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『惑星フダラク』

 夜空にだけ見えるあの惑星。


 ぼくにしか見えないあの惑星は、いつも薄橙色にぼんやりと輝いている。


 安アパートのベランダから肉眼で確認できるその惑星を、ぼくは何時しか『補陀落ふだらく』と呼んでいた。


 毎晩、紙タバコをうついでに夜空を見上げている。そして階下を見下ろす。


 仕事帰りなのか、夜遊びなのかは知らないが、孤独そうな群衆たちが外界には大量に蠢いている。彼ら彼女らの表情は暗くて窺い知れないが、おそらく、ぼくの中のとても大切な基準に照らし合わせると、あまり愉しそうな顔はしていないだろうと察せられる。


 ――そんな群衆たちにも。


 補陀落は薄橙色の光を照らしている。


 その妖光(或いは聖別された光)に多くの人々は気付いてはいない。まるで海棲生物が海水を海水だと認識できないように。人間が空気を存在して当然だと思っているように。神が明日の食事を意にも介していないように。


 ――補陀落に照らされると人はどうなるのか。


 そんなことを考えていた日々もあった


 だが、補陀落は恐らく、何万年も、何億年も前から宙空に存在している。


 ぼくにはスケールの大きな話は理解できない。だから、補陀落の光について考えるのを中止した。


 補陀落の照らし示すこの星では、ささやかなしあわせも大きな不幸も、飢餓も、戦争も、生も、死も、すべてが有り得るし、有る。実際に有る。


 街角には闇金融事業で頭角を現し当選した政治家のポスターが貼ってあるし、電柱のふもとでは子猫の死体を大ガラスが啄んでいた。


 ――有る。


 すべての不幸もかなしみも、有る。


 有るからどうしたのだ。


 それが多分、補陀落からの問いかけなのだろう。補陀落が存在するためのシステムといってもいいかも知れない。


 答えは人間の脳内迷宮の奥深くにあるのかも知れない。無いのかも知れない。


 断言できるのは、その迷宮はとても深く、くらく、かなしいという事だ


 そしてそこの最下層(或いは最上層)は神の位相だ。


 ぼくは懐から携帯灰皿を取り出すと、紙タバコの火を三回押し付けて消した。


 補陀落が見えるようになってから、ぼくはベランダに出る事にかまけて恋人とは疎遠になっていった。


 それでいて特にうつろも寂しさも感じてはいない。


 たましいが補陀落に囚われてしまったのだろうか。もしくは妖光にこころが囲われたのか。


 そのままいのちを食い潰して行けば、ぼくはいつか補陀落に到達できるのだろうか。 


 ――自由な囚人。


 特に不便や不自由を感じるということもない。やろうと思えば何だってできるし、会社にも行っている。趣味の刃物集めや刃物磨きもこなしている。囚われているというよりは自由自在過ぎて、逆に何をすればいいのか分からないほどだ。


 ぼくの人生には自由がある。


 ――だが。


 補陀落の存在する理由だけが、見当たらない。


 それが人間の思考の限界なのだろうとも思うが、一家が離散して中卒で働き始めた自分にはその難問は高等過ぎた。


 人間は限界のある檻の中でだけ活性化するのかもしれない。ぼくを囚えている檻は補陀落だ。


 妖光に照らされていると現実感が薄れていくのだろうか。それとも、単純にぼくはこの次元に興味を持てなくなっていってるのか。最近は実像と実益への関心がぽろぽろと崩れていく。引っくり返るように。


 ――人間が裏返っていく。


 ――さかさまになっていく。


 象徴的にも、心理的にも、物理的にも。


 補陀落が照らすこの星、地球は宇宙塵が集合して不幸を作り上げた。不幸の源は人間だ。


 ――ならば。


 人間を裏返すとどうなるのか。


 事象をさかさまにするとどうなるのか。


 ――補陀落の妖光。


 補陀落の謎のひとかけらに触れた気がして、ぼくはハッとした。


 夜空を見上げた。


 階下を見下ろした。


 補陀落は相変わらず薄橙色にぼんやりと輝いて、大衆を照らしている。ぼくも照らされている。街が、社会が、地球が照らされている。


 ぼくが妖光に照らされて裏返る時、何人の人間が、どういう規模で、どう裏返るのだろう。世界が、さかさまになるのだろうか。


 すべてが逆になれば、あの夜空の補陀落に人々のたましいが還るのだろうか。


 ――世界を裏返さなければ。 


 少し嗤うとぼくは室内に戻り、コレクションの中でも最も刃渡りが広く、切れ味の鋭いコンバットナイフを選び、手にした。

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