30度傾いた高層ビルからぶら下がった鉄骨、ひっくり返ったバスの腹に茂る雑草、コインパーキングの真ん中に頭を突っ込んだまま身動きできないミサイル。晴れ渡った青空にのぼった朝日が、そんな牧歌的風景にまぶしい光を投げる。
少年ケイは左右でデザインの違うボロボロのスパイクを履いて、ひび割れたアスファルトの上を華麗なドリブルで駆け抜ける。着ている服もツギハギだらけのボロだが、その少年は太陽よりも輝きを放っていた。ディフェンダー三人をあっという間に抜き去って強烈なシュート。ボールはキーパーの伸ばした指の先、コンクリの壁にペンキで描かれたゴールに突き刺さった。
「うっしゃああああああっ!」
ケイは軽やかに飛び上がって空中でガッツポーズした。
十五歳にしては身長が低く身体も華奢なため、突っ立ててトゲトゲにした髪でいくらか身長をカサ増しするとともに威厳を演出している。服は五年前にゴミ捨て場で拾ったボロなので穴があき放題だが、本人はあまり気にせずあと五年は着るつもりだ。ギラギラした三白眼は初対面の相手にはガンを飛ばしていると誤解されがちだが、実際によくガンを飛ばすので同情には値しない。
「くそっ! またケイにやられた!」
「誰かあいつを止めてくれ」
「あの野郎、すばしっこくて」
核戦争の終結から100年が経った。荒廃都市・東京で朝からサッカーに興じているのは、ケイのような少年だけではない。10歳かそこらの少女もいれば、二十代の若い青年もいるし、頭頂部のハゲが始まった中年もいる。そういった老若男女が集まって時にチームを作り、あるいはチームを作ることもなく自由にボールを蹴っている。ボールといっても丸めた靴下だったりよく転がる石ころだったりすることもあるが。細かい違いはあれど、この世界で唯一の娯楽と言っても過言ではないサッカーは、あらゆる人々から愛されるスポーツである。
コートはかつて『スクランブル交差点』と呼ばれていた広い場所に、雑に白線を引いただけの代物だ。ところどころにひび割れやくぼみ、段差、折れた電柱、小石があったり、雑草が生えているのもご愛敬。
「へっへー! どうした? へばったか?」
得意気な表情で相手を挑発するケイ。集まっていた人々は、「よぅし、次は五人がかりだ」と肩を鳴らす。
「五人でも十人でも変わんねーさ。かかってこい!」
「言ったな、てめぇ。まんじゅう賭けっか?」
「いいぞ、昼飯は決まりだ!」
にわかに場は熱を帯び、あちこちで歓声と野次があがった。我こそはという者たちが首と肩をブンブン回しながら、かすれた白線の内側に入ってくる。ケイはボールに片足を乗せた格好で、カモどものツラをグルッと眺めた。皆、自信のある目をしている。当然だ。負けるつもりで勝負を挑むバカなんてこの世にはいない。
ケイは興奮で身体が疼き、無意識のうちに口角をあげて八重歯を見せた。
「上等だおら! 全員かかってこい!」
「お前ら、行くぞ!」「手加減すんな!」「ぶっ潰せ!」「オオーーーッ!!」
火に油をぶっかけるごとく、あおれば燃え上がる単純なヤツらだ。雄叫びをあげ、四方八方から一斉に跳びかかってくる老若男女ども。
だがコートの中央に立つケイは全くひるむことなく、ズボンの底なしポケットに両手を突っ込んで、ボールを右足で止めたままじっとしている。突っ込んでくるまんじゅうの亡者の群れ! 三百六十度の敵!
――遅い遅い遅いっ!! 遅すぎるぜぇ!!
「見切ったあああああああッ!! ――――あっ?」
両脚に力を込め、アスファルトを強く蹴って踏み出そうとしたその瞬間、ケイの履いていた靴が運悪くちょうど寿命を迎えたらしい。靴底がつま先のほうから大きな舌を出すみたいにベローンと剥がれた。そのベローンがアスファルトをなめて滑って、そのせいで焦って予定より手前に踏み出してしまった反対の足のせいでケイは前方につんのめりバランスを失い、顔面で地面を受け止める結果になってしまった。無慈悲に殺到してくるまんじゅうの亡者たち。
「取ったぞおおおおお!!」
獲物を仕留めた野郎の雄叫びと爆笑の嵐が青空に吸い込まれていった。
顔に擦り傷のできたケイは、すぐさま立ち上がってわめく。
「待てーーいっ! 今のはナシ! 見てくれスパイクがぶっ壊れたひどいだろこれ! こんなんじゃ勝負にならない! 仕切り直し!」
「スパイクがぶっ壊れた? てめえは負けたのをスパイクのせいにするってか?」
「実際壊れてるだろ見ろこれ!」ケイは憎きスパイクを脱いで手に持って三百六十度見えるように必死にアピールした。「ここがビローンってなってるだろ? スパイクがまともだったら俺が負けるはずないんだ!」
「ケイ、勝負に待ったがあると思うか? これがただの遊びだってんなら、話は別だが?」
「くっ……でも……」
食い下がろうとしたケイにかぶせるように、野郎がまくし立てる。
「誰かがお前のスパイクに細工でもしたか? してねえだろ? じゃあ誰が悪いんだ? あん?」
ケイは何も言い返せない悔しさで歯を噛み、殴りかかりたいのをこらえる。今は四面楚歌。体格と人数で劣るケイは、殴り合いではそれこそ勝ち目がない。
「そうだそうだ、お前が悪い!」「さっさとまんじゅう奢れ!」「言い訳するな、見苦しいぞ!」「見切ったああああ!! このスパイクがぶっ壊れてること以外は!」ゲラゲラゲラゲラ。
「うるさいな黙ってろ! このウンコ!」外野から飛んでくる野次に八つ当たりして中指を突き立てて自慢の三白眼でにらみつけても、こういう時は誰一人黙りはしない。あっちじゃケイが転ぶところを再現してまた爆笑して、笑いすぎて目尻に涙を浮かべているヤツもいるし、腹を抱えて地面をゴロンゴロン転がっているヤツまでいる。
「やめろハゲ! 俺はそんなふうに転んでねえ!」
「じゃ、そういうわけでまんじゅう10個な?」
ケイからボールを奪った男が、ポンと肩を叩き、ご機嫌で去っていく。
「いや、11個」「違う、12個だ」「俺の分も忘れるなよ」「お前、参加してたっけ?」「もうここにいる全員に奢ればよくないか?」ウンウンとうなずき合うヤツら。
たまったもんじゃない。
「ふざっけんなよ!? 今ちゃんと数えっから……1、2、っておい、お前は参加してないだろ!? あっち行け! 1、2、3、4、……おい動くな! ああくそ! めんどくせぇ! もう10個しか買わないからな! 他のヤツらはウンコでも食ってろ!」
好き勝手なことを言い始めるギャラリーにベローンで用無しになった靴を投げつけ、怒鳴り散らし、ケイは裸足のままズボンのポケットに両手を突っ込み、まんじゅう屋のほうへいかにも機嫌が悪そうな態度で歩き出した。背中で聞こえる笑い声が実に不愉快だ。
「ちっくしょおおおお!!」
大きく右足を振りかぶって蹴っ飛ばしたものは、カラカラに干乾びた犬のウンコだった。それがヒュルヒュルと飛んでいって、戦車の横っ面にコツンと当たった。
「……戦車?」
昨日まではなかったはずの戦車が、道の真ん中、サッカーコートをにらむような位置に停めてあった。曇天色の光沢のないボディに白いペンキで『YKHM01』と書かれているのは持ち主の名前だろうか、とケイは思った。今朝ここでサッカーをやり始めたときにはそんなものはなかったはずだが、夢中になっていたのでこの巨大な鉄の塊がいつやってきたのか分からない。まあ、たとえその辺のビルが一つ消えたり増えたりしたとしても大した問題ではないのだけど、今は機嫌が悪いのでなんとなくムカつく。
「おい、こんなところに戦車停めたの誰だよ! 邪魔だろーがよっ!」ケイは振り返ってサッカー仲間たちに大声で尋ねた。
「知らねーよ!」「んなこた、どーでもいいだろ!」「早くまんじゅう買ってこい!」「そうだぞ、誤魔化そうとすんな!」
「誤魔化そうとしてないっての!」
イラッとしてもう一度中指を立てて、ケイは邪魔な戦車の横を通り過ぎるついでに『YKHM01』という文字に一発蹴りを食らわせてから、まんじゅう屋を目指した。
「戦車買うカネがあるならまんじゅうくらい自分で買えよ、亡者どもが」
ケイは買ったまんじゅうを大きな葉っぱで包んでもらい、両手に抱えてコートに戻る道すがら、ブツクサと文句を垂れた。ちなみに3個分のカネしか持っていなかったので、7個分をまんじゅう屋のババアに土下座してツケにしてもらったことは、仲間たちには恥ずかしくて絶対に言えない。
「おいチビガキ」
道中、ケイはチビという言葉にぴくりと反応して立ち止まり、声のほうを向いた。変な男が廃ビルの壁に背中を預けてキザなポーズをしていた。いわゆるリーゼントと呼ばれる、核戦争以前に流行した古代のヘアスタイルである。水平にとんがらせた髪はまるでさっき見た戦車の砲塔のようだ。無駄にギラギラした金属片をジャラジャラと上着にまとわせ、サングラスでキメているが、オヤジっぽいヒゲからして年齢は30代後半から40代くらいだろうか。
「そうだ、お前だ」
「いいかおっさん! 俺のこと、チビって呼んでいいのは俺にサッカーで勝ったヤツだけだ」
「知るかそんなこと。お前、さっき俺の愛車にウンコぶつけただろ?」
「愛車?」
ケイは辺りをぐるりと見渡して、道端に捨てられているタイヤの付いてない幼児用の三輪車に目をとめた。
「……あれか?」
「イカしたマシンだが、俺がそいつに乗れると思うのか?」
「イカしたマシン? やっぱりあれ、あんたの?」
「ちげえ。もっとビッグで圧倒的にクールなヤツがあっただろ?」
「あったっけ?」
「思い出せよ! ワイ、エイチ、ケー、エム、ゼロワン! ヨコハマ・ゼロワンだ!」
「ヨコハマ? あんた横浜から来たのか?」
「あっ、いや……」先ほどまでの偉そうな態度が引っ込み、急に歯切れが悪くなるリーゼント男。「そういうわけじゃなく……あー……」
「ごめん、聞いちゃ悪かった?」ケイは持ち前の人の良さで、つい謝った。
「いいや、別にいいんだ。俺が横浜から来たってことは認めてやる」
「認めるのか。まあどこからでもいいけど。俺は犬どもにまんじゅうを配らなきゃなんないから、行くわ。おっさん、さよなら」
「いや、ちょっと待て」
「なんだよ、まだ用事あるの? えっと、ヨコハマ・ワンワン?」
「犬じゃねえ! ゼロワンだ!」
リーゼント男は一瞬飛び上がってわめいたが、二秒後にはコホンと咳払いをして、ドスのきいた低い声でケイに迫った。
「答えろ、無礼なガキ。この町で最強の野郎はどこにいる?」
ケイはまんじゅうを抱えたまま、めんどくさそうな顔をする。「最強って言ってもいろいろあるんじゃないか? どういう種類の最強だ?」
「とにかく強くて、凶暴凶悪な支配者的なヤツだ」
「凶暴で支配者っぽいって言ったら、あれだ。メイド喫茶」
「メイド喫茶?」
「横浜にはないのか? なんか昔はいっぱいあったらしいけど」
「知らん」
「じゃあ行ってみたらどうだ? あのスカイツリーの足元にある」
ケイがあごで差す方向には、遠く青空にひときわ高い銀色の塔がそびえている。
「ほう、あそこに東京の支配者が住んでいるというわけか」
「うん。そんな感じだ」ケイは周囲をきょろきょろと見回してから声をひそめた。「怖いメイドだから気をつけたほうがいい。俺が凶悪だと思ってることは会っても言わないでもらえるか? あと店の近くでタバコは吸っちゃダメだ」
「ダーッハッハッハッハッ!」リーゼントは大声で笑い飛ばす。「そいつは面白い! そのメイドとやらに戦車をひっくり返されないといいがな!」
「戦車は……どうかな。そうだ、ちょいと距離があるし、自転車でも貸してやろうか?」
「誰が自転車なんか借りるか。むしろお前を俺の戦車に乗せてってやろうか?」
「戦車? ……ああっ! あれか! あれはお前のか! マジ? 乗っていいの!?」
「バーカ! お前みたいなガキをホントに乗せるわけねーだろ! ぶっ壊されたらたまらねえからな! ダーッハッハッハッハッハッ! あばよ! 有益な情報をベラベラしゃべってくれて感謝のサンキューだぜ。じゃあ、次また俺の愛車に触ったら引き殺すかんなー」
リーゼント男はさっと路地に消えていった。その場に残されたケイはポカンとして「なんだアイツ。乗せるつもりがないなら乗せるって言うなよ、意味わかんねえ」とぼやき、またコートに戻るべく歩き出した。
と思いきや立ち止まり、「俺はいいことしたんだよな? 客が増えるんだし……」と難しい顔をする。「でも、なんか心配だな……。あとで店、行ってみるか……」