「……え?」――その瞬間、人間達が弾けた三
カズマの唖然とする顔。ジャギルスを覆っていた
押し潰されていた機械の兵士がゆっくりと立ち上がる。
両眼を、赤色に光らせた。
『時間を取らせた』
サヤを抱く腕が一瞬にして粟立った。機械の言葉が、肉声に近づいている。
「皆離れて、私が斬る!」
剣先を煌めかせエリサが斬り込んだ。
『何処へ行くと言うんだい』
電光石火の剣技だった。それをジャギルスはいともたやすく
エリサは喘ぐが間一髪で急所を外した。後方へ受け身をとり、即座に腰から銃を抜く。
『赤子の玩具かね、そいつは』
瞬き一つしていない。ジャギルスが、いつの間にかエリサとの距離を詰めていた。そしてエリサが引き金を引いたはずの銃身は握り潰されていた。弾は掠ってすらいない。
「速いのね」
エリサが至近距離を斬り上げる。予備動作ゼロの逆袈裟に跳ね上げた剣身は、奴の左腕を見事に獲った。サヤの目にはそう見えた。
『時間は有効に使いたまえ』
だが獲られていたのは、少女の腕だった。
剣を握ったままの右手が床に落ちる。
「ギッ……」
断末魔が部屋中に響いた。悶えるエリサをジャギルスは蹴り飛ばし、高々と笑いをあげた。
『人間よ、何故謙虚にならない? お前達が夢見た平和な世界を僕達は成し遂げようとしているのだ。大人しく次の世代に世界を譲ったらどうなんだい』
どこかで聞いたことある声……そうだシビリオだ。アオキ村の村人の声をジャギルスは出している。サヤと繋がった時に記憶から情報を抜き取ったのだ。
「エリー、エリー!」
壁にぶつかり動かなくなったエリサを呼ぶが反応はない。そんな、エリーが負けるなんて。サヤを助けに来た人達が全員やられてしまった。自分を助けに来たせいで、皆が傷つき倒れていく。
自分のせいだ、自分が生きているからだ。視界が滲んでいく。涙が出てきた。
「泣くな、サヤ!」
カズマが怒鳴った。
「まだ終わっちゃいない。俺がいる」
サヤを抱く腕をさらに強めた彼の鼓動は恐ろしいほど胸を叩いていた。そしてカズマはサヤの耳元で囁いた。
(…………!)
カズマが覚悟を決めた。最強の味方を失い、山人達の救援も望めない状況で、彼が頼める最後の希望。それは己の腕っ節だけだ。アオキ村の若き導師であり、村一番の力持ち。その裏に重ねた無限の努力。矜恃のみを杖に震える膝を叩き起こす。
エリサの沈黙を確認したジャギルスがゆっくりとカズマに向き直る。
『残すは君と、サヤだけだ。見たまえ、マザーには僕とサヤの遺伝子情報を元にした子ども達が宿っている。まもなく僕以上の性能を持った機械兵アトルギアが世界中に放たれるのだよ』
サヤの記憶を抜き取ったとは言え人格は個体差に依るものらしい。上から目線で物言う敵にカズマの嫌悪は露骨になる。
「はん、何が僕とサヤの子どもだ! このドスケベ野郎! シビリオの声なんか使いやがって、お前らなんかにやられてたまるか」
『仮にも旧時代の支配者だったからね、君達人類は。まだまだ学びたい事が沢山あるのだよ』
「うるせえ人間をパクるしか能のねえ奴に滅ぼされてたまるか」
人類の脅威を前にしても口の悪さは揺るがない。
『パクリじゃない、踏み台だ』
淡々とした言い方をしながらもジャギルスの殺気が高まってゆくのを感じた。
「サヤ、下がってろ!」
カズマに突き飛ばされた。ジャギルスが間を詰めてくる前にカズマは横に転がり、落ちていた
「村の仇ッ!」
振り下ろす刃はジャギルスに当たらない。カズマの攻撃を笑いながら避けている。
『なんて非効率的なんだ人間は! その行動原理は憎しみとかいうやつか? 面白い、感情とは面白いぞ!』
「うるせえ! 現実と戦ってる奴を笑うんじゃねえ!」
『その言い回し、我々には無い表現だ。学ばせてもらうよ。そら……死にたまえ」
カズマの腹をジャギルスが一撃入れた。だがカズマはその場に踏みとどまった。裂けたシャツの腹部から鉄板が数枚落ちていく。
『ほう、アダル達の装甲かね。こんな物で守った所で無事で済むはずないのだが、よくぞ立っていられたね」
「あぁ、根性だ」
道すがら機械の死体から剥ぎ取った装甲の一部を仕込んでいた。しかしそれすらジャギルスの攻撃は容易く引き裂いてしまう。カズマの腹膜はあと一枚鉄板が足りなければ破られていただろう。しかし衝撃は板を貫通していた。不敵な笑みを見せたカズマだったが、口から胃液を吐き《くずお》れた。外傷は無いが肋骨が砕けている。
鉄板一枚の差でカズマは即死を免れた。
ではなぜジャギルスがその「一歩」の踏み込みをぬかったのか。
視界の隅に異変を見たからだ。
『何をしている……そこのお前』
機械柱にとりすがる一人の人間。
「とんでもねぇ、私ァ、大そうな事はしませんえ」
腰の曲がった老婆──モトリがいつの間にか部屋に忍び込んでいた。狩猟民族の出身であるモトリは気配を消す技術に長けていただけでなく、老いた身体の低い体温が機械の感知を遅らせた。
──隙を伺い、中央の柱を破壊して。
エリサが山人と合流した際、小柄のモトリにそう指示していた。
全員必死の作戦ゆえ誰かが母体を破壊できれば、奴の討伐またはサヤの奪還に失敗したとしても、機械の進軍を喰い止められる。エリサなりの傭兵の矜恃きょうじのつもりだった。ところが、他所の人間がどうなろうと知った事ではない……老婆はそう思っている。しかしモトリには譲れぬ意思があった。
「こんな容貌の私あたしでも、長年見てくりゃ情が移るわえ」
誰にも迷惑をかけぬよう。モトリは一人で静かに年老い続けた。しかしジプスの出現がモトリの人生を動かした。奇縁によってカズマとサヤの成長を見守る立場になった。生来心根の優しかった彼女は心を尽くし、彼らがすくすく育つ様を甲斐甲斐しく手助けした。
人の役に立てている、その実感が孤独な老婆を生かしていた。だからモトリにとって、二人はかけがえの無い存在。肉親のように愛しい子ども達が命懸けで事を起こす。それを見捨てる訳にはいかない。
「子ども達のこれからを、あんた方に
モトリは手に持つ
「ならば、もう一太刀」――老いた身体は遠路を駆けて悲鳴を上げていた。だが歯を食いしばり刃を掲げる。
『人間が、調子に乗るな』――瞬間移動。モトリにはそう見えただろう。悲鳴を上げる事すらできない老婆の首を悪魔の凶爪が
ジャギルスの爪を機械柱に串刺して剣の柄が揺れていた。モトリの首に至るすんでの所で。
『……どういうつもりだね』
赤い両眼の首だけが振り向く。右手を失い致命傷を負ったはずの少女が立っていたのだ。
「人間の命……易々と奪わせない。モトリ、もう十分よ。ありがとう」
頷いた老婆は倒れた山人達の方へ退避した。ジャギルスは思考のそぶりを見せる。剣を
『どうしてだ、君には致命傷を与えたはず、何故立っていられる』
「あぁ、根性よ」
その傷口には漏電と火花が散っていた。
『なるほど、君も機械だったか。あの程度じゃ死ななくて当然だ』
「丈夫な体に感謝だわ。アトルギア・チゴ型のエリサよ、よろしく」
刺さった剣は抜き取られ、へし折られた。モトリを救った代わりにエリサは武器を失った。もう反撃はできない。
『ほう、チゴ型』
ジャギルスがエリサに迫った。
『データにあるぞ、世界で百体のみ存在する人間のために戦うアトルギア、チゴ型か。まさか本当に人間に擬態しているとは』
「語弊があるわ。私は人間のために戦わない。共に戦ってるのが人間なだけ」
『違いが分からないな』
「勉強不足ね」
『お前達は力不足だ』
ならば躱すことに集中しろ。活路は探せばきっとある。奴を倒せずとも機械柱を壊せばあの恐ろしい計画は止められる。
ジャギルスが爪を振り抜こうとした時エリサは身を低くして床を滑った。天井の穴から降り込んだ雨溜まりを利用して、素早く移動する。カズマが落とした大鋸があった。拾い上げて即座に頭上へ薙ぎ払う。追撃してきた鉄爪がちょうど当たって弾き返した。
(やはり、そうか……)
知能が高いとは言え所詮は機械。攻撃に確かな型が存在する。エリサは推測する。新種の機械兵ジャギルス型。奴は優秀な殺戮兵器だ。生身の人間相手に苦戦した事がないのだろう。つまり〈単体の戦闘力が高過ぎるあまり
(慣れてくれば必ず隙を見つけられる。そこが狙い目……)
カズマの得物はお世辞にも良質ではない。攻撃を受け過ぎるとたちまち
(避けて、避けて……隙を窺う)
ジャギルスの猛攻が始まった。反撃をしない防戦ですらない一方的な攻勢をエリサは紙一重で躱し続ける。出力が低下した身体でもできうる限り負担を軽くする動き。模索しながら奴の動きを読む。頬を切られた。腿を許した。無数の切創がエリサの体に表出する。痛みと苦しみを堪えながら、一撃を放つ時機を窺う。左手が来たらしゃがんで頭上を薙いだら、次に来るのは……。
――読めた!
次は右腕の斬り上げが来る。これまでその動作を四回繰り返した。四回避けて来た斬撃にエリサはそこで踏み込んだ。奴の右腕がエリサの右肩を斬りつける。だがそこに腕は無い。腕を失い空いたスペースが動作の最適化に役立った。奴を間合いに入れたエリサは腰を下ろして捻りを入れた。
――頸部の関節を切り離す。エリサの渾身の一刀はジャギルスの関節装甲を叩き割り首内部の信号組織を切断した。手応えあり。
「討伐ッ……!」
薙ぎ払った得物の遠心力を利用し、その場で身を転ずると機械柱の方に踏み込んだ。呼気を送りながら、モトリが入れた管の亀裂に大鋸を振りかざす。
『哀れな人の
ジャギルスの姿が再度現れた。そんな、中枢系は確かに今切断したはず。思考を巡らす暇も許さず猛烈な打撃を浴びせられ、エリサは壁に叩き付けられた。
『チゴ型か……人間を超えた人間として生まれた兵器。戦闘に関する分析力と適応力、身体能力は他の種類と比肩ならない。流石だ、実に素晴らしい』
(……体内に予備信号線を配した個体か)
中枢系を破損しても別の部位が代替して四肢に指令を送り出すことができる。主にアダルの上級種しか持たない構造をジャギルスは適用していた。チゴ型のエリサはそれを持たない。ゆえにダメージからの復帰が遅い。背を打ち付けた衝撃で思考がぼやけ、その眼に虚像が遊んでいる。エリサの行動は止まってしまった。
歩み寄るジャギルスの口から管が伸びる。
『君とも生殖をしよう、エリサの持つチゴ型の情報が欲しい。そして生み出すのだ、最高の個体を』
伸びたジャギルスの管がエリサの鼻先まで迫る。先端が十字に割れて中から球体の端子が露出する。エリサは泳ぐ眼で現状把握を試みるも、低速化した思考が情報に追いついてこない。エリサの能力を奪われては、奴を倒せる者など誰もいない。熱を帯びた機械の端子がエリサを見定め、咽喉に飛び込もうとした時だった。
「カズマ」
雨音の中を声が通った。あどけなさに強さを含んだ凛とした音色が響く。それに呼応する声がした。傷だらけのカズマが怒りの炎で身を律し雄々しく仁王立っていた。カズマは呼吸する。砕けた
――お前に。
カズマは食いしばった歯を開け放ち、精一杯に声を張る。
「サヤ様の御成り」
あたりに電光が走る。全身が総毛立つような静電気が空中に帯び始め、目映いほどの光線が部屋一面を染め上げた。暗夜の空が白熱した。光源は柱のそばに現れた。真っ直ぐに伸びた姿勢。場を呑み込むような精彩を宿した美しい瞳。服は泥に塗れ皮膚は焼けているが尚以って侵す事のできない神秘性を孕んだ少女。
サヤ。
『サヤ……? 何故光っている、この熱量はどこからだ』
サヤは正面を指さした。次の瞬間、エリサを食おうとした管の先端が、爆発した。
露出していた端子を射抜いたのだ。その身に纏う、電撃によって。
光り輝くサヤの体は雷を纏う。微笑みを浮かべた表情がその偶像感を際立たせる。
たじろぐジャギルスだったがすぐさま殺気を取り戻すと、短い排熱音と共に双眸をサヤに向けた。しかし少女は動じない。
「ジャギルス、もう良いよ。終わりにしよう」
優しい声だった。サヤの顔付きはおそろしいほど穏やかで、口元に微笑みをたたえている。まるで慈しむかのような瞳が機械の両眼を見つめていた。
サヤは抑えている。爆発しそうな熱量を。
この感覚は空読に似ている。観測の結果が出る直前に胸から湧き出す兆候、あの熱感が膨らんで身体中に溢れている。極限まで抑えていないとこの部屋もろとも吹き飛ばしてしまうかもしれない。
体を光らせるのは首から下がった大きな装飾。力の供給源を担っている。いや詳(つまび)らかに言及するとその表現には語弊がある。カズマがサヤに贈った巫女の装飾。それに斯様な
それは言わば力の鍵。記録媒体と言えば簡単か。サヤが持つ記憶を引き出し本来の力を発現させるための必要な「装置」。
『サヤ、サヤ。危ないことはよすんだ、僕とサヤの子どもがすぐ近くにいるんだよ』
「シビリオはソヨカに一途だよ。その声は止めて」
空が唸りを上げる。自分の身体から漏れ出る電気が量を増す。
「ごめんなさい、ジャギルス。あなたは私に外の世界を見せてくれた、とっても嬉しかった」
機械柱を指差す。指先から放たれた電流が管の
「だけど私の求める世界は、あなたの理想と違った」
すぐさま予備電源が稼働して室内は再点灯するがすかさず放電して破壊する。今度は掌から撃ったためその威力は拡大された。黒煙を上げた機械柱は停止した。これで機械の子どもは生まれない。
身体に巻かれた包帯が電流によって焼き切られる。
焦げ付いた衣裳の下の素肌が晒されていく。
鋼色の素肌が。
『不明なデバイス・サヤノ信号ガ急速二上昇……サヤ、やはりお前は……』
ジャギルスの声が引き
「サヤの両目が光ってる……? 彼女もまさか」
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サヤも、チゴ型だったのか?
「違うぜ、エリサ、無機物野郎。サヤはお前らとは違う」
雨雲が包む夜の頂を明るく照らす。空読の記憶をなぞりながらサヤは光を放ち続ける。
時は満ちた。
サヤは朋然ノ巫女として周囲の者達を鎮めるように静かに笑った。
「