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平穏を護る者(一)

「あのすんません腰がヤバいんですけど」

「ふぁーっ、若い男が気張らんかっ! ほら刈った刈った! まだまだっ、仕事はっ、残ってるぞ!」

「あぅっ」

 尻をしばかれたゲイツの悲鳴が田畑に響く。「手伝ってくれんね」と愛想よく頼まれて断れるほどの肝があればどれだけ楽に生きられるだろう。エリサは彼の人の好さに一種の哀れみすら覚える。

「あんたスジが良いね。じょうずじょうず!」

「ありがとう」

 まぁ草鞋わらじ作りを手伝わされてる自分が言えたことではないが。

「もうすぐなの?」

 エリサは作業を教えてくれた娘に聞いた。彼女の腹は大きく膨らんでいる。

「ああ、後一月もすればってサヤ様に占われた」

「子ども……相手は?」

「あー、あの声が大きいの」

 顎で示した良人おっとは、汗を流しながら皆を励ましている茶髪で細身のわか農夫のうふだった。バテるゲイツに水をやってる。

「命が繋がっていくのね。あなたと彼の」

「えっ?」

「あなた達が生きている証。あなたと彼が命を継承した事はとても素晴らしい事と思う」

「な、なに言ってんのさ! そんな大した事してないよ、恥ずかしいわ!」

「この子はシビリオと本当に仲睦まじくてねぇ」

 隣にいた別の女が頬を緩ませて言う。

「そ、そんな! あの人ったら家の中じゃ、いつもウチに甘えてばっかで……」

「あなたは不満なの?」

「不満なんて無いけど……あの人一生懸命だし、なんだかんだで優しいから」

「いい夫婦めおとじゃ」

 周りにいた女達が皆一斉にそう言って笑った。

「あなたにとって、それが幸せなのね」

 エリサがまっすぐ見つめた娘の顔は不思議そうにしてたがすぐさま歯を見せた。

「まあね。ほら見て、カズマが帰ってきた!」

 畔の上に仁王立ちの影がいた。

「皆、精が出てるな」

 あたりから、おうさと威勢のいい声が上がった。

「これより今日の空読のお告げをいたす。サヤ様いわく、本日の空は日中雲多く、潤いし風よく通う。宵の刻より雲立ち込め、慈雨やがて降り注ぐ……」

 カズマの声は離れているエリサ達の元へもよく届いた。

「シビリオ」

 天候観測を最後まで告げると収穫作業をする人々にカズマは声をかけた。それにさきほどゲイツを励ました男が駆け寄った。

「この調子じゃ今日中には間違いなく終わります。出発には間に合いそうです、カズマさん」

 カズマは満足げにうなずき、

「お前の元気のよさを皆が頼りにしている。ところで……」

 と言って親し気に話を始めた。そういえばカズマが村の人々と話している姿を初めて見た。見るからにシビリオという青年が年上だがカズマに低い物腰をしている。

 エリサはふと封建制度というものを思い起こした。有力な身分の者が持たざる人間をして自らに仕えさしむ社会形態の一種だ。エリサはシビリオの妻に聞いた。

「彼は領主の家なのね」

 だとしたら居丈高な態度も理解できる。宗教の最高権力者との結びつきもそう言った制度下にある地域じゃ珍しくない。ところが娘は笑い出した。

「そんなんじゃないよ、カズマは導師どうし様。ウチ達の暮らしを導いてくれる人」

「導師様? 一体何者なの」

 娘はしばし考え込んだ。言えない事かなと思いかけた時、口早に「作物の管理」「部族間の取り持ち」「サヤ様のお世話」と述べて最後の一つだけ冗談そうに笑った。

「他にも仕事はあるだろうけどね。サヤ様のお告げとカズマの根性がアオキ村を支えてるの」

 人々は精神的支柱として安らぎをサヤに求め、政治的な拠り所をカズマに頼んでいると。

「あの若さで……」

 齢は自分と変わらないらしい。

「カズマってあぁ見えて頼りになるのよ。こないだ村に畑を荒らす大猪ガフゴが出たんだけど、カズマが一人で向かって行ってね」

「大猪ガフゴを相手に?」

 知っている。全身を分厚い毛皮で覆った体長一・五メートルほどの四足獣だ。雑食でおそろしく獰猛な性格をしており突進を食らってしまえばひとたまりもない。

「全速力で走ってくるガフゴの脳天を、近くにあった手斧でバコォンとフルスイング! 吹っ飛んでいったわね、大きなガフゴが軽々と宙を舞ったのよ。見ていた皆しばらく口を閉じれなかったわ」

 さすがのエリサもその逸話には唖然である。

「カズマの馬鹿力はほんと洒落にならないわ。村一番の力持ちよ」

「……彼は、兵士か何かを志望してるの?」

「いざって時のために鍛えてるとは言ってたけどね。こないだ山羊ネトが逃げ出した時もねえ?」

 そう言って娘が隣の女と顔を見合わす。吹きだすように女は手招きする仕草。

「そうそう、プツロングラも使わずにたった一日で見つけちゃったのよ。山を下りて来た時のカズマったらすっかり泥だらけで山羊を抱えてて……」

「その時、カズマなんて言ったと思う?」

 いきなり問われて返せるのは「さあ、どうだったの?」くらいなものだ。

「すまない、腹が減って乳をちょっと飲んでしまった」

 周囲はそれでまた笑った。

「神妙な顔で、申し訳なさそうに言ったのよ。乳を飲んじまった!」

「みんなの前で、しかもちょっとだけ飲んだって……あの正直者めっ!」

「あの正直さがカズマのいいとこなのよ」

 女達はからからと笑った。

「カズマは本当にいい男に育った。あの子、親がいないの」

「親が?」

「あたし達がアオキに落ち着くまでの旅で、カズマの両親は命を落としたんだ」

 娘の隣に座る年増の女が説明をつけ足す。

「あたし達はカズマの両親にとても助けられてきた、だから赤ん坊のカズマを村の皆で育てようって決めたんだ」

 年増の女はしみじみと遠くを見つめる。娘が腹をさすりながら言う。

「カズマは皆の息子であり弟であり、流浪民ジプスの光。それにサヤ様とはまるで兄妹みたい」

「こらっ、滅多な事を言っちゃいかん」

「えーだってずっと一緒にいるんだよ、カズマとサヤ様。夫婦に見えてもおかしくないわ」

「こりゃあ、言葉が過ぎてるってば」

「そういうあんたも顔がにやけてるじゃないのさ」

「そ、そんなことは……ある。実はあたしも思っとる」

「でしょう?」

 女達はころころと頬を赤くして笑った。

「お前ら、カズマさんの何を笑ってんだ!」

 いつの間にかシビリオがカズマとの話を終えてエリサ達の傍に来ていた。

「あ、シビリオ。いやね、カズマのかっこいい所を旅人ちゃんに教えよったと」

「ふぁーっ、カズマさんより俺の魅力を伝えるのが先じゃないのか!?」

「なんね」

 女はきょとんとした顔でシビリオに言った。

「あんたの魅力はウチが独り占めしときたいの」

「あぁ~!」

 シビリオは顔をおさえて崩れ落ちた。女は此方に目をやって舌をチラッと出した。

「ま、まぁカズマさんの働きぶりは俺も敵わん。だけど男前さは負けてないよな、うん」

「なに張り合ってんの」

 娘は呆れたように笑っている。シビリオは一度咳ばらいをすると元の生真面目そうな顔を作った。

「これから男達は昨日の雨で壊れかけた水路を修理してくる。残った者はカズマさんの指示で祭りの櫓を組む準備に移る。俺は水路組の長だから帰りがやもすれば遅くなるかもしれん」

「ウチは母ちゃんもいるし心配いらないよ。それよりあんたこそ気を付けてな」

 二人の顔に微笑がうかぶ。その時「うっ」と女が表情をしかめた。

「どうしたっ」

「動いた。お腹の子が」

 女はそう言った。シビリオは驚いた顔を緩ませて背中をさすってやった。

「早く終わらせて帰るから、待っててくれ」

「村のためにありがとな」

「お前と子どものためだ」

 シビリオは足早にその場を去った。件の作業場に向かう一行が呼び集められ上流の分水地点までシビリオを先頭に連れ立って行った。それからエリサは草鞋編みに従事し、水路整備から残された男達の祭り支度を客人として眺めていたが、しばらくしてゲイツまで川に連れて行かれているのに気づいた。

「エリサに俺を褒めてほしいんだ」

「とても誇らしい事をしてきた顔ね」

 日の暮れだした頃に男達は帰ってきたが、その中で一番偉そうな顔をしていたのがゲイツだった。

「みんなの表情を見れば瞭然。彼らはさすが各地を渡り歩く部族だけありそれなりの治水技術は持ってはいたけど、俺にしてみれば組み方がどこか頼りない。そこで僭越ながら俺が講釈を垂れてみせた。するとどうだ、一同開目してやれゲイツの兄貴だ、先生だ、と囃し立てるもんだから……」

 エリサがあくびを一度して、更なる一回を堪えようかと悩んでた頃に武勇伝は結した。

「今夜は宴に招いてもらったよ、お礼のつもりらしい」

 なんとも世間への干渉が巧いこと。


 その夜、サヤの空読通りに天気は雨だ。明日の出立も叶わないだろうか。水量の増した川の音が恐ろしく近いが、工学の知識をして自らを任ずる男の手が加わったのだ。ゲイツの腕は保障できる。

 今宵は明日の前夜祭と称して村人がシビリオの住居で酒盛りに興じていた。広間の雨戸は開け放たれているが誰もその不用心さを気にしていない。その席にエリサはいた。ゲイツはというと村の男達と肩を組んで歌っている。男女の情愛を面白おかしく歌にした品の無いものだ。腰元に侍らせた村娘達もゲイツの若くて精力ある振る舞いに色目を向けている。

「どうら、俺ともひとつよろしくしよう。異郷の娘なんて久しぶりだ」

 一方の自分は気づくと大柄の男に肩を抱かれていた。

 食事に集中し過ぎていた。

「長旅で疲れてる娘を見るのは忍びない、どうれ俺の按摩あんまにかかってみろ。なに、この場で寝そべることはない。奥の部屋が空いている。あちらへ来い。たちまち気持ちよくしてやろう。そら、早く奥の方へ、さあ」

 ぐいぐいと肩に回された手が首筋をなぞりシャツの襟もとを乱す。男の鼻息は増すばかりで食器もまともに扱えない。しかしエリサは味噌汁をすする。

「俺に揉まれてよろこばぬ女はおらん……」

 やにわに男の手が襟の中に入ってきた。鎖骨を撫でられ男の手はさらに下の方に伸びてくる。

 その手が乱暴だった。

「あっ」

 エリサの手に持った汁茶碗がひっくり返る。床板に汁が広がった。男はそれを気にも留めず少女の胸ぐらで愉しもうとしている。

「ほうれ、手元を乱すほど良いだろう。さぁ、奥の部屋へ、さぁ」

「どいて」

「さ」

 軽く身をよじると男はエリサの胸に手を入れたままふわりと宙に浮かび上がった。頭上を軽く飛び越えた男が一転して体を躍らせると、床板に頭から打ちつけた。周囲にいた女たちがどよめいた。

「あんたすごぉい」

「せっかくの食事をこぼしてしまった、申し訳ない……何か拭く物を」

 眉尻を落としてエリサは給仕の女に詫びる。だが女は手と首をぶんぶん振った。

「いいよいいよ。あの酔っ払いをのしてくれたんだ、身体触られてたけど大丈夫だった?」

「別になんとも」

「ほぉ……」

 そう言ってエリサを見る女たちの目が一瞬だけ怖かった。完全に伸びてしまった酩酊漢はごつい男に担がれて奥の部屋に消えていった。まあ良い。食事を続ける。白い短冊状の食べ物をつまんだ。

 ――この匂い……ネトのチーズだ。

 珍しいものではないがアオキ村でも食べられるとは思わなかった。ネトは畜産動物として多くの土地で見られる。その乳は加工して食用され独特のつんとした臭いはあるものの、果実酒に合うとして人々に愛好されている。

 うん、これは美味い。エリサの好物でもある。

 発酵に手間をかけただけ臭いが増すネト種のチーズは噛めばぽろりと崩れるが、そのまま舌の上で転がしているとゆっくり溶けだして旨味と香りが口いっぱいに充満する。深いコクを堪能しながら果実酒を口に含んで飽和した舌が引き締まる。果実酒は葡萄フサ製だ。

 味覚に平穏と急襲が止めどなく繰り返されその危険な緩急がたまらない。芳醇なチーズと果実酒の味わいにエリサはしばし夢見心地となっていたが、珍しく興が乗ってしまった。だんだんと頬が火照ほてってきた。

 エリサは座を離れて千鳥足を踏まぬよう冷静に、極めて冷静にすました風体をつくろって屋敷の濡れ縁ぶち、雨の降り込まぬ所で腰を下ろした。しばらく夜風に当たっていると雨脚は緩んで霧雨のようになった。片手の水呑椀にたっぷり注いだ酔い醒ましの水が空になる頃、ようやくつくろわずに済む程度には自我の固まりを回復した。

 傍らに――彼女も乱痴気騒ぎを休みたくなったのか――昼間作業を共にした娘が座ってきた。何度か会話をした彼女には親し気に笑いかけてくる事もあり、エリサはすでに多少の気を許している。

「ごめんな、ウチの馬鹿達が迷惑かけて」

 馬鹿とは男達を指しているのだろう。自分が絡まれていた事を気に掛けてくれてるようだ。

「大丈夫。有性生物の雄としては健全よ」

「……あんた、本当にすごいね」

「そうかな」

「村の仕事をすぐ手伝えるくらい器用だし、ウチが知らない言葉だって沢山知ってる。腕っぷしも強い。なのにどこか抜けてる」

「それは褒めてるの?」

「ふふ、ウチはあんたを気に入ってるよ」

 膝を隣に寄せてきて娘はエリサの目を覗き込んできた。

「惚れ惚れする……すっごい美人さんだ」

 エリサの青い髪を、娘は愛おしそうに手に取って口をつけた。

「いい匂いもする」

 匂いを嗅がれている。娘は頰を紅潮させた。

(な、なんだ……この娘は何を考えているんだ……?)

 困惑のエリサは突然のことに身を動かせない。髪を口に含んだまま娘はさらに顔を近づけてきた。自分の息が娘の日焼けした額にかかっているのを感じる。

「ふふ、くすぐったい。あんたもそこそこ飲んでるね?」

 嬉しそうに笑う娘は悪戯っぽい表情を浮かべた。

「ねぇ、あの男とはやってるの」

「何を……?」

 娘とエリサの頰が触れ合う。柔らかい感触を得るとエリサは耳元で囁かれた。

ちぎり」

「ありえないっ」

 エリサが飛び退くと娘は大口開けて哄笑した。

「なははっ驚きすぎやろ、冗談冗談! でも好い男じゃないか、慣れてそうだよ?」

 酒の匂いがする吐息。この娘も酔っ払いか。エリサはムスッとして言い返す。

「私とゲイツは、師弟関係なの」

 その一言で娘の顔は色を変えた。

「師弟関係。なにそれ、どっちが師匠なん?」

「ゲイツが師匠で、私は弟子で教わる方」

 娘は目を大きくして首を傾げた。

「教わるって何を教わってるの」

「世間の常識と対人関係のこなし方」

「間違いないね」

 娘はそう言うと声をあげて笑った。そこまで笑わなくてもいいじゃないか。

「まぁ、そんなしかめ面しないで美人ちゃん。しかし何故そんな関係になったん?」

 憮然としながらも答えてやるくらいはする。

「街中で暴漢に襲われていたゲイツを私が助けたの。そうしたら恩返しに世間の渡り方を教えてくれると言って、ずっと一緒に旅をしている」

「普通助ける方が逆な気がするけど、あんた達ならありえそうやね」

 さっきから不本意なことばかり言われてる気がするのは何故だろう。……けれども実際に起こってきた事実なのだから怒りようがない。エリサの表情を見て察したのか娘はなだめるように言った。

「カズマとサヤ様もだけど、あんた達もハタから見れば良い二人だよ。夫婦ってのは良いもんよ」

 男女のつがいを夫婦と呼ぶには特殊なくさびが必要になる。エリサはまだ感じた事はないが、サヤ達にはあるのだろうか。

「あなたはシビリオさんを愛してるの?」

「うん、愛してる。だからこの子は大事な宝物なんだ」

 娘は膨らんだ腹をさすりながら微笑んだ。契りを結んだ二人の生きた証なのだという。

 肌を潤す霧空を仰ぎ見る。

「これなら明日は晴れそう。祭りもできるね」

「お祭りって、どんなことをするの?」

「サヤ様がお務めを果たされるとよ」

「お務め?」

「朋然ノ巫女様が代々受け継いできたお役目。旅立ちの前夜、流浪民ジプスが住み着いてきた土地の神に感謝の印として、巫女様を供物に捧げるん」

「供物に捧げる?」

 不自然な言葉の並びに違和を覚えた。自分なりの解釈を試みたが、その結果として信じがたい答えが出たために二の句を継ぐまで間が空いた。

 エリサは絶句していた。

「彼女は、生贄だってこと?」

「うん」と、さも差支えない顔をしながら娘は返事した。

「一つの命として自然に還られて、流浪民ジプスの繁栄を空の神と誓ってくださる」

 今日、人々が村の中央に大きな祭壇と柱を設けているのを思い出した。天高く突き上げられた木柱は民家の高さをゆうに超えた。

「お祭り二日目の昼正午に、御倶離毘おくりびといって巫女様の身体を掲げた御柱みはしらを焚き上げるの。代々の流浪民ジプスは新天地に移る度にそうしてきたらしくって、先代巫女の御倶離毘はとても見事だったって」

「そう……」

「村の皆はワクワクしてる、サヤ様はその日のために生きてこられたんだから。盛大にお祝いね」

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