかけに応える事が出来ず携帯電話を見つめた。すると蔵之介も無言になり互いの息遣いをスピーカー越しに感じた。


「・・・・莉子さん」


 涙が溢れた。私は昂る感情を抑え平静を装った。



「う、うん。突然ごめんね」


「今回の電話は遅かったね、掛かって来ないかと思った」


「・・・・今回、今回ってなに?」


「なんでもないよ」



 蔵之介の言葉に不自然なものを感じたがそれは些細なことだった。



「元気だった?」


「うん、莉子も元気そう」


「びっくりした、あんな場所で会うなんて思ってもみなかった」


「僕は知っていたよ」


「知っていた?」


「いつか会えると思っていた」



 10年間の時間の壁に会話がうまく続かなかった。



「莉子さん」


「なに」


「高校の期末試験の日、2人で行ったカフェ憶えているよね?」


鞍月くらつきのスミカグラスだよね」



 蔵之介の唾を呑む音が聞こえた様な気がした。



「7月15日の月曜日、スミカグラスで会えないかな」



 心臓が止まるかと思った。



「なんで7月15日なの?」


「初めてスミカグラスに行ったのが7月15日だったから」


「そうだっけ?よく憶えてるね」


「僕は何度も行ったから」


「誰と?」


「莉子だよ」


「スミカグラスは値段が高いからもう行かないって言ってたでしょ?誰か他の女の人と間違えてるでしょ!」


「莉子だよ」


「・・・・変なの!」



 思わせぶりな蔵之介の言葉に首を傾げながら私は7月15日に鞍月くらつきのスミカグラスで待ち合わせる事になった。



「待ち合わせは14:00で良いかな?」


「なんで14:00なの?」


「いつも14:00だから。今度は遅刻しないように行くから」


「う、うん。分かった」


「じゃあまたね」


「またね」


 携帯電話を切った瞬間、私は床に座り込んだ。頬が熱い、心臓が高鳴っている。それにしても蔵之介はいつもに増して強引だった。


(10年間で変わっちゃったのかな)


 7月15日、10年前と同じ日に同じ場所で会う。私はカレンダーの7月15日に星のシールを貼った。




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