三日間で100作品を読む――この課題を出された時、俺は「あ、これ、師匠に完全に殺されるやつだな」と悟った。
いや、悟ったけど、それを拒否できるほどの勇気もなく、言われた通りの地獄を味わう羽目になった。
——結果やりきった……でも俺の体はボロボロだ。真っ白い灰になったぜってセリフを、今まさに体感している。達成感がすごいぜ。
目の下にはクマどころかパンダでもビビるレベルの影ができ、肩はゴリゴリに凝り固まり、頭はフワフワする。カフェインを摂りすぎたせいか、体は動いているけど魂はどこか遠くに行ってしまった感じだ。
あんなに美しかったはずの師匠のお顔が、今日は地獄の閻魔に見えるのは気のせいだろうか。
「……随分と疲れた顔してるわね」
あなたがそれを言いますか?もしかしてサイコ○スなの?
鏡を見てないけど、自分がどれだけひどい顔をしているか、なんとなく分かる。多分、ゾンビ映画に出てもノーメイクでいけるレベルだ。
「ええ、師匠の課題を、全部やり遂げましたからね……」
疲れ切った声でそう言うと、九頭竜炎牙は軽く微笑んだ。
「そう。よく頑張ったわね。でも、これで終わりじゃないわよ」
その一言が、疲れた俺の心をさらに打ち砕いた。閻魔って思ったけど違う、この人は魔王だ、しかもチート付き。
「で、どうだった? 100作品の中に傑作はあった?」
いきなり核心を突く質問がきた。俺はカフェオレを啜りながら(疲労のあまり、砂糖を4本も入れたせいで甘ったるい)、正直に答えた。
「うーん、正直、五話だけじゃ判断が難しいです。でも、面白そうだと思ったのはありました」
「そう。じゃあ、読んだ100作品以外に“傑作”あった可能性は?」
「そりゃ……ありますよね」
俺がしぶしぶ答えると、九頭竜炎牙は頷いた。そしてこう続ける。
「そうよね、こんな選び方で本質的な傑作を見つけ出せるわけないし」
「いや、それ言っちゃいます? 師匠が出した課題ですよね?」
俺は思わず突っ込みを入れる。というか、それって俺の三日間を完全に否定するってことじゃないですか?まさかただのしごき?今は令和なんですけどぉ!
「じゃあ聞くけど、君はどうやって読む作品を選んだ?」
「えっと……とりあえず現代ファンタジーのランキングを見ました」
「どうして?」
「だって、それが一番効率的でしょ?すでに読者に選別されてるわけだし」
効率――そう、それが読者である俺の最初の判断基準だった。時間が限られてる中で選択肢が多すぎて、ランキングに頼るしかなかったというのが本音だな。
「効率を重視したのは、時間が足りないって感じたからよね」
「そりゃ三日しかないって言われたら、探す時間だって希少だし、リストされてる中から選ぶのが早いですもん」
俺の言葉に九頭竜炎牙は一瞬だけ微笑む。あ、これ絶対、何か厳しいこと言われる前兆のやつだ。
「そう、時間だけはすべての人間に平等なの。読者が求めているのは、自分の貴重な時間を効率的に使おうとする意識。それを君は今回、体験したんじゃない?」
その言葉に、俺は思わずカフェオレを置いた。いや、冷静になって聞くと正論すぎて反論の余地がないんだけど。
「だからランキングを目指せって言うのは理解出来ますよ、でもそれを分かってても、どうにかなるもんでは……」
「でも、読まれなければどんな傑作も、存在しないのと同じよ」
その瞬間、俺の中で何かがプツンと切れた音がした。いや、違う。切れたんじゃない。何かが繋がったんだ。
「じゃあ……俺がこれまで書いてきたものって、ランキングに載る工夫が足りなかったってことですか?」
「そういうことね」
九頭竜炎牙は虚な俺の顔をみて一瞬微笑むと、静かにカフェラテを飲み干した。そして、ふと遠くを見るような目をして言った。
「ねえ、佐倉大地君。ちょっとたとえ話をしてみましょうか」
「え? たとえ話?」
突然のことに俺は首を傾げたが、彼女は気にせず続けた。
「もし君が農家だとする。そして、一生懸命工夫して、大事に育てたとても甘くて美味しいイチゴを、スーパーのイチゴ売り場に他のイチゴと同じようにただ並べられたとしたら……どう思う?」
「どう思うって……そりゃあ、自分のイチゴが一番特別だって分かってほしいですね」
「特別だと思うなら、どうして欲しい?」
「えっと、たとえばポップとか試食とかで、他のイチゴと差をつけてアピールしてほしいですかね」
「どうして?」
「そりゃだって……愛情持って育てた自分のイチゴが一番かわいいでしょ? どれだけ頑張ったかを知ってほしいし、ちゃんと選んでもらいたいから……」
そう言いながら、ハッとした。これってもしかして、俺の作品をイチゴに例えて話をしてる?
「……じゃあ、君は自分の作品にそれをやってあげてたのかしら?」
九頭竜炎牙の言葉が鋭く突き刺さる。俺の脳内で、過去に書いた作品たちが次々に浮かんでくる。でも、そのどれもが「ただ並べただけ」のイチゴだった気がする。
内容には自信があった。でもタイトルもあらすじも適当に済ませて、序盤の展開もだらだらと……これじゃ、読者が選ぶわけないか。
九頭竜炎牙は軽く微笑むと、こう続けた。
「君のイチゴが美味しいのはわかってる。でも、それを“他と違う”とアピールする工夫をしなければ、ただのイチゴのひとつに過ぎないのよ。読者は、特別な理由がなければ手に取ってくれないわ」
俺は何も言えなかった。彼女の言葉が全て正しいからだ。
「タイトルやあらすじは、作品のポップみたいなもの。それを見て『読んでみたい』と思わせなければ、どんなに中身が良くても読者には届かない」
俺はコーヒーカップを見つめながら、小さく頷いた。
「……師匠の言う通りですね。でも、なんか悔しいな。俺、読者にちゃんと向き合えてなかったってことですよね」
「そう気づけただけ、今日の君は少し成長したわね」
九頭竜炎牙はそう言うと、またカフェラテを一口飲んだ。その言葉が、少しだけ俺の心を軽くした――と思ったのも束の間。
「さて、次はあなたの書いたプロットを現代ファンタジーに改良して、ランキング一位に載せる作業を始めるわよ」
彼女が放ったその一言で、俺の心は軽くなったどころか、一気に真っ暗になった。
「……え、もう次の地獄確定ですか?」
「当然よ。ここからが本番なんだから」
その微笑みが優しいのか、怖いのか、俺にはまったく分からなかった。