「有象無象では、如何に数を揃えようと主様のお相手は務まりませんって」
守橙がくつくつと笑った。
その様子を横目に、煉夜は女へ刃を突き出して、告げる。
「去ね。退かぬというなら、次はもろとも浄化するぞ」
女も命は惜しかろう。
我ながら「甘い考えだ」と思うが、無下に散らす必要もない。
——けれども、女は引かなかった。
「よろしおすえ。ほんならうちも手加減致しまへん」
女が両手を広げて目を見開く。
と、その周囲で炎が立ち昇って衣装と白髪がはためいた。
眼球の白眼が瞳と同じ菖蒲色に染まっていく。
頭頂部、白髪の間から白い獣の耳、背からは長い尾が幾本も生え、さらには炎が全身を包み込んで——。
次に炎が晴れた時、女はとある獣へと変化していた。
毛色は白銀。
吻は長く耳が立ち、体は細く、尾は太く長い。
〝九つ〟の尾先に炎を灯した、時に瑞獣として語られる事のある妖。
「あ、ああ……っ!」
湊音の上擦り声が背後より響く。
予想外の大物に慌てふためくのはわかるが、喚いたところで何が変わるわけでもない。
煉夜は至極冷静に、本性を露わにした女の恐ろしくも美しい姿を視界に捉えた。
「ふむ、九尾の狐か」
「坊は凄いのに目を付けられていますねぇ」
「まったく、妬けてしまうな」
どこで誑かして来たのやら、と肩を竦める。
「何を事も無げに……!
貴女が優れた霊力の持ち主である事はわかりますが、一介の巫の手に負える者ではありません!
蒼の守……蒼の守をお呼びしなければ!」
「なんだ? 主様の事、蒼様に聞いてないのか?」
「何をですか!?」
湊音が「出して下さい!」と、守りの為に張った結界へ拳を打ち付け叫んだ。
『やかましおすなぁ。
そないな囀らんでも、すぐに終わらしたるわ』
九つに又分れした尾が扇状に広がる。
尾の先に灯った白炎が渦を巻き、うねる巨大な一塊となって煉夜達を襲う。
齎される熱を、煉夜は甘んじて受け入れた。
『避けもしいひんの? ほな、さいならどすなぁ』
「うわあぁぁ!!」
灼熱の中、湊音の絶叫が響く。
結界は揺らがず健在だ。
害が及ぶはずもないのだが、目先の光景に惑わされて正常な認識が出来ないのだろう。
「煉夜さん、煉夜さん!」
炎にまかれた自分を心配する金色の声が聞こえた。
「狼狽えるな、金色。私は大丈夫だよ」
「でも、炎が……!」
ただの人であったなら一瞬で消し炭となっていたところだが——生憎と死ねぬ身体だ。
それに炎がこの身を焼く事はない。
「ふふ。ぬるい焔よ。まるで篝火だ」
『なんや、余裕そうやねぇ。まだまだありますえ、ぎょうさん味おうとぉくれやす!』
九尾が白炎を次々と撃ち出すのが見えた。
煉夜自身は、幾ら炎を浴びようと何ら問題はないが——。
「煉夜さん、逃げて下さい!」
これ以上、金色を心配させる訳にはいかない。
「守橙」
「二人の事はお任せ下さい、主様」
守橙が二人の前へ立ち、新たに結界を施すのを見届けて、煉夜は印を結び、唱える。
反撃の一手を投じるために。
『〝天之四霊・朱雀の神将〟が、慎みて五陽霊神に願い奉る』
此れは神降ろしの儀。
『害気を攘払し、四柱神を鎮護し、五神開衢、悪鬼を逐い、奇動霊光四隅に衝徹し、元柱固具、安鎮を得んことを』
炎が踊るように煉夜の周囲を舞った。
『解咒・朱雀! 急急如律令!』
祝詞により錠が外れる。
内側に眠る神威が、目覚め——。
煉夜は溢れた神の力に包まれた。
辺りを閃光が覆いつくす。
『なんやの!?』
つま先から頭のてっぺんまで、自分を形作るものが熱を帯びて変容してゆくのを感じながら、煉夜は光に紛れて炎の中から飛ぶ。
——と、神風が吹いた。
「九尾。其方も永き時を生きる者ならば、知っているはずだ。我が名を」
煉夜は月を背に、右手に携えた薙刀へ力を籠める。
白炎を凌駕する炎の力を。
九尾へ向かって滑空し、頭上より躯体を一閃。
『ああああ!』
九尾は血飛沫を上げ、青き炎に焼かれた。
『嗚呼ッ! おまえは、おまえは……!』
地上へ降り立った煉夜の姿——背には、輪郭が赤丹に揺らめく緋色の翼、着物の帯のように長く、孔雀青の紋様の差した尾羽根が伸びている——を見て、九尾がわなわなと震えた。
『朱雀!
またしても、またしても邪魔をするんか!!』
それは火を司る炎帝・朱雀。
都を守護する四神が一柱の名である。
煉夜は神霊を収める器。
解き放たれた神威により、神霊となって顕現したのだ。
「〝またしても〟の意味はわからぬが、我が平穏を奪わんとする〝敵〟は容赦せぬ。覚悟は良いな」
煉夜は翼と尾を翻して、穂先を九尾に向けた。
『おのれ! おのれえぇ!』
懲りずに放たれた白炎が舞い、雨の如き降る。
炎は通じないとわかっているだろうに。
「見苦しいぞ、九尾」
煉夜は地を蹴って距離を詰めると、尾を薙ぎ払う。
斬撃に合わせて青炎が走る。
『ぎゃあぁッ! 朱雀ぅ!!』
身体を仰け反らせた九尾が反転して、鋭利な牙の生え揃う大口を開けた。
こちらの頭に食らいつかんと突進してくる。
が、動きが丸見えだ。
「無駄な足掻きよ」
煉夜は左手を掲げ、唱える。
『縛!』
すると、地面から鎖が一本、二本、三本——と次々に伸びて、九尾の躯体を縛った。
『小賢しい真似をぉ!』
縛り付けられた九尾が逃れようともがくが、その行動が逆に鎖を食い込ませていく。
『グウゥゥ!』
「さて、どうする? このまま浄化されるか?」
煉夜が掲げた手をゆっくり握れば鎖は数を増し、伸びる先に青炎が灯った。
『うぅ! 口惜しや……あと少しで〝天狐〟に届いたものをぉ! なんたる屈辱!』
九尾は腹の底から怨嗟の籠った低い音を絞り出し、その身を炎へ転じた。
そうすることで術から逃れ。
『この借りは、いつか必ず返しますえ……! 朱雀!』
一瞬の内に空を駆け去って行った。
煉夜は、夜空に点々と続く燃え殻の軌跡を見つめて——。
寸刻の後、森に静寂が訪れた事を確認して、矛と神威を収めた。