芯の通った澄んだ言葉に青い髪が風でなびく。
カズマの頭上を守るように、蒼髪の少女が直剣でジャギルスの爪を防いでいた。
青い瞳がこちらを捉える。
「サヤ、また会えて嬉しいわ」
「エリー、どうしてここに」
エリサは鉄爪をあしらって、すかさず横たわるカズマの身を抱え上げると「重量オーバーだ、自分で動いて」と途中で降した。
「あなたを機械の魔の手から救い出しに、皆で来た」
物々しい足音が部屋の外から迫ってくる。やがて半開きだった扉を突き破って入って来たのは、筋骨隆々の男達だった。
「サヤ様! お助けに参りましたぞぉ!」
「アトルギアなぞワシらの敵じゃなかですけ! ご安心下され!」
「サヤ様へのご恩、今こそ報いる時じゃあ!」
雄叫びを上げる豪傑達の暑苦しさ。夜雨で冷えた部屋の気温があっという間に上昇した気がする。
サヤには見覚えがある顔触れだった。
「あれは
「あなたが蒔いた種でしょう、サヤ」
彼らの手にはアトルギアの物と思われる装甲や刃物が身につけられている。まさか山奥の暮らしを誇りとする彼らが機械と戦うためにアオキの山から下りて来たのか。驚愕のサヤを尻目に山人がジャギルスに挑みかかる。屈強な戦士による猛攻の中、隙を見てエリサがカズマを安全圏に連れ出した。
「エリサ、無事だったのか……」
「無事じゃない、死にかけた。彼らの合流が間に合ってよかった」
エリサの身体もひどく傷つき装備はあちこちが損傷している。だが彼女を見てカズマが露骨に安堵の表情を浮かべた。サヤが奥歯を噛み締める。何を浮かれた顔してるの、カズマ。そんなに嬉しい事があったの。信じられない。何もかも信じられない。どうして、どうしてどうしてどうして。
「どうして皆、邪魔をするの!」
その叫び声にカズマが吠え返した。
「皆がサヤを大好きだからだ!」
分からない、何もかも分からない。
サヤは当惑している。彼らの感情的な言葉の数々にではない。カズマ、山人、エリサ。よく知る顔ぶれが目の前にいる事にだ。塔の下には無数のアトルギアがいた筈なのにどうやって辿り着いた。いや……戦って来たのだ。証拠に無傷な者は誰もいない。全員が手負いで戦っている。何のために。
サヤのために?
アトルギアは歴史上長らくに渡り人の暮らしを脅かし、文明を
サヤは頭を抱えている。
私は、彼らに助けられようとしている?
私は、彼らのために死ぬはずなのでは?
だけど私の命を奪うために彼らは命懸けで殺人兵器と戦ってるというの? そんな理屈が通るのか。いや……違う。これだけの判断材料ではどこかに矛盾がある。だけど矛盾を生じさせる違和感の正体が掴めない。彼らは何を求めて戦うのか。
サヤは額に触れた掌が冷や汗でぐっしょりと濡れているのに気付いた。動揺している。
だが再び脳裏に声が響いた。
『何を焦っている。サヤは尊い存在なのだ』
声は脳裏に蜃気楼の様な波紋を呼び、残響して消えた。サヤの心は鎮まり、ジャギルスが与えた自己肯定感を反復した。
そうだ、私は……彼らにとって最も尊い命なのだ。
私に役目を果たさせるためなら……カレラハシンデトウゼンダ。
まさかと察した。
あの人達は私を生贄にするための追手なんだ。──サヤの恐怖はにわかに膨張した。
「私を殺さないで!」
叫びに呼応してジャギルスの爪が猛威を振るう。弾かれた山人達への追撃をエリサが食い止める。
「サヤ、聞いて! 私はあなたとの争いを望まない、攻撃を止めて!」
「嘘だ!」
剣と爪は相弾きなおも衝突。攻めのジャギルスと受けのエリサが
「人間達は互いを騙し恨み滅ぼし合う事しか考えていない。人間なんか信用できない!」
爪の斬撃を躱しながらエリサが声を放つ。
「それは一面性でしかない。人間は怒りと憎しみで大きな力を手に入れる。その源は、護るべき存在ものへの愛よ。愛する存在のために人は強く成長するの」
「愛? 知った口を聞くな!」
ジャギルスの一撃を受け止めたエリサだったがいきなり胸を抑えて顔をしかめた。エリサの腹部にジャギルスの蹴りが入る。怯んだエリサに追撃の裏打ちが送られた。
機械の声が脳裏に聞こえる。
『人間は内に潜む浅はかな欲望を、愛という美辞麗句びじれいくにすり替えているに過ぎない。愛は憎しみの種だ。平和のために今ここで絶やさねば』
響いた声に共鳴するようにサヤは喚き声を上げた。
「皆、敵だ。心を持つ者は皆、敵なんだ!」
吹っ飛ばされたエリサを抱きとめた山人達が
「サヤ様、一体どうしたんだべ、まるでお人が変わっちまったみてえだ」
「アトルギアと一緒になっとるだ、サヤ様は奴らに寝返っちまっただか!?」
山人達をカズマが一喝する。
「バカ野郎! サヤは奴に洗脳されてんだ!」──ちなみにカズマは山人達より遥かに年下である。
「おい、バカサヤ!」
カズマがサヤに近づく。両手を掲げてなにも持たないと示している。後退るサヤ。
「ジャギルス!」
「させない」
カズマに飛び掛かろうとするジャギルスをエリサが蹴り込む。機械の巨体が怯んだ。
「カズマ、任せたよ!」
エリサの声にカズマは無言を応えとして一歩また一歩とサヤに歩み寄る。排熱音が響いてジャギルスが動き出す。エリサがその脚を払い態勢を崩すと振り返って声を張る。
「何やってるの山人達、あなた達も手伝いなさい! 私あんまりモたないよ!」
「お、おうさぁ!」
筋肉の山が覆いかぶさった。ジャギルスは足掻いたが純粋な質量の責めを前に、男達の中に埋もれた。サヤの呼び声も虚しくジャギルスからの応答はない。
「あぁ、ジャギルス!」
「おい、バカサヤ!」
サヤは顔をしかめた。すでにカズマが目の前に来ている。下がろうとするが負傷している足元が効かない。たちまち天井から崩落した瓦礫につまずき転倒した。
「クッ……」
「そこはいったぁーい、じゃないのか、バカ野郎」
「うるさいな、さっきからバカバカって! 私はカズマ、あなたを一番許さない」
「俺が憎いのか、サヤ」
「憎いよ。私を騙して、私の命を奪おうとした張本人。人殺し!」
「だったら俺をどうするつもりなんだ」
「……消す。この広くて美しい世界から、あなたの存在を消してやる」
「アオキ村の人々を皆殺しにした、そいつみたいにか」
その言葉にジャギルスを見た。アオキ村は彼が滅ぼしたと言うのか。不思議なことに言葉が出なかった。どうした自分、アオキ村を恨もうとしてよ。
そう、だってアオキ村は私の自由を奪う場所。滅ぼされてせいせいするべき。
「…………そうだよ、私はジャギルスと一緒に理想の世界を創っていくんだ」
感情は欲望の子供。私利私欲に塗れた世界の終着点は、憎しみと悲しみが虎口を開き待つだけだ。
欲など持たなければ良い。何人たりとも争わない誰もが完全一致した思想。諍いを生まない。何も生まない。機械だけが実現できる世界……それこそ美しき平和の理想に違いない。平和を脅かすのは、人間の欲望。だから機械は元凶を根絶やしにする。
「機械は世界から争いを無くすための戦争をしているんだよ、カズマ」
「はぁ……つくづく思うわ、この、バカサヤ!」
怒声を発したカズマに後ずさる。だがだしぬけに腕が伸びてきた。手首を掴まれそのまま引き寄せられる。カズマの顔が近い。
「いつからそんな大層なことを言えるようになったんだ、お前は。どうかしてるぞ」
「どうかしてるのは、そっちの、方だろがっ」
顔面目掛けて頭突きした。衝撃はバキッと音を上げ、カズマの鼻からは鮮血が噴き出た。しかしカズマはまったく仰け反らなかった。
「……この程度で俺を世界から消すつもりか」
にたりと笑うカズマにサヤの怒りは激しさを増す。その手はまだサヤの肩を掴んだまま。
「お前の言説ごもっとも。サヤが言うように俺達は不完全な存在かもしれない。けどな」
ぞわっと背筋を撫でる気配。鼻からだらだらと流血しながらカズマは目を見開いてそして言う。
「
カズマの手が恐ろしい速さで動き、首に何かを取り付けられた。外そうとするが全然取れない。
これは……何だ? 手触りをたしかめ感触を調べ、そして気づく。まさかこれは……。
カズマが歯をちらつかせる。
「朋然ノ巫女様、お気をたしかに」
サヤが村で付けていた首飾りだ。空読の後、必ずカズマから受け取り肌身離さず提げていた。自死する前日、カズマから褒められた後すぐに付けて、そして返した。ここに持ってきていたのか。
「もう何も背負わなくていい」
巫女の首飾り……村にいた頃、サヤがサヤであるため欠かさず胸元に提げていた、自分の一部だ。
「う、うあ……」
だが、なんだ、これまでの感覚と様子が違う。すっと背筋が伸びるような簡単なものではない。
首が、熱い。違う、首飾りが、光っている。
「なに、これ……」
「悪く思うな、サヤ」
首飾りの装飾をカズマは一欠片、もぎ取った。すると首が熱を高めて電気を帯び出した。
頭が痛い。
自分の中に異物が入り込んでくる。頭から胸を通って腹部まで、体中のありとあらゆる所で得体のしれない存在が暴れまわっている。
これは、自分か?
いや、こっちが自分だ。
何を言ってる、こっちが自分だ。
違う、本物はこっち。
分からない、どれが自分だ?
胸が痛い……何が正しいの?
人間を殺せ。
お願い。
皆を守って。
助けて。
すべてが敵だ。
苦しい。
痛いよ。
滅ぼせ。
守れ。
殺せ。
祈れ。
壊せ。
繋げ。
憎め。
愛せ。
「うあ……うああ……」
激痛が全身を駆け巡る。あまりの痛みにのたうち回る。自分ではない何かが自分ではない何かと戦っている。
何かが消えていく……。
何かが入ってくる……。
イヤダ、キエタクナイ……。
戦え。護れ。願え。語れ。進め。歩め。想え。慕え。満せ。望め。生きろ。
(代われ)
薄れゆく意識の中、サラの顔が見えた気がした。
「カズマ―――――――!!」
そしてサヤの視界は暗転した。
何も見えない暗黒がサヤを包んだ。耳には何も聞こえない。吐いた息が空気を擦る音だけがして、吸った空気が浅い所までしか回らない。顔にやった手が酷く震えている。指先は冷たい。まるで何かに脅えているようだ。私は何が不安なんだと分かれば良いのか判別がつかない。
分からない、それが怖い。
意味も分からず震える指先。
段々と寒さを感じてきた。
寒い、身体が寒い。冷えていく。身体が段々、冷えていく。
冷たくなっていく指先、身体、それはまるで自分の命が消えていく様を感じるよう。
嫌だ消えたくない。消えたくないよ。震える身体で闇の中を必死にもがく。私の命は、どこだ? 無音の闇に溺れながらサヤは問う。冷えたカラダはどこに命を求めるべきかを。耐えがたい孤独と恐怖が押し潰そうとしている。誰か、誰かいないの。叫ぶ。
お父さん、お母さん……呼べるはずもない。この世にサヤの肉親は一人もいない。
サヤは天涯孤独の少女として生まれた。姉のサラは、サヤが生まれた時には死んでいた。サヤは姉が残した世界の記憶と、朋然ノ巫女の役目──ジプスの民を治める術を学び続けた。傍らにはいつも一人の少年がいた。名はカズマ。
いつしかサヤはカズマを兄のように慕っていた。
いつの日だったかカズマはサヤに首飾りを贈った。彼が調べて作ったという先代巫女のサラと同じ形の装飾を。サヤはカズマにこの上のない感謝をした。自分にとって唯一の
しかし嬉しかった。姉の面影を感じる品。最高司祭者として相応しい大きく豪奢な首飾り。サラの記憶とサヤの想いはすべてこれに刻まれている。村の民が与えてくれた幸せな時間さえも。
(そっか、私は幸せだったんだなぁ)
サヤに血の繋がりがある人はいない。その代わり血よりも濃い繋がりを持つ人が、いつだってそばに居た。その名前はカズマ。
暗闇に彷徨うサヤの前を一筋の光が走った。
そうだ……首飾りだ。
サヤは首から下がる大きな装飾を胸いっぱいに抱いた。
まだ、終わらせたくない。私を一人にしないで。ほのかな光が首飾りを包みだし、闇が徐々に薄れていく。気を抜けば再び闇が迫った。サヤは抵抗した。声にならない声で力いっぱいに叫んだ。
私は――まだ生きたい!
首飾りが七色に輝きだし漆黒の闇を払っていく。辺りは光に包まれ──遠く光の中に誰かの影が見えた。その方に向けて必死で手を伸ばす…………。
目を覚ますとカズマがいた。何か喋っているようだが内容まで聞こえない。だけど彼の穏やかな表情はサヤの心を落ち着かせた。腰を下ろしたカズマに肩を抱かれているようだ。
「……そんな顔するんだね、カズマも……」
「サヤ、すまなかった……」
カズマの下げようとした頭を手で押さえる。ぺちりと額の鳴る音がした。
「違うのカズマ。カズマは何も間違ってなんかいなかった。私は私の、カズマはカズマの役目があったんだ」
手を離してゆっくりと言葉を紡ぐ。役目。その言葉が胸に刺さる感覚をサヤは理解しながら言う。過去から続いてきた今ある繋がりに対する感謝。自分が見てきた村の民の暮らしぶり。平和を信じていた温かい日々。生きる事に限りを持たされたサヤだから感じられた、世界の平凡な美しさを素直な言葉で伝えていく。
「なのに」
途中で涙が遮った。
「ごめんなさい……村を守れなかった。巫女の役目を果たせなかった。村の皆に貰った幸せを何一つ、返す事ができなかった」
ごめんなさい。ごめんなさい。私はバカサヤだから。役に立たなくてごめんなさい。繰り返し何度も泣きじゃくっては詫び続ける。迎えに来てくれた大切な人を傷付け、手に掛けようとした恐怖と後悔が胸を苛ませる。
「ごめんなさい、私のせいで、ごめんなさ」──口を何かに塞がれた。布? カズマの匂いがする。これは……。サヤはカズマに抱きしめられていた。大きな胸と太い腕に体中を包まれる。ぎちぎちと体が鳴りそうなほど力強く苦しいまでに。
「サヤは、誰よりも広く温かい懐でジプスの悲しみを受け止めてきた。代償として深い孤独を背負いながら、村を明るく照らしていた。誰もがサヤ、お前に感謝している。そして……俺もだ」
カズマの手がサヤの頭を撫でる。
「生まれてきてくれてありがとう、サヤ」
サヤはカズマも両親がいない事を知っている。指導者である彼の境遇を慮る者はほとんどいない。深い悲しみを秘めているのはカズマも同じの筈なのにどうしてそこまで優しくできるの。温かい彼の胸の中でサヤはしばらく泣き続けた。
心臓の音が聞こえる……カズマは生きているんだね。サヤの額に一粒の滴が落ちた。カズマが頭上で泣いていた。頬を伝うその涙をサヤは拭ってやると彼は穏やかに微笑んだ。
もう寒くない、サヤは欠落していた胸の何かが満たされていくような気がした。
「二人とも、良い所を邪魔してすまないが、もう限界だ! 退却しよう!」
エリサが苦渋の声を響かせた。ジャギルスを抑え込んでいた山人達も身体を震わせながら必死に状況を維持している。十五分は支えていた彼らの限界はすでに近い。
「少年よ、よくぞサヤ様をお救い下さった! お見事じゃ!」
「だがワシらもよく戦った! つまり、そろそろキツイ!」
「塔の下で
カズマがサヤを抱き上げて立ちあがる。
「山人達……ありがとう! 退却しよう!」
カズマは高々と言い放った。
だが地獄は始まってすらいなかった。
『マザーニデータノ転送ガ完了シマシタ。出力ヲ100%ニ戻シマス』