九尾の襲撃を受けた夜から、数日後の昼下がり。
「朱の守! 大変申し訳ございませんでした!!」
蒼と共に煉夜の元を訪れた湊音は、地面に額を擦り付けて、見事な土下座を披露してみせた。
恐らくは蒼に咎められたのだろう。
反省しているのは声色と態度からも見て取れるが——。
「恐れず謝罪に訪れた心意気は汲んでやろう。
なれど、ともすれば金色に危険が及んでいたのだ。
この事実を捨て置く事は出来ぬ」
煉夜の溜飲は下がらなかった。
瞳を鋭利な刃物のように細めて、湊音を見下ろしながら「どんな罰を与えてくれようか」と、思考を巡らせる。
しかし——。
「煉夜さん、許してあげて下さい」
怒気に当てられて、見っとも無く震える湊音を、金色が背に庇った。
「なんと慈悲深いのだろう」と煉夜は感嘆し、つい二つ返事で許してしまいそうになる。
だが、心を鬼にして首を横に振った。
「ならぬ。ただ赦せば、また同じことをしでかすやも知れぬ」
「でも、僕はなんともありませんし、煉夜さんが怒っている姿は見たくないんです」
「だがな、己が過ちをわからせる為にも罰は必要で……」
「……どうしても、ダメですか?」
金色が耳を垂れ下げ、潤ませた黄金色の瞳でじっと見つめて来た。
あざとくも可愛らしい姿に煉夜は「うっ」と唸り、言葉を詰まらせる。
「煉夜さんが僕に言ってくれたように、僕も煉夜さんには笑っていて欲しいんです。
だって、とっても素敵な笑顔だから」
そう言って笑った金色の笑顔のなんとまばゆい事か。
心臓をぎゅっと鷲掴みにされたような感覚に、煉夜は陥った。
「くぅ……っ!」
「これは坊の方が一枚上手ですかね。どうされます? 主様」
こうまでされて突っぱるのは、大人気がないと言うもの。
煉夜は葛藤しながらも怒りを飲み下して、勢いよく息を吐き出した。
「……わかったよ、私の負けだ。
金色に感謝するがよい、湊音。二度はないぞ」
「は、はい!」
言葉で灸を据えて、「煉夜さん!」と抱き着いて来る金色と、「ほんと、坊には弱いですね」と守橙になじられながら、この件は終い。
——と、そうなるはずだった。
蒼が余計な事を言い出さなければ。
「しかし、何のお咎めなしと言うのも恰好がつかんな」
「よい。当の金色が望んでおらぬのだ。望まぬ事はせぬよ」
「あの冷徹無比の朱雀の神将が、えらい変わり様だなぁ。
……おまえさんを変えた妖狐、か」
数秒、蒼が金色を眺めて慮り。
それからとんでもない事を言い出した。
「湊音、暫く煉のとこで世話んなれ。
罪滅ぼしと思って、こいつが務めに出てる間、金色を守護しろ」
湊音は顔を上げ、驚いた様子で瞬きを繰り返した後、首を大きく縦に振った。
「誠心誠意、お仕え致します!」と、再度地面に額をつけて。
「な……っ!? 蒼殿! 勝手に決めるな!」
当事者を置いて進む話に、煉夜は憤る。
「事情を知ってる味方がいたほうが、おまえさんも動きやすいだろ?
聞いた話じゃ九尾に天狐と、随分な輩に好かれてるそうじゃないか」
「そう言う問題ではない!」
反論しようとした煉夜の頭を、おもむろに蒼が撫でた。
とても優しい手つきだ。
「煉。俺もおまえさんも、将として人並み外れた力を持っているが、万能じゃない。
おまえさんが人と距離を置く気持ちもわかるが、元来人間とは一人では生きて行けぬものだ」
「おまえに私の何がわかると言うのだ! 私は一人で生きて来たし、これからも人の手は借りぬ。
ましてや、神に忠を置く者など——」
「信用できるか!」と怒鳴り散らしそうになるのを、煉夜は堪えた。
蒼の善意に対して、その発言はただの八つ当たりである。
煉夜は、頭を撫で続ける無骨な手を退けて、背を見せた。
「ともかく、必要ない」
「頑固者めが。好意は素直に受け取って置け」
「五月蠅い。おまえのそれは、ただの押し付けだ」
「そうかも知れん。だがな、煉。
おまえさんは矛盾している。人の手は借りぬと言いながら、金色の手を取っているではないか」
蒼の言葉に煉夜は息を飲む。
確かに、煉夜はあの夜に願った。
繋いだ手を離したくない。
共に生きたい、と。
「まあ後は、湊音に見識を深めて欲しいって思惑もある。
お上は妖を不浄のものと決めつけているが……決してそんな事はないと思っているしなぁ」
煉夜は弾かれたように振り返り、顔を顰める。
謀とは縁遠い愚直なこの男の事だ。
本心であろうが、その思想が知れ渡れば危険である。
「蒼殿。口が裂けてもそのような事、余所で申すな。
どこに耳があるかわからぬぞ」
「おっと。長年、おまえさんを見て来た影響かね。
それはさておき、お互いに益がある提案だ。受けてくれるだろう?」
にっと口角を上げて蒼が笑った。
毒気の抜かれる清々しい笑顔である。
「どうせ、嫌だと言っても聞かぬ癖に。
……暫くの間だぞ」
「応、よろしく頼むな」
煉夜は「厄介事を押し付けられた」と溜息を吐き出し、また頭を撫でようと伸ばされた蒼の手を払いのけた。
こうしてもう一人、新たな居候を迎えて——。
煉夜の日常は一段と賑やかなものとなってゆくのである。