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因縁の相手

放課後になっても、吉野からもユーリからも声はかけられなかった。今日こそはゆっくりと勉強できるはず。そう思った俺はなるべく静かに勉強できるように図書室に向かった。

「げ……」

しかしここに来てさらに嫌なことに1番会いたくない人間を見つけてしまった……。

優梨の死を侮辱され、それ以降俺がずっと避け続けている冷徹な女、染谷 蛍だ。

「……」

こちらには気づいていない様子で本のページを捲る彼女は、西陽を浴びた丸眼鏡がその表情を隠しどんな物語をどんな感情で読んでいるのかまるで伺うことはできなかった。ただ、俺は陽の光を反射した眼鏡の奥から向けられる視線が、どうか俺でなく本に向いていて欲しいと願う他なかった。

「はぁ……」

不意にため息が聞こえた。俺に対してなのか、本に対してなのか、それすらもわからない。正直俺がこうまでこいつのことを気にしなければならないという状況は非常に癪なのだからここにいてやろうと思ったわけだが、俺の身体はそれを許さないらしい。早鐘を打つ心臓を抑えることは叶わず、冷や汗が頬を伝い始めた。ここにいてはならない。俺はようやく座り込んだ席を立ち図書室を離れようとした。

「あら?もう行くの?」

唐突に背後から投げかけられた声に全身が総毛立った。

「……あぁ。そうだ」

奥歯から音が鳴りそうな程のストレスを感じたが、ゆっくりとそう答える。

「もしかして、私を見たから?」

「……だとしたら?」

「いえね、私は別にあなたがいたって構わないのよ?仲良くしましょうよ」

彼女から提案されたのは唐突な和解だった。

この数年、俺がこの女をどれだけ避けていたのかわかってそんなことを言っているのか……?

「バカにしてるのか……?俺に……俺たちにお前がしたことを憶えていないのか?」

震える声と手をなるべく抑えながら言い返す。

「……あの時はごめんなさいね。私も幼かったから」

そう言うとその女は軽々しく頭を下げる。

「謝って済むことじゃないから。俺はお前とは関わりたくないしお前も俺には関わらないでほしい」

きっぱりと断りを入れる。彼女から受けた屈辱を考えれば当然のことだ。

「そう……そうよね。許されることじゃなかったわ。ごめんなさい。私が消えるわね」

そう言うとその女……蛍は伏し目がちに肩を落とし図書室を出ていった。

いくら彼女から酷い言葉を受けたからと言っても、あんなにも悲しそうな顔をした女性を跳ね除けるのは嫌な気分だった。

「あぁくそっ……調子狂うな……。俺が悪いのか……?さっきから……」

胸の奥がもやもやとした薄気味悪い感情に包まれる。それは終始勉強の邪魔ばかりをして、陽が落ち暗くなっても消えることはなかった。

そうして学校を出る頃にはもう月が昇り星が見えていた。日中は暖かくなってきた頃だがやはりこの時間になるとまだ冷え込む。ぶるりと肩を震わせポケットに手を突っ込みながら歩いた。

「……寒いなぁ……」

薄暗い街角に呟いた一言は、誰に拾われることも無くただ冷たいコンクリートに吸い込まれていった。



「ただいま……」

家に帰り台所にいた母に一言声をかける。

「あら、遅かったわね」

既に時計の針は8時を指していた。

夕ご飯は遅くなることを伝えてあるからもう済ませてあるようで、俺の分だと思われる皿に盛られた食事にラップがかけてあった。

「勉強してたから……」

「頑張ってるのね。でも頑張りすぎたらだめなのよ」

「そんなことない。……今が頑張りどきなんだから」

「まだ4月よ?」

ちょっとだけ吹き出すように言われたその一言が、やけに俺の神経を逆撫でした。

「もう4月なんだよ……っ!」

吐き捨てるように言って俺はさっさと自分の部屋に入ってしまった。

「ご飯いるのー?」

「いらない!」

もはや完全に意地だった。腹を鳴らしながら帰ったのに何も口に入れずに部屋にこもってしまった。そうしてまたノートを広げる。なんだか俺はとんでもなく虚しくなった。



延々と鳴り響くように感じた秒針の音を一際大きな腹の虫の声が遮った。勉強に費やしたエネルギーを補うことなくさらに浪費し続けては、流石にガス欠を起こすというものだ。

「腹……減ったなぁ」

全身の力を抜き椅子の背もたれに身体を預ける。もう俺には勉強を続ける気力もなかった。

「なんかあるかな……」

疲れた身体を奮い立たせ部屋の扉を開ける。

「ん?」

部屋の前にはラップに包まれた食事の乗せられたトレイが置いてあった。

「………ありがとう」

既に家族が寝静まった薄暗い廊下にそっと呟いた。


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