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第26話 和解の一歩

 曇天には赤みが差していた。幾羽もの鴉がゆっくりと旋回している。その下で、膠着状態が続く戦いは少しずつ兵士たちが押され始めていた。咒民たちが結託して放つ黒魔法の閃光に、彼らはたじろいで後退する。勢いをなくし、武器の切っ先が虚しく空を切っていった。

 ゼードは負傷したシエンとともに、戦場から離れた樹のたもとへ移動していた。広場の中心ではアキウスを始めとした咒民たちが今も戦いに身を投じている。兵士たちは劣勢を悟り、中心から距離を取った場所に立つスクリエルに視線を投げかけていた。


「ふん。終わり、ですか」


 スクリエルは乾いた笑い声を漏らす。その美貌にどこか諦めにも似た表情が浮かんだ。彼は兵士たちを睥睨すると、涼やかな声で高らかに言い放った。


「兵士たちよ、撤退しなさい。いいですか、これ以上の戦いは無意味です」


 その言葉に倣い、彼らは広場から撤退を始める。村の入口へと駆けていく彼らを一瞥するスクリエルは、流れに逆らって緩慢と広場へ歩いていく。

 血で塗れた地面は夕焼けの光に照らされ、ぬらりと輝いていた。

 ゼードはシエンの腹部に外套を押し当てながら、顔をあげてスクリエルを見やる。

 若き『処分屋』は倒れる多くの兵士たちに視線を投げ、


「負けるのは虚しいものですね。そう思うでしょう?」


 彼のそばに立つ大柄の兵士はなにも言わない。


「ひとつ、言わせてください」


 アキウスやロアンヌ、咒民たちが警戒してスクリエルを見やっている。それに構わず、スクリエルは穏やかにほほ笑むと、対峙する彼らに語って聞かせるように言う。


「私はあなたがたが、咒民が憎いのです。生まれながらにして強いマナを持つあなたがたのことがね。私にはなにもないのに……どうして、あなたがたには強い力があるのだと思えてならなかった。憎しむにはそれだけで十分でしたよ」


 今の彼からは敵意が感じられない。ただ哀しげな面立ちで、告解するように続ける。


「私は聖女ロイナの親縁でありながら、医魔法が使えない出来損ないでしてね。それゆえ、昔は親族から疎まれていたのです」


 なぜ突如としてそんな話を切りだしたのか、咒民たちは困惑している。アキウスは意味がわからないというふうに目を眇め、ロアンヌは彼をじっと見ていた。


「その親族をひとり残らず毒殺したのはいつでしたかね。忘れてしまいました。毒殺した薬には、咒民の血肉を使ったのですよ? 私は小さいころから、薬学には詳しかったものですから」


 スクリエルは遠くを眺める。


「これは私の復讐だったのですがね。咒民の者たちには悪いですが、私の望みのために犠牲になってもらうつもりだった。だから私の代では、咒民狩りを急速に進めたのです」

「……望み、だと?」


 怪訝げに眉をひそめるゼードに、スクリエルは微笑を浮かべる。


「ええ。マナがなくても、薬によって大いなる力を得ることが、ね。そうすれば、私はさらに国中へ力を知らしめることができる。誰も私を差別するものはいなくなるんだ」


 そこで首を振った彼は小さくつぶやく。


「でも、それもくだらないこと……」


 スクリエルはフッと諦めにも似た吐息をついた。軽くうつむき、緩々と首を振る。数秒して顔をあげた彼はローブの懐にゆっくりと手を入れると、途端に『それ』を取りだした。

 液体の入った小瓶だ。それを、煽らんと口もとに持っていく。

 ――とめたのはそばにいた大柄の兵士だった。兵士はスクリエルの腕をつかみ、小さくかぶりを振った。言葉などない。だが、彼の意図はスクリエルに伝わったようだった。

 スクリエルは再びうつむき、弱々しく肩を震わせる。

 村を微風が吹き抜けていく。さざ波のようにあたりの樹々が揺れ動き、どこか遠くで梟の鳴く声が響いていた。

 ロアンヌが静かにスクリエルのそばまで歩み寄った。顔をあげた彼にロアンヌはその瞬間、深々と頭をさげたのだった。


「申しわけありませんでした。瘴気を放ち、人々を無差別に脅かしたのは私たち咒民です。それは紛れもない事実。私たちは、決して赦されないことをいたしました」


 彼女の表情は下へと流れる水色の髪に遮られて窺い知れなかった。それでも、彼女が真摯な想いでスクリエルに対応していることはゼードにもわかる。

 スクリエルは押し黙り、数秒して掠れた声で笑う。


「どいつもこいつも、傑作ですよ」

「私たちの血をお使いください」


 ロアンヌは静かに囁いた。


「やはり、私は諦めきれません。人との共存を、叶えたいという気持ちを」


 胸に手を当て、彼女は真剣な面持ちで続ける。


「マナの大小など関係なく、私たちは人間の方々と手を取りあいたい。その気持ちに変わりありません。私たちのマナの強さも、医魔法をしっかりと学ぶことで医療へ転化できるかもしれない。それに、それ以外にも多くの使い道がありましょう。決して、傷つけるだけの黒魔法ではないと証明したいのです」


 それはティルナの夢見た平和に近いものになるのだろうか。

 そうなれば、どんなにいいだろう――

 ロアンヌはじっとスクリエルを見つめる。透き通った瞳が夕闇の中で輝く。


「あなたに薬学に知識があるのなら、私たちの血を使い、薬の製造を急いでほしいのです。血を極小にまで薄め、投与すれば、身体に瘴気の耐性をつくることができます。私たちが瘴気を封じるまで、どうかその薬を広めてください」

「本当に傑作ですね。笑いたくても笑えませんよ」


 スクリエルは鼻を鳴らす。それから真剣な顔をするロアンヌを見やり、ひとつ観念した様子で息をついた。


「いいでしょう。私としても……瘴気をこのままにはできませんから。たった今、生き長らえてしまった身。この身が役に立つのならば」


 ありがとうございます、とロアンヌは再び頭をさげた。

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