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呼び声に応えぬ(二)

 屋敷に辿り着いた。合流を果たしたゲイツに怪我はなく、村人達への被害も最小限に抑えたまま全員無事にサヤの屋敷へ収容させた。村の有力者が後は取り仕切ってくれている。

 ゲイツは、エリサの顔色が優れない事を心配してくれたが列の左側でも二体を倒したそうだ。どちらもゲイツがやったのは想像できるゆえ自分より彼の方を労わるべきだ。

 討伐数、計四体。カズマが相手しているアトルギアで五体。

 まもなくカズマ達が館に戻った。全員無事とは言い難く、帰ってきた十人のうち四人が重傷を負っている。むしろ兵士でもない戦いの素人達が奴らを倒せただけでも奇跡に近い。

 怪我人の一人にシビリオも含まれていた。彼は自らの脚で生還したものの右肘から先を失っていた。ソヨカを始め負傷者達の身寄りが泣き喚いている。機械の恐怖に脅えた者達の嘆きの言葉が館の中に渦巻いている。

 カズマは先の一戦でだいぶ疲弊したらしい。肩で息をしながら廊下の片隅でうなだれていた。

「カズマさん、よくぞあれだけの人を生きて帰した。称賛するよ」

「……五人死なせた。見張りは八つ裂きにされていた。十五人が死んだ」

「まだ二百人が生きている。あなたが立たずに誰が立つ」

「この村の周囲一里内にはセンサーを仕掛けてたが全て破壊されている」

「倒したシシュンの中に擬態可能なステルス型個体がいた。奴らの仕業に違いない」

 ゲイツの言葉を聞きこちらをちらりと見たカズマの顔は血で染まっていた。

「血だらけじゃないか、怪我はどこを」

「いや、これ全部味方のだ。俺は無傷だ」

 カズマは力尽きた者達を一人でここまで運び込んだ。抱えてきた者達の血液でその容貌はすでに亡者の相を呈している。

「俺は無力だ。大事なものを何一つ守れやしねえ、一族の恥さらしだ」

「そんな事はない。あなたは勇敢に戦った。村人はまだあなたを頼りにしている、希望を捨てるな」

「すべて完璧だった、俺の計画に狂いは無かったんだ、三日前まで……三日前まで!」

 突然、カズマがゲイツの胸元に掴みかかった。

「お前達だ、お前達のせいで俺の計画に狂いが出たんだ。お前達がこの村に来たから奴らは嗅ぎ付けて来たんだ。お前達さえいなければ俺達は平和だった、お前達さえいなければ俺達が怯えることはなかった、お前達さえいなければ俺達は……死なずに済んだ!」

 ゲイツの頬に拳を振り抜いた。さらに拳を振り続ける。

「お前達のせいだ、お前達のせいだ、お前達のせいだ、お前達のせいだ! 返せ! 全部返せよ! 俺達の平和を! 返せっ!」

 不条理な殴打がゲイツの顔面を捉え続ける。カズマは喚きながらゲイツに馬乗りに殴り続けた。ゲイツは一切抵抗しなかった。

「……気は済んだか」

「黙れ!」

 振りかぶった一撃を正面から浴びせた。ゲイツの鼻から鮮血が噴き出す。

「カズマさん、これが世界だ」

 穏やかな声でゲイツは言った。その顔には怒りも浮かんでいない。

「あなたが俺達を憎もうがそっちの勝手だ。それで今この現実が変わると言うのなら俺達を殺したって構わない。ただ、そんな絵空事で世界は変わらない。戦うのは人間同士じゃない、現実だろう」

 頭を抱えてカズマは叫び出した。知っているのだ。ゲイツだけでなくカズマもそんな当然の理屈など。同情しようと思えば掛ける言葉はいくつでも浴びせてやれる。だが彼に必要とされるものを与えられるほどエリサ達にな心は無かった。

「カズマさん、親がいないあなたは人に甘えることを知らず、両親が遺した一族の導師という役目のもとに生きてきた。たった十五年間で皆を認めさせるだけの努力をした」

「お前に俺の何が分かる」

「君なら俺を理解できる」

 ゲイツは左腕の袖をまくり、人前で決して外す事のなかったグロオブを外した。

 カズマの前に晒されたゲイツの腕は、人間の物ではなかった。

「実は俺、改造人間サイボーグなんだ」

 続ける。

「親に戦場に送られて、左腕と右脚を吹っ飛ばされちまった。小さい頃から好きだった機械いじりで義肢ぎしを作って生き延びたって人間よ。ほれ、右脚」

 そう言って更に見せた右脚も機械で動いている。ピストンで律動するポンプに彼の大動脈が透けて見える。

「そこらの機械工より技術はあるぜ」

 親に見捨てられ、アトルギアと戦わされ、失った身体の一部を機械に作り直して今でも生きている。ゲイツとはそういう男だ。彼の生きて来た過去はエリサも既に聞いていた。これに収まらぬ凄惨な過去を彼はまだ持っている。だがカズマにはゲイツの義足を見ただけで響くものがあったようだ。

「俺とエリサはどっちも天涯孤独の乞食の出だ。その中で傭兵やって日銭を稼いで今日の今日まで生きてきた。どうだ、俺はいったい何者だ?」

 ゲイツは本心を見せないが、情けがない男じゃない。エリサは彼のそういう所を知っている。情けで動けば堕落を招き、理に働けばいさかいを呼ぶ、だから心を浮浪させ思うままに言動する。動物性を捨ててなおも虚無主義的でもない。生きている限り、信じられるのは自分の存在だけなのだから。

「私とゲイツは自分の居場所を探して旅をしてるの。心穏やかに過ごせる場所を」

「お前は故郷を追われたのか」

「ええ。身を引いたの。皆が嫌いと言うものだから」

 そして旅の途中で偶然出会った者同士。ゲイツとエリサの二つの孤独が辿る旅路はアオキ村に至っている。

 この世は地獄だ。それでも自分達は生きていて、世界に産み落とされた理由を求めて抗っている。救いの無い世界だけれど、誰かを救って自分の生きた証になるのなら、地獄に居残る言い訳が立つ。

 エリサとゲイツが戦士としての道を選んだ理由はそこに在る。

「……お前達は寂しくはないのか。集団に属せずただ二人で世界を旅して」

「さあ? 知らね。不足って、足るを知る人だけが味わえる娯楽か何かと思っててさ」

 ゲイツが困ったように頭を掻いた。「ぶっちゃけあんたもそうだろう?」と微笑み返すとカズマは虚を突かれたように眉根を上げて姿勢を崩した。

「俺は機械から生まれた人間だ」

「カズマさんを生んだのが……機械?」

 ゲイツにカズマは頷く。

「俺の両親。母は機械に。父は人間に殺されている」

 絞り出すかのような細い声でカズマの独白は始まった。

「母親は俺を生む前に死んでいた……アトルギアに襲われて。胎内にいた俺は祖父の遺した生命維持装置で胎児のまま生き延びた。俺を生かした父親はジプスの旅中、野盗と戦い、首を斬られた」

 初めて人に話すのかカズマの声は慎重で一つひとつ言葉を探している様に聞こえる。

「機械と人間。俺にとって敵かどうかの区別なんて俺の行く手を邪魔するかしないかでしかない。俺はいつも飢えているんだ」

「何に飢えているんだい」

「この魂が落ち着ける場所に」

 ゲイツは唇と鼻の境をすぼめて声を漏らした。

 この時エリサは自分が彼を誤解していたと自覚した。カズマはジプスの首領として強く孤高な男として認識していた。村の平和を守るため己に厳しく民に頼もしいリーダー像を体現した存在としてエリサ達に対峙していた。

 しかしそうではなかった。カズマの抱く物は自分が抱く渇望と酷似しているのではないか。他者から如何いかなる評価を与えられ偶像を突きつけられようと中身は年相応の焦燥感に怒りを抱く少年じゃないか。

 ――こんな俺でも満たされるような。

 ――こんな私でも認められるような。

 そんな居場所を探している。

「山の向こうから来たお前達と出会い思った。俺は……」

 ただ現実を前に藻掻きながら。

「俺は変わらない現実を憎むべきだと知った」

「オーライ、腹が決まったな」

 ゲイツは相好を崩してエリサに親指を突き立てて見せた。エリサもカズマの黒い瞳に力ある怒りを感じ、胸の奥にひりつきを得る。エリサはカズマに向けて言った。

「共に戦おう」

「生き残るんだよ、このジプスにいる全員で」

 もう安心だ。エリサはカズマと向き合った。

「友達になろう」

 カズマは怪訝けげんな顔で同じ言葉を聞き返した。

「サヤが言っていた。カズマはいつも忙しそうだって。サヤは友達を欲しがっていた。だからあなたも欲しいんじゃないかと推測する。どう、友達」

 暮らしの環境は違えど人としての感覚は通い合うと信じたい。これまではありえなかった行動。カズマに手を差し出すことを、試みた。カズマは奇人を見るような目で視線を交えた。

「やるなら早くやってほしい」

「エリサちゃん、当たりが強い」

「ちんたらしている時間はないの」

「どこでそういう言葉を覚えてくるの君」

 カズマはエリサの手に視線を落としている。この手が繋がればアオキ村と二人の傭兵の関係が改まる意味の重い握手になる。ただそれを顧みずともエリサは単純にカズマとの関係を良好にすること自体に意味があると考えていた。今一度カズマの目を見る。黒目が大きく眉がはっきりとした英雄的な相貌そうぼうだ。両者の視線が絡まる。

 カズマは時間をかけてゆっくり手を差し出すとエリサの手を握った。

「私達は、友達だ」

 エリサの表情が少しほころんだ。――のちにゲイツに言われて知る。

「これから俺達はただちにアオキ村を出発する。目指すは南東のヒル=サイトだ」

「了解した」

 もはやアオキ村に残るタイムリミットはゼロだ。長居するだけ敵が迫る。

 ――急ごう。

 カズマは直ちにジプスの有力者を集め即時出立の旨を発した。

「サヤを連れてくる……お前達も来てやってくれ」

 戦々恐々と事が慌ただしくなる中でカズマはそう呼びかけた。屋敷の奥の間。サヤの居室だ。入るとひと担ぎのかめが用意されていた。更に奥には小さな祭壇が設けられ、むくろがひとつ目に入った。

「気がついたか、あれは先代巫女のものだ。俺の一族は代々、先代の骸を祀まつって当代巫女に自覚を植え付けてきた。お前達にどう映るかは、聞かないがな」

 そっと手に取り傍らの木箱に骸を収めるとカズマは胸に抱いた。

「これにサヤが入ってる」

 そして部屋の中央に佇む小さな甕の蓋を開けると、今の木箱をサヤが眠ると言うその中に入れた。甕の縁は綱で結ばれそれをカズマが背負う。

 主を失った部屋はどこかもの哀しい空気が下りており、彼女が使っていたであろう家財はそのまま置いて行かれるようだ。しかしどこかがらんどうにも見える。

 感傷に酔う暇はない。行こう。

『未回収ノ不明ナデバイスヲ検知シマシタ』

 エリサの考えを遮ったのは祭壇を背にした時どこからか聞こえた声だ。

「今のは」

「……エリサ! カズマさん! 離れろ!」

 ゲイツが叫ぶと背後の壁が真四角に切り取られた。

 破壊音。くり抜かれた壁が吹き飛ぶ。

「ヤバいのが来たぞ、カズマさん、皆を連れてここを出ろ!」

「何だあれは!」

「アトルギアに決まってるでしょ! 早く逃げな!」

 カズマはゲイツに従い広間に向かった。エリサは抜剣ばっけんして壊れた壁の方を見る。だが壁に空いた穴の向こうには何もいない。あたりの気配を探るが排気音どころか金属音すら聞こえない。

 ――ステルス型のシシュンか。

 遮蔽物しゃへいぶつの多い館内に侵入されると厄介だ。仕留めるなら外だ。

「ゲイツ」

「おう」

 二人で背を合わせ壁の穴ににじり寄る。気を集中させて外へと一気に躍り出る。しかし標的はいない。どこかに潜んでいるはずだ。垣根の裏、岩の陰、屋根の上、奴らはどこにでも現れる。高度知的無機生命体のいわれである。ターゲットを狩る為ならいかなる計算でも確実に遂行する。

 ――いかなる計算でも?

 冷たい恐怖が背筋を貫いた。

「引き返す。奴の狙いは、私達じゃない!」

 ゲイツの返事を待たず踵を返して館に駆け込んだ。

 最悪の予感だ。

「カズマ!」

 飛び入った広間で異臭が鼻腔を突き刺す。惨憺さんたんたる有り様だった。カズマ達は去ったのだろうか。逃げ遅れた村人達が、無惨な姿で取り残されている。奴は広間の中央にいた。

『有機反応認定。対象ヲ摂取シマス』

「うっ……」

 エリサは反射的に眉をしかめた。人を喰っている。動けなくなった人間をつかんでむしゃりむしゃりとかじりついている。まるで人が肉を食うように両手を使って……。

「なんだあの個体は。エリサ、奴の情報は持ってるか」

「知らない。初めて見る形。アダル型にしては小さすぎる」

「じゃあシシュン型か?」

「シシュンはもっと獣に近い。ゲイツだって分かるでしょう」

 エリサは改めて奴の姿を注視した。アダル型に似て非なる姿をして、平たく肥大化した頭部が頸部と合着し、茸のようなフォルムを為している。そして背丈が人間とほぼ変わらない。だが、最もエリサを戸惑わせたのは他にある。

「あいつ……此方に興味を示さないだと? 人間を襲っておいて俺達に反応して来ない」

 アトルギアは動く人間に襲い掛かる習性を持っており、ひとたび視界に入ってしまうと戦闘は避けられない。だが奴は此方をじぃと見つめたまま食事のような行為を続けていた。

「ッ! エリサ、あいつが食っている人ってまさか」

 ゲイツが身を引き千切りそうな声で言った。奴の細い腕を見る。その先にある手元を見る。ぶらりと垂れ下がった状態で頭を喰われている……あの妊婦は。

 全身を鋭い氷が貫いた。

 理解と同時にエリサは吠え、そして地を蹴った。抜剣の勢いが鞘から火花を飛び散らせた。頭髪を逆立てながら烈火の如く縮地で斬り込む。

 よくも彼女を喰ったな。よくも……よくも!

 エリサの喉から飛び出す憎悪は、その身を動かす筋繊維に常軌を逸したシナプスを出す。火花のように高速のエリサは敵を仕留める一矢となった。館の外で上がる火の手が右手の剣を光らせる。緋色ひいろの閃光を灯した刃を裂帛れっぱくの気合いで勢いづけ殺意もろとも敵へとぶつけた。

「がふッ」

 エリサは、したたか背中を壁に打ちつけた。

 腹部に鈍痛。

(弾き返された……今の一瞬で?)

 痛覚が一瞬の出来事を説明する。見えなかった。目に追える速度を越えた一撃が奴の腕から放たれた。

「エリサ!」

 ゲイツが身を起こしてくれた。傍に目をやると男が二人倒れている。なんとカズマとシビリオだ。彼らも同じてつを踏んだのか。幸いにも二人の息はまだある。死んでいない。

 だがカズマの背負う甕が割られていた。中身はどこに?

『燃料ノチャージガ完了シマシタ。不明ナデバイスヲ採取シマス』

 機械音声が響く。小型の奇行種は一方の手で食っていた死体――信じたくない――を掴み片一方で背後にあった小さな人間を拾い上げた。あぁ見たくない。あれはサヤだ。

「奴を止めるぞエリサ!」

 ゲイツが行く。その背を追って自分の右手を確かめながら、再び駆けた。骨は折れていなかった。二人で奴に斬りかかる。ゲイツはサヤを、自分は妊婦の死体――信じたくない――を持つ腕を斬り落としにかかった。しかし突如として奴の姿が視界から消えた。

「何っ」

 ――ゲイツ、上!

 口が間に合わない。頭上から降ってきた奇行種がゲイツを踏みつけた。床板が割れゲイツの身体が深くめり込む。この隙を逃すか。エリサは腰から引き抜いたピーニック・ガムを発砲した。狙うは脚部。

(まずは機動力を奪う)

 命中したか。その期待は否定された。確かに当たった。しかし粘着弾の内容物を引きちぎる脚力をあの奇行種は持っていた。奴は易々と纏わりついた粘液を振り払う。なんという馬力なんだ。

「ゲイツ、生きてる?」

「地面だったら死んでたね」

 床の穴からゲイツは親指を立てる。悪運の強い男だ。

「エリサ、五秒稼げるか」

「六秒までなら引き受ける」

 ももに装着したホルスターに銃身をかすめる。粘着弾の装填そうてんはこれだけで済む。

 機動力が駄目なら視覚はどうだ。頭部に光る眼光に向け弾丸を放った。すかさず次の弾を込め重ねて奴の視界を奪う。ピーニックとは同名の植物から取れる樹液を指し紫色の濃い液体は乾くと蓄光ちっこうして怪しげな色彩を出す。要するに着色作用を持っている。

 着弾した顔面が紫色に染まり奇行種は動きを鈍らせた。作戦成功。エリサは剣に手を掛け踏み込んだ。

 ――返せ。この悪魔め。

 憎悪を沸かし一閃を放った。

「あ……」

 しかし衝撃的な映像がエリサの瞳に映ってしまった。予想外の事態にエリサは振り抜いた剣すら引かぬまま考える事を放棄した。余りにも無残。

 奇行種は、人の死体を盾にした。言葉を失いエリサの意識が遠のいた。茫然のエリサを他所に、奴は両眼の塗料を引き剥がす。

「下がれエリサ! チキショウめ」

 髪の赤い影が横を過ぎる。彼の武器は剣から長柄に変形していた。金属同士の強く触れ合う音が鳴るたびに火花が散って闇夜の堂内がほんの一瞬明るくなる。機巧武器がゲイツの誇る最強武器。

「ゲイツ、無理だ……あなたにそいつは倒せない」

 エリサは奴と交わした二、三のやり取りで学び取った。

 ――奴は一度も能動的に攻撃してない。

「何なんだこいつは、攻撃性がまったくない!」

 息を荒げたゲイツは奴の間合いから離れた。そう、エリサがダメージを負わされたのはこちらが攻撃した時だけ。そしてゲイツには反撃すらせず防戦一方に徹している。まるで戦うまでも無いと言うかのように。

「……もう、十分だ、ということか?」

 堂内の惨状に満足したと言わんばかりに奴の挙措は落ち着いていた。

『襲撃者ノ戦意喪失ヲ判定。マザーヘノ帰還ヲ開始シマス』

 感情のない音声を吐くと腕に掴んだサヤを顎にくわえ、おもむろに身を屈めた。餌を狙う肉食獣のごとき半身の落とし方。

(あの体勢は……)

 咄嗟に地面に這いつくばった。次の瞬間自分らの真上を奇行種が物凄い速さで飛び越えていった。館の雨戸を破り鋼鉄の巨体が屋外に向けて躍り出る。

「サヤ、サヤ!」

 いつ意識を取り戻したのかカズマの叫び声が奴の背中を追う。村には火の手が回り始めている。炎に映る奇行種の姿は森の中へと消え去った。逃げ惑う人々の阿鼻叫喚あびきょうかんが館の外から聞こえている。

「くそったれがあっ!」

 カズマが絶叫した。アオキ村は人を殺され村を焼かれ象徴までをも辱められて奪われた。これほどまでに屈辱的な敗北があっただろうか。カズマの慟哭どうこくが生存者のいないサヤの屋敷に響く。

「……取り返しに行く、サヤを、奴らから取り返しに行く」

「無茶だ。奴の戦闘力はこれまでの個体と桁違いだ。俺達ですら歯が立たな……」

「死んだも同然だ!」

 血唾を飛ばし彼は怒鳴った。

「あいつは、俺の命なんだ。あいつの使命を全うするために俺は人生を捧げてきた。サヤ、あいつがいなければ、俺は、死んだも同然だ」

 カズマは頬に血の涙を流している。愛する者のために死にたい、そんな強い感情をエリサはこの少年に感じ取った。しかし当のサヤは既に死んでいる。まったく理屈の通らない話である。

「ソヨカ、ソヨカァ……あぁ……」

 部屋の隅ですすり泣く声。シビリオだ。シビリオが奇行種の残した死骸に取り縋っている。エリサが両断した体を片方しかない腕で必死に抱きしめて泣いている。彼の心はすでに壊れかけている。

「ソヨカ、ソヨカ、ソヨカ……」

 ぶつぶつと彼女の名前を繰り返し呼ぶ彼の目にもはや精気は無い。カズマが彼の元に歩み寄る。

「シビリオ」

「……カズマさん、触っておくれよ。ソヨカの身体。まだ、温かいですよ、手当てすれば、きっと、まだ、助かる……ほら、この手、温かいよな……」

 シビリオの様子を見てカズマはその肩を抱き寄せた。シビリオはカズマの肩に手を回して天井を見上げる。

「だんだん、冷たくなっていくのかなぁ」

 シビリオが「カズマさん」ともう一度、呼びかけた。

「冷えた身体は、どこに命を求めるべきかなぁ」

 その言葉を残してシビリオの腕がするりと落ちた。力なく身を預けた彼をカズマはその場に横たえた。エリサの目に映っている彼らの後姿に推してはかるべきものは無い。カズマの姿勢がにわかに伸びた。

「第三ガナノに向かう」

 その瞳に宿っていたのは暗い影か。

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