子供のころから、色々と
きっかけが何だったかはもう思い出せない。ただ、漠然と視えていた。茜色の空には何かが舞い踊っていたし、水面を覗き込めば小石のひとつひとつが玉虫色に光っていた。
視野内の異彩と共に生き、それに疑問を持つ事もなかった。
生きていく上で不便を被ったこともない。食べていくに十分な親の遺産はあるし、そもそも他人とあまり関わらずに生活をしている。古書と苦めのコーヒーがあれば満足できる性質な上、幼少時から夢見がちだった自分としては、現実世界で何かを求めすぎることこそに強い拒否感を覚える。
今日は手にしている宇宙塵についての本に銀色の光が視えた。ある一節にそれは走ったのだ。
しかし、最近は視える頻度が少し多い。虹彩の異常だろうか。それともこれは、何らかのサインなのであろうか。
初夏の午後、この屋敷に存在する人間は自分一人。そのまま静かにこの世から消えたとて、世間は少しも表情を変えないだろう。願わくば宇宙塵と化して散りたいばかりだ――そんなことを考えるうちに、ゆっくりと陽射しに微睡む。
やがて、目が覚めた。
五時間ほどは眠ったのだろうか。もう夕闇が空と室内を侵食している。
ふらっと立ち上がると窓枠に手をつき、黄昏時の庭園を眺める。
夕闇が質量を持って収束し空と地面を繋いでいる様子が視えた。そこにきらきらと銀色の粒子が舞っている。ふと床に目を遣る。読みかけの宇宙塵の本が落ちていた。続いて天井を見遣る――そこにも銀色の粒子がちらちらと輝いている。
何だろう。
胸騒ぎというほどでもないが、落ち着きの奇妙な欠如に襲われた。今まで、何かが視えたときにこんな不安定な気持ちになることはなかったのに。
そわそわとしながらもどこか客観的に自分を見つめていた――まずはコーヒーを淹れて落ち着きたい。
キッチンに向かおう。そう判断して部屋のドアノブを握ったとき、何かが頭に流れ込んできた。慌ててドアノブから手を離す。
恐る恐る、もう一度ドアノブを握る。それはやけに冷たかった。
そして、ドアを開けた。
――ドアを、開けた。
そこには見知った廊下ではなくただ闇が広がっている。有機質で息が詰まりそうな、しかしどこか懐かしい闇が。
しばし絶句したのち、目を凝らすと灰色の岩肌が視えてきた。廊下は、洞窟へ変化していた。
何も語らない闇の最奥に、少しだけ銀色の輝きが視えている――たまたま読んでいた本に詩的に描写されていた宇宙塵のような、きらきらとした輝きが。
歓喜が身体の芯から湧き上がり、闇へと一歩を踏み出した。恐怖も驚愕もない日常的な一歩を。
足の裏に少し湿気た感覚がしたが、構わず歩き続けた。奥へ、闇の最奥へと。
胎内回帰めいた感覚のする闇の中、どこをどう歩いたのだろう。
目も、耳も、鼻もあてにせず、視えたものと、視えかけたものだけを頼りに、気づけば岩室の中に居た。
岩室の中央には祭壇のようなものが置かれており、その上には――巨大な銀色の物体が蠢いていた。
ぶよぶよと蠕動し、鈍色の光を放つその物体はただ蠢いている。
――蠢いている。
自分の頬に涙が伝うのが分かった。
視えたから。
そして、知った。いや、識った。
すべてを。
――すべてを。
そして宇宙の中心の闇の中、次の支配者たる自分は膝をつく。