憂鬱な邂逅と務めを終えた夕時。
「金色、帰ったぞ!」
帰宅した煉夜は、いつものように家屋の戸を開けて家の中へ入った。
だが——。
いつもならば真っ先に出迎えてくれるはずの声と姿がない。
「……金色?」
「あれ? 坊は何処へ行ったんですかね? かまどに火も付けっぱなしで」
部屋の中を見回しても、金色は見当たらない。
出て行ったのだろうか。
しかし、出掛けに言葉を交わした時は——。
『美味しい夕餉を用意して待ってますね!』
と、笑顔で送り出してくれた。
厨にもその痕跡がある。
約束を守ろうしていたのだろう。
なれば、何故。
煉夜は妙な胸騒ぎがして家を飛び出した。
「主様!」
あてなどあるはずもない。
闇雲に探したところで見つかる望みは薄い。
けれども——。
(金色……金色……!)
導かれる様に、足が向いた。
金色と出会った場所。
逢魔ヶ刻の、森の中へと。
❖❖❖
すっかりと夜の帳が落ち、ざわりざわり、と闇で蠢くモノの気配を感じる妖しの森を煉夜は駆けた。
「何処だ……何処にいる、金色!」
声に誘われて、有象無象が這い出て来る。
「——邪魔だ!」
行く手に立ち塞がったそれらを、煉夜は手で祓い除けた。
また、どこかでこれに襲われているのではないか。
そんな不安を抱きながら、直感が告げるままに駆け続ける。
そうして、森の奥深くへ入り込み、幾分か過ぎた時。
「ぎゃあああっ!!」
男の悲鳴が響いた。
金色の声ではないが、どこかで聞いた声——。
煉夜は声がした方へ駆けた。
辿り着いた先で煉夜が目にしたのは、尻餅を付き怯える金色と、肩から血を流して転がる湊音の姿だ。
その対面には美しき衣を纏い、扇子を掲げる白髪の女の姿があった。
「金色っ!」
「……煉夜さん!」
煉夜は二人と女との間に、体を滑り込ませた。
何故、蒼の弟子・湊音が共に居るのか、という疑問はひとまず置いて置く。
「金色、大丈夫か! 怪我は!?」
「僕は大丈夫です、でも……」
ちらり、と後ろを見やる。
金色の視線は、湊音に向いている。
見た目にも深い傷だ、一刻も早く手当てが必要だろう。
しかし、煉夜は金色も頬に傷を負っているのを見逃さなかった。
一体誰が金色を傷つけたのか。
湧き上がる怒りに、ギリギリと歯を食いしばる。
「邪魔が入りんしたねぇ」
上品で高い女の声。
前方を見やると、紅を差し、艶のある唇が妖しく弧を描いた。
雰囲気でわかる。
女は——人間ではない、と。
「守橙!」
「ここに居ますよ、主様」
名を呼べば式神は応えた。
炎と共に現れて煉夜に薙刀を手渡し、傍に立つ。
煉夜は受け取った得物の切先を女に向けた。
「お前か? 金色に手を出したのは」
「いややわぁ、誤解せんとください。
うちはその子を助けようとしただけです。そこの青いお人から」
女は扇子で口元を隠し、目尻の上がった菖蒲色の瞳を金色と湊音の順に送った。
女が嘘を言っている可能性もある。
どういう事か、と煉夜は湊音を睨みつけた。
「あ、妖は祓うべき悪だ!
蒼の守も、貴女も何を血迷っているのですか!?」
打ち震えた湊音が眉間に皺を寄せて眉尻を上げ、憎悪を露わにしている。
「過去に色々ある」と言った蒼の言葉が思い起こされた。
このご時世、珍しくもない話だが——。
「金色を……害そうとしたのか」
感情が荒れ狂う海のようにさざ波を立てる。
それと同時に、自分の見通しの甘さを悔いて唇を噛んだ。
「貴女だって巫でしょう、お上の命を忘れたのですか!?」
「世の秩序を乱す、不浄なるもの。
見つけ次第、悉くを滅せよ——か?
忘れてなどいないさ。その命に従い、嫌と言うほど殺してきたからな」
「ならば何故、今回もそうしないのです!
戯れで情でも移りましたか!? この妖狐は貴女を謀っているのですよ!!」
湊音の言葉に、煉夜は一瞬、動き止めるが——。
「それがどうした」
と、歯牙にかけることはなかった。
「な……どうしてですか!」
「どうしてもこうしてもない。そも、此れは私と金色の問題だ。部外者が口を挟むな」
「ですが、妖は!!」
「くどい! 昔馴染みの弟子だから、と大目に見ていたが……お前は何様のつもりだ?
まだ囀るつもりなら、その首くびき落とすぞ」
煉夜が明確なる殺気を乗せた瞳で湊音を射抜くと、湊音は「ひぃ!」と情けない悲鳴を上げて肩を震わせた。
蒼は『優秀な弟子』と言っていたが、この程度の威圧で委縮するようでは「まだまだだな」と思いながら前を向く。
一部始終を静かに見守っていた女と視線が交わる。
「お話は終わりまして?
それにしても、人間はみぃんな、同じことを言わはりますなぁ。
人間は善き者、妖は悪しき者、と。
なんで言い切れるのやろなぁ?」
蔑むような視線と声が降る。
狡猾な妖の言葉に耳を貸す必要はないが、人間が必ずしも善でないという点には煉夜も共感出来た。
「まあええやろう。うちの目的はその子です。大人しゅう渡しとぉくれやす?」
「金色を? 何のために」
「さぁて、それを答える義理はあるんやのん?」
「私の庇護下に在る者を、理由もわからず託せるはずがなかろう?」
「ふぅん、えらい大切にしてるんどすなぁ?
それとも愛玩動物としてでっしゃろか。
たまにいはるんよね、うちらを飼い慣らそうとする愚かなお人が。
あんたもその類やろ?
素直に応じひんちゅうのなら、ちぃとばかし痛い目にあってもらいますえ」
パチンと軽快な音を鳴らして女の扇子が閉じられる。
すると、木々の合間の闇から有象無象の妖が現れた。
煉夜は得物を持たぬ左手で素早く印を結ぶ。
『結!』
発声すると結界——三角錐の光の膜が金色と湊音を個別に覆って展開した。
「雅やかに踊っとぉくれやす」
扇子が煉夜に差し向けられ、妖が大挙して襲い来る。
小物ばかりだが百、二百——いや、それ以上かもしれない。
「これはまた……」
「見飽きた光景だな」と呟きながら煉夜は迫り来るそれを見据えて、柄を握る手に霊力を籠めた。
刃へ霊力が伝い、白い波動がゆらめく。
津波のように押し寄せるおどろおどろしい群れ——煉夜はそれに飲み込まれる瞬間、地から天へ、空を斬る様に刃で薙ぎ払った。
——霊力の宿る軌跡は、陣風を生んだ。
激しく吹き荒れる風が邪気を孕んだ妖を巻き込んで、眩い光の洪水となり空へ昇る。
「児戯よなぁ。もっとましな遊戯はないのか?」
凡てを一振りで浄化して見せた煉夜は、口角を上げて挑戦的に笑った。