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第3話 メイド喫茶

 スカイツリーの足元に薄汚い看板を掲げるメイド喫茶『絶対領域にゃんにゃん』の入ったビルは、外観はそこらにある廃墟と大差ないが、入り口の扉をくぐればそこは別世界――パラダイスである。

 チリンチリンとドアベルを鳴らして、ナオキは荒廃都市・東京で唯一の癒し空間に足を踏み入れた。しかし出迎える者は誰もいない。

 ピンクや黄色や緑のペンキでカラフルに塗られた壁。天井から釣り下がった裸電球。よく磨かれた床に染み込んで取れない、黒ずんだ血痕みたいな染み。テーブルにはひらひらした可愛らしいテーブルクロスがかかっていて、その上の花瓶にはスパナが活けてある。

「おい、ウイスキー!」

 ナオキは壁を叩きながら店の奥に向かって怒鳴った。

 すると、ツインテールの若いメイドが耳アカをホジホジしながら、めんどくさそうに出てきた。

「お帰りなさいませ、ご主人様!」やる気のなさそうなそのメイドは意外にも瞬時に態度を変え、サービス精神たっぷりの声と愛らしいウインクでナオキを迎えた。「あいてる席にテキトーにどぞー」だがそんな感じで、二言目には素の声と投げやりな接客に戻っていた。

 このメイド、年齢は20代前半と見えるフレッシュな美少女である。黒地に白いエプロンのついた正統派のメイド服に華奢な身体を包み、ヘッドセットを装着し、左右に黒髪のツインテールを垂らしている。スカートは膝上15センチで、黒のニーハイソックスが作り出す絶対領域がまぶしい。控えめな胸元には『アズサ』と書かれた、猫の顔の形のバッジを付けている。

 どちらかというと童顔で、年齢よりも若く見えるが、ちょっと釣り目気味の目が意志の強さを物語っている。唇からのぞく八重歯がどこかやんちゃな猫っぽい。笑えば可愛らしいが、笑わなければ凄味がある、そんな猫だ。

 ナオキはメイドを鑑賞するでもおしゃべりするでもなく、窓際の席に腰を下ろし、窓の外を見やった。遠くで子供たちがひび割れたコートを走り回り、サッカーに興じている。

「教えてあげればいいのに」

 メイド――アズサがナオキの横顔にチクリと言った。

「悪趣味なメイドだ」

「たまたま見えたんだってば」

「猫の丸焼き一つ」

「ゴキブリの丸焼き一つ、かしこまりましたにゃ~!」

「食えるかっ!」

「そんなものあるかっ!」

 アズサとナオキは互いに唾を飛ばして睨み合った。だがそれ以上は何も言わず、ナオキは椅子に座り直してテーブルの上の花瓶に突っ込まれたスパナに視線を移す。アズサは近くの壁に寄りかかり、よほど耳が気になるのか、小指を耳の穴に突っ込んでほじほじしている。お互い何か言いたげであったが、何も言わずに沈黙が訪れ、そのあとナオキがボソッと「ウイスキー」とだけ呟いた。

「当店には、そんなものありませんにゃ~」

 アズサはナオキのテーブルに近づき、かがんで目線の高さを合わせ、嫌味たっぷりに言った。するとナオキはいきなり片手を振り上げた。狙い澄ましたようにアズサのスカートがめくれ上がり、アズサはとっさに押さえようとしたが手遅れ。顔を真っ赤に染める。

「何すんじゃあああああああッ!!」

 メイドの野太い絶叫と、おっさんの頭がハリセンで強打されたスピパシャーン! という音がほぼ同時に店内に響いた。ナオキは何もなかったかのように、そして悪びれることもなく「そこに隠してるかと思った」と答えた。

「そんなところに隠さんわ! こっち!」

 アズサはメイド服の胸元に腕を突っ込むと、小さな茶色い瓶を取り出して振ってみせた。

「やっぱあるじゃねーか」

「当店には、お酒なんてありませんにゃ~!」

 メイドは純粋無垢な少女らしいスマイルとともに瓶を胸元に戻した。

「臭うんだよ、プンプンとな」

「にゃんにゃんファンシーな世界観を壊すのやめてくれますー?」

「ここがファンシー?」

「杖なんかなくても歩けるんでしょ?」

「他人の設定を壊すのやめてもらえるか?」

「ちょっとぐらい見せてあげればいいのに。きっとめちゃくちゃ喜ぶよ、あいつ」

「錆び付いてるのは足だけじゃねえ。魂もだ」

「だったらどうして毎日こんなところに来て、サッカーしてる子供たちを眺めてるわけ?」

「ガキを見に来てるわけじゃねえ。俺は純粋にこの店が好きなだけだ」

「嬉しいこと言ってくれるわね。ご主人様♡」

 アズサは、ふっと微笑んだかと思うと、ナオキのそばを離れてカウンターの奥へ移動した。ややあって、お皿に黄色や橙の、目玉くらいのサイズの果物を乗せて運んできた。

「季節のフルーツでございます」

「なんだこれ。うまいのか?」

「毒がなかったら新メニューに加えようと思って」

「客に毒見をさせるな」

「どうせサビ人間なんだから構わないでしょ」

「まあ確かに」

 ナオキはあっさりと認め、果実(?)をひょいとつまんで口に放り込み、モゴモゴと噛んだ。

「どう?」

「まずい。種が多い。渋い」

「良かった~。まともなお客さんに出さなくて」

「いちいち嫌味なメイドだな」

 ナオキはわざと見せつけるように、ベベッと皿の上に種を吐き出した。

「実験も済んだことだし、正直もうやることないから、ご来店、ありがとうございましたにゃ~」

 本日最上の笑顔で、店の出入り口を指し示すアズサ。

「まだ帰るなんて言ってねえぞ!」

 ナオキに反発され、アズサは笑顔をひそめてめんどくさそうな顔になる。

「これ以上居られても、あんたの使い道なんてないんだけど……」

「さっきから客を道具扱いするな!」

「じゃあ居てもいいけど何も出さないから。あたし、今から無期限で休憩入るから」

「今度は放置かよ。なんつー店だ」

 ナオキは不服そうに片腕で頬杖を突き、また窓の外に視線をやった。乾いた風が砂埃を白く巻き上げて流れていく。その向こうで、ボロをまとった少年少女がボールを追いかける。

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