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どこかにて、続いてるログ

 …………。



 ここは……?



『さや…………さや…………』

 ……どこかで誰かの声がする。どうやら私は眠っていたみたいだ。誰かが、起こそうとしてくれている。

「……ん……んん…………」

 声の主を確かめたいけど、思うように体が動かない。瞼が重たくて、目を開くだけでも時間がかかる。

 ……私を呼ぶのは誰? 頭がまだぽーっとしてる。やっと半分だけ瞼をあげると、眩しい光が目に入り、せっかく開いた瞼を閉じた。眩しい……だけど、私は頑張ってもう一度目を開く。

 最初に、不思議な天井が目に入った。木で造られたはりが随分と高い位置を通っている。そのちょうど下にある天窓から陽の光が差し込んで、部屋を明るくしていた。光の筋に室内を舞う埃がキラキラして見える。

 ……こんな天井、アオキ村にあったかな?

 そういえば、さっきから聞き慣れない音が聞こえている。森の木が揺れる音……に似ているけど少し違う。もっと大きな何かが動いてるような、規則的な音。確かめに行きたいけど、体がまだ起きていない。いつもなら朝早くから起きてるんだけど、空読のお務めがあるし…………空読?

 大変だ、寝坊した! カズマに怒られる!

 ……あれ、おかしいな。いつもならカズマが呼びに来るのに、今朝は怒鳴り声のひとつもない。だって今日は最後の空読の日。明日、村で祭りがあるんだ。カズマが呼びに来ないなんて絶対におかしい。

 あ、そっか。これは……夢なんだ。私、まだ寝てる最中なんだ。慌てて損した。

 それにしても私を呼んだのは誰?

 ぼうっと見てた宙を舞うホコリから視線を横に逸らすと、カズマがいた。なんだ、いたんだ。声の主はカズマだったんだね。だけどまったく怒ってる様子じゃないから、やっぱりこれは夢に違いない。

「おはよ、カズマ……あれは……何の音……?」

 私は、ぽやぽやした頭のままぽつりと尋ねる。すると彼は不思議な顔をした。ごつごつした顔をくしゃっとすぼめて泣き出しそうになったけど、すぐに微笑を浮かべて、私に言った。

「海の音だよ、サヤ」

「うみ……? それは何?」

 私は聞き慣れない言葉に首を傾げる。

「起きれるか? 今、見せてやるから」

 不思議な微笑を浮かべたまま、私を支えて起こしてくれた。いまいち体がうまく動かない。ベッドから立ち上がろうとした時、私はバランスを崩した。

「うわわっ!」

 痛ったぁー……くない。カズマが倒れかけた私を受け止めてくれた。

「慌てなくていい。ゆっくり立とう」

「え……う、うん……」

 思わぬ優しい言葉にとまどった。いつも「早くしろーガォー!」とか「遅いーギャース!」って怪獣みたいな感じなのに。

 というかカズマ……少し大人ぽくなってない? 体がひと回り大きくなってる気がするし、口元には黒い粒々した髭が生えてる。だけど顔つきには怒りぽさが減って、ちょっとだけ優しい感じが出てきてる。

 一晩の間に何があったの?

 私はカズマに支えられながら足を進める。思うように動かない足を踏ん張って、見慣れない部屋の戸を目指す。「うみ」の音が徐々に近付いている。

「あと、少し……」

「がんばれ、サヤ」

 カズマの応援を受けながらやっとの思いで戸に辿り着いた。この向こうに、私の知らない「うみ」がある。胸が高鳴る。私は思いきって、その戸を開いた。

「これが……うみ……」

 大きな水たまりが、どこまでも続いていた。

 信じられない大きさだった。ものすごい量の水が手前の砂場に寄せては返して、さっきから聞こえていた音を鳴らしていた。

 うみの向こうには真っ青な空に、眩しいくらい白い雲がもくもくと立ち昇っている。その先に山は見えない。私の前には空と、雲と、水しかない。

 なんて、綺麗な場所なんだろう。

「すごい……これが夢だなんて信じられないや」

 私は目の前の景色に声を震わせた。隣で笑い声が聞こえた。

「寝ぼけてるのか? サヤ、ここがどこだか分かってるのか?」

 カズマがほっぺを指差している。つまんでみた。

「痛ててててっ! バカ、自分のだよ!」

「あっ、ごめん」

 冗談のつもりだったけどカズマのしかめ面はいつも通り恐かった。今度は自分のほっぺを指で挟んで引っ張った。

「いったぁーい!」

 ほっぺに痛みが走った。ひりひりと痛むこの感じは、本物だ。

 これって……夢じゃない?

「という事は、まさか……」

 カズマの方を見ると、彼は笑っていた。

「…………外の世界だぁ!!」

 私はその場を飛び出して、うみに向かって駆けた。駆け出した、とは言っても体が寝ぼけてるのか、思うように素早く動かせない。

 足元が覚束なくって、私はなんどもふらついて転びそうになる。それに足場が変なんだ。砂ばっかりで、ふかふかとしている。さらさらした感触で足を取られてしまい走るどころか、歩くのさえ難しい……。

 でも私は足を止める事をせず、走り続けて「うみ」の波打ち際までたどり着いた。

「これが……うみ……」

 自分の言葉でもう一度確かめて、私はその水にそっと手を触れる。ひんやりと冷たい。水はすごく綺麗に透き通っていて、底までくっきり見える。

 私は水を手ですくって、口に含んでみた。

「しょぱぁっ! うぇえっ、ぺっ、ぺっ!」

 なに、これ!? しょっぱい!?

「はははっ、海の水は飲めないぞ。これは川の水とは違うんだ」

 後ろから笑いながらカズマがやって来た。

「それならそうと早く言ってよね! びっくりしちゃった。こんなに綺麗なのに、飲めない水があるんだね」

「あぁ、そうさ。世界にはまだ知らない事が沢山あるんだ。この水平線の向こうにも、きっとある」

 カズマが見つめていた先には海と空が続いていて、二つは遠くまで届いて、やがて一つの線で結びついていた。すごく変な景色。だけど胸がすかれるような、気持ちのいい眺め。

「はじめて見たよ、こんな景色……カズマ」

「なんだ?」

 振り向いた彼に、私は笑った。

「この世界は、美しいんだね!」

 海。これが外の世界に広がっている、無限の景色。水平線の向こうには知らない世界があるんだ。私は履き物を脱いで、裾をたくし上げながら海の中に入った。足首にひやりと水の感触。揺れる波がすねを触り、くすぐったい。

 足の裏の砂が波にさらわれていくぞわぞわした感覚に慣れなくって、私は何度も飛び跳ねた。小さなしぶきが散るたびにせっかくたくした裾が濡れた。

 ふと振り返って視線を小屋に戻すと、カズマは細めた目で、私と海を眺めていた。腕を組んだりとか、不機嫌なそぶりは全然ない。

 なんだか今日のカズマは様子が変だ。私は彼に呼びかけた。「なんだ?」と言って波打ち際まで来たのを見計らい、私は腰をサッと落とし、手ですくった水を飛ばした。

 何をするんだ、と言ったカズマの表情にちょっと険が宿ったのを見て、もう一回水を飛ばす。顔にかかるのを腕で防いだカズマは「おい」と身体を私に対して閉じる。

「あっかんべぇー!」

「はぁ?」

 右の下瞼を指で引っ張って、ベロを唇に乗せたらカズマは額に横シワを浮かべて眉を「ハ」の字に歪めた。私はクスクス笑う。

「やぁい! こっちだよぉ!」

 海の浅瀬を走り出した。捕まえてごらぁん。大きな声で呼びながら走ると、後ろから、待たないか、と追いかけてくる気配がした。野太いけど優しい響きで、私は不思議と胸がシュワシュワして笑いそうになる。

 ぱちゃぱちゃ──足元でたくさん水が散る。私の隣から広がる海はどこまでも太陽の光を波間に反射させている。

 なんて綺麗なんだろう。風が私の髪をさらいながら頬を撫でていく。いつまでも走っていたい。初めての場所、初めての感覚。今まで知らなかった素敵な世界を、私は今、走っている。

 もちろん、私の足はまだ本調子じゃない。だからカズマに捕まえられるのもあっという間だった。カズマは私が振り返って目を合わせるまで喋るのを待った。

「転んだらどうすんだよ……なに笑ってんだ」

 カズマの大きな黒目が太陽の光を宿してる。私は笑っていた。だって――と、私は自分の記憶の中から正しいと思うことを口にする。

「カズマと遊んだの久しぶりだから……嬉しいんだ」

 最後にこうして追いかけっこしたのは、いつだろう。だって私は機械人アンドロイド。村のみんなのために命を捧げるお人形レプリカント。人間みたいに食べ物を食べたり、汗をかいたりできるけど、身体が成長することはない。だけど人間のカズマは、私と違って成長する。

 もともとアンドロイドの設計図とか研究書ばかり読んでいて、色も白くて頼りなさそうな男の子だったカズマ。村のみんなが見えない場所で、ずっと一緒に遊んでた覚えがある。

 私がサラお姉ちゃんの記憶を取り戻した頃から、カズマは村の導師様として、私は朋然ノ巫女としてそれぞれの役目に生きることを集中しだした。私と背丈が同じくらいだったカズマは、みるみる背が伸びていった。今では筋肉も付いて、たくましい少年。

 三年間。毎日顔を合わせてたけど、最後にこうして追いかけっこしたのはいつだっただろう。

 私はレプリカント。村のみんなのために命を捧げる者だから、いつしかそんなこと忘れてた。

「サヤ」

 カズマが私を呼んだ。

「なに?」

 私は首を傾げた。

「ずっと、生きていこうな」

 胸に響いたその声は、私の知らないうちに何かあったんだろうか、私にそんな推測をさせる。

「うん……もちろん!」

 だけど今はこのままで良い。

 限りある命だから、過去を思うより未来に向けて、今を精一杯に生き抜きたい。

「えへへ……カズマ」

「なんだ、サヤ?」

 私は、ゆっくり口を開いて言葉をつづけた……。


 たくさん時間をかけて伝えたいことがある。


 今だから言えるすなおな気持ちを口にする。


 私の話が終わったときカズマは見たことない表情だった。


 ずっと一緒にいたはずだけど、初めて目にした彼の顔は、ベニカブみたいな色をしていた。





 私は、これからも大好きな人と手を繋いで、思いきり笑っていたい。



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