「こんな小さい家……というか小屋じゃないか! どうやって住んでるんだこれ」
せいぜい寝床がつくれるくらいといったところか。ジプスの統率者が住まう家としては何とも清貧を追及している。本当に、ここがカズマの家なのか?
今朝の事。いまだ山越えは危険だと言うモトリに対してこの村に機械に詳しい人はいるかと尋ねてみた。数日前から携行式電子記録端末〈プツロングラ〉に通信障害が起こっているため修理を試みたいと思っていた。深山の里とはいえ世界を渡り歩く民族の技術は頼れるかもしれない。
「えぇ、おりますぇ」
にたりと笑うモトリは三名の人物を紹介した。一人目はデルゲンという名の頭皮が禿げ上がった老人で眼鏡の似合う知的な容貌。実際に訪ねて見てもらった。プツロングラを出すとデルゲン老爺は熟練した手付きで受け取り、目を細めて次のようにこぼした。
「小さかまな板じゃな」
すみやかにおいとました。
一人はミエク・ハンニと名乗る中年男性。ジプス合流前は機械整備の職をしていたそうだが祭り支度に出ており不在だった。今夜から始まるのだから当然と言えば当然だ。
そして最後にもう一人。なんとなく訪ねにくい相手だが背に腹は代えられぬ。
「カズマならきっと誰よりも機械の扱いは上手だァよ。空読から帰ってきた後なら捕まえられるさ」
モトリはそう言うが、いまだに自分達を警戒して口も利いてくれない人が、そう安々と手を貸してくれるだろうか。
「モトリ婆さんが教えてくれた場所はここで間違いない。あのデカい櫓が目印だっていうから、はるばる長い坂道を上がって来たんだぜ」
山の斜面を覆う森の中に空閑地がある。広場から見えたそこには櫓が建っていた。そのさらに右斜め上にカズマが寝泊まりする家屋があるらしい。目指してみるとなるほど、何の変哲もない森の中はしっかりと踏み固められ、道標となる楔が要所に打ち込まれていた。そして辿りついた小屋はどちらかというと「発見した」と言った方が適切な表現かもしれない。
「もしもーし、ごめんくださぁい。カズマさんいますかー?」
中から返事はない。ゲイツは道中でかいた汗をぬぐいながら
「まだ帰ってないのかもしれない。空読はあの櫓から村まで報せに下りる必要がある」
「今日が最後の空読なんだろう? で、今夜から明日の晩まで
「…………」
「エリサ、どうかしたのかい」
昨夜交わした少女との言葉が思い出される。あの時見た死を受け入れた笑顔が、今なお心の底でほの暗い影を落とす。
「いやなんでもない。それとゲイツはもう少し言葉を選んで。彼女が務めるのは磔じゃなく掲揚」
「そんな細かい事いいじゃないか、だって」
「よくない」
「……それは失礼。エリサ、昨夜の間に何かあったのかい?」
ゲイツが
「サヤと裸の付き合いをした」
ゲイツが口から水を噴いた。
「…………なるほどね、そんな事を言ってたのかあの巫女様は」
エリサの話に頷きながら手拭いで濡れた襟元を拭う。
「私達はやはりこの村に来るべきじゃなかった。サヤに外の世界を教えてしまった」
「自分を悲観するな、そんなの結果論だ。俺達は世話になったジプスの最高権力者の命令に従って、彼らを喜ばせる話をした。それだけだ。忖度する筋合いはない」
「ゲイツは考え方が逞しい」
「半端な情けは人を殺すからね。エリサもそろそろ自覚した方がいい」
いつも軽妙な雰囲気こそあれ、ゲイツは本気で笑わない。
「俺達は戦士だ」
その足を左に半歩ずらして身を寄せる。ゲイツの頭部があった空間を、一筋の木剣が薙ぎ払う。木剣は切っ先を休めることなく返す刃で逆袈裟に打ち上げた。今度の狙いはエリサだ。素早く身を引き間合いを改め、木剣の持ち主を確かめる。
ゲイツが言う。
「やあおかえりなさい。家主の手荒い歓迎だ」
カズマは木剣を構え、じりじりと詰め寄ってくる。
「お前達のような余所者を村にのさらばせる訳にはいかない。今ここで消えてもらう」
「そうはいかない、あなたに話があるんだ」
「やぁっ」
「駄目かな?」
木剣は鋭く風を切り裂く。ゲイツが屈んでやりすごすとカズマの回し蹴りが脇腹に入った。
「お、うっ」
しかし左腕で直撃を防いでいた。数歩よろめいたゲイツに木剣が突き出されるがそこにエリサが割って入り、剣身に
「二対一だぞ、やめた方がいい」
「丸腰が二人だ」
木剣を振りかざして打ち込んできたカズマ。
(やはりカズマは私達の存在を嫌っていたか……)
矛先はエリサに向けられた。横薙ぎに振り払われた木剣に身をよじって回避を取るが、いつの間にか拳が目前にあり鎖骨を打たれた。かろうじて多少の勢いは流せたが、胸部に残った鈍い衝撃で顔が歪む。と思えば腹部にカズマの前蹴りが突き刺さった。
「ぐぁっ」
たまらず後方へ受け身を取る。続く追撃を鼻先でかわす。カズマの背中にゲイツが飛びかかった。
「女の子への暴力はんたーーい!」
首元に腕を回し着地の勢いを乗せてカズマを地面に叩き付けた。しかしなんとカズマはすぐ身を起こすとすかさずゲイツを頭突いた。怯んだゲイツの胸ぐらをつかんで再度頭突くとゆがんだ横面に一撃の拳を浴びせた。ゲイツは転がりながら身を起こして、
「エリサ、アライブ」
「わかってる」
殺さない、手加減を続ける。
ゲイツも自分に確かめるつもりで言ったのだろう。あとは彼に任せた方が賢明だ。
「カズマさん、俺達はあなたと争いたくない」
「ほざけ」
「だから話を聞きなさいって」
吐き捨てて一歩大きく踏み込んできた。上段だ。ゲイツが前に出た。明確な殺意を孕んだまま下される打撃を直前まで待ち構え、懐へと飛び込む。
ただ一足にて。
腰を落としたままの姿勢で木剣を持つ腕をつかみ前方へといなした。カズマの大きな身体が投げ飛ばされる。どう、と音を立てて地にカズマが伏した。
「はい、おしまい!」
ゲイツは手に持つ木剣の柄をカズマに差し出しながら言った。
「俺達を助けてくれ、カズマさん」
「誰がよそ者に!」
なおも反抗の姿勢を見せる彼の動きを制してゲイツはしゃがんで目線を合わせる。
「機械に詳しいと聞いたんだ」
するとカズマはぴくりと反応を示した。
「……だから?」
「俺達のプツロングラに通信障害が起こってる、修理をお願いできませんか」
「…………来い」
カズマは木剣を手に取り立った。じろりとゲイツとエリサを
(……隠し部屋?)
カズマはもう一度、此方を睨んだ。そして何も言わずに階段を下りていく。自分達も言葉を交わさず後に続いた。降りた先には空間があった。作業台と思しき机が中央にあり、壁には書物がきっちりと棚で収まっている。
――これは、
そのまま彼の執務室として使っているのだろう。カズマに促され、適当な席に座らされた。対面にカズマがつく。
「出せ」
主語と推測される物を机に出す。
「これがお前達のプツロングラか」
「通信が機能していない。カズマさん、あなたも世界を旅するジプスの人間。もしかしたらアオキ村の元で外界と通信できる術があるんじゃないかと」
ゲイツが問うとカズマは黙った。何かを言おうとしている、だが言えない、言いにくいニュアンスを抱えている表情を内側に隠し持っている。エリサにはそう映った。ならばこちらが先に腹を割るしか最善策は浮かばない。エリサはカズマの注意を自らに向けさせた。
「黙っていてごめんなさい。実は私達、傭兵をしているの。
「フリーランス……腕利きか」
「西方兵士協会に私は二年、ゲイツは三年、籍を置いてた」
続ける。
「私達は今、人間と機械が交戦中のガナノ=ボトム第三区画に要請を受けて向かっている」
ゲイツは黙って聞いている。
「けれど現地との通信ができない上に足止めを受けている状況、私達にとって良いことではない。人類の存続のため、アオキ村の技術者に協力を仰ぎたい」
「……もともと、アオキ村でも周囲の部落や街と通信は取れていた」
「!」
「三日前、すべて途切れた」
カズマは言う。
「お前達は知らないだろうが、ジプスは独立した部族として世界を転々としているが他の共同体との繋がりを独自に持っている。この地図を見てくれ」
カズマが書架から引き出した地図を広げると、紙面中央に大きく拓けた盆地、四方に幹線が伸びて絵図の縁まで至る。幹線に横切られる形で盆地の周囲に山脈が連なり、北西の山中に赤い丸が記されていた。
「中央の盆地がお前達の目指す第三ガナノだ。北西の赤丸がアオキ村の位置。迷い込んだと言っていたが、ここからそう離れていない。そして、これらが協力関係にある小規模集落だ」
カズマが指さしていくそこには、よく見ると小さな黒丸がいくつも示されている。
「第三ガナノがカバーする通信領域は地図の範囲内だ。示されている集落の殆どが通信設備こそあるもののネットワークはすべて第三ガナノに依存している。アオキ村もその一つだ」
「だったら」
「ああ」
カズマの首肯で目の前がくらんだ。だがゲイツは食い下がろうとする。
「まだ早合点だよ。ガナノは防衛兵力・五〇〇人を擁する大都市。防衛戦では無敗を誇る要塞なのに……いや、最悪の場合を受け容れよう。第三ガナノのポートツリーは都市中央にある。それに損害が及んでいるとなれば……」
「そのプツロングラは正常だ。障害の原因は根元にある」
ゲイツの舌打ちが聞こえた。同様にエリサの脳裏にも歯噛みしたい言葉がよぎる。
「ガナノ=ボトム第三区画は、すでに陥落したんだ」
あくまで最悪の想定だが十中八九は的を射ている。ポートツリーは、区画内の電子情報を集約する機械塔。都市間のやり取りはすべてこれを経由するため、区画の最重要拠点として防壁の中央に位置している。だが、それが機能不全になったとすれば、出せる答えは一つしかない
頭を抱えたくなる事実に急を要する現実が血の循環を焦らせる。カズマの方が先に口を継ぐ。
「第三ガナノが落ちた事はまだ村の者には伝えてない。ひと月前のアトルギアの死骸ですら村はパニックだった。もう後がない。村全体の支度がようやく整う明後日の早暁、俺達はアオキ村を去る」
「雨でぬかるんだ山道は危険だったはず、それを押し通るつもりですか」
「愚問をするな」
カズマはにわかに目を血走らせた。
「機械共に村ごとなぶり殺しにされるか、山の土砂に飲まれて死ぬか、どちらがより人道的か考えろ。村の命運は俺とサヤが背負っている。よそ者に口出しは無用だ」
ゲイツは何も言い返さない。「失礼を」と言って両の手を挙げて恭順した。
「仰る通りだ、新天地を望めるなら可能性にかけたい。カズマさん、あなたの指導者としての覚悟は
「いまさら礼儀は求めていない。お前達はこれからどうするつもりだ」
「実地に
「そこでお前達にこれを返す」
「あ……」
再び
「お前達は金で自分の命を売っているのだな」
「まあお仕事ですから」
「だったら今度は俺がお前達を買おう」
「ほぉ。カズマさんが、あんなに毛嫌いしていた俺達を買うのかい」
ゲイツが嫌な笑みを浮かべた。
「第三ガナノが落ちた今、この山も敵の
「よそ者を信じるのかい」
「村人はお前達を信じている。この通り、頼む」
カズマが、頭を下げた。居丈高な物言いとは裏腹にカズマの頼み姿は美しくまっすぐだ。
「俺が憎いならそいつでこの首を獲れ。いずれにせよ死ぬ覚悟はある……さぁいくらで売る」
「太い男だ」
ぎろりと凄むカズマのまなざしがゲイツを刺している。
愚直だ。エリサはただそう思った。自分が当事者にもかかわらずエリサの頭は冷めていた。アオキ村の人々を己が身一つで守る事しか頭にない。これでは統治はできても旅の道中で苦労する。ゲイツの溜め息に紛れてエリサも息をつく。
「あなたの言った通り、俺達は命を売って日銭を得る生業だ。頂くものはたんまり頂きますよ?」
「
「そうそう、マイラスを腹いっぱい……え?」
「あなた達の村で穫れた作物、それと水さえくれたら引き受ける」
エリサはさらりと言う。
「あのなエリサ、これはそんな軽い話じゃないんだよ。俺達の命を彼らに貸し出すかどうかの契約だ、俺達の命はそんなに軽いか?」
「それは違う。命は誰にとっても同じ重み。彼が言うように、私達はよそ者に過ぎない。けれど彼らは飢えて村に迷い込んだ私達を自らよりも大事に思い、裕福な暮らしでないはずなのに手厚くもてなしてくれた。アオキ村のベニカブは美味しかった」
エリサは知っている。あの種の根菜は土を選ぶ。並の手入れで高品質に育てるのは不可能だ。
「そればかりか、私達は飢えたまま雨に降られて土砂の底に沈んでいた可能性すらありえた。アオキ村に迎え入れられたことは、私達の命を救ってもらったも同然」
エリサは抜け目なく見ていた。アオキ村の民の顔を。異物に
「私はアオキ村につく」
「ちょ、エリサ!?」
「私は、アオキ村につく」
「……衣食住の約束、必要物資の提供、それから俺達の背後を狙わない、これでいいか」
ゲイツが頭を掻きながらカズマに言うと頭を下げられた。契約が締結した。
「首を獲れだなんて俺達を野蛮みたいに言わないでおくれよ。あなたと同じ、血の通う人間だ。こちらこそ
「ああ。俺は今日で侍従をお役御免なんだ。お前達に背後を頼んで、俺は導師に専念したい」
「朋然ノ巫女は今どこに?」
「ああ、サヤ様はあそこにおられる。お前達も見てやってくれ」
カズマの発言から不意に不幸の匂いがした。導かれるままに地下室の外へと出る。階段を上る音が嫌に響いた。
「それにしてもカズマさん、聞いた話では村一番の強者だそうですね」
「
「へぇ~、本当ですかい。ちゃんと理由とかありそうですけどね」
「余計な口をきくな」
先導するカズマとゲイツの会話が通路に反響している間、エリサの顔はこわばっていた。
地上に出るとカズマは小屋よりさらに上の方。山から伸びる櫓を指した。
「巫女様は、あそこだ」
カズマの指さす先に櫓があって、台座の上に白い衣を纏ったサヤがいた。
その両手足には、杭が突き立っていた。
「なっ……!」
はり付けられた体に力はこもっていない。すでに死んでいる。
「儀式は明日のはずじゃ!」
「そう、サヤが死ぬのは明日のはずだった。だが、仕方がなかった」
カズマがエリサの顔を見た。
「サヤは色々と知りすぎた」
「……昨夜のことを知っていたのね。サヤが未練を感じないよう、あなたと村の人々はサヤに外の世界を教えなかった。だから私達を避けていた。だけど彼女が知ってしまったなら先に殺した方が早い。そういうことね」
「おいおい物騒な言い方はよせ。前倒しを提案したのは、サヤ自身だ」
「えっ」
「明日の夜は空が乱れる。村のためにも今日が良い、サヤの口から確かに聞いたんだ」
「まさかそんな」
「お前の言う通り、俺はお前達を村の者に……いや、サヤに害なす者として憎んでいた。お前達がサヤに外の世界の話をしたとき、本気でお前達を殺そうとも考えた。何も知らずに死ねた方が、あいつにとって幸せだったからだ」
「あなたは外の世界をサヤに語らなかった。彼女の運命を知っていたから」
「分かりきった事だ」
「ならばなぜ私達に引き合わせたの。あなたなら止められた……迷いが出たのね」
「聞いてどうする」
「本当は殺したくない、もっと外の世界を教えてあげたい、一緒に世界を見たい、そう思っていた」
「無理な話だ」
「何故」
「見て来ただろう、このジプスの在り方を」
カズマは目に力を込めた。
「朋然ノ巫女がいる限り自分達は安全だと、誰もがそう信じている。お前達も旅人ならわかるはずだ。この世界に安全な場所なんて無いんだと」
カズマは櫓に晒されるサヤの死体を指さした。
「生まれた瞬間ときから捕食者の牙に晒されている俺達には、心を預けられる存在が必要だった。死にたくない俺達の代わりに喜んで死んでくれる存在がジプスの正気を保っていたんだ」
カズマは続ける。
「だがあいつは言ったんだ。私の命より村の命を尊びなさいって。一切悲しい顔せず微笑んだまま」
深い皺の走った眉間を下に向けてカズマは胸を抑えた。
「どいつもこいつも。心さえ、なかったなら……」
沈黙が挿し込まれる。エリサは察した。
カズマはサヤを愛している。
理屈で固め上げねば決壊しかねない感情を胸中に抱え、なおもジプスの未来を考えている。その痛みを考えれば、感情のやり場を外敵への憎悪にすり替えていたことも、推し量られよう。
「カズマさんは一人で闘ってきたんだね。集落の命と彼女の命を天秤にかけながら」
「もはや