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雷音の機械兵(一)

 雷に打たれた時、意識が戻った。

 御倶離毘おくりび御柱みはしらからその時見えた皆の幸せそうな顔に自分まで嬉しくなった。

(よかった、私の命に意味はあった)

 その直後、再び眠りについた。

『不明ナデバイスノ反応ヲ継続シテ確認。行為ヲ続行シマス』

 瞼を上げると見た事のない場所だった。

 冷たい指先が頬に触れる。思わずぴくりと反応した。指先をたどると金属製の腕がすうっと伸びて自分の顔が反射して写っている。焦点を広げる。平たい頭の鉄人形が、自分の事を見つめていた。

「あなたは誰……?」

 喋りかけると彼は緑色の両目を光らせた。

『対象ニコミュニケーションノ意思ヲ認定。言語ニヨル意思ノ疎通ヲ試行シマス』

「わ、なになに!?」

 彼は両目を点滅させた。

『僕ハ、アトルギアデス。名前ハ、ジャギルス、デス。コンニチハ』

「こ、こんにちは……私は、サヤです……?」

 機械兵アトルギア。その単語に悲鳴を上げそうになるのを必死でこらえた。見上げてもなお余りある巨体にたじろぎながら返事をする。サヤは何故こんな所に自分がいるのかさっぱり分からない。目が覚めたらここに居た。

 たくさんの機械が並べられている大きな部屋……館の広間の倍はある。窓がある。透明な板がはめられていて景色が見える。雨の中、広大な景色に光る建物が散らばっていてすごく明るい。高さもすごく高いところにいるようだ。空見櫓の比ではない。見た事ない部屋、見た事ない景色、アオキ村と違う場所……。

 ――ここって、まさか。

「外の世界!」

 その場から飛び起きて窓辺に行こうとしたが、たちまち転ぶ。

「いったぁい!」

 なんで転んだの? 足元に目をやると、膝から下が包帯でぐるぐる巻きにされている。というか全身が包帯だらけにされている。

『アナタハ全身ニ酷イ怪我ヲシテイタ。僕ハアナタニ手当テヲシタ』

「て、手当て? あなたが?」

『僕ハアナタニ手当テヲシタ』

 サヤは自分の身体に巻かれたものを凝視した。手、足、胴にまで。意外と丁寧にされている。

「あ、ありがとう……?」

 アトルギアにお礼を言うのもおかしな話だが、他にするべきことが思いつかない。なにより怪我の痛みがないというのは、彼の手当てが良かったからだと思えるところだ。

「あなたがここに連れて来てくれたの?」

『ハイ。僕ガアナタヲ連レテキマシタ』

 ジャギルスと名乗るアトルギアは頭を上下させた。ハッとしてサヤは身体を前のめらせる。

「アオキ村の皆は?」

『アオキ村。僕ハソノ情報ヲ持ッテイマセン』

「私がいた村だよ、たくさん人がいたと思うの」

『登録サレテイナイ地デス。情報ノ保存ヲ推奨シマスカ?』

「うん、してして。私はアオキ村に帰らなきゃいけないの」

『理由ヲ問イマス』

「私、死に損なっちゃったから」

 ジャギルスが首をかしげる。

 ――そうだ、あの時。

 サヤはカズマに儀式の日を早めて欲しいと頼んだ。そして彼の前で自らの左手に杭を打ち込んだ。狼狽うろたえる彼にサヤは強く訴えた。

『皆を連れて早く出て』

 随分前の話だ。

 アトルギアが近づいている。モトリの報せでサヤは知った。それをカズマには伝えなかった。彼は人一倍の強い感情を持っていて村の統治に努力を惜しまない。けれどその実、本物のアトルギアを前にしたことがなく、もしもの時、冷静で正しい対処を図れるのか、一抹の不安があった。いかに自然に村の皆を外へ逃がすか。モトリと二人だけで事を進めていた。

 先代巫女、サラの記憶をもとにして。

 そんな折、エリサ達がやって来たのだった。腕が立ちそうな二人はアオキ村に置いていて損はない。ただ彼らはよく話をしてくれた。彼らが魅せる外の世界はあまりにも輝いていた。村のため長居させようと武勇伝を語らせるうち秘めていた憧れへの抑えが弱まってしまった。

『まもなく嵐がやって来ます。山を崩すほどの大嵐が。すみやかにこの村を立ち去りなさい』

 だが現実への解決策はするりと実行できた。サヤの言葉は村の有力者達を納得させるのに有効だ。すでに覚悟は決まっていた。朋然ノ巫女は流浪民ジプスが土地を離れる時に死ぬ。すなわち朋然ノ巫女が死ねばジプスは土地を離れる。

 ――一日でも早く皆を逃がしたい。

 ――自分が世界への未練を募らせる前にすべてを終わらせたい。

 様々な思いが交錯する中、サヤは自らに杭を打った。そしてその身に雷を落とした。

 しかし結果がこれだ。サヤは死に損ねた。アトルギアが目の前にいて自分は知らない場所にいる。それだけで今のアオキ村がいかなる状況にあるのかサヤには推測が立った。

 間に合わなかったのだ。

 私が、生きている。

「お願い、私を帰して」

 機械の腕にすがる。

「私は、アオキ村で死ななくちゃいけないの」

 生まれて十二年間ただそれだけを信念に生きてきた。

 自分が生きてきた意味をいまさら否定されてはいけない。

「そうでなきゃ……」

 自分の存在が否定され続けている気がしてならない。

「私の生まれてきた意味がない……」

 カズマはもういない。サヤを肯定してくれる存在は誰もいない。生まれ育ったアオキ村は、もうどこにもない。考えるだけで孤独を感じた。

 寂しい。だから私は独りでも自分の役目を務めなくちゃ。

 ジャギルスはかしげた首を、反対方向に傾けた。

『アナタノ言ッテイル言葉ガ理解デキマセン。アナタハ死ヌタメニ生キテキタノデスカ』

「村の皆がそう言ったんだ。私がいる限り、アオキ村は平和なんだって」

 カズマから自分の役目は村を守る巫女として立派に御倶離毘を受ける事だと生まれた時から教わってきた。疑いもなく生きてきた。誰にも否定されなかった。私は死ぬ事に意味のある存在だと。

 でも、どうして? 生きているのに守れなかった。

『僕ハアナタニ死ナレタラ困ル。マダ死ナナイデ欲シイ』

「どうして?」

『僕達ノ未来ノ為ニ、アナタハ生キテクダサイ』

「きゃっ」

 突然、ジャギルスがサヤの身体を抱え上げた。窓辺に向かって歩き出す。

 外の景色を見せてくれた。

『世界ハトテモ広イデス。世界ニ果テナドアリマセン』

 雨の中で濡れた景色は眩しく輝く。目映まばゆい建物達はどこまでも続き光の稲穂畑いなほばたけのようにサヤの前を広がっている。

『新シク生キル意味ヲ与エマス』

 崩れた建物で埋め尽くされた人間達の生きた跡を思わず「綺麗」とこぼしてしまった。

『コノ世界ハ美シイデスヨ、サヤ』

 彼はサヤを抱えたまま部屋の中を歩きだした。窓に映るジャギルスと自分の姿は大きな獣と子供の連れ添いにも見える。冷たい腕に抱かれながらも彼の歩く揺れが何処か心地よい。

「初めて見たよ、山の外の景色」

『サヤガ生マレタノハ山ノ中デハナク、コノ世界デス』

「私が生まれた世界?」

 ジャギルスはサヤの方を見ながら顔の両目を点滅させる。

『新シイ世界ニ目ヲ向ケマショウ、サヤ。アナタハ、生キテイテモ良イノデス』

 その言葉がサヤの耳を響かせた。

「……本当に?」

 初めて聞いた言葉。

――自分は生きていても良い?

 外の世界に憧れながら死ぬことを求められてきた自分にとって、まったく馴染みのない教えを、ジャギルスは言ったのだ。胸が早鐘を打ち出すと途端に、目から熱い物が込み上げてきた。目元を触ると、指先が濡れていた。雨は降り込んでいない。なのに顔がどんどん濡れていく。

「どうしよう、止まらない。ねぇ、これは何? 私おかしくなっちゃったのかな」

『ソレハ涙デス。サヤ、アナタハ知ラナイ事ガ沢山アル。僕達ト探シテイキマショウ』

 涙。

 これが涙。

 村人達がサヤの言葉で目から流していたもの……自分にも流れ出てくるなんて思ってもいなかった。涙を流していると、なんだか心が気持ちよくなってくる。ジャギルスの腕の中で、サヤは大粒の涙をこぼし、わんわん泣いた。機械の彼が見せてくれる世界がこんなにも美しいだなんて。過ごしてきた時間、失われていた時間がにわかに彩りを濃くしていくような、温かい感触を心のなかに抱かせている。初めての涙が止まる頃、サヤは言った。

「この世界は、美しいんだね。ジャギルス」

 ジャギルスは窓からの景色を眺めたまま、言った。

『サヤニハ、モット世界ヲ美シクスル手助ケヲシテ欲シイ』

「何をするの?」

『僕ト生殖ヲシテクダサイ』

 聞きなれない言葉。サヤは問う。

「それは、何?」

『次ナル存在ヲ生ミ出スコトデス。世界ノ生命体ガ全テ、コウシテイルヨウニ』

 その瞬間、ジャギルスの口から一本の管が飛び出し先端が大きく口を開くとサヤの口元を覆った。

「むぐぅっ!?」

『不明ナデバイス・サヤトノ接続ヲ確認。共有サレタ情報ヲ同期シマス』

 さっきまでの流暢な話し方から一変して、いきなり無機質な声に切り替わった。管で塞がれた口から何か変なものが流れ込んでくる。

(何、何、何!?)

『アクセスニ成功。同期サレタ情報ヲマザーニ転送シマス』

 管から流れ込んでるのはよく分からない――感覚というべきか、謎の流動物が身体に注ぎ込まれる奇妙な感触。自分ではない何かが自分の中に入り込み、代わりに自分がどこかに出ていくような。視界の隅で部屋の中央にある機械の柱が激しく点滅して見える。不思議と抵抗する気が起こせない。

(あれ……私、なんで村に戻らなきゃいけないんだっけ)

――いや、戻らなきゃ。私が収まるべき場所に。

(収まるべき場所? どこだっけそれ)

 私は、私は……。

「サヤ!」

 その時部屋の奥から叫び声が飛び込んだ。聞き覚えの深い声。まさか信じられない。

(カズマ!)

 イガグリ頭の少年が視界に駆け込んできた。全身はボロボロで、ベニカブのような顔を真っ赤にしながら、彼はジャギルスまで突っ込んでその手の大鋸のこぎりを振り上げる。

「サヤを放せ、この野郎!」

 カズマの振った大鋸がジャギルスの背中を捉えた。ジャギルスは体勢を崩しサヤを手放した。落下したサヤの前に回り込んだカズマは、サヤを抱き上げてジャギルスから距離を置く。信じられない事が起こっている。何処とも知れないこの場所でカズマが生きて私の前に現れた。

「カズマ……? カズマ、カズマ! 生きてたの!」

「いや、こっちの台詞だよ!」

 どこを見ても怪我だらけで顔は泥や傷でめちゃくちゃでそれでも彼の声は確かにサヤの知る怒鳴り声だ。サヤの胸にはまたもや熱い物がほとばしる。

「カズマ、カズマ! もう会えないかと思ってた」

 サヤを抱えるカズマは自分の一挙一動に目を大きくしたがすぐに声を上げた。

「サヤ、帰るぞ! 俺達のジプスへ」

「…………え?」

 その言葉を聞いた途端サヤに迫っていた胸の鼓動が急速に引いていくのを感じた。

「カズマ」

「なんだ、サヤ?」

 泣きそうなほど顔を歪める少年に対して少女は言った。

「私、どこに帰ればいいの?」

 その時見せた彼の表情は今まで生きてきた中で最も貧弱な生き物みたいな風に見えた。

「私、あそこには帰らないよ」

「サ、ヤ……?」

「私、死にたくないもん」

 生まれた意味がない。アオキ村はきっとそう思わせるだろう。アオキ村のジプスは生きている事を否定する空気しか感じない。

 私は生きてちゃいけないの? 何故? 私には私の望みがある。

「私は、生きたい」

 それがたとえ生まれ育った環境に対する裏切りだとしても。

「何を言ってるんだ、サヤ。俺はお前にそんなこと」

「カズマ、放して」

 カズマの背後からジャギルスが襲い掛かった。長い腕は大きくしなり風を切って少年の身体を弾き飛ばした。

「ぐぁっ!」

 何度も床を転がり壁に叩き付けられたカズマ。しかし手加減はさせたからまだ意識はあるようだ。

「サヤ、どうしたんだよ、俺はお前を助けに……」

「喋らないで!」

 再び立ち上がろうとするカズマに急接近して殴り飛ばす。壁に張られた窓の透明板

《ガラス》にひびが走る。

 さすがジャギルス。私の思考と行動を同期リンクさせられる。

 サヤはジャギルスと「契り」を交わした。契り……それは精神的な繋がりを持つということ。互いが密接に触れ合うことで考えと行動が一致しやすくなる。このアトルギアは、自分の言った通りに動く。サヤはジャギルスの考えを肯定したのだ。

「サヤ……何があった……? そいつに何かされ」

「しつこい」

 ジャギルスがカズマの首を掴み上げた。カズマが苦しそうにうめき声を漏らす。

「サ……ヤ……」

「私の命をあなた達なんかに渡さない。私の生き方は誰にも縛らせやしない!」

 サヤは自我に目覚めた。求めてきた広い世界を提示したジャギルスは傷ついた幼い少女の心に優しく触れた。育ての兄である彼を前にしても、自分を殺そうとしていた事実が情けを奪っていた。

 カズマが更に声を上げた。鉄の爪が彼の首に食い込んでいる。サヤは怒りに震えていた。私は誰の所有物でもない。私は生きている。

「正気に戻れ、さ、や」

「私に指図するな!」

 サヤは叫んだ。カズマがその場から消える。次の瞬間、反対側の壁にカズマが激突していた。衝撃で天井の一部が崩れ落ち雨が降り込む。

 サヤは肩で息をしている。ここまで叫んだのは生まれて初めてだった。何かに怒りを持ったことも、生涯で一度も無かった。

 怒り。

 初めて覚えた感情に自身でも戸惑いを覚えつつ乱れた呼吸に眉をしかめる。だが息苦しさよりも優っているのは圧倒的な解放感。自分を縛り付けていたすべてに反逆する。そしてまだ見ぬ広い世界のため、今こそ古い殻は破り捨てられる時が来たのだ。

「ジャギルス」

『サヤトノ接続ヲ再開シマス』

 彼との契りを再開する。新しい世界をもっと知りたい。まだ見ぬ自分をもっと深く感じたい。機械の口から注入される不思議な感覚を受け入れる。過去の記憶がジャギルスに届き、新たな感情がサヤの中に入る。感情のピストンを感じながら、視線は部屋の中央へ。機械柱が稼働している。あの柱には新しい命が宿っていると。もう間もなく新たな生命が誕生するのだと、ジャギルスから流入する感覚から教えられた。

「ふふ、うふふ。新時代が始まるのね」

 笑いがこぼれる。機械柱に宿るのは、人と機械の記憶を持った未知なる新たな機械兵アトルギア。サヤとジャギルスの子どもである。

 その時、部屋の隅で物の動く音がした。

「さ……や……」

なんだ、まだ生きていたのか。

 人間風情が。

「おれが間違っていた……サヤ、おまえは自由だ……俺達がしてきたこと、すべて謝る……だから止めてくれ、こんなことは」

 いまさら何を言う。

 いかに後悔しようと過去は取り戻せない。私の命を奪ってまで栄えようとした事実は変わらない。

 ゆるしを乞こいたい? 虚言ばかを抜かせ。這いつくばるカズマを見下ろしながらジャギルスと繋がり続けるサヤ。度重なる殴打と激突。即死はさせまいと加減したが彼はもう声を発するだけで必死だろう。

「……そうだよな、今更お前の耳には何も届かねえだろう……さや、お前は何も悪くないから疑心暗鬼になるのも当然だろう」

 それなのによく喋る男だ。

「だけど信じて欲しい事がある。真実がこの世界に一つだけあるとしたら……」

 適当に聞き流す。

「どんな時も、どんな姿になっていても……俺は、お前を愛している」

 ――ジャギルス、いったん止めて。

 機械の管を口から抜きカズマの前まで自分をジャギルスに運ばせた。消えかけの電影のように彼の瞳は弱っている。自身を見上げるカズマにサヤは吐き捨てた。

「それが私の生まれた意味に関係ある?」

 愛している? どの口が言えた言葉だ。その身勝手な考えが、感情が、一人の命の行く末を決めつけて良いというのか。私は死ぬために生まれた存在? 違う。

 二度と私に関わらないで欲しい。いや……この世界から消えて欲しい。

 目配せ。ジャギルスの腕から鋭い鉄爪が生え出てくる。カズマは抵抗する気も失せたように何も言わず目を閉じた。その姿に、サヤの怒りはますます高まる。

 言いたい事だけ言えば終わりか。都合の良いやつめ。その私に殺されるのなら本望だとでも言いたげな顔が癪しゃくに触る。抵抗しろ。怒れ。喚け。私に怒りの殺意を向けろ。私を破壊しに来い。私を愛したカズマは、強かったはずだ──と考えたサヤの心理を遮るようにジャギルスの声が流れた。

『心など持つから争いは絶えぬ』

 そうだ。

 感情、本能、欲求。

 世界にひしめく生命体はそれらを元に競争を生む。やがてそれは火種から大きな炎を巻き起こす。戦火を留めるため、心を捨てよう。

「私に生まれた意味はなかった。最初からね」

 ――さようなら。

 彼の頭上に殺意を落とす。

 ――カズマ。

「意味を求めるべきは、生まれた事じゃなく」

 その時女の声がして、金属音が鳴った。

「生きていく事に求めるべきだと、私は思うが」

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