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アオキ村の少女・サヤ(一)

「むぅ」

 観測の結果が気にくわない。サヤはもう一度観測器を右目にあてがった。レンズにはまん丸と見開いた琥珀こはく色の瞳が映る。麻色の三つ編みが風に吹かれて、白いうなじが見え隠れする。

 空見櫓そらみやぐらから望むアオキ村は簡素の一言に尽きた。山間にある集落アオキ村は豆をばらまいたように田畑に民家が散在し、四方を山で囲まれながら青空の下に収まっている。

 村娘のサヤが〈空読ソラヨミ〉をおこなうのはこの土地に移り住んでからの役目だ。集落内では各々に与えられた役割をまっとうするのが当たり前。自分の役目を果たすことはそれだけで存在の証明になる。数えて十二歳になるサヤも村の人々と同様、今日のお役目を務めるためにさきほどからずっと唸っていた。

「うぅむ……ふむふむ、むむ……」

 年相応にあどけない声には力んだ色が浮かんでいる。もうずっと櫓の上にいる。集中力の限界は近いはずだが観測器から目を離そうとしない。長時間粘った甲斐あって、ようやく良い結果が見えそうなのだ。

 小さな手を目一杯伸ばして食い入るように観測器を覗きこむ。薄い円形のレンズがついた筒の中で雲と空が揺らめいている。

「あとちょっと。もうちょい、もう、ちょいと……ん?」

 そして無自覚にも櫓のさくから身を乗り出していた。

「うわわっ!?」

 ようやく気付いたのはあやうく落下の一歩手前。慌てて体を押し戻すが少々力を入れすぎていた。勢い余って身を躍らせると盛大に尻もちをつく。

「痛ったぁ!」

 衝撃で、思わず目に涙が浮かんだ。

「でも、セーフ……」

 なんとかこらえきった。

 櫓の高さは十メートルもある。もしあのまま落ちていたら今頃少女は可哀そうなことになっていただろう。……いやな想像をしてしまったが、実際助かったのだ。ひとまず胸をなでおろす。吹き出た汗を袖で拭って再び立ち上がった時、総身にざわめくものを感じた。柵の手すりに身を乗り出す。サヤはまぶたを閉じて感覚を研ぎ澄ました。

 じっと待つ……。

 しばらく目を閉じていたら森の上で風がふわりと吹き、サヤの頬をでていった。たしかな風の感触に、大きく目を見開く。吹き抜ける風を抱き込むかのように両手をめいっぱい広げた。雲の動き、木々の音、風の涼しさが一斉になってサヤの体を包む。

(──これだ!)

 すかさず観測器を目元にかざし気を集中させると、胸で熱いものが踊った。

「……読めた!」

 櫓の真下をのぞきこんで、声を張る。

「カズマ、天気! 天気読めたよ! 今日は北西の風二メートル、昼間は気温高めの晴天、午後から夕方にかけて雨雲が出て一気に寒くなるよ! カズマ、変なもの食べたらお腹壊すから気をつけてね!」

「バッキャロウ! 変なもんとか食うか、バカサヤ!」

 カズマと呼ばれた少年の怒声にサヤはまたもひっくり返りかけた。黒髪イガグリ頭の彼は真っ赤になって眉を「逆八の字」に寄せている。

「でもカズマ、十三歳の誕生日に機械兵アトルギアの油飲んで死にかけたって……」

「あん時ゃ腹減りすぎて見境なくしてたんだよ! 黒歴史掘り起こすんじゃねぇ!」

 櫓の上まで飛んでくるカズマの怒鳴り声。手で塞いでも耳鳴りが残る。こちらを見上げるカズマの顔はまばゆい初夏の日差しに照らされ余計に赤さが際立っている。

(ベニカブそっくり……)

 とサヤはひそかに野菜にたとえてみた。ごつごつした顔がちょうど村の作物みたいに角張っていて愛嬌があるのだ。カズマがひとしきりガミガミし終えた頃を見計らい、サヤは空見櫓から降りた。

「えへへ、待たせてごめんね、カズマ」

 指をもじつかせながら上目がちに言う。相手の背丈はサヤより頭二つ分ほど大きいため今度は自分が見上げる形になる。

 ……笑ってごまかせたりしないだろうか? 

「おそい!」

「ひぃっ、ごめんなさい!」

 そういうのは効かない性格だったと、改めて思った。黒目が濃く、鼻梁の高い精悍な顔立ちをしている彼が怒った時の迫力は、雷よりも恐ろしい。

「村のみんなが働き始める前に空読は終えとくもんだって言ってんだろ! もう昼前だぞ、もっと早くなんねえのか!?」

「あははぁ……頑張ってるんだけどまだ慣れないや。ごめんなさい、サラお姉ちゃんみたいにできなくて」

 カズマは愛想もなくフンと口をへの字に曲げた。

「謝るならさっさと出来るようになれってんだ。空読はお前しかできねえんだから」

 カズマは数歩先に転がっている木剣を拾い上げ大儀そうに振り向いた。機嫌の悪そうな表情にサヤはびくっと肩をすくめる。カズマはその反応を見てきまりが悪そうにため息をついた。

「転んだの、大丈夫だったか」

「えっなんで知ってるの! まさか見てた?」

「バカ言え。櫓の上であんなデカい音鳴らしてたらそりゃ気づくだろ」

「それもそっか、あはは」

「……サヤ、お前は自分をもっと大事にしろ。それはお前だけの体じゃないんだからな」

「うん、がんばる!」

 サヤはぱっと笑顔になって答えた。カズマのことは実の兄のように慕っている。自分より三歳年上のカズマはなんでもすぐに怒る短気な性格に見えるけど、本当はサヤの身を一番に案じてくれる心優しい少年だ。身体はガッチリとして声も大きい彼は怖い時が多いけど、たまに見せる優しさには温かい心が込もっているとサヤはいつも感じていた。

「カズマ」

「なんだ?」

 カズマの目をじっと見つめてみた。たくましく勇まし気な顔とは裏腹に、その黒目は大きく丸い形をしている。

「……なに人の顔見てニヤついてんだよ」

「うぅん。なーんでもない」

「はぁ?」

「えっへへ、いつもありがと」

「あぁ? お、おう」

 その手に提げた木の直剣は彼のまっすぐな心を表していた。

 サヤが櫓で観測している間、彼はずっと下に立って自分の安全を守ってくれていたのだ。空見櫓は森の中にある。ゆえに空読の役割は危険が多い。カズマは、サヤが初めて空読をおこなった時からいつも一緒について来てくれていた。

 そんなカズマをサヤは幼い頃から大好きだった。

「空読の結果は夕方から雨だったな。村のみんなに伝えに行こう、ほら、早く帰るぞ」

「うんっ」

 大きな背中を追いかけるようにサヤは小走りで帰途についた。櫓のある丘を通う坂道はつづら折りになっていて徒歩で行くには骨が折れる。木々が頭上に迫る山道を二人は慣れた足取りで下る。木漏れ日が差す中には緑色の風が吹き、草木の間からは夏の匂いが漂っている。

「風が気持ちいいね」

「この時季は山風の通り道だ。雨季になるまでいい風がよく吹いてくる」

 カズマ、とサヤは呼びかけて聞く。

「風ってどこから吹いてくるんだろう」

「山の向こうからだろ」

 考える様子もなくカズマは答えた。

「山の向こうには何があるの」

「また山があるんじゃねえの?」

「じゃあその向こうには?」

 カズマは渋い顔を浮かべた。

「知らん。生まれた時からずっとここに住んでんだ、外に何があるとか考えたこともない」

「ふぅん」

「……いきなりどうしたんだよ、藪から棒に変なことを」

「なんでもないよ。でも私は知りたいんだ、この山の向こうに何があるのかって」

 悪いイメージの話ではない。サヤは喋りながら心が明るくなるのを感じた。

 それが自分の望む唯一の夢。

 外で広がる世界にはどんな景色があるのだろう。櫓からの眺めよりさらに大きなものが待っているだろうか。考えるだけで楽しくなる、そんな夢だった。

 そう、夢だった。

「カズマ、見てあそこ。誰かいる」

 坂道からは途切れがちに村の全体がみえるところがある。サヤを我に返したのはその時だった。

 集落がはじまる森の端に、見慣れぬ装束をした人影が立っていた。

 二人いる。

 この村の住民ではない。すでに数人の村人たちが取り囲み、何かを問いただしているようだ。彼らの身振りから察するに、現地は不穏な空気らしい。

 理由はわかる。アオキ村を誰かが訪れるなんて過去に一度もなかったからだ。

「どうする、サヤ」

 その光景を隣で目にしたカズマの声は落ち着いていた。サヤはただ頷いて力強く言った。

「行こう」

 アオキ村には入り口というものがない。村全体がぐるりと森に囲われて外部の干渉を一切遮断している。針葉樹しんようじゅが蒼々と茂る蒼き村。だからアオキ村。

 小さなコミュニティ内の住民たちは互いに支えあい助けあって暮らすことの大切さをよく知っている、温かい人柄である。

 サヤはアオキ村の人々を愛しているし、村人たちも互いを思いやっていた。それが世界に適合するための最も簡単で平和的な手段だからだ。

「誰だお前は! どこの者だ!」

「見かけない格好だ、なぜ村の在り処がわかった!」

「この村からさっさと出てけ!」

 粗暴な声がする。サヤたちは民家の影に隠れ、村人たちが訪問者と対峙する様子を伺った。

 大勢が集まって例の二人を取り囲み、それぞれ脅すための武器を剣呑な面つきで構えている。その二人は全身を黒の煤けたケープマントで覆い、くたびれた身なりをしていた。

「いや、ですから俺達は怪しい者じゃ」

「怪しいかどうかはオラ達が決めることだ、その格好、見るからに普通の者じゃない。この村に入れるわけにはいかん」

 周囲から同意の声があがる。話をしている男の顔はあらわになっているが、見ればずいぶん若い。髪の色もここらでは見かけない赤毛だ。瞳は黒いがアオキ村の民より色濃く、なにより顔の彫りが深い。額に保護眼鏡ゴーグルを当て、無造作に乱した髪を抑えている。皮製の色褪いろあせたケープは中に見える装束諸共もろともここらで知った作りではない。

「あいつは海の向こうから来た奴だな」

「分かるの、カズマ?」

 声を抑えながらカズマは言う。

「サラさんから昔聞いたんだよ、海の向こうには変わった髪の色した人間がいるんだって」

 赤い髪の青年は拒まれながら村人になおも語りかけている。ここに来るまで消耗しきっているのだろう、水と食糧を恵んでくれたらすぐに立ち去ると言っている。

 アオキ村を囲う森は針葉樹ばかりだ、食糧となる果実はおろか近頃は獣すら見るに久しい。よほどの運がないかぎり山の中で食べ物にありつくことは難しいだろう。

「カズマ」

「はいよ」

 サヤは空読の際にあらかじめ預けておいたものをカズマから受け取った。民俗的な装飾がなされた、八つの角の赤いたまの首飾りである。それを身につけるとサヤは呟いた。

「地を治めまします山神よ、我とその村を護りて導きたまえ」

 それで特になにか起こるわけではない。サヤがこの首飾りを身につける際唱えるよう決めている合言葉だ。鎖骨の下で飾りは大きく揺れる。サヤの小さな胸元にはやや不釣り合いのサイズだが、サヤがこの村で自分を自分たらしめるには欠かせない要素の一つだ。

 すっと気が引き締まってゆく。カズマに目配せをし、頷きが返ってきたのを確認すると民家の影から自分を周囲にさらけ出した。

「サヤ様の御成り」

 カズマが後ろに続いてそう言った。声を聞いた村人達は一斉にサヤのいる方へ振り向いた。

「サヤ様だ!」

「ほんとだ、サヤ様がいらしたぞ!」

「サヤ様の前だぞ、皆の衆控えい、控えい!」

 誰かがそう言うと村人はバサの一声がかかったように地面にひざまずき頭を垂れた。すべてサヤを向いている。

「顔を上げてください、皆さん」

 慌てるでもなくゆっくりと人々を見渡す。誰もが自分を神妙な顔で見つめている。

 それとは別に、正面の男達に目を送った。

「斬らないのですか?」

 そしてそう投げかけた。

「えっ、斬る? 誰を?」

 赤毛の青年は面食らった顔で尋ね返してきた。

「あなた達は食糧の調達のためここを訪れた。それを拒んだ村人は、今はこの通り隙だらけ。あなたが腰に提げているのは飾りではないのでしょう?」

 青年は直剣を腰に帯びていた。柄の巻布グリップは擦れきって鞘もかなり使い込まれている。それに身振りをしている時に見せた右の手の平、農作業を日毎夜毎いそしむ村民ですら比にならぬほど皮膚が硬化していた。一度抜けばこの男、おそらく相当の使い手と見える。

 アオキ村に危害を加える意思の有無、それを確認しなければならなかった。

「いやだから何度も言ってるんですよ、俺達は安全な……」

「あなたは斬られたいの?」

 青年の言葉を遮ったのはもう一人のケープマントの人間だった。頭巾フードで顔を覆ったまま一言も喋らず、ずっと青年の後ろで押し黙っていた。

 女の声だ──サヤは意外に思った。透き通った音の中に根強い芯のようなものが通っている。その声は自分に向けられた問いだと、サヤは一瞬の間を空けて理解した。

「ちょっとエリサ、小さい子どもに何てことを!」

「命の値段に年齢は関係ない」

 青年から呼ばれたエリサという女は、そう言い切った。鋭く刺すような言葉に、サヤの喉元は息を留める。「答えによってはこの場で斬る」と言われているのだ。おそらくこの女は、本気で言っている。どう答えるべきか、サヤには言葉の選択肢などなかった。ゆえに、次の言葉を口にするのは何の躊躇いもなかった。

「私はこの村で最も尊い命です」

「……なるほど」

 女はフードに手をかけ、それを頭上から払った。

(あ……)

 綺麗な人だ。そして、青い。

 顔を覆っていた日除け布は外され、現れたのは髪の青い女性だった。……いや、女性と呼ぶにはまだ若すぎる。少女だ。齢は十五、六くらい?

 青い髪なんてこの世界に存在するのか、サヤはその美しさに心を奪われた。青の深い瞳は自分をまっすぐ見つめている。こちらに向かって歩きだした少女は、すらりと腰から剣を抜いた。実に自然な動作だった。

 危険を感じた村人達がサヤを守ろうとエリサに組みつくが、一人も彼女を捉える事が出来なかった。サヤの目にもエリサがどのように動いたのかよく見えなかった。そして気づけば、宝石のような瞳がサヤを見下ろしていた。内心、ギュっと胸が締まるものを感じた。その手には細身の直剣が握られている。表情の変わらない心の奥を見透かすような瞳を前に、サヤは一歩も動けない。

 いや、動くわけにはいかないし、動かなくともよかった。

「うおぉっ」

 カズマだ。木剣を振りかざしたカズマが自分とエリサの前に割り込んだのだ。

「サヤ様には指一本触れさせない、余所者よそものめ。皆、サヤ様をお守りしろ!」

 カズマの合図で村人達が二人の侵入者を取り囲んだ。

「…………」

 しかし青い少女は動揺する気配もない。自分の前に立つカズマは「サヤ」と小声で呼びかける。

「安心しろ、俺がお前を守る」

 大きな背中から漏らすように言った。カズマは肩幅のしっかりした偉丈夫いじょうぶで、腕っぷしも確かだ。村の大人が二人掛かりで引く荷車も彼なら一人で動かすことができる。足腰の強さは誰も敵わない。そんなカズマの存在があの少女の前には小さく見えた。

 何故なのか。サヤには理由が分からない。ただ少女の前にカズマが相対するだけで胸中に言いようのない不安が沸き起るのだ。

「来るっ」

 エリサの剣が天を突く。村人は一斉に構え、一面に緊張の波動がほとばしった。

(カズマ……)

 背中に向かって心の中で名前を叫ぶ。

 エリサは直剣を蒼天に煌めかせると、勢いよく地面に突き刺した。

「私の武器をあなた達に預ける。これで信用してくれないか」

 青い瞳が自分に向けられ、瞳の主は口にした。

 ざわめき。しかし彼女は続ける。

「私はエリサ、ただの旅人。今から武器を差し出すのは、ゲイツ」

「待って、俺まで武器出さなきゃダメなの?」

「出さなきゃダメ」

 赤毛の青年はため息をつき、腰のさやごと近くの村人に投げてよこした。

「私とゲイツは世界をまわる旅の者。この通り、あなた達に悪い事をする気はまったくない。一杯の井戸水でもいい、少しだけ休ませてもらえないだろうか」

 少女の態度は毅然きぜんとしていた。表情は少なく抑揚も薄い。だがその言いようには不思議と傲慢ごうまんさを感じられなかった。

 サヤは何も言わない。

 エリサの剣は足元に直立したまま沈黙していた。


 §§§


 異様な光景が目に写っていた。

 村の人々は年端もいかぬ一人の少女にひざまずき、彼女のため殉じようとしているのだ。その幼い少女は他の村人達と比べても明らかに雰囲気が違う。「サヤ様」と呼ばれる少女以外、村人の多くが継ぎぎや泥汚れした農民の様相をしている。

 その中で、少女だけが真っ白な衣裳を纏って奇特にも身なりを整えられている感じだ。衣服の至る所――首の周りや腕回り、スカートの縁などあらゆる箇所――に施された輪飾りのような紋様が、少女の姿に宗教性を思わせ、さらには胸元に大きすぎる赤い珠の首飾りが下げられている。

 周囲は呼ぶ「サヤ様」と。

 まるであがめられているようだ──そう、エリサは思った。

 地面に突き立てた剣は誰の手に取られることもなくエリサと村人の間に佇んだまま。

エリサはサヤという名の少女をじっと瞳に映した。二つに編んだ麻色の頭髪、琥珀色の両眼は緩やかな弧を描いて余裕があり、額と頬に朱色でペイントがされている。額の方は〈目〉の形、両の頬には小さな三角形だ。

 やはり、ただの子どもではない……力を感じる。体はたしかに未発達な幼子だが、面付きにいとけなさがない。他の村人と比べてもたたずまいは超然としている。

 彼女が出てきた時、場の空気が張りつめたように思えたのはサヤの凛とした姿勢から生じる怪異的な気配の所為だろう。空間を支配してしまうほどの強い精彩を少女は瞳に宿していた。

 二人が見つめ合ってどれほど経っただろう、数秒も無かったかもしれない、誰も口を開かず空白を犯すような時の流れをエリサは胸の隅で感じていた。風のそよぎが髪をさらっていく。

「……いかがしますか、サヤ様」

 ふたたび場を動かしたのは自分に木剣を突きつけている背高い少年のうめくような声だった。彼も周りと身なりが違う。左の頬に翼のような朱色の塗装。サヤと類を同じくして白が基調の上衣に宗教的な施しが見え、袖は無く、裾は長い。そのため下衣はほぼ見えない。

「賢明なご判断を」

 喋るたびに紫の額巻きが微かに揺れた。

 背後のサヤに指示を仰ぎつつも同時にエリサ達を威圧しようとしている。露出した肩の発達振りから、並ならぬ闘気。構えるのは木剣とはいえ、あの体躯で繰り出される威力はおそろしいものを想像する。

 切迫した空気のなかでゆったりとサヤは口を開いた。

「一杯の水で村の平和が守れるなら、これより嬉しいことはありません」

 少年の肩越しに見える少女は少しだけ笑みを浮かべている。

「だけどサヤ様! どこの者と知れない奴らを村に入れるのは危険です!」

「そうだ、こいつら嘘ついていて本当はぞくに違いない。つけ込ませると寝首をかかれる!」

「なんならいっそこの場で」

 若い男の悲鳴。

「ちょっと何するんですか!? 離してください、エリサちゃんお助けえっ」

「ゲイツ!」

 振り返ると大勢にゲイツが羽交い締めにされ首に刃物を当てられていた。彼はぐしゃぐしゃな顔で抵抗するが村人の怒号がそれをかき消す。ついに組み抑えられたゲイツの喉へ刃が鈍く光を放つ。

 あぁ──エリサは思った──ここも同じか。

「おやめなさい」

 ぴしゃりと雷が落ちたようだった。大気を裂くような鋭い声が喧騒を斬り払う。

サヤだった。

「この方々に手出しは無用です。アオキ村に害なす気色は見られません。そう、空が言っています」

「空が?」

 村人はどよめく。エリサには彼女の言っている事が分からなかった。

「今しがた私は空読の儀を終えてきました。見知らぬ人訪とぶらわれん、それが今日の告げです」

「……サヤ様の空読にそんな項目あったっけか?」

「あるのです」

 誰かの言葉をサヤは即座に返した。

「それに」

 前に進み出ると、エリサの剣を小さな手で地面から抜き取った。

「この方達は武器を差し出している。話を聞くだけでもしてあげましょう」

 剣の重さでふらつくサヤを背高い少年が支える。その少年は言った。

「サヤ様はこう申しておられる。みんなはどうだ」

 村人は姿勢を改めた。

「……お告げがそう仰るんなら、仕方ねえ」

ほうぜん巫女みこ様のお言葉は信じねば。さあ赤髪の兄さんを離してやれ」

「助かった……あー、死ぬかと思った」

 解放されたゲイツの声にはどこか白々しい響きがあったが気にせず身柄の無事を確かめると再びエリサは見た。この村で最も尊い存在を。

「お二人を歓迎します。ようこそ、アオキ村へ」

 笑みを浮かべるサヤの瞳には、推し量り難い光が灯っていた。

「私は、サヤ。この村の最高司祭者です」



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