先程から、モノトーンの蛾が一匹、照明灯の付近をゆらゆらと飛んでいる。
わたしのお部屋に侵入してきた異物。
どこから入ってきたのか、いつから居るのかは判らないけど、とても煩わしくてイライラする。
――叩き殺してやりたい。
そう思うも、立ち上がるのが面倒臭い。動くのがダルい。あんな蛾ごときを追いかけるのもわたしのプライドが許さない。
でも、ひたすらイライラする。
もうわたしは十七年間このお部屋に引きこもり続けている。その間誰の侵入も許可した覚えは無いし、たまに買い物に行くときにもちゃんと鍵をかけたか何度も確認している。
この部屋の女王はわたし。
わたし以外の人間は存在しないし、してはならないのだから。
だからいくらでもポテチを食べるしコーラも飲む。体重はかなり前に計るのを止めた。服はずっと同じジャージで十分。誰にも何も言われないし、言わせない
――それなのに。
ぱたぱたと舞う蛾がわたしのお城を壊そうとしている。存在しないかのように白くて、うっすらとした蛾が。
イライラする。
わたしの領域に飛び込んできた蛾に、イライラする。
わたしが築いた人生に勝手に現れた蛾に、イライラする。
中学生のときを思い出す。
肉塊呼ばわりされたことを。集団で殴られたときの頬の熱さを。汚物を見るかのような教師の目を。
吐き気がした。
胃の腑から込み上げてくる酸味に少し顔が歪んだけれど、机の上のコーラをがぶりと飲んでそれを押し返す。
こんな虫けらに負けるわけには行かない。
わたしは人生の責任を常に自分で負わされ続けてきた。だからお部屋をお城にして引きこもった。
物心ついたときから父はいないし、口うるさかった母はもう喋れなくなっている。
今ごろ骨だけになっているのかな? そして、くく、と変な笑いが漏れる。
自分で築いたお城と人生だ。ポテチのパッケージやコーラのボトルのカラフルさがわたしを祝福してくれている。壁際に並べたぬいぐるみだって、埃をかぶっているけれど優しい色彩に満ち満ちている。
わたしは人生に勝ったの。
みじめな労働もせず、馬鹿とも関わらず、寝たいときに好きなだけ眠って、お腹が空いたら好きなものを食べる。
鮮やかで活気づいたわたしのお城。
――なのに。
このイライラは何なんだろう。
たかがモノトーンの蛾一匹にわたしは今イライラさせられている。
わたしは机の上の雑誌を掴むと立ち上がった。
長時間あぐらをかいていたからか腰と膝が悲鳴を上げ、そしてそれがまたわたしを苛立たせた。
――殺してやる。
わたしはゆっくり雑誌を持ち上げると蛾のほうをじっと見た。狙いを定め、振り下ろす。
――外れた。
何度も何度も宙に雑誌を叩きつけた。そこに憎たらしい人間が立っているかのように。母に対して何度も包丁を振り下ろしたときのように。
――死なない。
蛾はふわふわと非現実的な飛び方をして、さらさらとわたしの攻撃から逃げる。
さながら色彩に満ち溢れたお城の中を舞うモノトーンの道化。
イライラが最高潮に達して、わたしの中で何かが切れた。
喉が鳴る。涙が滲んでくる。
わたしはどくどくと嗚咽した。
――もういいから。
――もう疲れた。
――死なせて。
――わたしに死を与えて。