時は平安の時代。
京に都が築かれ、貴族の力が強くなった王朝では日々権力争いが繰り広げられる。
そんな表舞台の裏側——。
いつの頃からか、世には〝妖〟または〝物の怪〟と呼ばれる魑魅魍魎の怪異が跋扈するようになっていた。
怪異が現れるは、逢魔ヶ刻。
都を守護する神々に仕える巫・煉夜の務めは、怪異を祓う事。
——なのだが。
「ああ、愛いなぁ。金色は可愛い、癒される」
「れ、煉夜さ、んぷっ」
煉夜はたじたじと自分の名を呼んだ金色——その名の通り、黄金色に輝く髪と人ならざる者の耳を頭に生やした妖狐の少年を、自分の胸へ抱き込んだ。
ふわりと陽だまりの匂いが鼻孔をくすぐり、小さな身体から高めの体温が伝わってくる。
ぬくもりが心地良い。
いつまでもこうしていたいと煉夜は思った。
「主様。お楽しみのところ申し訳ないのですが、そろそろ……」
背後から「こほん」と、態とらしい咳払いが一つ。
「無粋だぞ、守橙。私は今忙しい」
この幸福な時間を邪魔するとは何事か。
不機嫌を露わに振り返れば、狩衣を着た男が呆れ顔で見下ろしていた。
髪は燃え立つ炎のような真紅、側頭部には羽根の髪飾り。
開かれた切長の瞳は艶のある暗い赤、赤銅の色。
只人とかけ離れた色彩を持つこの男は、煉夜の〝式神〟である。
「坊を愛でてるだけでしょう。務めを果たさねば、またどやされますよ」
「ふん、それがどうした。こうして金色を愛でていられるなら小言の一つや二つ、痛くも痒くもない。大体、代わりなら幾らでもいるだろう」
煉夜は守橙から顔を背けて金色の頭を撫でた。
絹のように滑らかで触り心地の良い髪だ。
耳はもふもふしていて柔らかいし、 「くすぐったいです」と、恥じらう声すらも癒される。
触るだけでなく顔を埋めて堪能したい衝動に駆られたが——さすがに引かれそうなので我慢である。
「主様の代わりが務まる巫や祝など早々いません。
ほら、駄々をこねてないで行きますよ」
煉夜は纏った白衣の首根っこを掴まれ、金色から引き離された。
「離せ、守橙! 主の命だ!」
「その命令は聞けません」
「主の命に背くというのか? そんな風に育てた覚えはないぞ!」
「命に従うだけでは、主のためになりませんからね。
それに、坊の事だってお上にバレたらまずいでしょう?
疑いをかけられないためにも、やる事はやるべきです」
「く……っ!」
正論なので言い返せない。
狭い家屋の中、外に続く戸へ引き摺られて行く。
「煉夜さん、守橙さん、気を付けて行ってらっしゃい!」
金色が手を振り見送っている。
何とも良い笑顔を浮かべて。
(離れるのが恋しいのは私だけなのか?
まさかくっつきすぎて、鬱陶しいと思われて……!?)
煉夜は無性に寂しい気持ちとなった。
「嗚呼……金色……っ!」
「今生の別れじゃないんですから。帰ったらまた存分に愛でれば良いでしょう。
坊、留守を頼みます」
「はい!」
縋る様に手を伸ばすも今度は担ぎ込まれてしまい、煉夜は為す術なく連行された。
課せられた務め、怪異を祓う闘いへと——。
❖❖❖
逢魔ヶ刻。
やって来たのは怪異の集う森だ。
煉夜達は森の奥、奥深くへと駆けた。
夕闇に支配された森は陰鬱とした気が垂れこめ、風が木々の葉を揺らして「ざわざわ」と不気味な音を奏でている。
「はあ、このところ妖どもが騒がしいな。
お陰で毎夜こうして出なければならないのだから、迷惑な話だ。
金色との時間が持てぬではないか」
「凶事の前兆ですかね。出雲にあった災厄の封印が解けたという噂も耳にします」
「出雲の災厄……か。あれは幾年の出来事だったか。
単なる災厄で無かった事は、覚えているのだが」
「私が主様に仕える前ですから、大分昔の話ですよね。
——っと、来ますよ、主様」
守橙の声に、煉夜は足を止めた。
はらりと眼前に舞った己の黒髪を払い退けて、得物——長い柄の先に、弓張り月の形をした刃を取り付けた薙刀を構える。
邪気が濃くなると同時に、木の合間からの妖は現れた。
姿形は千差万別。
「グギャギャギャ」「ギチギチ」と言った奇声を発している。
知性を兼ね備えてはいない、有象無象だ。
「今宵も小物が大漁ですねぇ」
守橙が赤銅の瞳を細めて妖を見やり、胸の位置に右手を掲げると、手のひらに髪色と同じ真紅の炎が生まれた。
「舞い踊れ、〝神炎〟」
向かってくる妖の群れへ放たれた炎は一瞬にして燃え広がり、邪気を宿した妖のみを塵に変えてゆく。
煉夜は己の霊力を薙刀に籠めると炎の中へ飛び込み、薙刀を振るった。
円を描くように薙いで、斬って、時に斬撃派を飛ばし。
そうして、妖を浄化していった。
——煉夜が金色を拾ったのも、こうした有象無象を滅している時だ。
(思えば、あの出会いは運命であった)
永き時、自分を使役する〝神〟の命に従って、数多の妖を無慈悲に屠って来た煉夜はあの日、金色に出会って。
(……心を、動かされた)
きっかけは、あの色。
満ちた月、あるいは稲穂のような黄金色。
(出会った時、金色は手負いであった。
有象無象に食まれた体は血に塗れ、命の灯火は消えかけていた。
だが、人型と言えども妖。
……掛ける情けは不要だ)
そう思って、金色を捕食しようと群がった妖諸共、浄化すべく煉夜は薙刀を振りかざした。
その時。
(金色の瞳と、目が合った。
あれは、あの黄金色は、私にとって——)
煉夜は息を飲んだ。
ドクリと心臓が脈打ち、胸が熱くなった。
さらに金色は、神威を授かった際に柘榴色へ変色した煉夜の瞳を恐れずに見て、言った。
「助けて」——と。
(……そうして、気付けば金色を救い、連れ帰っていた)
守橙に咎められたのは言うまでもない。
回復して目覚めた金色——身の上を話そうとせず、名がわからなかったので見た目の色から名付けた——は、窮地を救った煉夜を、恩人と慕った。
人の童と変わらぬ無邪気さで、感情豊かに接して来る金色。
(その行動は、存在は、苦痛しか感じていなかった生に希望を与えた)
妖狐は狡猾で、人を化かす事があるのは煉夜も承知している。
神の意に反し、妖を囲っている事が露呈したら、それこそ大事になる事も。
(だが、もう……私は金色を手放す事が出来ない)
己を癒す黄金色の光。
それが煉夜にとっての金色なのだ。