翌日の東京の空は鉛色で、いかにも不穏な空気が立ち込めていた。
ケイは仲間とのサッカーにしばし興じた後、昼飯のまんじゅうを食っていて、昨日のナオキとの話を思い出し、メイド喫茶『絶対領域にゃんにゃん』へやってきた。
「お帰りなさいませにゃ、ご主人様! って、あんたか……」
入ってきたのがケイだと知るや否や、営業スマイルを引っ込めて、めんどくさそうにため息を吐く。今日も膝上スカートのメイド服と、ニーハイソックスが至高の絶対領域を作り出し、ヘッドセットとツインテールで見た目だけは完璧である。
「よっ、アズサ。ナオキ来てる?」
「今日はまだ来てないわ」
「なんだよ、サッカー教えてくれるって言ったのに、どこにいるんだ」
「どうせ嘘でしょ、あんた騙されたのよ」
アズサはあくびをしながら手近な席に座ってご自慢の美脚を組んだ。
「待つなら、居てもいいわよ」
「サンキュー」ケイも空いているに座った。「でもなんかやることがあったような」
「あたしの肩を揉むとか?」
アズサは頭を左右に傾けて、コキコキと関節を鳴らした。
「なんで客がメイドの肩を揉まなきゃならないんだよ。普通、逆だろ……」
「どうせ暇ならいいじゃない。バイト代は出さないけど。うち、労働基準法は採用してないから」
「いや、そうじゃなくて、もっと真面目なことだった気がするんだ」
「バイトは真面目じゃないみたいな言い方ね?」
「バイト代は出さないとか言ったくせに、なんでそこに突っかかるんだよ」
「まあ、あいつのことだから、どうせどこかでナンパでもしてるんでしょ」
「そうだな」
ケイは窓の外を見やる。この店で客が眺めるものと言えば、メイドのアズサか、窓の外の二択だが、たいていの客はなぜか窓の外を選ぶのである。無論、それはアズサがメイドとして、あるいは女性として魅力に欠けるというわけではなく、じろじろ眺めていれば怒られるに決まっているからである。
窓外では、傾いたビルと瓦礫と、ホコリっぽい東京の街並みと、そこを横切っていく戦車が見えるだけ。戦車はメイド喫茶の正面で一旦停止し、90度方向転換をして、砲塔をこっちに向けた。そして真っ直ぐケイたちのほうへ進んでくる。
「なんか知らないけど、戦車来たぞ」
「はぁ?」
なに寝ぼけたこと言ってるの? とでも言いたげなアズサ。ちらっとケイのほうを見ただけで、ご自分の爪の手入れに戻る。
「いいのか?」
「何が?」
「戦車が来るんだってば」
「なに寝ぼけたこと言ってんのよ」
「自分でも見てみろって」
次第にガタガタという振動が店内にも響いてきたので、アズサは席を立って窓に近づき、眼下を見た。ほんの数十メートルの距離に戦車がちょうど停止したところだった。その砲塔はメイド喫茶に向けられている。
「ケイ、あんたの友だち?」
アズサはケイを非難の目で睨んだ。
「ちげーよ。……けど知り合いかもしれねえ。昨日、ここの場所、教えといたから」
「カネ持ってない客だったら許さないわよ」
「戦車に乗ってるのにカネ持ってないとかあり得るのか!?」
「確かに。足りなかったらあの戦車ごともらえばいいか。運転はできないけどー」
「ハハハッ、あんなもの、もらってどうすんだよ」
「知らないわよ。とりあえず、もらえるものは、もらっておけばいいじゃない。で、どっかに売ればいいのよ」
「相変わらず、アズサはがめついなー」
「がめついとか言うな、小僧」
アズサはケイにデコピンする。二人が話している最中、戦車は砲塔の向きを少し変えて、メイド喫茶から狙いをずらした。このメイド喫茶の入っている廃ビルの隣のビルも、やはりただの廃墟であり、何にも使われていない。
と、次の瞬間、耳をつんざくような爆音と、すさまじい衝撃が二人を襲った。ケイもアズサも同時に椅子から転げ落ちて尻餅を突く。ギンギンと耳鳴りのする中、地面に這いつくばって、二人は訳も分からぬまま辺りの様子をうかがう。店内には割れて飛び散った窓ガラス、倒れた椅子、剥がれ落ちた壁材、もうもうとした煙。窓の向こうにあったはずの隣の廃ビルは、上半分が消滅していた。
「なんなの!? なんで隣のビルが消えてんの!? っていうか窓が! 粉々じゃない!? なにこれ!?」
アズサは床にぺたんと座ったまま頭を抱えて取り乱した。
ケイは窓から顔を出して外を見た。
「あの戦車が攻撃してきたんだ! あぶねえじゃねえか!」
「危ないどころじゃなくて死ぬわ! なんで私がこんな目に合わなきゃいけないのよ!? なんの恨みがあるわけ!?」
「分からんけど、とにかく隠れよう!」
「どこに隠れればいいのよ!? あんなの食らったら店ごと吹き飛ぶじゃないの! ああもう、なんでこんなに若くて可愛いメイドがひどい目に合わなきゃいけないのよ……」
まだ頭が混乱している二人の耳に、呑気な声が届いてくる。
「あ~、メイド喫茶に告ぐ。メイド喫茶に告ぐ。というか生きてるか? 生きてたら歌でも歌ってくれ」
二人は窓のほうに寄って、ちょこんと目のところまで顔を出して、声の主を探した。戦車の上に立って、こちらに呼びかけている男がいる。とんがらせたリーゼントヘア、サングラス、ギラギラしたジャケット。少々肥満気味の身体。
「やっぱりあいつだ! 昨日会ったヤツ!」
「じゃあこれはあんたの仕業も同然ね!? なんてことしてくれたのよ!?」
アズサに首根っこをつかまれて前後に揺さぶられ、ケイはうめいた。
アズサは立ち上がってリーゼント男に向けて怒鳴った。
「あんたがやったのね!? もう店がグッチャグチャ! どういうつもりなのよ、このクソ野郎! 弁償してくれるんでしょうね!? このっ! このっ!」
アズサは店内に散らばったガラスやコンクリ片を手当たり次第につかんで戦車に向かって投げた。だが戦車には届かず、手前の道にぽとぽとと転がっただけだ。
「おー、生きてたか。可愛いメイドが死んじまわなくて良かったぜ」
「あいつ、あたしのこと可愛いって言ったわ! 案外、いいヤツかも!?」
アズサはケイに向き直り、ニコニコの笑顔で寝ぼけたことを言う。
「いいヤツなわけないだろ!」
今度はケイが立ち上がり、男に大声で呼びかけた。
「いきなりなんてことするんだよ! 死ぬかと思っただろ!」
「おー、あれは昨日、情報提供してくれた一般市民。お前のおかげで仕事が楽になったぜ」
アズサが殺意すら感じさせる目でケイを睨むので、ケイは思わず一歩後ずさった。
「お、俺、こんなことさせるために、この店を教えたわけじゃないからな? 友だちでもないぞ? あいつの頭がおかしいだけだ」
「ところでここに東京の最強の支配者がいるって話だったが、それはどいつだ?」
ケイとアズサはまた窓の下に引っ込んで、こそこそと言葉を交わす。
「あいつ、なに言ってるのよ? 東京の支配者って何? わけワカメなんですけど」
「ええと確か、この町で最強の、支配者っぽいヤツはどこにいるかって聞かれて」
「ぷっ。古典に出てくる、ケンカ上等のマンガみたい」
「んで、支配者っていうと、店長ってなんか支配者っぽいイメージだなって思って」
「うん、分かるわ」
「そういうわけで、アズサが支配者ってことにしておいた」
バコーン!
剥がれ落ちた壁材を拾ってケイの頭に叩きつけたメイド。清々しいほどに気遣いも躊躇いもなく、鮮やかな殴打であった。薄っぺらい壁材は真っ二つに割れ、ケイの頭は完全勝利した。
「弁償はあいつが6! あんたが4!」
「俺の負担、でかすぎないか!?」
「やかましいわ! クソ脳ミソうんこのクソクソうんこ野郎ッ!!」
「アズサの暴言って『クソ』と『うんこ』ばっかりだな……」
「おい、どうした?」
痺れを切らしたのか、リーゼント男がメイド喫茶に呼びかける。
「東京の支配者はどこだ? 答えないなら次のアメ玉は店ん中にぶちこむぞー?」
「あいつ、アメくれるのか?」
「あほ! 戦車の大砲のタマのことでしょーが」
「やべえじゃねえか!? アズサ、とりあえず何か答えるんだ! 支配者なんだし」
「イヤだし違うし! あたしはこんな若さで死にたくない!」
「じゃないと店が吹っ飛ぶぞ!」
「それはもっとイヤ!!」
渋々という様子で、再び立ち上がってリーゼント男に姿を見せるアズサ。あんたも立ちなさいよ、と言って隣にケイを立たせてからしゃべり始める。
「あんた、何か勘違いしてるみたいだけど、東京の支配者なんてここにはいないわ。あたしはメイド喫茶『絶対領域にゃんにゃん』の店長のアズサ。偉いのは間違いないけど、都知事とかのほうが偉いし、つまりこのバカが変な勘違いをして、あんたに嘘を教えちゃったわけ」
「あァん? 嘘?」
リーゼント男は眉をうねらせた。
「そうよ! そういうわけだからお引き取り願いたいんですけど!」
腕を身体の前で組んで、戦車男をムスッと見下ろすアズサ。
「可愛いメイドさんよ。お客様に、お茶も出さないで、手ぶらで帰れって言うのか?」
「あいつ、またあたしのこと可愛いって言ったわ」
ニコニコでケイにささやくアズサ。
「でもあいつ、アズサの店、壊したぞ」
「あいつ、コロス……!」
一瞬にして狂気をまとうアズサ。
「俺はもう、アメ玉一個、ぶっ放しちまってるんだ。今さらドラヤキじゃなくてパンケーキでした、だって? それで道理が通るとでも思うか?」
「ねえ、あいつの言ってること、さっきからイマイチ分からないんだけど」
「俺もだ。普通にしゃべれよって思う」
「同感」
「ヨコハマのヤツは、いつもあんな変なしゃべり方してんのかな」
「あいつヨコハマ出身なの?」
「戦車に書いてあった気がする」
「どこどこー?」
「おいッ! こそこそ何を話してやがるんだ聞いてんのか!?」
戦車男が声を荒らげたので、二人はピンと立ち上がって背筋を伸ばして姿勢を正した。
「まあいい。後でたっぷりとクリームを絞ってやる。それからメイドのほうは……俺の専属メイドになってご奉仕してもらおう、ふひひっ」
「あいつ、今、絶対、あたしでイヤらしい想像したわ! そういう店じゃないのに! 健全な店なのに!」
「ああ、一発ぶん殴ってやらないとな」
「よーし、お前たち、GOだ」
リーゼント男がそう言った途端、バタンと音がして、ファンキーな格好の武装した男たちが店になだれ込んできた。皆、釘バットや鉄パイプを携え、ギラギラしたジャケットを身にまとった、ガラの悪い連中である。店の出入り口は一か所のみであり、取り囲まれた二人に逃げ道はない。
正面に立つリーダー格らしいピアスの金髪男がアズサを上から下まで舐めるように見た。
「いいねぇ。おうおう、客が来たらメイドはどうすんだ?」
アズサは連中をざっと見渡した。
「客? どこよ?」
「なんだと? 舐めてんのか?」「このクソメイドが」「ガキのくせに」
男たちが威圧的に言い放ったが、アズサは軽蔑するような目でにらみ返す。
「楽しいメイド喫茶――夢の国に物騒なもん持ち込まないでくれる? ここはあんたたちみたいな害虫が――」
バギャーン! と入り口の一番近くにあったテーブルが、釘バットの一撃で真っ二つに破壊された。
「おっと、手が滑ったぜ。でもボロテーブルを新調できてちょうど良かっただろ?」
ゲラゲラと笑う悪漢たち。一方、アズサは一ミリも笑わず、冷たい目をしていた。
「ケイ、今テーブル壊したヤツの顔、覚えといて。弁償させるから」
「お、おう……」
「弁償させるってよ! 怖っ! あっ、わりぃな、今日、財布持ってくるの忘れちまったぜー」
またもやゲラゲラと笑いが起こる。
リーダー格の男がアズサに一歩近づく。
「おいクソメイド、たった今からこの店は俺たち――ヨコハマ・デストロイズの東京支部だ。お前も、そこのガキも下僕として使ってやる」
「あたしが何をしたって言うの?」
「何をしたか? 何もしてねえ。弱者は強者に従う。ただそれだけだ」
「それだけ? 分かりやすくて助かるわ」
「強がるなよ女」「クソビッチめ」「あばずれメイドが」「この貧乳が」
「あっ……」
と声を発したのはケイだった。アズサに言ってはいけない禁句の一つを、リーダー格の男が口走ってしまったからであるが、今更もう遅い。
リーダー格の男は真横に吹っ飛んで、店の壁に頭を突っ込み、そのままだらりと動かなくなった。カラン、と釘バットが床を転がる。その場の全員が目を剝いて沈黙する中、アズサがニーハイソックスで武装したご自慢の美脚をスッと床に下ろす。見事な、目にも留まらぬ回し蹴りであった。
「おっとっと、脚が滑ってしまったのにゃ~! ケイ、あいつは壁の修理代も追加」
「壁を壊したのはアズサだろ!?」
「あんたどっちの味方? あたしの決めたことに文句あんの?」
「ないです。あいつが全部悪い。全額弁償すべきだ」
「それでいいわ♡」
請求先が無事確定すると、ニコッとアズサが微笑んで、それを合図とするかのように、男どもが武器を振り上げて一斉に襲い掛かってきた。
「やりやがったなクソがあああああッ!!」「ぶっ殺せえええええッ!!」「舐めやがってええええッ!」「犯してやらああああッ!!」
アズサが足元に転がっていたバットの端を踏むと、バットは生き物みたいにくるくる回転しながら跳ね上がって、アズサの細腕におさまる。その間に距離を詰めていたゴロツキはイカレメイドの頭蓋をカチ割るべくヘッドセット目掛けて大上段からバットを振り下ろすが、アズサはわずかに体を傾けただけでかわし、お返しに男の股間を蹴り上げた。
「うゴァアッ!?」
さらに後ろから飛び込んできた二人の横薙ぎの一撃をジャンプしてかわしつつ、スカートをひらりとさせて絶対領域を誇示すると同時に男の肩と肩に飛び乗って、一番後ろの大男の横っ面をバットでぶん殴った。大男は一瞬脳震盪を起こしてふらついたようだったが、まだ倒れない。しかしアズサがまたもや股間を蹴り上げると、この男もついに倒れた。
「このアマ、股間しか狙わねえぞ!?」「なんて女だ!」「ふざけやがって! クズが!」
「ふざけてんのはどっちよ?」
軽やかに着地し、迷惑そうに眉根を寄せる悪魔のごときメイド。
「こうなったらガキだ! あっちのガキを狙え!」
「へ?」
男たち三人が、弱そうなケイに跳びかかっていく。
「わっ! ちょっと待った! 危ないって!」
ケイは小柄な体格を活かして攻撃を危なげもなく回避しながら下がっていく。だがついに背中に壁が付いた。
「終わりじゃオラあああああ!!」
ゴロツキどもが最後の一撃を放とうとしたとき、ケイは急に相手の膝より低くかがみこんだかと思うと、脚の間を抜けてするりと反対側へ逃れた。ついでに三人とも足を引っかけてバランスを崩させておいたため、ケイが砂埃を払いながら再び立ち上がったのと、三人が尻餅を突いたのが同時だった。
アズサのほうもその間に追加でいくつかの股間を蹴り潰し、最後の一人の股間を蹴り上げて行動不能にしたところらしく、股間を抑えながらうずくまる男たちの前で、女王の貫禄さえ漂わせながら、乱れた前髪を直していた。
まともに動けそうなのは、ケイが先ほど転ばせた男三人だけのようである。
「あー、こいつら、どうする?」
ケイが同情したように男を見、それからアズサを見た。
「蹴る」
とアズサが裁定を下した。
「ひいいっ! やめろおッ!! 悪魔ァ!!」「鬼畜メイドめ、来るなぁッ!!」「なんで俺たちばっかりこんな目に合わなきゃいけねえんだッ!?」
男たちは尻を引きずって後ろに下がろうとするが、すぐに壁にぶつかってしまう。アズサは一人ずつ順番に男を窓際に立たせると、股間を蹴り上げて割れた窓から外へ吹っ飛ばした。
「はい場外ホームラーン♪」
「デッドボールだろ……」
「……おいおい、今日はずいぶん賑やかだな。この店史上一番の盛り上がりじゃねえか」
驚きと呆れの混ざった声がしたので、二人が入り口を見やると、ナオキが杖を片手に壁に寄りかかっていた。
「あ、ナオキだ!」
「あ、いらっしゃい。今ちょっと取り込み中なの」
「なんだこいつらは。床で寝られると通れないんだが? ただでさえ店が狭いってのに、迷惑な連中だ」
ナオキが床で伸びている男の頬をつま先でツンツンすると、かすかなうめき声が漏れてきた。
「狭くて悪かったわね。あんた、このケダモノどもを外に捨ててきてくれない?」
「だから客にやらせるなって」
「じゃあ、か弱い乙女にやらせるって言うの?」
「ケイ、お前がこのか弱い男どもをどこかに捨てて来てくれ」
「なんで俺!?」
「俺は怪我人だし来たばっかりだ」
「あたしもイヤ。これ以上こいつらに触りたくない」
「俺だって嫌だよ!」
「なんで推しが命令してんのに誰もやらないのよ」
不毛な言い争いを割って、不意に誰かが店の外から大声で呼びかけてきた。
「おい、どうしたんだ!? お前たち、何があった? 大丈夫か? しっかりしろ! おい!」
「一匹、忘れてたわ」
「ああ、そういや珍しく戦車なんてもんが店の前に停まってたな。あんなので走り回ったら、コートが凸凹になっちまうし、最悪は陥没すんぞ」
「ナオキ、よくスルーして店に入ってこれたな……」
三人は窓に近寄って戦車を眺めた。天辺のハッチからリーゼントが顔を出している。店の窓の下には、先ほど蹴り飛ばした三人の男が股間を抑えたまま気を失っている。
リーゼント男がわめく。
「てめえら、俺の仲間に何をしやがった!?」
「俺は今来たばかりで、事情は知らん」ナオキが弁解し、ケイを見た。
「え? お、俺は逃げ回ってただけで何もしてない!」ケイは慌てて答えると同時にアズサを見た。
「え? わ、私は回し蹴り……じゃなくて何も知らなっ、知らないにゃ~」アズサはツインテールを指に絡ませていじりながら、目を泳がせた。
「見ての通り、こいつが犯人だ。一人だけ挙動がおかしい」ナオキがアズサの腕をつかんで高々と上げさせた。
「か弱い乙女を売るなあああっ!!」
「てめえかコラァ!! メイドのくせに平然と嘘吐きやがってッ!! こうなりゃ、店ごと吹っ飛ばしてやる!」
リーゼント男がハッチを開けて戦車に乗り込む。そっぽを向いていた砲塔がゆっくりと動き、ケイたちのいるメイド喫茶に照準を定めようとしている。
「あいつ、あたしの店を本気で吹っ飛ばすつもり!?」アズサが青ざめてうろたえる。
「やべえぞこれは! 逃げるぞ」ナオキはさっさと店の出入り口へ向かった。ケイも続くが、アズサだけは動かない。軽いパニックを起こしているようだった。
「アズサ! 逃げないと!」
「イヤよ! あたしの店が……あたしの店が……ああもう……だめだめだめだめ……」
「聞こえるか? てめえら、生きてるなら自力で避難するか机の下にでも隠れとけ。とりあえずこのムカつくメイドの店を吹っ飛ばして、小便ちびらせてやる」
リーゼント男が戦車の中で高笑いをしている。砲塔がメイド喫茶にロックオンされて止まった。時間がない!
「アズサ!」ケイは店の中に戻ってアズサの腕をつかんだ。「逃げよう!」
「ねえ、なんでお店、壊されなきゃならないの? おかしいよね? 理不尽だよね? あたし間違ってないよね?」
アズサは本当に今にも泣き出しそうで、小さな子供みたいに震えていて、さっきまで男どもの股間を正確に容赦なく蹴り上げていた鬼畜メイドとは別人のようにさえ見えた。
――お店ならまたどこかに作ればいい。命があれば、それができる。
ケイは口から出かかっていたそんな言葉を飲み込んだ。アズサの頬を一筋の涙が伝い落ちていくのを見たのだった。
「この店はあたしのすべてなのに」
「……そうだよな。何があったって、アズサの店を吹き飛ばしていい理由なんて、この世にあるわけがない」
なぜか急に怒りが湧きあがってきて、なんとかしてやりたくなった。そもそもあの戦車をここへ連れてきてしまったのはケイなので、ケイにも責任が全くないとは言えない。
ケイはガラスのなくなった窓枠の上に立った。青空、傾いた廃ビル、その天辺で倒れている給水塔。考えがあったわけではない。何かしなければという気持ちがそうさせただけだ。砲弾が発射されればどうなるか分かっていたけれど、恐怖はあまり感じなかった。
そのとき、横から凄まじいスピードで何かが飛んできて、戦車の砲塔の先っぽにゴーンと当たった。その衝撃で砲塔の角度が少しずれる。
「コラァ!! 何しやがるドコのドイツだ!?」
ケイが見た先――地上には、ナオキがいた。片方の靴は、熱で焼け焦げたのか、かすかに煙を立ち昇らせている。ナオキは地面に置いた卵サイズの石をひょいと空中に投げ上げると、怪我をしていない左足を振り抜き、銃弾のようなシュートをやはり砲塔の先っぽに当てて、さらに角度をずらした。
「ナオキだ!」「ナオキ!?」
アズサも窓枠にしがみついて外の様子を見た。
「ちくしょう! なんて野郎だ、邪魔しやがって!」
また砲塔が正しい位置へと戻っていく。今度はナオキにずらされてもいいように若干ナオキ寄りの角度で止まる。
「おい、小僧! これ以上は無理だ! メイドを連れてそこから逃げろ!」
ナオキが叫んでいる。妨害もここまでか。
ケイは死刑台に立っているような気持ちだった。
――時間がない。自分に何ができる?
「これでジ・エンドだ! ちびってもいいように、パンツとズボンは脱いでおくことをオススメするぜ!」
――どうやったらアズサと店を守れる? 俺にできることがあるのか? 俺にできること……考えるまでもない。
一つだけだ。
「アズサ、伏せてて!」
ケイは叫ぶと同時に手を伸ばし、テーブルの上に転がっていたスパナをつかんだ。
「ケイ!?」
そいつを窓から空に向かって放り投げる。放物線を描き、金属製の工具が落下してくる。ケイはそのわずかな時間の間に、店内に戻り、受付カウンターを蹴って勢いを付け、スパナの落下軌道上に、思い切り跳び出した。
「うおおおおおおッ!!」
「ヒャッハー!! 構わず発射しろー!」
ケイは全身の全ての力を右足の一点に集約させ、ボレーシュートの要領で、力の限り足を振り抜いた。スパナは弾丸のような速度で空気を裂いて疾走し、眼下の戦車へ向かうどころか空へと飛んでいく。道を挟んで向かいの傾いた廃ビルの屋上から遥か下方のアスファルトへと飛び込みしそうになっている給水塔――それをかろうじて支えている鉄柵の根元に、スパナは突き刺さった。ピキッとコンクリの壁に小さなヒビが入った。
「どこ狙ってんだヴァカめ!」
バキッ、ギギィ! と大きな音が戦車の頭上で響いたが、リーゼント男には聞こえていない。それは給水塔が100年間待っていた飛び込みを成し遂げた音だった。
「唸れぇ!! ヨコハマ・ゼロワン・キャノーーン!!」
給水塔が地面にぶつかるのとほぼ同時に、轟音と衝撃波を吐き出して砲弾が発射された。この世の物とは思えない滅茶苦茶な音が炸裂して、その場にいる者全員から五感を奪った。劣化したコンクリやアスファルトや金属の破片がそこら中に飛び散り、火花と爆炎が散り、真っ白な煙で辺りは何も見えない。
ケイは自分が死んだのか生きているのかも分からなかった。ただ、強かに打ち付けた背中が痛いのは、生きている証に違いない。
――メイド喫茶は!? アズサは!?
もうもうとした煙と焦げ臭さに咳き込みながら振り仰ぐと、ぼんやりとしたビルの輪郭が見えた。店は消し飛んでいない!
煙が風にさらわれて、メイド喫茶のビルがしっかりと建っているのが確認できた。つまりアズサも無事だ! その代わり、建物の近くの地面に大穴が穿(うが)たれている。そこだけ地面が黒く焦げたり溶けたりした跡がうかがえた。
「ちくしょう! 何が起こった!? メイド喫茶はどうなった!?」
戦車の中から悲痛な声が聞こえる。
「分かりません!」「地面に着弾した模様!」「何かが車体に衝突した模様! 車体が傾いています!」
他にも操縦者が何人かいるらしく、大声で報告が続いた。
戦車があったところは、地面が左側だけ陥没してひしゃげた金属製の何かが地中に頭を突っ込んでいた。そのせいで左に傾いて、しかも前のめりになってしまった戦車は、メイド喫茶ではなく地面を爆撃したらしい。
「おい、動かせ! 早くしろ!」「やってます!」「ダメです、動きません!」「んなワケあるかああああッ!」
いつの間にか戦車の天井部分にナオキが乗っかって、杖でハッチのフタをコンコンとノックしている。
「おいチンピラ、聞こえるか? 俺は今ちょうど絶賛ちびりそうだ。大も小も一緒にな」
「あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!? てめえ何考えてんだ、やめろおおおッ!! そんなところでクソするヤツがあるかあッ!!」
勢いよくハッチが開いて、血相を変えたリーゼントが飛び出してきた。それを待ち構えていたナオキがその首根っこを捕まえて締め上げる。
「気のせいだったみたいだ、すまんが何も出ない。おい、中にいる野郎、聞いてるか? 抵抗せずに大人しくしてろよー」
――どうやらあっちは片が付いたようだな。
ケイがほっとしていると、アズサが駆け寄ってきた。
「あんた、大丈夫なの!?」
ケイはアズサの差し出した手を握り、立ち上がる。
「まあね。背中は痛いけど」
トゲトゲの髪を搔いて、にへらっと不器用に笑ってみせた。
「もうっ……心配したんだから」
「へ?」
いきなりアズサに抱きしめられて、ケイは何が起こったのか分からずにテンパった。柔らかな二つの膨らみがぎゅっと身体に押しつけられていて、その存在を嫌でも意識してしまう。なんだろう、このなんとも言えない心地よさと、同時に感じるドキドキは……。
アズサがケイから離れると、ケイはなんとなく、この少し年上のメイドを直視するのがはばかられて、陥没して動けなくなっている戦車のほうを向いた。
「俺も無茶したけど、アズサのほうこそ無茶しすぎだろ」
「だって、この店がなくなったら、私、生きていけない」
大袈裟だな、なんて言えない。アズサがどうしてこの店を作ったのか、ケイは少し知っている。
「ほんとに、ありがとう」
アズサが改めてケイにお礼を言うと、ケイはやっぱり真っ直ぐに顔を見られなくて「ま、まあ、俺にもあいつらに店を教えちまった責任があるしな」と答えた。
「あ、そうだったわ。修理代、請求しなきゃ」
「そうだな。あいつらにちゃんと払わせよう」
「あんたもよ」
アズサはケイの肩にポンと手を置き、ジッと非難するような視線を向けてくる。
「へ?」
「言ったでしょ。6・4だって」
「いや、でも、俺、店を守ったじゃんか!?」
「窓ガラスとテーブルは守ってないじゃないの」
「うぐっ……。でも俺、今、金欠っていうか、饅頭屋のばあちゃんにもツケが……」
「カネがなければ体で払え」
有無を言わさぬ、地獄からやってきたかのような凄みのある顔で、アズサが迫ってくる。ケイはブルッと震え上がって、青ざめた。
「言っとくけど、脚だけは売らないぞッ!? 脚だけは! 他は、どうしても足りないってんなら……」
「バカ」アズサがケイにデコピンした。
「いてっ! 何すんだ」
「うちで働けってことよ。元通り綺麗にしたら許してあげる」
「なんだ、そんなことか……」
「おーい、ガキども」
不意に呼ばれて、声の主――ナオキのほうに向き直る。ナオキは戦車の上にあぐらをかいて、リーゼント男の首を絞めたり緩めたりして楽しんでいた。
「ロープ持ってこい。でっかいテルテル坊主を吊るすんだ」