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第22話 フリーマーケット

 バスの停留所に向かい一目散、コンクリートのブロック塀を曲がった時、飛び出した自転車と行き交った。自転車はバランスを崩し危うく倒れそうだったがなんとか持ち堪えた。



「うわっ!」


「キャッ!」



 高等学校の男子生徒と思しき相手から睨み付けられた。



「ご、ごめんなさい」


「チッ」


「ごめんなさい!」



 私の脚は震えた。実は私は自転車に乗った事が一度もない。子どもの頃、三輪車に乗った記憶はある。しかしながら母親曰く私は自転車に乗る事を泣いて嫌がった。


(なんでだろう?)


 直也さんにも「買い物に便利だよ」「電動アシスト付きの自転車もあるよ」と勧められたが「ごめんなさい。自転車が苦手なの」と断った。



(・・・なんでそんなに自転車が怖いんだろう?)



 そんな事を考えていると丁度良いタイミングでバスが到着した。



プシューーーー



 先頭から数えて5人目でバスのタラップを上り乗車券を手に取った。首筋を伝い落ちる汗に空調の冷気が心地良かったが頬は赤らんでいた。身体中の血管が脈打つ、この動悸は何処から来るものなのだろう。自宅から全速力で走ったから?自転車と接触しそうになったから?それとも・・・。


(もしかしたら蔵之介が居るかもしれない)


(・・・・あ)


 緩い坂道、黒瓦の向こうに束の間の青空が広がった。


(居るかもしれない)


 バスは繁華街を通り抜けた。あの交差点を右に曲がれば芝生公園が見えて来る。


(居て欲しい)


 かえで並木の隙間から赤や白、青の色鮮やかなテントが垣間見えて来た。吊り革を握る手のひらに汗が滲んだ。


(ひとめでも見たい)


 自宅から15分の距離、 <しいのき迎賓館前、しいのき迎賓館前、お降りのお客様はブザーボタンでお知らせ下さい> 機械的な女性のアナウンスが停留所の名称を読み上げた。


(声が聞きたい)


 あの衝撃的な再会を繰り返し思い描いた。それから2週間、携帯電話の電話帳を開き何度Kの文字を眺めただろう。然し乍らそれをタップする勇気が持てなかった。



チャリンチャリン



 運賃210円に望みを掛けた。


(会いたい)


 芝生を踏む青い感触。空を見上げれば色鮮やかなフラッグが縦横無尽に張り巡らされ風にはためいていた。黄色いキッチンカーから甘いクレープの匂いが漂って来る。ギンガムチェックのテーブルクロスにはハンドメイドの雑貨やアクセサリーが並んでいた。


(顔が見たい)


 私はフリーマーケットの会場で行き交う人の波に押されながら店先に座り込む人々に蔵之介の面立ちを探した。







カチャン


 私はテーブルのメモを握りつぶしゴミ箱へと投げ入れた。ソファの座面に身体が沈むように心も落ちてゆく。青い芝生に蔵之介の面立ちを見つけ出す事は出来なかった。


(やっぱり無理よね)


 私は偶然を装い蔵之介にもう一度会いたかった。物陰からでも良いからその横顔を見たかった。笑顔はあの頃のまま変わらないのだろうか、同じ口癖で話すのだろうかと運賃210円に賭けたがそれは叶わず小雨の中を帰宅した。壁掛け時計の針は18:00を指していた。


(もうすぐ帰って来るかな)


 直也が接待ゴルフから帰って来る。私は洗面所で顔を洗いタオルで水滴を拭き取った。自然消滅で消えた恋心を今更どうしようというのだろう。


(あれから10年)


 私は冷蔵庫の野菜室からキャベツと玉ねぎを取り出し包丁を入れた。


(野菜スープ、ポトフにしよう)


 ざく切りにしたキャベツを鍋に入れ、玉ねぎの皮を剥く。思い出を一枚、一枚ぎくし切りにすると涙がまな板へと落ちた。


ピンポーーン


「あ、はーーい!」


 優しい夫が笑顔で帰宅した。手にカントリークラブ近くにある有名パティスリーの白い箱をぶら下げて微笑んでいた。雨の匂いがした。



「りんごのコンポート、好きだったよね。プリンもあるよ」


「ありがとう!デザートに食べようね」


「汚れたからシャワーを浴びてくるよ」


「今夜はポトフだよ」


「寒かったんだ、さすが莉子!」



 ふとそこで直也の手が止まった。



「莉子、目が赤いよ泣いてたの?」


「玉ねぎが目に染みちゃって」


「・・・そう」



 幸せな結婚生活、穏やかな日々、なんの不満も無い。






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